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白州次郎は芦屋生まれとあり、山手の方だと思っていたが、
浜芦屋町だったそうだ。浜芦屋町のどのあたりだったのか興味あります。
625さん詳しいですね。情報ありがとうがざいます。
一番大きな洋館は、ボロボロですが、芦屋らしくて大好きです。
昔、テレビの「犬神家の一族」のロケに使われていました。
平田町も昔からのお屋敷が随分減りましたが、あの洋館は、いつまでも残ってほしいです。
↑
すみません625さんでなく626さんでした。
芦屋の古くからの人(平田町が分譲された頃から住んでいる家系)は、
上(六麓荘や奥池や岩園町などの山側)は成金、下品とは思っても格が上だとかは感じてないよ。
格というのはお金が生むものではないからね。
変な宗教で儲けた人や、詐欺で逮捕された人やら、いっぱい新興成金も住んでて
殆どの住民が、居住50年未満の品の無い成り上がりの家だもんね。
最近逮捕された東芦屋町のフェラーリ狂い社長も、サラ金上がりの下品な人種だったね。
六麓荘の戦後の空中写真1947年
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&co...
そして1948年
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=USA&c...
(国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システムhttp://archive.gsi.go.jp/airphoto/search.htmlより)
まだ殆ど住宅が建っていないことがわかる(数えられる程度)。
デタラメなインチキ野郎>>623の嘘はあっけなくばれるという事。
もともと六麓荘は途中で頓挫して、現在の体裁になったのは戦後ずっとたってから。
当初は分譲しても殆ど売れず、資金繰りに困って現在の例の学校に売却して資金を工面。
その後、どうにか土地所有者が決まっても家なんて殆どたたず、家がそこそこのペースで
建ちだしたのは1950年頃から。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=USA&c...
戦後既に3年も経過している時点でも、日出橋のバス通りより北側の住宅数は、
現在の1割にも満たないことが、サルでもわかる。
>戦前にはすでに50%に達していたがその後入居者規制によりほとんど家は増えず。
嘘吐きは泥棒のはじまりw
実際は正反対で、戦前は殆ど家は建っておらず、家が増えたのは戦後かなり経過してから。
>宅地化が遅れた地域(昭和20年時で50%未満)・・・・朝日ヶ丘町岩園町大東町
>宅地規制によりこれ以上の開発が見込めない地域・・・剣谷町奥山町奥池町奥池南町
紛らわしい表現で誤魔化すのはいけませんな。
朝日ヶ丘や岩園町は昭和20年をとっくにすぎている時点でも
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=USA&c...
大部分が田畑や山林で家なんてポツリポツリで殆ど建っていないわけだがw
戦後の時点で50%未満なんて大嘘で、正しくは「岩園や朝日ヶ丘は戦後に入ってから開発された新興の住宅団地」だ。
>>632
またずいぶんと解り難い写真を出してきたね~
この解像度とコントラストでは今の六麓荘でも50%未満にされちまいそうだね。
因みに当初の六麓荘区画は300~600坪程度で木を出来るだけ伐採しないさせない、
旧い軽井沢みたいな別荘地として開発されたのでこの写真で判別するのは厳しい。
また例の学校より北側の多くが売残ったのも事実だが学校を除いた総合では、
過半数の宅地に家が建っていた。
朝日ヶ丘、岩園、六麓荘:50年以上住んでいる家(住んでから1~3代目)は現在居住世帯の5%以下
奥池、奥池南:50年以上住んでいる家はゼロ
それ以外の山手の街区:50年以上住んでいる家(住んでから1~3代目)は現在居住世帯の20~25%前後
山手以外の街区:50年以上住んでいる家(住んでから1~3代目)は現在居住世帯の30~40%前後
これは米軍が家屋の状態を確認する為に撮影した写真なので、家屋が判別できないなどという馬鹿げたことはありません(笑) 家や屋根が見えないなんてありえない。もともと六麓荘のテニスガーデンから日出橋の通りより北側(新地)の区画は、9割以上が戦後以降に、はじめて家が建築されている土地です。テニスガーデンから日出橋の通りより南側が、戦前に既に開発されており昭和20年代に現在の街区の体裁が既にできあがって家が建っていた本来の六麓荘。
芦屋の世帯数は戦前で約7500世帯、人口は約39000人。
そして昭和30年代半ばで15000世帯、人口は約60000人。
まだ殆どマンション、集合住宅が建っておらず、埋立地や奥池も当然無く、土地の分筆も未だ少ない時代。
ようするに芦屋は、戦後に入ってから過半数以上の宅地が開発されたという事だ。
その大部分が山手だったのは言うまでもない。
山手の高級住宅地というと、阪急芦屋川から芦屋の天神さんのあたりのイメージがある。
岩園や朝日ケ丘は、ずいぶん新しいのでは・・・。
朝日ケ丘の市民プールの当たり、昭和40年代でも寂しかったような気がする。
まして奥池なんて、ピクニックや遠足によく行ったところで、住宅なんて皆無だった
ような。保養所はあったのだろうか?
