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どう思われますか?
[スレ作成日時]2006-05-13 22:16:00
どう思われますか?
[スレ作成日時]2006-05-13 22:16:00
久しぶりにマジレスで盛り上がったいいスレでした。
皆様お疲れ様でした。
おっ終わらせないでーーーーー
なんでゆとり教育レベルの前が良かったと思ってるのかよくわからないですけどね。
はっきり言えば、元々質的には良くなかったので、詰め込みしている分まだ
ましだった、という程度だと思いますが。
何が楽しくて北方の野蛮民族の言葉を学習しなくちゃならん。
こんなことになったのは彼らが世界中で悪事を働き世界中を植民地化した後遺症だろ。
本来彼らは国際法に則って国際社会から追放されるべき人種なんだが。
それが、こともあろうに、犯罪人の言葉を尻尾を振って喜んで学習しようってんだから。
だいたい、青少年には、宇宙がどうして出来ているとか、人生如何に生くべきか
とか他に本気で考えなきゃならん問題があるだろ。
何で、ちーちーぱっぱのすずめの学校ごっこのような低次元のことを
教育現場に持ち込むんだ。
264よ。英語話せるようになってから文句いえや
>生まれたときから完全バイリンガル環境が必要です。
これを持ち出すなら、弊害もあわせて言わないとまずいですよ。
幼児期〜少年期に文法が違う2種の言語を同時に吸収すると、論理的思考が苦手になりやすい、または分裂症になりやすい等の弊害もあります。
英語やらせるより、チームスポーツをやらせるべき。
バイリンガル教育を50年以上前から実践しているのがICUなんだが
ICUの卒業生は、英語が出来るってだけで、それ以外に使い物にならないんだがな。
大学生くらいで一年留学でも遅くないと思う。
10代後半ならまだまだ大丈夫。
さすがに冠詞の使い方は、かなり難しいみたいだが
発音もnativeにかなり近くなる。
子どもの教育のために小学生からの英語は必ずしもためにならないと
沢山の人が思っているのに…少なくともこのスレでは書き込んでる人が多いのに、
何故導入するんだろ?
背景には何があるのかなぁ?
本質を知りたいなぁ…
子供の教育のためにあまり良くないというわけではなく
今の小学校教育ならという意味なんじゃないかな。
でも今の学校教育の上に英語を必修するわけでしょ?
小学校の英語教育が無駄だと思うのは、英語力のない小学教員に英語を教えさせること。ダメな教育を小さいうちに刷り込んで、子供の芽をつぶしかねない。小さいうちから英語嫌いを増やしてしまう。有害だ!
そうだよね・・。
誰が教えるかに大きく左右されるよなあ。
それもあるんだろうけど、以前にジェフ・バーグランドさん(外人タレント?)が
言ってました。
日本は英語を「第二の母国語」としようとしているが
そもそも言語…母国語とは何か?
その国の文化まるまるを受け入れること。
まず日本の文化を教えずして、道具としてのよその国の言語だけ習ってもなぁ…と思う。
外国行って日本の文化は?って聞かれて
英語が喋れても自国の文化をしらなきゃ意味ないと思う。
英語を習うのは国語力、日本の文化をしっかり身につけてからで
遅くないと思うけどなぁ…
子どものメモリーは巨大だよ。
英語のひとつやふたつ、どってことないって。
まっ、275の言う日本人教師が発音を教えるのは有害ってのは
そのとおりだね。
あくまで発音はネイティブだよ。
そうしないなら俺だって反対だよ。
意味ないよ。
日本の文化を身に付けることこそ
いつだってできるよ
大人になってからだってその気があればね
武士道とかさ、わびさびとか、
これから地球人として生きていくには
これまで日本にあった質素を重んじ、慎ましやで
他人を立てるカッコイイ精神を身につけて欲しいけどなぁ…
まずその確固たる自分があっての表現する道具なわけで…
それも外国語なんか二の次三の次でいいと思うけどなぁ…
日本的精神も日本人相手なら通じるけどね。
外人さん相手に寡黙だったり、自己犠牲の精神見せると
そこからまくられることあったりするからね。
何かあってあやまったりしたら、日本なら、あやまったから許してあげましょうとか
なるけど、外人さんはおっ自分が悪いって認めるんだなってなるからね。
悪いって認めたからには損害賠償するんだなってね。
そのへん使い分けないとね火傷するよ
でも英語をしゃべる侍って、ラストサムライの渡辺謙みたいだね
ははっ!
