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最近又良く話題になるいじめ。
昔からいじめはあるけど、教育委員会や学校、校長も悪いかもしんないけど。
いじめてんのは学校等に文句言ってる親達の子供だからね。
完全に大人をなめてる子供。こういうふうに育てた親の責任はどこへやら・・
ただ、あの女の子の「私が死んだら〜」の文を遺書じゃないって言っていた
ギョロ目のおっさんはゆるせんな
どうでしょか??
[スレ作成日時]2006-10-18 12:21:00
最近又良く話題になるいじめ。
昔からいじめはあるけど、教育委員会や学校、校長も悪いかもしんないけど。
いじめてんのは学校等に文句言ってる親達の子供だからね。
完全に大人をなめてる子供。こういうふうに育てた親の責任はどこへやら・・
ただ、あの女の子の「私が死んだら〜」の文を遺書じゃないって言っていた
ギョロ目のおっさんはゆるせんな
どうでしょか??
[スレ作成日時]2006-10-18 12:21:00
引き篭もらせるのが嫌なら
ナイフでも持たせて登校させるしかないのかな?
その際、ナイフで自分が怪我をしないように教育するのは
親として当然の務めですね。
>寝惚けたツラ洗ってもういっぺん考え直してみるんだな。
このコメントがすでに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・心を落ち着かせなさい。
>緊急避難としての現実逃避
それは確かにそうなんだけどね。
ニュアンスの違いかもしれないけど、「引きこもること」ってようは考えないで
閉鎖された世界に逃げ込むことでしょ。
それを教えてしまっては、何かあるたびに「引きこもる」のが逃げ道だと考えるよ。
逃げるのも解決策だけど、引きこもるのは違うと思う。
引き篭もりは逃げることさえ拒否した隔離された空間に身をおくことだと思う。
逃げるのもまた前進すること(ちょっと変だけどね)
何かしらの行動を起こすことを教えずに、引き篭もることを教えてたら良い結果はでないでしょ
よっぽど転校させる(逃げる)方が建設的だと思うけど。
ただ・・・転校してもきちっとした考えで前に進まないと同じことになるんだよね。
そういうことを教えた上で逃がすのは親として当然だと思う。
でも、引き篭もりは絶対にいい結果は出ないよ。
その場に留まっていては状況は変わらない。
時間が解決してくれるのはその場に留まらないで何かしら行動するから状況が変わる
と思っているんだけど。
何もしなければ結局時間だけで小学校から中学に変わっても結果は同じ。
また、引き篭もる結果になる。
状況は悪化しかしないと思うけどね。
↑
間違い720でなくて719
720さんすいません。
最悪な結果を避けるための最終手段ってことじゃないの、私はそう見たが。
もちろん723はごもっともだが。
転校するなら転校先の熟慮と本人の気持ちの切替が必須条件。
以前のレスにも書いたけど、
近隣学区だといじめっ子が出張いじめしたり
いじめられて逃げ出したと吹聴してまわることがあるし、
いじめられた気分を引きずってると転校先のいじめっ子が
それを嗅ぎつけて転校先でもいじめられることになるから・・・。
ま、引きこもるよりはマシだと思いますけどね。
引きこもっては本人の将来の可能性も潰れるし
死ぬまで引きこもっていることは出来ないんだし・・・。
引きこもりは「自殺するよりは(親や周囲にとって)マシ」って
レベルでしかないと思うんですけど?!
>引きこもりは「自殺するよりは(親や周囲にとって)マシ」って
>レベルでしかないと思うんですけど?!
そういうニュアンスで書いてあったと思うけど?
なに今更言ってんだろう??
いじめっこが引きこもれ
綺麗事は誰でも言える。
本人が強くなるしかない。
小泉さんが作った流れは変えられないよ。
↑
コイズミなんて関係ないけど?
あんた被害妄想過ぎ
それとも 他人のせいにして「被害者の心地よさ」にひきこもって、自分が努力するのが
面倒になった人?
小泉じゃなくても競争社会は昔からあり加速されている。
いじめの原因は競争社会?一因とはなるかもしれないが。
また、本人が強くなるしかない・・というご意見は冷たいというより浅はか。
どうこう言う前に勧善懲悪が先
出港停止で加害者側が引きこもることになるんでしょう。
教育再生委員でまた出港停止議論がはじまったけど
おそらく色々いわれたんだろうなと思う。
義家だけが頑張って、トップはできるだけ波風立てたくないという態度に
世論から苦情が多く出たと思われる。
今、とくダネでいじめで自殺した子の親の手紙を読んでた。
何かしらの変化を気づいていたけど、
思春期だから、そっとしておこうと思っていたみたい。
毎日、学校へ送り迎えしていた人は、
自分も子供を追い詰めたって後悔してる。
子供は、親だからこそ、言えなかった。
昨日の「朝ズバッ」の静岡市での教師によるいじめの話、見ましたか?
あまりにも、ひどかった!!!
中1の時、担任教師が、兄に身体障害者がいるということを理由に、
別室での自習を強要し、その女生徒は3年間、別室での自習となり、
学力もつかず、高校に入れなかったそうです。
親は、中1の時に、担任に面談を申し込んだが、校長に結局会わせてもらえなかったそうです。
卒業に時の寄せ書きに、その担任教師から、
「どこにでも厄介者はいる」という内容の英語のことわざを書いたらしい。
結局、教育委員会からの1枚の訓告でおしまい。
中学といえば、義務教育のはずなのに、どうなっているの、静岡市!