香枦園浜が出たとたん猛攻撃、やっぱり芦屋叩きはwww
>>636 無責任なありえないレスが続くが・・・
芦屋の土地は山手も浜手もかなり細分化されたのにその論理だとこの50年間で浜手が全く人口が増えず、
増えた人口の全て山手だったとしても④の76,8%にはなりえません。
芦屋市の年代別人口と⑥を除く地区の現在人口比
①、昭和 5年(80年前)28404人 38,2%
②、昭和15年(70年前)39138人 52,7%
③、昭和25年(60年前)42951人 57,8%
④、昭和35年(50年前)57050人 76,8%
⑤、平成22年 93631人
⑥、50年前には存在しなかった住宅地の現在合計人口19339人
山手・・・奥山409奥池566奥池南782
埋立地・・新浜町1558浜風1362高浜4341若葉3275緑1804潮見1197陽光2428海洋491南浜1067涼風59
⑦、50年以上前から存在する住宅地の現在人口(一部しか開発されてない地域も含む)⑤-⑥=74292人
>>634
その写真じゃ人口密集地と田畑の違いしか解らない、広大な敷地で樹木も多ければ山との判別は難しい。
>>641
貴方が主張する3地区の平均をありえないが現人口の一割とすればさらに642よりも厳しい結果になる。
70年前なら、②39138÷[(⑦74292-六麓荘617+朝日ヶ丘7213+岩園3155)×0,9]=0,61
50年前なら、④57050÷[(⑦74292-六麓荘617+朝日ヶ丘7213+岩園3155)×0,9]=o,89
すなわち70年前50年前からの人口伸び率が39%と11%だ、他都市よりも街並の崩れが少ない芦屋でもこの数値はありえないし、その他の山手も貴方と主調だと浜手人口を80年前よりも減らさなければ不可能。
現実にそんな事はありえないのは一目瞭然、もういい加減な事を書くな!
市制になった1940年の芦屋の世帯数は7890、2010年現在の世帯数は40116
戦後に糞イナカモンがなだれこんで今の芦屋がある
人口だけではなく、世帯も見なければ本質は見えてこない。
戦前の世帯数は8000弱、これが戦後僅か15年で17000に倍増(以上)している。
もちろんこれはもともと住んでいた人々が僅か15年の間に大量に死んで土地を分割したなんて事ではなく(まだ土地は馬鹿みたいに安く相続で切り売りなどの問題は無かった時代、土地の値段が上がりだしたのは1972年頃から)、主に阪急の線路以北に存在していた田畑や山林の開発による宅地の倍増というのはいうまでもない。
人口については重要なのは、昭和40年頃までとは違い昭和40年代以降の芦屋市の人口の急増は土地の細分化によって増えたのではなく、集合住宅の増加によってもたらされたということだ。昭和40年頃までは、開発によって宅地が増えて人口が増加していたが、昭和40~50年代(既にインフラが敷設されているエリアでは大規模に開発できる土地がが無くなり発展が頭打ちとなり、それゆえに奥池や埋立地が開発された)以降の人口増加は、主に集合住宅の増加によるものだという事。
そして最重要なのは、50年前に芦屋に住んでいた世帯で1970年代からバブル・現代にかけて世帯主が死んだ案件(つまり50年前に住んでいた世帯で70年代までに引っ越さなかった世帯の殆ど)では、大半の家が相続発生時に売りに出されて、土地の持ち主が入れ替わっているという事。つまり戦前に芦屋市に8000世帯弱(ほぼ当時の宅地数とイコール)が住んでいたといっても、今の40000世帯強のうち2割弱が、戦前からの芦屋の住民の家系という事では断じてない。言うまでも無く戦前から住んでいる世帯は、その半数どころかそれを遥かに下回る。
>>645 人口だけ見てもわからんってのがなんでわからんのだ? 幼○園児か?
戦前の芦屋は、1世帯あたり人口が約5人(昭和10年で5.1人)いて、現在は55%減少して半分以下の
1世帯あたり2.3人だぞ。
日本で集合住宅や団地やマンションが本格的に建ちだした昭和40年代以前の世帯数の増加は、開発が行われて
土地・家屋が増えたことを明確に物語るものだが、人口の増減は世帯あたり人口に大きく影響されるので
開発の度合いは分からない。
大規模な開発により土地・家屋(世帯数)が3倍に増えても、一世帯あたりの人数が55%減少していれば、
人口は35%しか増加しないんだよ。
訂正 平成20年389,534
重要なのは、分筆によって宅地の増加が目立ちだしたのは1970年代末以降の話であり、
戦後20年の間の世帯数の激増(2.42倍増、7000世帯→17000世帯、142%増加)は、
ほぼ新規の宅地開発によって増えたものだという事。
戦後既に現在の70%以上が宅地化されていたなどというのは、狂言、嘘、デタラメ。
>その写真じゃ人口密集地と田畑の違いしか解らない、広大な敷地で樹木も多ければ山との判別は難しい。
いいえ、
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=USA&c...
この写真なら、明確に宅地・家屋はわかります。
これ(戦後の画像)みたら、まともな常識人なら、岩園、朝日ヶ丘(現在の市街化区域部分)以北の
全体面積の9割以上は未だ宅地化されておらず、家の数は今の1割以下である事がわかるはずだがw
あまりにも必死な苦しい言い訳はやめて、そろそろ観念したら? この写真買えるから(モニタ上より
大幅に解像度が高いから家の数と宅地化されている土地は一目瞭然でわかる)、確認すればいい。
>>652
浜手の住宅は切れていて見えないし木が多い豪邸の境目の判別は厳しいが、
やっぱり奥池界隈+埋立地を除けば現在の住宅地に対して7割だね。
現在の住宅地に対してとは、学校、病院、墓地等の公共施設を除いた宅地。
グーグル地図と見比べればより解りやすいと思う。
1961年(昭和36年)
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=MKK611&am...
13年前の戦後3年後と比較すると、岩園町の田畑、山林で猛烈に宅地開発が進み家が増加していることがわかる。
六麓荘のテニスガーデン~日出橋の通り以北でも、戦後と比較して住宅が著しく増加し宅地開発が進行形であることが一目瞭然でわかる。
1971年(昭和46年)
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=MKK712X&a...