そうか、文化の違う者同士だと図々しい者勝ちになるか…
でも日本はそんな社会にしたくないよね。
共通語っていうのは確かに便利だし、必要だろうけど
英語を世界にはびこらせようとするのはアメリカの陰謀か?!
各国、民族が文化をつかさどる言語を大事に
お互いの異文化を受け入れられる社会になって欲しいものです。
関係ないけど、アニメ、英語でやってのる見ると
やたらカッコイイよく見えるよね!
反対する意味がわからない。
だってまだやってもいないのに。
やって弊害が出たら改善すればいいじゃないの。
最初から読みましょう(o^-')b
教育の失敗は直すのに10年かかるって言います。
やる前から弊害がわかってることやんなくていいけどやるんだから…なんでかねぇ。
俺の知ってるジャーナリストのY氏が言ってた。
いろんな国に行ったけど、行けばいくほど気持ちや考えが右翼っぽくなるって。
和食が一番、女は日本が一番などなど。
と言いつつこの人は英語堪能なんだよね。
かっこいいよ。
日本を愛して、その愛する日本を英語で西欧人に紹介する。
そしてブロンドの彼女を作って日本語を教える。
うたまろだね〜
>教育の失敗は直すのに10年かかるって言います。
政府が失敗したって認めるのに時間かかるからねー
お役人のやることですから
それに、たとえ修正したとしても間違った教育を受けた子供にとっては、
その時間は二度と戻すことは出来ない・・・。
話がずれるけど
ゆとり教育導入前に いろんなメディアに積極的に出演して
ゆとり教育の効果・必要性をPRしていた文部省官僚のあの人
今どうしてるんだろう?
政府も軌道修正認めたと言うことは、失政を認めたと言うことだよね。
官僚だから なんら処遇に影響なしかな?
今の官僚の一番の弊害は
官僚に「責任を伴わない権力を与えてしまってる」 ということ。
1999 文部省(当時)大臣官房政策課長
↓
(ゆとり教育政策の変更)
↓
2002 文化庁文化部長
↓
(退職の意向に対し文科大臣が慰留)
↓
2006 文部科学省大臣官房広報調整官
責任を伴わない権力
って あり?
そりゃあ、皆官僚にあこがれるわけだ
289を見れば、責任を取っていないとは言えないのでは?
少なくとも、キャリア官僚の人事としては異例のコース。
退職させればよかったのに
なんで慰留したのかね?
ゆとり教育の時
理想は理想。文科省の実験台にされちゃたまらない。
と思った親がおおかったそう。
今回の英語も・・・・
「失敗した」とは何を根拠に?
現時点で言えるのは、
政策の転換が図られということだけでしょう。
教育は「国家百年の大計」と言います。
どちらが正しかったのかは歴史が判断することです。
>>294
だから、いち担当を左遷すればすむのか?
と言っている。
もし、企画者が彼だとしても、上司がOKをだしたのではないか?
「責任を伴わないOKをだす(印を押す)権力」
あっ、民間でもあるか・・・
>政策の転換が図られということだけでしょう。
軌道修正されたということは、それがまずかった ということを認めた
ということ。
それを失敗を認めた と世間では言う
大統領が変われば、省庁のスタッフがすべて入れ替わる米国と
違い、日本で政策の変更があったからといって、それに携わっていた
一官僚を辞めさせろ、というのは筋が通らないと思いますよ。
事務方が事務上のミスで責任を取るのはわかりますが、
ことは政策レベルの話ですよ。
これで当時の大臣なり官邸の政治家なりが知らんぷりで
官僚だけを辞めさせたとなれば、これは
政治家自らが「日本の政策は官僚任せです」と
公言しているようなものですね。
>299
その意見は筋がとおってます。
そしてそれが、官僚に「責任を伴わない権力を与えてしまってる」となる源。
でも官僚は政策づくりに生きがいを感じてるのも事実のはず。
(天下国家のためにとか言ってね)
ほんとは行政官なのにね。
税の変更なんかでも大蔵役人が「ご説明をさせて・・」といって議員を追いかける。
ならば、責任もいっしょに背負ってほしいね
政治家→選挙で選ばれる
役人→競争試験で選ばれる
選挙で選ばれた政治家が政策を決定し、
競争試験で能力実証された役人がその指示で行政運営する。
これが今の制度下であるべき姿です。
しかし、政治家が国会での答弁どころか、そもそもの質問から
役人に考えてもらっている現状では、役人が事実上の権力を
掌握するのもやむをえないでしょうね。
しかし、そうなった責任は一体だれにあるのでしょうか?