静岡市を相手に裁判を起こしたらしいが、ナント、静岡市は争そう姿勢なのだそうです。
ちなみに、その元担任教師は教職を辞めたらしい。
その教師、人間の資質的に、問題が非常にあると思う。
いじめの問題は、
いじめる人間のバックグランドを徹底的にしらべ、
根本的に解決しなければ、なくならないような気がします。
その教師の中でもいじめがあるらしい。ある親が罪を覚悟で職員室に録音器を設置したらなんともお粗末な教職員のやりとりが入っていたらしい。教員は数人でたえず些細な理由をつけ一人の教員をイビッテいた。いつも数人の仲間で1人を攻撃し、その行為によってストレス発散や連帯意識の向上に努めていたらしい。
>>738
ヒステリックになる前に
もっと情報を入手か、ふーん またテレビが中途半端な情報源で・・
と突き放した方がいい気がする。
>中1の時、担任教師が、兄に身体障害者がいるということを理由に、別室での自習を強要し、
>その女生徒は3年間、別室での自習
どう考えても変すぎる。
傍観者の親も同罪だろう。 育て方間違えてるぞ。
見て見ぬフリすんじゃねぞ と、育ててほしいものだ。
>中1の時、担任教師が、兄に身体障害者がいるということを理由に、別室での自習を強要し、
>その女生徒は3年間、別室での自習
そのネタに何時間かけて取材しどれだけの正しい情報を伝えているのか。
「朝ズバ」なんかの安っぽい報道に踊らされるなんて・・・
こんな薄っぺらな報道にまた片道憤慨する大人たちがいるのもどうしたものか。
だから〜〜たった一面からだけの報道だって!
静岡の件だけど、校長以下みんなで見て見ぬふりしてることが一番問題じゃないの?
もう学校の機能果たしてないじゃん。
だから・・そんなことありえないって!
公立学校でしょう?報道がいい加減なんだって。
378ですが、テレビを見た人はいなさそうですね。
問題の担任教師にもインタビューに行っていたけど、やっぱり、ひどかったよ。
お母さんは、お兄ちゃんの世話で忙しかったのかも。
でも、卒業の寄せ書きに、おまえは厄介者だ、みたいなこと書かないでしょう、
一般常識ある先生だったら。
もし、自分の子供がいじめにあっていたら、
私なら、子供にはりつきます。
学校へも、一緒に行き、教室の後ろで授業を見て、
まるでSPごときの行動にでます。
できる限りの訴え行動をおこします。
もっとも、一人っ子なんで、そう思えるのかもしれません。
私も親ばかかもしれんが747さんと同じ事します。
>もし、自分の子供がいじめにあっていたら、
>私なら、子供にはりつきます。
私もそうする。仕事続けらなかったらやめてもいい。
…あかん、仕事遅れる
…
それが親というものです。命がけで守らないと!
>>684
タイムリーにお返事できなくて、随分さかのぼって恐縮です。
>どちらも極端すぎるんだと思います。
>罰則でがんじがらめにすればいいという訳ではないけれど
>(実際、ここでは誰もそんな事は言っていない)
自分も オールorナッシング ではありませんが、
「静かにしないとおじさんに怒られるよ!」
ではないですよね。
何故そこで静かにしないといけないのかを学んでいくことで
善悪を身につけていくのだと思います。
周りに迎合するのでなく、自分の頭で考える人間を育てることをしなければ
社会全体がどんどん違った方向へ行ってしまうかもしれません。
また、目に見える罰則等を作ることでやるべきを果たしたみたく
なってしまわないかを危惧します。
少年法の改正(厳罰化)然り。
>自分が育ってきた経緯を振り返ってみても、親との「対話」だけで
>教育されてきたなんて意識は、少なくとも私には無いです。
私もないです。だからと言って「親父の拳骨、お袋の平手打ち」が
有効とは言えないと思います。
酒鬼薔薇聖斗は幼少時、よく弟を泣くまでいたぶりました。
そのたびに母親はお尻を叩いて、弱い者いじめはダメだと諭しました。
母親の真意は全く伝わっていませんでした。
弟いじめは止む事がありませんでした。
母親が本当にすべきだったのは酒鬼薔薇聖斗を叩くことではなく、
ひざにのせ、話を聞いてやることでした。
私が思うに、いじめっ子もいじめられっ子も
自尊心が低いのではないかと思います。
それは家庭内において親の指示、命令の中、
これが出来ていい子、出来ないとダメな子という評価の中で
自分に自信が持てない。
だからはっきりと「いや!」と言えない。
力でねじ伏せられてきた経験から自分が力でねじ伏せないと
やられるという強迫観念からいじめる。
家庭で罰則有りのような育てられ方をしているからこそ
いじめがおこるのにそれをも罰則で縛るというのは
悪循環のように思うのです。
いじめっ子のいじめられっ子をとりあえず切り離す意味で
出校停止処分はいいかもしれませんが…
>傍観者の親も同罪だろう。 育て方間違えてるぞ。
>見て見ぬフリすんじゃねぞ と、育ててほしいものだ。
これには全く同意します。
今まで自分の子にはこう言い聞かせて育ててきたし、子供も十分分かってくれていたはずなのですが
先日この信念を自分で疑ってしまうことがありました。子供もどうしていいか分からない状況だったと思います。
誰とでも仲良くしたいのに、グループによっては人の悪口ばかり言う子達がいます。
その子たちの間で自分の親しい友人の悪口を聞いてしまったら・・・。
正論は、その場で友達をかばうことでしょう。でも私の子は出来なかった。
そしてそのことを家で私に話してくれました。
どうして友達をかばうことが出来なかったのか問うと泣き出してこう言いました。
「そんなことしたら、間違いなく次のターゲットにされるもん」と。そして私の子はその場は黙ってるのが精一杯だったと。今はそのグループには近づかないようにしています。
年齢が低ければ正義感を表に出して反論したり、先生に言いつけたり出来たのでしょうが、年齢が上がるにつれてその辺は難しいようです。
私はとりあえず、正直に話してくれたこと、そして自分のしたことを恥じたことは間違いでは無かったねと言いました。
でもそれ以上のことは言えませんでした。
下級生をかばって自殺に追い込まれた事件。どう思われますか?