更に田畑、山林の宅地化が山間部の全域で加速し、ほぼ開発されつくし現在と同じ宅地の体裁になっている事がわかる。戦後に大幅に増加した世帯数は、山間部の開発による影響が著しく大きい事が見て取れる。
>>654
だから当初の米軍機撮影と比較して見ろよ、六麓荘のはげてるのか家の屋根かどちらか解らなかったのが、解像度やコントラストがより明細になったので解りやすくなり家だったと判別出来てるし、岩園と朝日ヶ丘は当初より開発が遅れた地区としてあげてる。
また樹木に覆われた森みたいな広い屋敷も細分化されれば宅地として解りやすくなる、この意味解る?
要するに宅地としてすでに利用されていても敷地に対して家が小さければ解像度の悪い写真では森か家かの判別がし難く樹木の多い家は特に山手地区に多かった。ただしこの様な巨大邸も戦後の没落でかなりの家が細分化されている。
戦後の僅か15年の間に世帯数が増加しているのに(宅地の分筆や集合住宅が未だほとんど無い時代)、
今の宅地の70&以上が戦前既に宅地化されて家が建っていたんですか?www
僅か15年の間に、全世帯の数割が死んだり切り売りして土地を数分割したのでしょうか?www
まだいくらでも開発できる田畑、山林があったのにwww
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/GetPictureServlet?workname=USA&c...
これ(1948年)のどこをどう見たら、六麓荘が戦前の団塊で現在の50%以上が既に宅地化(=家屋が今の半数)
されていたのでしょうか? どう見ても家は今の1割以下ですが。
また、どこをどう見たら市の阪急以北の大部分が戦前で既に宅地化されていたのですか?
訂正
戦後の僅か15年の間に世帯数が倍以上に増加しているのに
戦後3年経過時点で学校の通り以北は数軒以下(しかもその殆どは戦後建ったもの)。
現在のバス通り以北、学校の通り以南は15~20軒(しかもその半数以上は戦後に入ってから建ったもの)。
そもそも現在のバス通り以北は、ごく一部を除くと戦後に入ってから開発・分譲された「新地」。
戦後直後の時点で、現在の六麓荘の全体街区の実に9割以上が未だ宅地化されていない山林だったんだよ。
岩園や朝日ヶ丘も、現在の総面積の9割以上が、宅地造成されていない山林、田畑だった。
>>656
またその写真を、それ解像度が悪くコントラストが付き過ぎていて解りにくすぎw
それじゃその中で特定出来る戦前の家だけどテニススクールの平野邸と例のミュージシャン邸の南 、
当時はその一角を全て所有していた大倉芦屋邸(本宅は住吉のオーキッドコート)
どちらも戦前から確実にあった大豪邸だけどその写真なら山とそのハゲにしか見えない、
何度も書くが軒数比較じゃなく宅地として利用された土地の有効面積率だからね。
>どこをどう見たら市の阪急以北の大部分が戦前で既に宅地化されていたのですか?
そんなの何処にも書いてないぞ、
↓
>着工~町並の7割以上が完成した時期
>大正9~昭和初期
>三条町三条南町西芦屋町西山町山手町山芦屋町東芦屋町東山町月若町
>特殊地区・・・六麓荘
>戦前にはすでに50%に達していたがその後入居者規制によりほとんど家は増えず。
>しかしバブル期に規制が機能しなくなり細分化が進み現在に至る。
>宅地化が遅れた地域(昭和20年時で50%未満)・・・・朝日ヶ丘町岩園町大東町
>宅地規制によりこれ以上の開発が見込めない地域・・・剣谷町奥山町奥池町奥池南町
↑は一気に書き上げたので多少不都合な点が有るのは認める。
例えば東山町は(昭和20年時で50%未満)に入れるべきなのと、山手町は川沿いの急傾斜地のマンション群地帯を頭に入れてなかったので7割は厳しく6割程度だろう。
それと六麓荘は、居者規制によりほとんど家は増えず、と書くよりも、居者規制により少しずつしか増えず、と書くべきだった。
>>658
そんな子供騙しみたいな数字トリックを使うと貴方の書き込み自体の信用性がなくなるぞw
昭和20年なんて終戦直後で少なくなって当たり前、比較するなら昭和15年39,137 昭和35年57,050
20年間でも31%の伸び、
>宅地の分筆や集合住宅が未だほとんど無い時代
そんな事無いってw終戦で没落した豪邸は片っ端から分筆細分化されるか社宅化されるかだった。
芦屋ではそれ以外にも震災で急激な細分化、マンションかが進んだ。
奥池エリアを除く山手(阪急以北)の世帯数 8806世帯(平成17年)※現在は更に多い
戦前の山手の世帯数 約900~1000世帯(昭和15年)
まぁざっと9倍には増えてますな。
戦前から住んでいた世帯は、必ず70年代以降から昭和末期・平成初期にかけて相続が
発生しているけど、当時の区画は巨大ゆえに少なく見積もっても三分の二以上は
売却されて分割されてるから、おそらく戦前から住んでいてる住人(当時から数えて2~3代目)
は300以下でしょう。
まぁ売ってまた近所に住んでいるという幾らかのケースを含めても、現在世帯数の5%以下でしょうね。
開発されていたかどうかってのは、今の街並みと変わらない体裁の街があったかどうかでしょう。
例えば、山林や広大な農地を持っている地主や豪農や一族の家がある**が戦後に売却されて
大規模宅地開発されたケースにおいて、戦前から宅地化(地主などの家があったから確かに
宅地は存在したw)されていたとは、常識的には言わない。
かつて数万坪(数十ヘクタール)の土地を個人が所有していて、それが現在数百区画の住宅街に
なっている場合、この住宅街の開発時期は?となると、言うまでも無く数百区画の住宅街が
つくられた時期の事でしょう。
西岡本7丁目の住宅街が開発されたのは誰がどう見ても昭和40年代後半(戦前からの住民など
1人もいない)だが、以前に山にヘルマン屋敷があったからといって、大正からの住宅街だ!