ちなみに役人のペーパー試験は簡単です
英語教育に反対とか日本人なんだから必要ないとか言ってる人は英語にコンプレックスがあるんじゃない?
これからの子供が皆英語できるようになったら何か困ることがあるの?
>>303
上をずっと読んでみたが、
小学生からの英語の
反対派=ご自身は英語得意
賛成派=ご自身が英語苦手
が多いように感じます。
反対派はご自身が実際に身に付けた経験から、小学生からは無意味
とされてる。
賛成派は単なるイメージで言っているのではないですか?
それから英語教育そのものに反対派は釣り・煽りですから
スルーしてよろしいかと。
そうそう、後からでも十分間に合うと経験から思う人は子供にも小さいうちからさせなくて
いいと思ってる場合が多い。
でも高い幼児用の英語教材を買うのはできない親だけでなく、英語を生業としている親も多いよう。
この場合は日本にいながらにしてバイリンガルを本気で目指しているようです。
個人的には語学は手段だと思ってますが。
ただ、親ができる場合、子供も同じように出来るとは限らないのに、手遅れになる場合も。
自分があんまりできると子供に勉強させる習慣もつけさせなかったりして、どうしてあの両親で
あのお子さん?ということもなきにしもあらずなので、気をつけたほうが良い場合も。
ウチの周りでは、ディ○ニーのウン十万の英語セットを買ってるのは、
決まって英語コンプレックスの親ですね。
そういう人に限って、「ウチのヒトも英語さえできればもっと」みたいなこと言って。
1 英語ができなくても、ちゃんと仕事して家庭を持ってるんだから自身持て!
2 「ウチのヒト」がダメ(ホントにダメだとしたら)な理由をそうやって棚に上げるな!
国が作った巨額の借金を背負って生きていくより、英語を覚えて海外に移住した方が、子供にとって幸福と思われ。
えっ〜!
それもどうかなぁ…
んな冷たい子どもになってほしくないな!
海外ってどこかわかんないけど、発展途上国に武器売っておきながら
ODA出して偽善者ぶってる大国に、そ知らぬで住んで欲しくないな…
307
外国に長年住んでみたらわかるよ(笑)
>>306
ネットでディズニーや英語育児を検索すると、英語を教えている親が買うパターンも
たくさんあります。
でも、できない親のほうが多いのは確かかな。
どこも高い教材ってまず親はできないものと決め付けて勧誘してくるから。
これまた勧誘の内容が笑っちゃうこともたくさんあります。
まあ、でも小さいうち(乳幼児)から始めるのは有効だと思います。
小学校でもいいと思う。
ただ、嫌いにならず、かつ継続できないと無駄に終わるけど。
幼児期〜少年期に文法が違う2種の言語を同時に吸収すると、論理的思考が苦手になりやすい、また
は分裂症になりやすい等の弊害もあります。
全く同時進行するような完全なバイリンガル教育には弊害もあるので気をつけてね。
神経質すぎる人が多すぎないか?
なんでたかがthis is a penレベルの勉強が分裂症まで行っちゃうの?
素朴な質問。
例えばシンガポールなども幼少時から3ヶ国語をしますが、論理的思考が苦手になりやすいの
ですか?
