- 検討スレ
- 住民スレ
- 物件概要
- 地図
- 価格スレ
- 価格表販売
- 見学記
人口だけではなく、世帯も見なければ本質は見えてこない。
戦前の世帯数は8000弱、これが戦後僅か15年で17000に倍増(以上)している。
もちろんこれはもともと住んでいた人々が僅か15年の間に大量に死んで土地を分割したなんて事ではなく(まだ土地は馬鹿みたいに安く相続で切り売りなどの問題は無かった時代、土地の値段が上がりだしたのは1972年頃から)、主に阪急の線路以北に存在していた田畑や山林の開発による宅地の倍増というのはいうまでもない。
人口については重要なのは、昭和40年頃までとは違い昭和40年代以降の芦屋市の人口の急増は土地の細分化によって増えたのではなく、集合住宅の増加によってもたらされたということだ。昭和40年頃までは、開発によって宅地が増えて人口が増加していたが、昭和40~50年代(既にインフラが敷設されているエリアでは大規模に開発できる土地がが無くなり発展が頭打ちとなり、それゆえに奥池や埋立地が開発された)以降の人口増加は、主に集合住宅の増加によるものだという事。
そして最重要なのは、50年前に芦屋に住んでいた世帯で1970年代からバブル・現代にかけて世帯主が死んだ案件(つまり50年前に住んでいた世帯で70年代までに引っ越さなかった世帯の殆ど)では、大半の家が相続発生時に売りに出されて、土地の持ち主が入れ替わっているという事。つまり戦前に芦屋市に8000世帯弱(ほぼ当時の宅地数とイコール)が住んでいたといっても、今の40000世帯強のうち2割弱が、戦前からの芦屋の住民の家系という事では断じてない。言うまでも無く戦前から住んでいる世帯は、その半数どころかそれを遥かに下回る。