なんて屁理屈は通用するわけがない。
大正~昭和初期の日本の裕福な家庭は子供が多く(5人以上が当たり前)、さらに住み込みが何人かいたので大きい家では10人以上住んでいるのが普通だった。
だから、人口だけ追っても、本質は見えてこないんだな。今は大きい家が多いエリアは当時とは逆で、一世帯あたりの人数は平均(2.57人)より更に少ない。
>>660>>661>>662
実状を知らない妬み君が持論を吐いてますねw>>660の数値の元となった資料のソースよろしく。
まず660の数値を信用したとして現状を書きます。
私の家は芦屋に住み付いて3代目で年齢は40歳前後、芦屋では他地域よりも小学校の同窓会が活発です。
なぜかと申せば地元在住者がとにかく多い、父親の代で死亡者も含めれば約5割、私で約3割が芦屋在住。
私の代では転勤族が3割は居たので残りの半数はそのまま芦屋に居座ってる計算です。
当然男性の方が多いのですが女性も結婚後芦屋に引越し戻ってきた人も多く居ます。
>売ってまた近所に住んでいるという幾らかのケース
相続での売却も色んなスタイルがあるが、多くは住み慣れた地元を離れない。
最も多いのが近くのマンション等に住む、次で多いのは土地の切り売りで相続を済ませ現地に残る。
相続後も数人の相続人が分割所有し住む、相続が発生する前に生前贈与をし敷地を分割所有する、
>例えば、山林や広大な農地を持っている地主や豪農や一族の家がある**が戦後に売却されて
>大規模宅地開発されたケースにおいて、戦前から宅地化(地主などの家があったから確かに
>宅地は存在したw)されていたとは、常識的には言わない。
なにを一人で勘違いしてるんだ、そんなの当たり前だろw
>かつて数万坪(数十ヘクタール)の土地を個人が所有していて、それが現在数百区画の住宅街に
>なっている場合、この住宅街の開発時期は?となると、言うまでも無く数百区画の住宅街が
>つくられた時期の事でしょう。
これも上記に同じw
>>662
それを基準にし、初代の子供が6人2代目の子供が4人3代目の子供が2人と仮定すれば、
初代の子供が3人芦屋残り2代目の子供が3x2人が芦屋残りその子供が2名として、
初代がすでに他界していたとしても芦屋在住の一族は9家族36人となる。
嘘を書き連ねても苦しいだけwww
戦前の芦屋はピーク(戦中で減少していた時期ではない)で7000~8000世帯、現在は4万強世帯。
どう見ても戦後から高度成長期にかける爆発的な流入によって世帯が増えたのは明白。
山手、浜手、平地を一切ぬきにしても(現実は阪急以北より浜手のほうが戦前からの家が
多いのは明らかだが)、世帯の増加分は戦前からの家の後継ぎ以外(後継ぎの分は
世帯数は増加しない)の子供世帯の後継ぎ以外が(長男以外の息子だけではなく娘も)、
芦屋に住みついた分などという馬鹿げた妄想が通用するわけがない。
15~20年程度で世帯が倍増するのは、住宅開発による流入以外にはありえない。
単純に、戦後から現在に至る世帯の激増は、戦後の宅の開発と、高度成長期の集合住宅、
マンション、団地、社宅の増加による流入がもらしたもの。
平成17年で(現在は更に3500世帯以上増加、因みに5年でこの増加は流入主体以外ありえない)
東山町、山手町、朝日ヶ丘、岩園、六麓荘の合計世帯数が5700世帯
そして
阪急以北の合計 9000世帯(うち奥池南奥池奥山が650世帯)
阪急以南の合計 27500世帯(うち埋立地が6200世帯)
戦前は市全体で7900世帯(航空写真を見れば一目瞭然だが、当時の住宅総数の約9割は阪急より南側)。
埋立地や奥池を除外しても、阪急より南で3倍増加、山手で8~9倍以上に世帯数は増加しているが、
山手の世帯数激増に関してはその多くが、戦後の宅地開発と団地・マンションの増加によって行われた事が明白である。
>>667インチキばっかり書かないで下記をもう一度読み直せ、
下記は芦屋市のHPから抜粋した人口だから確かです。
No.642 by 匿名さん 2010-01-19 12:46
>>636 無責任なありえないレスが続くが・・・
芦屋の土地は山手も浜手もかなり細分化されたのにその論理だとこの50年間で浜手が全く人口が増えず、
増えた人口の全て山手だったとしても④の76,8%にはなりえません。
芦屋市の年代別人口と⑥を除く地区の現在人口比
①、昭和 5年(80年前)28404人 38,2%
②、昭和15年(70年前)39138人 52,7%
③、昭和25年(60年前)42951人 57,8%
④、昭和35年(50年前)57050人 76,8%
⑤、平成22年 93631人
⑥、50年前には存在しなかった住宅地の現在合計人口19339人
山手・・・奥山409奥池566奥池南782
埋立地・・新浜町1558浜風1362高浜4341若葉3275緑1804潮見1197陽光2428海洋491南浜1067涼風59
⑦、50年以上前から存在する住宅地の現在人口(一部しか開発されてない地域も含む)⑤-⑥=74292人
要するに70年前には存在しなかった埋立地と奥池界隈を除く現在の宅地人口は
70年前にはすでに現在の52,7% に達していた訳で、
ここで持論をぶちまけてる荒らしさんの情報は全くのでたらめ。
世帯数が激増加したのは、戦前から住んでいた家(昭和5~15年の芦屋市の世帯あたり構成人員が