この「なりやすい」、というのはいいすぎな気がするけど。
バイリンガル教育の仕方が悪かった人でたまたまそうなった人がいるという程度なんじゃ
ないかと推測。
日本人の方が、当たり前に数ヶ国語を話す国民よりも論理的思考って弱いイメージあるけど。
それに最近は分裂症みたいな人も多いし。
言語って、思ったことを頭の中で整理することにも使うんだけど、
例えば日本語では「オシッコしたい」とか「オシッコ出る〜」
っていうのが英語では「オシッコを感じる」となるんですね。
単純でたいした違いはないように思うでしょうが、文化の違いで
そうした違いは沢山あって、同時にいくつもの言語が周りにあると
どう表現していいのか混乱するという弊害が出るのだと思います。
必要とする人がその時に学べばいいものだと思います。
弊害の方が怖いですね。
何か話が実態からずれている気がするんだけど、
小学校で週数時間英会話ごっこをしたぐらいじゃ
絶対にバイリンガルになんてならないよ。
だから無駄だと言っている。
その数時間を算数や国語などに使った方がはるかに有意義。
>弊害の方が怖いですね
ただこの弊害というのが本当にあるのかは不明ですよね。
本当にバイリンガルなら オシッコを感じる が感じるを使って変だとは思わないで
そういう表現の一つ(できあがった文章)として覚えてしまうものだと思います。
混乱するというのも複数言語ならっていれば普通にあるというわけではなく、やはり
教え方と子供自身によるんでしょうね。
で320さんのおっしゃるように、バイリンガルの話はずれてますが。
最初はお遊びだから無意味と書いたけど、ここまで否定派が多いと
別にあってもいいと思うと立場変えさせていただきます。
英語の教育を小学校から始めること自体は反対ではないです。
算数や国語ですが、時間というより、ゆとり教育の場合進度がとてもゆっくりしていた様なので
これをもう少したくさん教えるようにしたらいいんじゃないでしょうか。
時間ではなく中身を充実させるように。
それなら英語に少しくらい時間割いても構わないし。
どうせ慣れる程度しかできないんだから、基本的なものばかりをしっかり身につけさせるよう
なのではなく(そんなものなら中学生になればあっと言う間に理解する)
やったことを全て覚えなくてもいいくらいの感覚で、多少難しい文型などもシャワー状態で耳を
良くすることに重点を置くとかいう方針なら良いのではと思いますが。
発語はその中から部分部分だけ選べばよいのだし。
個々の教師に任せてというと力量に差がありすぎるし、モデルになるような教育法を
どこかから教えてもらえないんでしょうかね。
欧米で3ヶ国語話していても、もともとの言語が近ければまた話は違うと思うので
アジアの国は参考になるかもしれませんね。
>>322
>最初はお遊びだから無意味と書いたけど、ここまで否定派が多いと
>別にあってもいいと思うと立場変えさせていただきます。
ディベートごっこのつもり? どっち派が多い少ないではなくて、
自分の立場はどちらの主張内容が妥当かで決めるべきでは?
正直、何だか322は取って付けたような議論で、
"argument for the sake of argument"といった印象。
>>322
>これをもう少したくさん教えるようにしたらいいんじゃないでしょうか。
>時間ではなく中身を充実させるように。
簡単に言うけど、それができるなら何でも可能になるって。
無限に内容を濃縮していけばいいんだから。
それができないから「やめとけ」と言ってる。
最初はお遊びだから無意味と書いただけで、別に小学校からの教育自体に反対では
もともとなかったですよ。お遊びでないなら、いいんじゃないくらいの立場。
立場変えるというのが誤解を招く言い方だったかもしれないけど、
別に反対でもなかったのに、流れが反対派ばかりというのは自分の主張内容からいくと妥当では
なかったもので。
ディベートごっごではなく、流れとして自分の主張と違う感じになったから
変わるっていうことはありますよね?
あくまでも自分の一つの意見に固執するほうがちょっと変な気がするけど。
でも否定派が多いかと思ったけど、読んでみると別にそうでもなくて、
賛成派や容認派がレスしても、否定派が必死になって全て否定するからそういう印象だったん
みたいですね。
取ってつけたようと又言われるかもしれませんが(でもただ批判するだけよりましな気も)
どうせするなら毎日15分というのがいいですね。
週にまとめて取ると貴重な時間がつぶれるような気がするんだろうし、10分でもいいから
毎日朝礼や昼食後にでもすれば、かなり良い気がする。
>無限に内容を濃縮していけばいいんだから
そこまで極端に言わなくても。
だってね、小学校の低学年でならう漢字ってとても少ないですよ。
きっとゆとり教育だといって内容も減らしたんだろうから、増やすことはできるはず
と思うけど。
まあ、時間自体もまた増やすようになったんですよね?