正直やはり自分の子にはいじめには遭わないでいて欲しいと願っています。
けれど自衛が無言の攻撃となることもあると思います。なので難しいです。
>>751
私も同じ様に思います。
子供には怒られるからしないのではなく、
善悪を自分で考えられる子になって欲しいです。
いじめについては、いよいよ本気で取り組む姿勢を見せ、
よくそれにまつわる手紙を学校から持ち帰って来ます。
(…一過性のもので終わらないことを祈ります)
そうしたときにいじめについて子ども達に聞くのですが
うちの子どもは「やられたらやり返す」のだそうです。
嫌なことをされて、同じくそれをやり返すことは
やった人間と等しく自分も悪い行いをすることですから良くないことです。
右頬をぶたれれば左頬を差し出すくらいの行動ができれば理想です。
子どもに言わせると「絶対無理!」だそうです。
「やられたら、やり返す」
…いじめられっ子にならないための自己防衛であるかもしれません。
自分の子どもがいじめられるのが嫌なので
間違っていると認識しながらも子どもに諭すことができない自分がいます。
掲示板で自分も噛み付くことがあります。
大人の私でさえ、そうなのだから子どもに左頬を差し出すことを
期待する方が無理なのかもしれません。
…主体は子どもですから色んな体験を通して
無理強いでなく、一緒に考えていくしかないかなぁ…
752さんの対応は親として的確だったと思います。
>私はとりあえず、正直に話してくれたこと、
>そして自分のしたことを恥じたことは間違いでは無かったねと言いました。
確かに自衛が無言の攻撃になることもあるかもしれませんが
子どもさんはそのグループから離れるという、
行動をとっていらっしゃるのですから
お友達の悪口に対してのりっぱな批判行為で
私もきっとそれ以上のことは言わないと思います。
…子どもを見守りながら然るべき方向へ誘導する。
…でもその然るべき方向が微妙にぶれそうになる。
ほんと、難しいですね。
>>751
仰っている事は至極まともだと思いますし
否定の余地もない内容だとは思うんですが・・・・・
なんだか脱線してませんか?
どうも、いきなり別の話を振られているような印象が拭えません。
「罰則」というものを見直そう、という話じゃありませんでしたっけ?
昨今、これほどまでに「いじめ」が顕在化している世の中において
明らかに加害者と呼ぶべき者たち(子供だけではありませんよ)は
事件の後、一体どのような形で罪に向き合っているんだろうか?という
素朴な疑問が出発点だったと思うのですが。
厳しいペナルティ「だけ」に抑止効果を期待しよう、なんて話は誰もしていないし
子供は罰が無ければ罪を学習しないなんて事も言っていない。
私も684では、そういう主旨で発言したつもりです。
いじめとは何故「罪」なのか? という事については
子供に正しく説明する必要があり、理解させるには難しさもあるでしょうが
ここで言われている「出校停止処分」とは、その罪に対する
純然たるペナルティとして提案されているものですよね。
なぜそのような罰が与えられたのか、と考える事とは当然切り離せないし
罰を与える事が、そうした「考える機会」を一方的に奪う訳でもない。
むしろ、罰こそが「考える機会」を与えるための有効な手段であるという
発想に基づいて提案されているのだと思います。
反論されるのならその点に絞って頂きたい。
私はやはり、「罰則」を意識した上での緊張感は絶対に必要だと思います。
社会における他のルールも同様ですが、人間とはペナルティの存在は勿論
相手や自分の気持ち・立場・利害・力の差などを全て総合した上で
「やってはいけない事」を判断しているのだと思う。(少なくとも私はそういう意識)
罰を単に「暴力的なもの」と否定する人は、そのバランスを欠いていると思います
※ちょっと気になったので
私は、酒鬼薔薇某の事を直接知っている訳ではないので
彼の家庭でどのような事が起こっていたかには言及できません。
母親がどのような接し方をしていたのか、そしてそれが「事件」に対して
どのように影響していたかなど知る由もない。
(著書を読めばよいというものでもないと思う)
もしかしたら、時には「ひざにのせ、話を聞いて」やっていたかも知れない。
その機会がもっともっと増えれば、彼が罪を犯さなかっただろう・・・
なんて事は、誰にも言えないと思いますよ。
少し前の報道で、自殺で亡くなった子供の棺を覗き込んで嘲笑い
死をも侮辱する暴言を吐いたという子供たちがいたと聞きます。
もしもそれが本当なら、それでも彼らに与えられるべきものは「罰」ではなく
ひざにのせ、話を聞いてやる事だったとでも言うのでしょうか。
タイムマシンでも有れば、彼らが幼かった頃に戻ってそれも叶うかも知れない。
でも、現実にそんなこと出来ないじゃないですか。
「罰則」に関する議論って、そういう話ですよ。
>なんだか脱線してませんか?