4.9~5人なので、祖父母と同居が多かった事も考慮すると、平均すれば当時の子供の数は2人台で
一部の裕福な家は確かに子が多かったが、その多くが他の地域と比較して優位に地元に残ったなど
という馬鹿げた話はない)の娘や息子が、殆ど芦屋に住んだからだという都合の良いインチキ妄想ですね。
わかりますw
世帯が戦前7900から現在40000に増えたのは、戦後猛烈に宅地開発によって
住宅が増えて著しく「流入世帯>流出世帯」の傾向が続いたから。
それ以外に理由などない。
そして世帯あたりの構成人員が55%減少しているから、世帯数の著しい増加(流入世帯>流出世帯)の割には
人口がそれほど増えていないように見えるのは当たり前。
現在の4万世帯のうち埋め立て地と奥池・奥池南・奥山は7000弱だ。除外すると33000世帯。
つまり戦前7900が現在33000に激増している(世帯数300%増加)。
裏が山のうえに一般的な大都市近郊の市町村と比べて市域面積も可住地面積も極端に狭いので、増加の度合いが
少ない(=戦後、宅地開発の限界に達するのが早かった)のは当たり前だが、芦屋市が流入層が少ない、
元から住んでいる住人が多いなどというデマ、インチキ、大ボラの喧伝は失笑もの。
どうでもいいけど、人口増加率の定義と計算方法なんて基本中の基本ぐらい理解しとけよw
1960年の人口5.7万が2010年9.35万人に増えている場合、人口増加率は64%、人口の伸びは64%です。
これを39%の人口の伸びなどという人は、小学校の算数からやり直したほうが良いでしょう。
ちなみに芦屋市の人口増加率は、昭和40年代以降も一貫して高く、1980年以降は年にもよるが全国で10~30位以内に入る。ちなみに兵庫県内でここ数年ずっと1~2位に入る。つまり流入世帯が常に多いのが、戦後の芦屋の実情だ。
芦屋市の資料「芦屋市の現況」より
> 本市の人口は,昭和45 年から60 年にかけてかなりの勢いで増加し,
正確に言うと、芦屋市は市域の狭さゆえに大規模な田畑や山林の総面積が少なく、戦後の開発において限界(開発余地のある山林、田畑)に行き当たるのが一般平均よりも早く、巨大規模の住宅開発(計画人口数万人規模の住宅地の複数開発)が行えなかったので、見かけ上の人口の増加はそれほど高くはないが、戦前からの可住地については、猛烈に世帯数が増加し、たえず世帯の流入が活発に続いたというのが真実だ。
芦屋市の戦前から住宅が存在したエリアが、他の大都市近郊の市町村の既に住宅が存在していた
エリアよりも、開発・流入・世帯数増加率が少なかった時代など存在しない。
それどころか常に開発圧力が高く開発され、猛烈な勢いで流入し続けたのが芦屋。
単に、巨大規模の開発が地勢的に行えなかったので、人口のトータルで見ると
「開発圧力が少なく開発が緩やかだった」と事実とは正反対の錯覚をしやすく、
「現在住人の多くがもともと住んでいた世帯」というトンデモ勘違いをするおっちょこちょいの
大馬鹿さんが出てくるだけ。現実は、埋立地や奥池を除くエリアで世帯数が戦前から300%増加だ。
これは一般的な大都市近郊の他の都市の戦前住宅地よりも露骨に高い数字。
猛烈な流入超過が続いたからこそ起こる数字。
>>673また嘘かw
>芦屋市 国勢調査データ(H17)DID人口密度 11,176(人/km2)
真実は↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A6%E5%B1%8B%E5%B8%82
芦屋市の人口密度5,060人/km²
普通は都心から20km圏にある郊外都市というのは、戦前の市制施行時で30~100k㎡はあるのが普通だった。
それに対して芦屋は極端に小さく18k㎡しかなく、可住地に至っては7k㎡しかない。
だから芦屋は戦後に猛烈に開発されはしたが、(戦前の町の発展度合いが同規模の周辺都市に対しても、
勝るとも劣らない開発圧力で開発された)、土地不足という物理的限界に行き当たるのが早く、
安定成長期以降の巨大規模のニュータウン開発は行えなかった。
ようは市の人が住む事が可能な面積あたりで、戦後から現在に至るまで限界レベルに近い所まで開発が
行われ世帯数も増加しているが(DID人口密度は大阪市より高いので、限界近い開発が行われたのは明白)、
市域の狭さ・可住地不足ゆえに、大規模な人口の増加をもたらす巨大開発は行えなかった(埋め立てや奥池
エリアの開発が精一杯だった)というのが史実。
総合的に判断せず、人口だけを見ても何も分からない。
S10年の世帯数(≒住戸数) 7890
S40年の世帯数(≒住戸数) 17046
H10年の世帯数(≒住戸数) 30808
H22年の世帯数(≒住戸数) 40000(埋立地・奥池・奥山を除くと33000)
これを見て(埋立地・奥池・奥山を除外した戦前から人が住めた町丁で世帯数が300%以上増加)、開発が
緩やかだとか、戦前から家はそんなに増えてないとか言い張るのは頭が湧いてるとしか言えない。
>>680
単純人口密度とDID人口密度や可住地人口密度の違いもわからんようなド素人は一から勉強して出直してこい。
都市の開発や発展の度合いを推し量るのに使われるのがDID。
http://s-seireishi.jp/kaigisho200712.htm
芦屋市のDID面積はほぼ市街化区域面積とイコール。
H17年国勢調査値 芦屋市DIDs