「全く同時進行するような完全なバイリンガル教育」
には弊害もあるので気をつけてね。
と書いてあってもずれたレスがでてくる。
やっぱ日本語の読解力を優先しなくちゃ
ズレついでに
「文法が違う2種の言語を同時に吸収すると、」
ここ大事ね。
日本語と韓国語は世界でも特殊な部類の文法を持ってる
たとえば、
①「私は」②「貴方を」③「好きです」
日本語・韓国語は①②③の順
英語や中国語やタイ語その他のほとんどの言語は①③②
だから他国でバイリンガルで弊害少ないかもしれないが、特殊な文法をもつわが国は
要注意。
過去メガ商社のお子さんで問題多発。
今は、かなり対策されたかもしれないが。
お遊びの英語でいいと思う。
ゲームやって歌を歌って、英語を話す日本人をみて「カッコイイ!」って
思って、できれば英米人と接して、「うん面白い!」と感じることができれば
やってみようと思うでしょう。
正しいとか内容がとかは後からで充分補える。小学校に望むのは中学での英語
の先取りではなく、学びの動機付けではないでしょうか。
>>331
ならば、他の教科が削減されないという条件で賛成ということですか?
それとも、他が削減されても英語を実施すべきとお考えですか?
雑談とはいえ、前提条件を示しながら話を進めないと・・・・
ということを言いたかったんですが。
>学びの動機付けではないでしょうか
それって、本来親がやるべきでは?
しつけを学校で、という親と同類の発想のような・・・
①「私は」②「貴方を」③「好きです」
日本語・韓国語は①②③の順
英語や中国語やタイ語その他のほとんどの言語は①③②
そーなん?
なんか不思議だね
>>332
基本的には他の教科が削減されないという条件で賛成かな。
他の教科が主要教科なのは勿論だけど。
確か、小学校低学年は理科も社会もないはずだけど、一体今どんな時間割なんでしょうかね?
>333
横ですが(330じゃないし、全く330に賛成というわけでもないけどという意味で)
学びの動機付けは家庭のしつけとは違う意味で言ったんだろうと思います。
学ぶ姿勢をつけるのは家庭だろうけど、英語という学びの動機付けは普通の家庭がするもの
とは言えないでしょう。
本音を言えば、例えばですが、うちなら自分の子供に小学校でお遊びの英語なら
してくれなくていいんですが。
理由は自分の子供は中学以降からでも十分できるようになるだろうと思っているし、
環境もあって、家の子供はもう十分に英語が好きなので。
でも全くそういう環境にない家の子供が将来にわたって同じように全く英語に触れずにすごす
とは限らないし。
英語にも機会均等をということではじめたんだろうから、他の大事なお勉強の邪魔にならないの
だったらいいんじゃないかなと思います。
>>328
語順の話はいつも言われることだけれど、語順だけで、そんなに違うものなのかな。
ずれてすみませんが、ここの人達は語学に多分苦労してないようだけど
個人的な感想としてどうでしたか?
又英語以外の語学もしたことがあると思いますが、そちらはいかがでしたか?
例えば国連職員になるのに日本人にとって圧倒的にネックになるのが英語だけでなくフランス語も
必須だからだと聞いたこともありますが、英語ができる日本人ならフランス語(に限らず
その他の言語も)もすぐにできるはずなのにと不思議なんですが。
あと328に関して韓国人の英語ってどうですか?仕事などで韓国人と接する機会の多い方?