おっしゃることはよく分るのですが、
日々子どもと接する自分には
いじめ問題=いじめない、いじめられない子どもにどう育てるか
であり、それが全ての抜本的対策であると思います。
いじめる側もいじめられる側もいじめ自体が卑しい行為であることを
学ばなければなりません。
本気でいじめを考えるという点において
罰則は一歩進んでいるのかもしれません。
でもその罰則がゆえに何故いじめがいけないのかという
本来の意味を学べない危険があると思うのです。
>むしろ、罰こそが「考える機会」を与えるための有効な手段であるという
>発想に基づいて提案されているのだと思います。
…そうでしょうか、目に見えたいじめ対策…実績として
罰則を設けようとしているように思います。
いじめが卑しいことだと丁寧におしえることが出来れば
罰則なんていらないはずです。
私は教育にアメも鞭も要らないと考えています。
自分のためになるか、ならないか。
自分にとって気持ちいいか悪いか。
その自分とは?
罰則やらの中ではそうしたアイディンティティーの確立が
難しくなるように思います。
転んでは起き上がる、そしてまた転ぶ。
子どもでいるときは何度でも転べる特権があっていいと思うんです。
また取り返しの付かない転び方をしないよう見守ることが
大人の役目かなぁと思います。
>どのように影響していたかなど知る由もない。
まぁ、そうなのですが、事件は被害者だけでなく
社会全体に大きな傷跡を残しました。
親として第二の酒鬼薔薇聖斗を育てたくはありません。
どうしたらそんな風になったのか、私たちは学ばなければならないと思います。
…まだずれてます?
>>755
>でもその罰則がゆえに何故いじめがいけないのかという
>本来の意味を学べない危険があると思うのです。
まず、ここが解りません。
「罰則の中ではアイデンティティが確立出来ない」という点も同様。
罪を犯したら罰が下される、という事が
子供を萎縮させてしまうとか、そういう意味でしょうか。
「アメとムチ」とは本来、賞罰を使い分けて人民をコントロールしようとする
為政者の言葉だったと記憶しています。
学校や社会において、ルールや人権を無視した者に与えられる「罰」とは
その喩えにおける「ムチ」とは全く異質のものである筈ですよ。
「自分のためになるか、ならないか」という考え方で子供を導こうとする
手法においても、罰則が必要となる場面は必ずある筈です。
その中に、いじめによって他者を傷付けた者にあたえられるべき罰が
なにゆえ含まれないのでしょうか?
>子どもでいるときは何度でも転べる特権があっていいと思うんです。
>また取り返しの付かない転び方をしないよう見守ることが
>大人の役目かなぁと思います。
ここで議論しているのはそういう事ではありません。
「弱いから」とか「気に入らないから」といった理由で、ある者から
居場所を奪ってしまうような行為が、現実になされてしまった場合に
どのように対処すべきなのか? という事だった筈。
加害者(敢えてそう表現しますが)に罰を与える事は、そんなに
おかしな事なんでしょうか。
>…まだずれてます?
私はどちらかと言えば「加害者への接し方」について意見していますが
一方、あなたはあくまでも「自分の子供には」という観点で発言されている。
ずれていると言えばそこでしょうね。
誰だって、自分の子供にはトコトン愛情を注いで、間違いの無いように
育てたいと思っているものだと思います。
しかし、そこを間違ってしまったり、うまく結果を出せない親がいるのが現実。
何度も聞くようですが、亡くなった子供の死を悼むことすらしない者には
あなたならどう接するべきだと思うのでしょうか。
私は「罰を与えれば万事解決」とまで言っているのではない。
罰を与えずして、その先の指導も何もないだろうと言っているのです。
自分の子供は「心が丈夫な」子に育てたいなぁ
自分もイジメられっ子だったから わかるが、親には言えないのだよ。。
そんで 自分の親は気付かないままだったしね〜(それでいいんだけど)
う〜 ごめんなさい 議論中の所に場違いレスが入っちゃいました。
ついでに横入り
>何度も聞くようですが、亡くなった子供の死を悼むことすらしない者には
>あなたならどう接するべきだと思うのでしょうか
これは 私も聞きたい。 というか これに相応する罰とはどんなもの?
その先の指導といっても、「二度と帰らない」「取り返しがつかない」ことが腑に落ちないらしい
子供達にどう教える? 逆にこれが理解できたら 苛めた側の子供は一生重い罪の意識を持って生きる
ことになるんだろうし、罰というなら これ以上の罰はないでしょう。
現実的な罰というなら 苛めた子を別の学校に転校させるとか?
>>逆にこれが理解できたら 苛めた側の子供は一生重い罪の意識を持って生きる
>>ことになるんだろうし、罰というなら これ以上の罰はないでしょう。
「だから理解させることが重要なんだ」、と言う人が出てきそう。
私も横レスですみません。
私が感じるのは最近の凶悪犯罪では同じ人間と思えない病的な犯人が多いですよね。
『人が殺したくて殺す』それが目的なんて、普通の人間では考えられません。
特殊な人間だと思われてなりません。
その人達も普通の育てられ方をされたらそうはならなかったのでしょうか?
逆に酷い育てられ方をしてもそこまで凶悪な犯罪を犯さない人間だっていっぱいいるはずです。
いじめる子にだって罪が理解出来る子と理解出来ない特殊な子がいるような気がします。
(後者はいじめた子の棺の前で嘲笑するような子)
だから、いじめた子にはとりあえずどんな子でも同じ罰を与えるのは怠慢なやり方だと思います。
1.罰を与えられなくても分かる子。
2.罰を与えられたら分かる子。
3.罰を与えても分からない子。
こういう子たちを見分けるのは難しいことでしょうか?
1と2のタイプのいじめっ子予備軍に罰を定めることは脅威になり抑制になるでしょうね。
ひょっとしたら1のタイプの子にはままん侍のやり方でいいのかも知れません。
でも3のタイプの子にはどうしようもないですね。
ままん侍さん。ごめんなさい。呼び捨てに・・・
>>758
>これに相応する罰とはどんなもの?