DID面積:7.65k㎡ DID人口:85,497(+6,008) DID人口密度 11,173(人/k㎡)
芦屋市の世帯数増加は、戦後、開発により市外からの転入超過がずっと続いたからです。
市内で育った子供の多くが、核家族で市内に移住したからではないです。
こんな基本的な事すら今まで理解していなかったのは、人口だけ見てたからだろうね。
まぁ都市学の常識であるDIDすら知らず、人口増加率の計算方法すら
理解してなかったんだから当然かw オバカさんが出てくるんわけだw
2005年の統計GISデータ(国勢)
芦屋市
一戸建て 11216世帯(30.5%)
集合住宅(長屋建・共同住宅) 25422世帯(69.5%)
つまり7割が団地・マンション・社宅・アパート等の住民だ。
これらが戦後に建ったのは1960年代以降が殆どで、集合住宅居住者の殆どが流入者なのは言うまでもない。
一戸建て居住者も過半数以上が、開発された場所や分割された土地に住んでいる流入者だ。
これだけわかりやすいデータがあるのに「芦屋は昔から住んでいる家が多い」ってwwww
2005年の統計GISデータ(国勢)
芦屋市
一戸建て 11216世帯(30.5%)
集合住宅(長屋建・共同住宅) 25422世帯(69.5%)
つまり7割が団地・マンション・社宅・アパート等の住民だ。
これらが建ったのは戦後どころか1960年代以降が殆どで、集合住宅居住者の殆どが流入者なのは言うまでもない。
一戸建て居住者も過半数以上が、開発された場所や分割された土地に住んでいる流入者だ。
これだけわかりやすいデータがあるのに「芦屋は昔から住んでいる家が多い」ってw
戦後~1960年代半ば
主に山手の宅地開発と団地開発により世帯数激増(7890→17000)
昭和35年~現在
大型宅地や遊休地のマンション化・社宅化、相続による分筆による宅地増加で世帯数激増(17000→33000)
奥池、奥池南、埋立地等の開発による世帯数7000程度の増加(+7000で40000)
>>684
荒し君のインチキデーターが国勢調査とは驚きだ、人口密度なんて人口と市面積で簡単に出るw
真実は↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A6%E5%B1%8B%E5%B8%82
吹田市 豊中市 芦屋市
昭和15年 63,181 45,013人 39,138人
昭和25年 66,094 86,203人 42,951人
昭和35年 120,203 199,065人 57,050人
現在 348,170 389,534人 93,631人
人口密度9,840/km² 10,680/km² 5,060/km²
>>.688また荒し君は一人で妄想の世界に入ってしまったねw
市内の移動よりも市外からの流入が多いのは当たり前、そして街の規模が小さくなるほどその傾向は高い。
当たり前だろそれがどうかしたのか?
ただ芦屋は転勤族を除けば街の規模に対して地元での定住性は高い。
理由としては各種アンケートによる満足度が非常に高い、そして富豪層の定住性は一般人より高い。
>ここ数年でも世帯数が3000以上増加しているが
その主因は震災である事は明白、平成6年に86,630人居た人口が平成7年には75,032人、
震災で人口の13,4%実に11598人の人が家の倒壊等で流出。
そして平成20年には人口93036人、この間に新たな埋立宅地が生まれ現在4045人が住んでいるにで
それを除けば平成6年から14年間で2361人しか増えてない。
△
芦屋は転入も多いですが、転出も多いです。
一言で言えば、戦後は一貫して住民の入れ替わりが激しい町です。
ちなみに転出率は、全国でもかなり上位(全国順位で50位/806位)です。
戦後から高度成長期、安定成長期の末期にかけても一貫して、8000~10000人/年の転出がありましたし、
現在も毎年人口の5%強の転出者があります。
また、DID人口密度すら知らなかった恥晒しド素人が恥の上塗りしているのかw
芦屋市は戦前のDID及び可住地についてはその面積に対して限界近くまで戦後に開発され世帯数が増加したが、
昭和40年代以降に旧住造法の認可を得て各都市で幾つも開発された100~数100ヘクタール級の住宅開発を
行えなかったので(市域の極端な狭さ及び開発に適した緩やかな地勢の大規模山林が存在しなかった為)、
DID自体が拡大しなかったというのが、他の地域のような60~70年代の爆発的人口増加が起こらなかった要因。
戦前の芦屋の市街地・住宅街の風景や街並みは様変わりし、もはや当時の原型を留めていない(所々に面影を
残す建物が残っている程度で、街並み自体は別物)というのは、誰もが知っている事実。
そもそも「奥池や埋立地を除外すると、戦前から人口は云々」といった表現も全くもって意味不明。
通常の大都市近郊の都市は、奥池や芦屋の埋立地とは比較にならない規模の可住地拡大が見られて、
それに伴う人口増加が、全体の人口増加の大部分を占めているんだから、他の都市の人口増加と
比較するにあたって「奥池や埋立地を除くと云々」といった前提をする事がそもそもアホ丸出しw
現実として、芦屋の世帯数は戦前(昭和15年で7890世帯)から5倍(現在4万世帯超)に増えているし、
人口も2.4倍(140%増加)に増えている。
>>687