>327
中国に滞在していたときにインターナショナルスクール付属の外語学院で
英語を習ったことがあります。
生徒は、中国人4、韓国5、日本3、タイ1、ユーゴスラビア1だったと思う。
勿論、各人の能力によることが前提ですが、一番しゃべるのは中国。ユーゴは
物静かでしたが、喋る時はしゃべる。 韓国と日本は英作は得意でスペルミスも
少ない。 韓国の方でアメリカ駐在経験者はほぼ完璧。
やはり、一番しゃべらないのは日本人でした。
「学びの動機付け」に関しては336さんが説明してくれたとおりです。
さらに言えば、英語を学校以外で習わせるのはお金がかかります。ピアノ
やバレーの比ではないでしょうが、比較的高いほうですし私立の小学校は
導入済みが多い。 その意味も含めて、誰でもが当たり前に早くからふれる
ことに意味があるとおもうのですが。
最終的には、個人の能力による所が大きいことは分かっていますが、言葉
ですから、人と関わるために必要で話せたら楽しいと思ってもらいたいと
思うのですが。
うちの子はいきなりインターに入れたのですが、幼稚園のころからアメリカ人
の先生と遊んでいた(日本で)ので、なんとか怖気ずくこともなく二日目には
中国人の子とひどい英語で友達になり、助けられ、楽しい時間を過ごしました。
と言うと、「誰でもがそんな経験するわけじゃない」と言われますが。英語を
学問としてやる人はさておき、言葉ですから早くからやっていていいのでは。
会話 会話 会話
普通の町に住む 普通の日本人には読み書きの方が
よっぽど実用的かと。
もちろん頭の器が大きく 両方入れば尚可だけど
どれかを捨てるとなると発音を捨てるかな
自分の経験では、日本人が作った英文を随分読んだが、日本人の英作文が得意というのも?
センスは悪いが文法は正確と言う受験用文章が多い。日本語をそのまま翻訳するから、一見
まともな英文だと錯覚しているだけ。
語学と言うものは必要に迫られなければ覚えないものだと思うよ。
周りが日本語しか使わない日常生活で週一回程度のママゴト英語の時間など
あっても意味なし。
そんなことより国語をもっと充実させるべき。
中途半端な日本人がこれ以上増えても困る。
このままでは、ループしてしまう予感
小学生の英語必修化
まず
他の教科を削減してまで、実施すべきという賛成派はいらっしゃいますか?
その場合、抽象論を避けるためにどの教科を削減と示してくださいね。
そうすれば、比較論で話せますので。
いらっしゃらなかったら、
教科を削減でなく、追加と言う条件で話を進めたいと思いますがいかかでしょうか?
追加するなら、英語よりも先に充実させるべき○○をなどなど。
>発音は捨ててもいいけど、聞く耳はあったほうがいいと思う。
ある程度、発音の知識がないと、聞く耳は育ちません。聞ければ、それを真似して話せるので、
発音もまともになります。日本人のくせはのこるけど、実用上は問題ない。
348 の内容、
赤字へのレスなんでしょうが、なにをレスされたいのか?
よくわかりません。
結局 もっと日本語を充実させるべきじゃ・・・
>普通の町に住む 普通の日本人には読み書きの方が
>よっぽど実用的かと。
読み書きと聞く話すは連動しています。読むスピードが早くなければ、実用にはなりません。学校の授業では、一時間かけて1ページしか読まないくらいの超スローだから実用ではない。早く読めない人は、会話のスピードについていけないので、聞く力も育ちません。
逆に、読み書きのスピードが早い人は、聞く練習をちょっとやれば、すぐにネイティブの話す内容を理解できます。話すことは、頭の中で英作文するのと同じですから、書くスピードの早い人は、話すこともできます。
つまり、実用英語は、言語理解のスピードを早めることなのですが、これは声を出して読むこと=音読がないと育ちません。音なしで勉強することは間違いです。
>>350
340には
①発音を捨てると書いてあるが?