「目には目を」という考え方は、私も100%支持する事はできませんし
いじめによって相手を死に追い込んでしまった者に対して
適切といえる罰とは何か?という問いに、私はまだ答えを持っていません。
犯した罪を、一発で全てクリアにしてしまえるような「罰」などあろう筈もない。
罰を受ける事によって痛みを知り、その痛みから相手の受けた傷を推し量る。
・・・それさえできれば、なにも「罪と罰」が量的にバランスしていなくても
構わないと思います。
そういう意味では、「出校停止」という措置は決して不適切だとは思えません。
あくまで、罰を受ける者がその意味をきちんと考えられるのであれば、の話ですが。
>あくまで、罰を受ける者がその意味をきちんと考えられるのであれば、の話ですが。
私もそれであれば出校停止処分でもいいと思います。
義家氏は出校停止にした上で教育すると言っていますよね。
ですがそうした制度はややもするといじめっ子を処分して終わり。
という危険性をはらんでいると思います。
いじめっ子の学ぶ権利を奪ってどうする?!って思います。
そういう子ほど、学ばなければならないと思います。
752さんのおっしゃるように一人一人に即した対応が必要です。
でもそれが出来るのなら敢て罰則はいるのかなぁと思います。
真剣に本気でひざを突き合わせて叱る大人がいて認識させることができたのなら
Beeさんがおっしゃるようにそれが一番の「罰」に値するのではないでしょうか。
>同じ人間と思えない病的な犯人が多いですよね
そうですね。でも彼らの生育暦を見ると
親にことごとく自尊心を踏みにじられて育てられています。
もし彼らの気持ちに寄り添う大人がいたなら…と思います。
学校はその最後の砦でなって欲しいと思います。
ヒットラーも幼少時父親から虐待を受けたと聞いています。
…ヒットラーという歴史に汚点を落とす人物でなくとも
ひとりの犯罪者が犯す事件は被害者だけでなく社会全体に
疑心暗鬼の空気を送り込み、その影響は計り知れません。
犯罪者を作らない社会にするために、そうした芽を早くから摘むことに
もっとお金もモノも人も費やす必要があると思います。
それが実現できるのなら「罰則」という簡単明瞭な措置に
とどまらずにいいのになぁ…と思うのですが…
具体的には保健室の充実、文部省でも学校でもない
カウンセラーの常備
…あかんちょっと出かけてきます。
>>そうですね。でも彼らの生育暦を見ると
>>親にことごとく自尊心を踏みにじられて育てられています。
まるで見てきたかのようだな・・。
ほんまやね。まるで自分が足を運んで見てきたかのようですね。すみません。
実際見てはいませんが少年犯罪に関わる人たちの著書を見ると
異口同音にそうした見解です。
これまで誰かひとりでも彼に自分をまるまま差し出す人間がいたのなら
彼の人生は変わっていただろうに…と。
一週間ほど前でしょうか、読売新聞に掲載された
投書で学校の保健室によく来る少年がどうやらいじめっ子らしく、
彼の話を聞くと勉強が分らず学校が面白くないことから
他の子にちょっかいを出すのだそうで、それをきいて
色んな先生が交代で少年に勉強を教えたそうです。
そしていじめもなくなったそうです。
結局はそうした地道なことだと思います。
でもそれを雑多な業務を背負う教師の力量に委ねていたら
なかなか改善は図れないでしょうからシステム化する必要が
あると思います。
『ソフトバンク:携帯電話CMに「いじめ助長」の抗議相次ぐ』
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061224k0000m04008100...
世間的にイジメ問題に対して敏感になってる状況の中でも
こうしたCMを平然と流す企業がいる日本ではイジメはなくならないと思うけどね。
親同士、大人同士が集まってる時にも近所の人や会社の人の陰口なんか言ってるのを
子供はちゃんと見てるんだって。
そんな子とやってる親や大人が「イジメは良くない」みたいに
言ってても子供には伝わらないでしょ。
>『ソフトバンク:携帯電話CMに「いじめ助長」の抗議相次ぐ』
確かに変なCMと思った。
見ていて楽しい気持ちなはなれないし、購買意欲も全く湧かない。
>子供はちゃんと見てる
そうだよね。
あの程度のことでも敏感に反応してしまうもんなんですなぁ。
ガラスのハートどころではないな。
あのCMは「いじめの助長」とまではいかなくても違和感はあると思うよ。
うん、なんでもかんでも「いじめ」と関連づける必要はないと思うけど
あのコマーシャル・・・子どもがヘン!って言ったんです。
センスのない低レベルな発想のコマーシャルだと感じました。
中高生の購買意欲を高めるためだって? ありえないっつーーーの!
あのCMはむしろアメリカ的な作りだと思ったけどね。
アメリカならもっとはっきり
Domomo=だめ
Aw=だめ
携帯はやっぱりSoft b.だね☆
って感じだと思うよ!
あのCMは本当に陰湿な感じで不愉快。
元々のソフトバンクがセンスないし何でもありだから仕方ないかな。
ライ○ドアなんて可愛いもんだと思うくらいね。
それにしても頭がいい人は精神年齢も高いせいか
穏やかな人が多い気がする。
芸能人でみてもそういう傾向あるね
タモリは地元の名門進学校
高倉健も地元の名門進学校
筑紫哲也とホリエモンと孫正義も同じ高校
全部福岡です
スレからズレてまきてますよ〜
>出校停止にした上で教育すると言っていますよね
これなら「処分した上で終わり」というわけではないと思います。
結局、罰則でも分からないくらいの子供なら、勉強というよりもっと基本的な道徳など社会のルールやマナーを教える必要があるのではないですか?