いい加減に少しは勉強しろよ。
人口密度には、総人口を市域面積で割った単純人口密度、DID人口をDID面積で割った
DID人口密度、可住地面積で割った可住地人口密度がある。
単純人口密度は、急勾配の山間部や宅地開発が不可能な(転用できない)地域なども
含まれるので、実質の開発や発展の目安には適さない。
ゆえにDID人口密度が用いられる。
芦屋市のDID面積は、
http://www.city.ashiya.hyogo.jp/machidukuri/toshimasu/image/genkyo.pdf
これを見ればわかるように全体面積より狭く7.65k㎡にすぎない。
H17年 DID面積:7.65k㎡ DID人口:85,497人なので
芦屋市のDID人口密度 11,173(人/k㎡)
他の地域は、
札幌市 7,966
横浜市 10,036
さいたま市 9,345
川崎市 9,974
大阪市 11,857
東大阪市 10,355
堺市 7,558
尼崎市 9,295
西宮市 10,849
神戸市 9,536
政令指定都市(平均) 8,089
>>692
このスレに粘着してる荒らし君は何度書いてもほとぼりが冷めた頃に振り出しに戻しますが、
芦屋の転居率が高いのは転勤族の多さによるものです。
関西で最も知名度が高い住宅街ならではの現象で、定住志向のある方とは別に考えるべきです。
そして何度も書くのは面倒ですが、芦屋では小学校の同窓会が盛んです。
私は40台前半ですが転勤族が多いのにもかかわらず3割程度が現在も芦屋に在住しています。
世帯数の推移が最も重要で、実際には人口だけ追っても意味がないけど、奥池や埋立地を含まない(この前提は他の地域との比較においては意味がないけど)市域でも、戦前からの比較で人口は94%増加(39000→76000)していますし、世帯数は300%以上増加(7890→33000)しています。
都市経済学の基本で、今時中学生でも知っている人口集中地区(DID:Densely Inhabited District)、DID面積、DID人口密度すら知らなかった恥晒し君がついにファビョりだした模様。
ちなみに芦屋も含め、日本の大部分の地域ではDID面積≒市街化区域面積だ。
だからDID人口密度は、市街化区域人口を市街化区域面積で割った数値とほぼ等しい。
少し拝見しましたが、私の頭が悪いのか、
結局何が言いたいのかさっぱり理解できません。
古いのにさかのぼってまで読む気も起こらんし。
もっと簡潔に、言いたいことだけ書いた方が
より活発な意見交換になると思うよ。
荒らしさんの目的はただ一つ芦屋や西宮のの没落を願うだけ、真実はどうでもよいのです。
ばーか。
芦屋や西宮がそんなに妬ましいのか・・・・。
かわいそうに。。。
戦前の大都市近郊の住宅街(分譲地)や市街地は、主に駅を起点にせいぜい1~2km圏内で開発され発展した。
そりゃそうだよな。
駅から3~4kmも離れた山林や丘陵地や田畑に人口数万人規模の巨大規模の住宅街が開発されるようになったのは、(旧)住造法などの法律関係が整備され、マイカーが爆発的に普及しバス便も発展した昭和40年代以降からだ。
逆に言えば、駅から3~4kmも離れれば、そこは今までは生活不便で住みにくいエリアだったので、開発されていない土地は「平均的な面積を備えた大都市近郊の衛星都市」にはゴロゴロあった。
ところが芦屋は極端に面積が小さく南北に細長い上に北部は急稜な六甲の斜面が迫っている為、駅から3~4km離れたエリアが大規模住宅街として成立する時代に入っても、巨大規模の住宅街を複数開発可能な土地が全くなかった。
これが、芦屋が他の都市と違い、爆発的に人口の増加が起こらなかった理由。
何も芦屋の市街地が多の都市より戦前から、開発が進んでいたわけでも完成していたわけでもない。
実際は芦屋ほど戦後猛烈に開発された都市は無いぐらい開発されたが(街並みは様変わりして、現在では多くの
街区で戦前とは街並みがまるで異なる)、この点に気付いていないと「芦屋は他の地域と違って、戦前から開発が熟成していた。人口の増加が少ないのがその証拠」などというマヌケな勘違いをするオツムの不自由な情弱君が出てくる。
人が住める地域には、限界近くまで土地利用・宅地利用が進んでいるのが現在の芦屋。
だからDID人口密度が高い。芦屋のDID=芦屋の市街化区域面積
これは芦屋市民が思っている以上に、マンションが乱立している事が大きな原因を占めるだろう。
>>704
>芦屋市は人口密集地にだけ限定し、
アタマ大丈夫ですか? DIDってのは1k㎡当たり4,000人以上住んでいるエリアは全て含まれる。
芦屋の場合、市街化調整区域の奥池や奥池南を除くとほぼ全域がDIDに指定されている。
芦屋市民の人口の97%以上はDIDに住んでいる。
だから芦屋の住宅事情や開発事情、過密状態を、DID人口密度で推し量るのは当たり前の事。
人が住めない地形が市域面積の半分以上を占める芦屋ほど、単純人口密度を用いる事が無意味な都市は無いよな。
>どうやら>>699に書かれてる資料自体が改ざんされてますね、
またいい加減なインチキをのたまうw あまりホラはふかないほうがいいw
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E9%9B%86%E4%B8%AD%E5%9...