もちろん頭のキャパが大きい人は全てどうぞ、理想的です
②実用会話ではなく、会話より読み書きのほうが実用と言う意味
普通の日本人には実際に外人さんと話す機会より、
海外のHPみたりと読みで触れる機会は多いから(自分で望めば)
やっぱり、まず日本語の読解力を充実させるべくじゃあ・・・
>>351
①発音は捨てられません。音声は、読み書きの学習を助けてくれるものです。音楽を使ったり、テレビ番組やDVDを利用した学習は面白いし効果的です。
あたまのキャパも心配もご無用です。理由は、音読したほうが、文字を眺めるだけよりも、ずっと脳にやさしく覚えられるからです。発音は欧米人そっくりの完璧である必要はなく、欧米人の発声が理解できる程度でよいです。日本人式発音のくせやアクセントが残っていても問題ないと考えます。
②実用的な英文を読み書きができれば、会話もできるので、結局ゴールは同じです。問題は、読み書きをこなすスピードです。ゆっくりしか読めない、ゆっくりしか書けないでは、実用ではないですね。結局、効率が悪すぎて、翻訳者が翻訳した日本文を読むことになります。理解が遅いままでは、
少しも実用にはなりません。
ネットがこれだけ普及し、海外のサイトは見られますし、衛星放送やケーブルTVで、海外からの情報番組も手軽にみられる時代なのに、結局、英語の運用能力が不足しているために、日本語サイトや日本語番組しか利用できないのはつまらないと思います。読み書きも、英文サイトをさーっと読める
スピードがあるなら良いと思うのですが、学校英語では、遅すぎます。
>>352
音読ですね。それなら了解です。
発音を捨てる というのは、ネィティブに近づくよう
発音訓練に要する時間を捨てる、ということでした。
②もその意味です。
発音訓練に要する時間をかけても、実際に外人さんと話す機会が少ないので
その時間をつかって それより読み書きで語彙力でも増やした方が実用的と言う意味
>発音は捨ててもいいけど、聞く耳はあったほうがいいと思う。
発音と聞くことを別々に捉えることはできません。両者は関連しあっています。
基本的な発音ルール=発音記号の読み方や発声方法の知識は必要ですし、それほど難しいものでは
ないです。欧米人そっくりに真似ることは必要なく、日本人っぽいくせが残っていてもかまわない
のですが、基本的な発音の知識がないと、いつまでたっても相手のいうことは聞こえないと思います。
時間と頭の許容量は限られてるので
発音を捨て、話の中身を充実させる
つまり専門領域の充実を優先させざるをえなかった
人はたくさんいますし、それで国際的にも通用してる。
>>354
そうです、音読が大切なのですが、日本の学校教育では、非常に軽視されているし、そもそも、大人数のクラスで、生徒のひとりひとりが十分な時間をかけて音読はできないのです。結局、個人練習になるのでは?クラスレッスンでは、文法ルールなどを体系的に教えるのは向いているのですが、個人が練習することはできないのです。ところが、英語の習得の王道は、口がつかれるくらいまで音読することであり、音読無しには、英語は身につきません。
小学校で、英語を授業をやることは、意味がないと思うのは、小学生という年齢のせいではなく、
学校という大人数での、クラスレッスンは、文法を効率的に教えることにのみ有効であり、個人練習には向かないということからきます。中学校でやるような授業を小学生向けにダウングレードして実施しても、英語嫌いを早期に大量生産するだけで、有害です。
>>356
それは語学ができなくても、日本語だけで専門知識を習得できるという意味なら、そういう可能性も否定しません。ただし、英語の運用能力を高めようとする場合、たとえ、読み書きの分野を鍛えようと意図した場合も、音読することは有効です。音読することで学習効果は上がりますので、勉強時間も節約できます。
小学校の英語教育を考える前に、中学校段階での、英語教育のあり方を改善しないと、無駄です。
音読の軽視など今の中学校の教育には間違いが多いのに、同じような教育を小学校からはじめれば、うまくいくというわけはありません。中高大と10年間もやって効果があがらない学校での英語授業を、小学校まで広げるのは愚行といえます。
まずやるべきは、中学での英語教育の改革です。この時点で成功がないかぎり、小学校の英語教育はうまくいかないはずです。
>>358
いや、だから音読は大切です
日本史の年号でも声を出して覚えよと言われたくらいです(笑)。
356は、書いてるように
発音を捨てる=すなわちネィティブに近づくよう発音訓練に要する時間を捨てる。
外国と折衝している弁護士さんや、商社の人でも、発音はいまいちだが、中身で勝負
してる人はたくさんいる、と言う意味。
いくら流暢でも話す中身がなければね。