罰といったって、別に鞭をふるってするわけじゃないでしょう。
問題ある子を指導してきた人がそういうことを教えるのなら、もっとも良い教育だと思えます。
それなのに、どうして「罰と教育」が一緒になると、意味のない教育に終わると思うのでしょうか?
もっとも問題ある子こそ大人が寄り添って欲しいというのと、なんら違いはないと思います。
問題ある子は手がかかるとみな言ってるのですよね?
その手が出校停止の上、個別に教育で何が悪いのでしょうか?
勉強できないことがいじめる理由だったら勉強すればいいのです。
でも皆と一緒にはできないでしょう。あまりにも落ちこぼれていたら。
道徳観が全く欠如していたら、学ぶべきものは道徳です。
これも学校に普通に授業を受けにいっていてはあまりにもひどい子供には学べないでしょ?
「ま」が余分。
>頭がいい人は精神年齢も高いせいか穏やかな人が多い気がする。
頭が良くても穏やかではない人なんていくらでもいるでしょう。
穏やかというのは他人に関心が薄い人もそうです。根本的に自分のことしか考えない人なら自分に関係ないことには穏やかですねえ。
感受性が弱い人も、鈍感なおかげで穏やかですね。
ズレまくりすみません。
出航停止は提案に盛り込まれたのがよかった。
タモリは遅刻した若手の梶原を怒らず
もっと遅れてくれば面白かったのにと粋なジョークを飛ばしたらしい。
これこそが余裕
余裕のない人間は出校停止で自宅待機しなきゃいけない。
しかし・・タモリの「話」は同じ事何度もしつこく、展開がない。
あまり頭がよいという風には感じられないが。
出校停止で初めてその親も我にかえるのではないだろうか?
どうしようもない親もガツンと一発・・よいと思う。
>776
>出校停止にした上で教育すると言っていますよね
>これなら「処分した上で終わり」というわけではないと思います。
その通りです。私もそう言っているつもりです。
>その手が出校停止の上、個別に教育で何が悪いのでしょうか?
いいと思います。
但し義家氏のような教師が各学校に存在すればの話です。
罰則だけで終わらずその後にしっかりと教えることができるのなら
それでいいと思います。ですがそれができるのなら罰則など
いらないのではないかと言っているのです。
>ですがそれができるのなら罰則など
>いらないのではないかと言っているのです。
これは良くわかりません。個別に教育が必要だったら個別にしなくちゃできませんよ?
出校停止させなくて、逆にどうやってできるのです?
どうせ個別にするのなら、昨日までいじめていた子がいる同じ学校にわざわざ行かなくてもいいじゃないですか。
登校中や休み時間にもまたいじめをしないとも限りませんよ?
問題多い子ほど教育に時間がかかるんですよね?
いじめられっ子に負担をかけつつ、教育するというのは納得できかねます。
他に手段があるんですから。
また罰則だけに終わらずというのが良くわかりませんが、その罰則というのは何のことですか?
教育のない罰則なんていうほうが本来はおかしい言い方です。
出校停止の間、何をするか、それが問題だということですか?
その何というのもガイドラインでももうければいいんじゃないでしょうかね。
ただ、いじめっ子の問題自体様々なのだから、それを一律に定めることはむしろ逆効果だと思います。
また大半は出校停止という処分だけでも効果はあがる子供達かもしれません。
(いじめは悪いことだと自覚する。何がいじめになるのか理解する。これくらいのことでいじめをしなくなる子供もいるでしょう。)
子供達全員にアンケートだかととってカウンセラーも置くことになったんでしたよね?
それくらいやる気になれば、特に問題のある少数のいじめっ子にも相応の処置をとることもできるのではないかと思います。
少なくとも、何もしないよりはずっとましだし、やってみないで出来ない可能性を言うよりやってみたほうがずっと良いと思う。
いじめられっ子が学校を休むよりずっと根本的解決に近いと私は思います。
(いじめられっ子の転校も、一つの策としては良いと思いますが、それだけでは片手落ち)
>>782
>その通りです。私もそう言っているつもりです。
失礼ながら、私にはそうは読み取れませんでした。
罰せられる子供に「考える力」が有るのなら罰など要らない・・・・
そういう意味で仰っているのでしょうか。
では、「罰せられた意味が理解できない子供」や
「意味は理解できても罪を罪として捉えられない子供」には
罰など与える必要がない、という事になるのでしょうか。
あなたの御意見だと、その代わりに「教える」という事で対応すべきだと
いう事になるようですが、その「教え方」とは具体的に何なのかという事が
問題になっているのだと思います。
「制度」が一過性のものに終わってしまう、と危惧するのであれば
その制度の内容や運用の仕方に気を配れば良い。
出校停止というやり方だって、やれば自動的にうまくいくというものではなく
ディテールの部分で気をつける必要がある。
どんなルールだって無視したり悪用したりしてしまえば、本来の効力を
発揮できないものですからね。
しかし、「上手に使いこなせないかも知れないから」、という理由で
ルールを作ろうという動きを根こそぎ否定してしまうのは何故ですか?