全て正式なデータで、DID人口密度は
札幌市 7,966
横浜市 10,036
さいたま市 9,345
川崎市 9,974
京都市 9,903
大阪市 11,857
福岡市 8,936
東大阪市 10,355
堺市 7,558
尼崎市 9,295
西宮市 10,849
神戸市 9,536
政令指定都市(平均) 8,089
DIDってのは勝手に決められるものじゃないからね。
ある市では人が住んでいない地域でもDIDに含まれ、別の市では含まれないなどといういい加減な指標ではない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E9%9B%86%E4%B8%AD%E5%9...
のDID人口比率を見れば一目瞭然だが、田舎や地方とは異なり大都市の都心から20km以内のの都市では住民の総人口の90~100%はDIDに住んでいる。
つまりDIDに住んでいない住民なんて殆どいないから、DID人口密度で比較するのが都市の発展や過密や開発具合をはかるには最適なんだよ。
平成17年度の国勢調査データでは、おそらく
陽光町・海陽町・南浜町・涼風町の南芦屋浜(1.265k㎡)が
DID面積、DID人口に含まれてないんだろ。
次回(平成22年度)からは確実に含まれる。
そうなれば芦屋市のDID面積は8.9k㎡程度になるはず。
まぁそれでも、DID人口密度は(H22年の推定DID人口を93000人とすると、
DID人口密度は10,500)そんなに大きくは下がらず、かなり高い事は変わらんがね。
君らは何を意地になっているんだ。
バブル後は、かなり評価が変わってきたのではないでしょうか?
阪急北といっても朝日ヶ丘や苦楽園のマンションなんて不便極まりないし、実際値段も安くなりました。特に震災後は利便性が重視され、阪急沿線よりもJR沿線の方が人気があるように思います。未だに山手に満足しているのは古い価値観にとらわれている人か新参者だけではないですか?
阪急沿線>JR沿線>阪神沿線
山手>平地>海側
平地から北に行けば行くほど(山の斜面)ほど偉い
という何の根拠も無い胡散臭い下品なトンデモ価値観を多くの人間に刷り込んで洗脳し、差別意識が強い土地柄をつくったのは、阪急の偉業です。
オバハンとかでも露骨に南側を見下したり、阪神沿線をその住民ごと貶したりするのがゴロゴロいる。
もともとは素直な良い人でも、様々な理由で神戸や阪神間の阪急沿線に移り住むと、
僅か5~10年ほどで、地域カーストや地域差別意識(校区、沿線、山側海側etc)
の価値観にどっぷり浸って、元々の人柄とは変わり果てて鼻持ちならない人間に
なってしまう傾向が強いですね。
>>707
もう何度貼り付けても一緒、東京は抜けてるし阪神間と比較対象される北摂も全く無いし、
都合により改ざんされた書き込み。
そのDID人口密度とやらで阪神間に並んでる尼崎西宮芦屋を比較すると、
尼崎が最も環境が良くて芦屋が最も低くなるのだか、実状とは全く正反対。
北部には田畑が残り中南部は工場と商業地だらけで埋立地には住めぼしい宅街が無い尼崎と、
工場が無く商業地も少なく田畑も空地もほとんど無い住宅に特化した芦屋。
街並みを見ても芦屋の方が緑は多く家の間隔も広く採光も確保されている住宅が多い。
そんな資料よりも床面積とか容積率で比較した方が現実的。
>【平均床面積】
>平均床面積は,それぞれ持家が114㎡/戸,借家が63㎡/戸で,阪神間で最も大きく(図23),
>戸建持家は「100㎡/戸以上」が77%,分譲マンションは「75㎡/戸以上」が72%を占めていますが,
>賃貸マンションは「75㎡/戸未満」が67%と差がみられます(図24)
http://www.city.ashiya.hyogo.jp/handbook/kensetu/image/jyutaku_mp_h20_...
世帯あたり床面積、と都市(人口集中地区)の過密や発展度はなんの関係もない。
真正のバカか?
世帯あたり(1人あたり)床面積や都市居住型誘導居住面積水準というのは、居住スペースの
ゆとりや水準の達成度合いを推し量る指標で、都市や市街化区域の過密度や発展や乱開発、
住環境を推し量る指標であるDID人口密度とはなんの関係もない。
例えば、できるだけ土地を高度利用するべく容積率の大きい地域の割合を増やせば(実際、芦屋はそうしているし
大阪から20km圏にある衛星都市の中では、容積率の高いエリアが、市街化区域全体に対して占める割合が多い)、
都市の過密度やDID人口密度のわりに、1人あたり居住スペースはそれほど狭くない都市になる。
しかし、DID面積(≒市街化区域面積)に対して人や車が多い事(DID人口密度が高い)は確固たる事実で、都市の過密度が高い(開発が過度である)という現実は、いくら容積率を高くしても変わらない。
実質的な都市の範囲を示す指標として、「DID(Densely Inhabited District;人口集中地区)」があります。国勢調査で定期的に発表されています。
DIDは、
(1)市区町村の境界内において人口密度の高い(約4,000人/K㎡以上の)国勢調査区が集合している地域
(2)人口5,000人以上を数える地域
の(1)と(2)の両方を満たす地域といいます。市町村合併により行政上の「市」の範囲と実際の市街地との乖離が進んだことから、実質的な市街地の範囲を示す重要指標として用いられています。
DID人口をDID面積で割ったDID人口密度は、都市の発展や過密度(都会度)、開発の度合いをあらわす最適な指標として広く活用されています。
だからDIDがどうした?
工場だらけで住居地区が少なくDIDが低い尼崎の方が芦屋よりも環境が良いとでも?