私にはそこがまるで解りません。
>いじめっ子の学ぶ権利を奪ってどうする?!って思います。
>そういう子ほど、学ばなければならないと思います。
罪を犯した者が罰を受けず、いつも通りに学校へ行く。
・・・・そこで一体、何を学ぶんでしょうか。
私は別に、いじめっ子は永久に学校へ来なくて良い、とか
隔離して他の子と違う扱いをすれば良い、と言っているのではありませんよ。
自分が犯してしまった重大な過ちに気付くには、何らかのきっかけが
必要な筈です。
「罰」とは、そのきっかけとして扱うべきだと言っているつもりです。
ちょっとずれますが、刑務所でも鞭打っているわけじゃないですよねえ・・。
規律のある生活をさせて、何が悪かったか、社会にでるには何が必要か、欠けているものは何なのかを教育しているんですよね。
個別のフォローも当たり前だし、話を聞いて、出たあとにも保護観察者がつくんですよね?
重い罪を犯したものほどこういった教育をしてもらっているはずです。
ここで罰が良くないという人は罰というのは駐車違反のようにお金ですむようなものしか知らないのではとふと思ってしまいました。
ま、それだって飲酒運転のように罰則が重くなり社会で騒いでいるおかげで、飲酒運転に対する意識がかなり浸透してきているような例もあります。
あっち行けば?こっち行けば?といろんな方角をキョロキョロしながら
足踏みばかりで前に進もうとしない・・・これが日本の悪いところだと思います。
いろいろやってみればいいのに。全ての子どもたちにピッタリ正解!なんてこと無理でしょう?
まずは現状「いじめられっこ」を救うため「いじめっこ」を改めさせる強硬手段をとってほしい。
問題が発生したら考えて足踏み数分にとどめ優先順位が高い方へ進む。
アメリカでリーガン法が実施されたとニュースで聞いたとき、早い対応!と思ったんです・・・
>いじめっ子の学ぶ権利を奪ってどうする?!って思います。
おお、そういう発言もありましたか。
これにはいじめっ子の学ぶ権利を奪うって、それ以前にいじめられっ子の学ぶ権利を奪うことは許されるのかと思いますね。
いじめられっ子の犠牲の上にではなく、自分の犠牲の上に立ち直れよ!!
それも出校停止なんて自分の犠牲というほどのことでもないでしょ・
そこまで問題ある子なら学校いっても何をどれくらい学んでいるんだか。。
いじめっ子の権利を言うなんておこがましいとしか言えません。
他人の権利を奪うものに自分の権利を主張することなんてできないというもっと基本的なルールを教えるほうが先です。
↑ ミーガン法 が正しいです。 すみません・・・
未成年だからとか子どもだからとか・・もう甘やかしてる時代じゃないと思う。
「いじめ」というものを明確化して、刑罰化すればいいんだよ。
懲役3年くらいにすればだいぶ減ると思うけど?
>>791
何をもって「いじめ」と判断するのか、現実にはそこが一番難しいんでしょうね。
いじめている側が意識の有無に関わらず、たとえば
「いじめているんじゃない、一緒に遊んでいるんだ」
などと言ってしまえば、状況的に見ても相手は黙るしかない。
中には、そこを逆手にとって利用するような狡猾な子供もいるのだと思います。
短絡的な「罰」に害があるとすれば、そういう子供が罰を恐れるが故に
隠れたところでのいじめをエスカレートさせてしまう惧れがある、という事でしょうか。
(782さんが言いたいのもそういう事なのかも)
しかし、だからと言って「ルールづくり」の基準をそこに合わせてしまっては本末転倒だと思う。
必要以上に迎合して、子供に舐められている大人が多いんじゃないでしょうか。
私が子供だった時代は既に「大昔」になってしまったけれど、あの頃の子供たちは
やはり親や教師を畏れていたと思います。
萎縮してしまうほどの恐怖とは違う、いわゆる「畏怖の気持ち」というものです。
過ちを犯せば、その度合いによって痛みをともなう罰を受ける。
自分が受ける罰だけではなく、友達がそういう目に遭っている場面を見る事も
ひとつの経験だったものです。
「罪の意味を学ぶ」って、まさにそういう事だと私は思ってます。
実際、皆そうやって色々な事を学んで大人になってきたと思うんですけどね。
まとめてひとくくりにして物事考えることに無理があるんだろうね、マンtoマンで臨機応変に対応しないとなぁ。
それは教師には無理だろうし、やっぱり親だな。
>>792
>私が子供だった時代は既に「大昔」になってしまったけれど、あの頃の子供たちは
>やはり親や教師を畏れていたと思います。
>萎縮してしまうほどの恐怖とは違う、いわゆる「畏怖の気持ち」というものです。
>過ちを犯せば、その度合いによって痛みをともなう罰を受ける。
今の時代、それらは全て体罰や虐待といった言葉に変換されてしまいますよね?
それがそもそもの原因を生んだとも言えますね。
また、見付からないように陰で陰湿に行うようになった要因もそこにあるとも言えます。
私は狡猾な子や陰湿な子に基準を合わせるよりも、やはりある一定の基準を設けて
社会的に厳しく罰則を設けたほうが良いと思います。
個別の悪質なケースの解決法はそれからでも十分。
まずは、1件でもイジメを少なくするほうが先じゃないですか?
>やはりある一定の基準を設けて
これが難しいのです。
やってみてもいないのに。
難しい難しい・・と言う簡単。
>>796
難しくてもやるしかないんじゃない?
何もしないで「イジメは良くない」などと言ってるだけではそれこそイジメはなくならないよ。
イジメられたほうが自殺したりしてから、調査して
「イジメはあった、なかった」と出来るんだから、一定の基準を設定するのは
むしろ簡単だと思えるけどね。
>796
どんなことも賛否両論あり試行錯誤すること当然だと思うけど、
だからってモタモタしてては命を落としてまで訴える子どもは後を絶たない。
難しいと一言で片付け何もトライしない大人が嫌い。
セクハラは
受けたものがセクハラと感じればセクハラとなる
イジメも同じでいいのではないか?
もし、異論がある場合は
なぜセクハラではその論理が法的に許されてるのに、イジメではダメなのかを明確に論してくださいね。青臭い理想論はいりません。
>>801
反論ではないんだが。
セクハラはその論理が問題になることが多いのでは?
根本的に主観しか存在しない論理だから。
そのせいで上司が部下(特に異性)とコミュニケーションがとり難くなっているのが現実。
論理が論理だけに目が合っただけで「いやらしい目で見ていた」といわれてもそれが正論となる。
教師や親が怒れなくなっている原因の一端でもある論理なんだよね。
注意しても聞かない子に手を上げた場合、本人が「体罰」と訴えれば体罰とされてしまう。
ある教師の言い分(言い訳?)でたとえば、職員室から勝手に物を持出そうとした女子生徒に
腕をつかんで「ちょっとまった」というだけで体罰だのセクハラだのと騒がれるケースもあると。
「○○さん。ちょっといいですか?それを勝手に持ち出しってはいけないんですが」と丁重に
お伺いしなきゃいけないと。
なんじゃそりゃ・・・・
ちなみに、セクハラが法的に認められたのは単にアメリカと同じ事をしようとした政治家さんたち
が、法解釈をそういう風に翻訳して持ってきたから。
論理が正しいわけではないと思うよ。
人が人を裁く難しさをしらないようだ。
セクシャルもパワーもイジメ(ハラスメント)の一種。
苛められっ子のズボンを同級生の前でおろすのはセクハラだし。
>>802
それってコミュニケーションが取り辛くなってるわけではなく、
まともなコミュニケーション能力がなかったって現われでしょう?
上司と部下だろうと、親・教師と子供だろうと、いじめっ子とイジメられっ子だろうと
基本は人間対人間なんだってこと。
それに論理的にどうであろうと、抑止力になりうるのであればそれで良い。
問題があるなら整備していけば良いこと。
現時点では1件でもイジメを減らしていくほうが先でしょうに・・・
教育の失敗は単なる失敗では許されない。
それは人を作るものだから。
そもそも何でいじめがはびこるのか。
管理主義社会に対する子ども達のストレスではないだろうか。
生まれたときは授かった命に感謝したのに
成長するに従って親の勝手な夢を押し付け、条件付きの愛を行使する。
少子化で子どもの一挙手一投足に大人たちの視線が行く。
子どもの対応に慣れない大人たちは何かあれば「親のせい」という風潮に
親も一層監視の目を厳しくする。
昔は理不尽な大人の体罰をも許容できた。
何故ならストレスを発散する場があったから。
しかし今の子ども達に発散させる場はない。
学校でも家庭でも同心円状に基準が設けられ
させられ体験の飽和がいじめを生んでいるではないか。
少年犯罪で殺人を犯すような子どもが
あいさつはきちんとできて勉強もできる、
いわゆる大人にとって「良い子」が多いのも
そうした所以ではないか。
であれば、罰則というのはそうした管理主義を一層
厳しくするものであり改悪にしかならないと思う。
でなくとも、教育とは失敗体験を沢山させてやることである。
いかに安心して転べる場を作ってやるかだと思う。
教育に罰則は要らない。
警察庁のいじめの定義は
「単独または複数の特定人に対し、
身体に対する物理的攻撃または言動による脅し、
いやがらせ、無視等の心理的圧迫を反復継続して加える」
である。
ある子どもは自分が行く所、行く所、
いつもサッサッ人が道を開けるのだそう。
特に暴力を振るわれるでもなし、暴言を吐かれるでもない。
しかし心理的圧迫という点で立派ないじめである。
いじめは一定の人間に対して
集団で行なわれ、首謀者が見えないものが多い。
「俺だって、まだ死にたくない。
だけどこのままじゃ、「生きジゴク」になっちゃうよ。
ただ俺が死んだからって他のヤツが犠牲になったんじゃ
いみないじゃないか。
だから、もう君達もバカな事をするのはやめてくれ、最後のお願いだ」
という遺書を残してこの世に別れを告げた彼は
いじめの標的になる前は別の標的が居て、
その少年がいじめに耐えかねて転校したがために
空席となった標的の位置に彼が据えられた。
そして自殺した本人も前の標的に対していじめる側であった。
いじめが犠牲をいつも不可欠としていること、
いじめの対象が誰になるか分からないということ、
そうしたいじめの構造を断ち切ることを自分の死を持って願った。
…また最近あった教師が一緒になって特定の生徒をいじめていた場合など
一体誰が誰を裁いてどんな罰則を与えるのか…
罰則という限り、それは公平に行使されなければならない筈。
どうやって…
困難だからということではなく、こうしたいじめに
罰則というものが適当ではないと思うのです。
>少年犯罪で殺人を犯すような子どもがあいさつはきちんとできて勉強もできる、
>いわゆる大人にとって「良い子」が多いのもそうした所以ではないか。
多くは無いよ
マスコミに踊られすぎ
少年犯罪で殺人を犯すような子どもは***予備軍の少年の方が圧倒的に多い。
>罰則という限り、それは公平に行使されなければならない筈。
>どうやって…
とりあえず、現状社会におけるセクハラと同様に
訴えることができて裁かれるようにしたらどうだろう?
抑止力にはなる。
あの〜、ちょっとよろしいですか。
管理主義によるストレスって・・。
いじめがはびこるクラスは「管理型」より「なれ合い型」って統計が出てますよ。
親からのクレームがつかないように友達先生、仲良し先生のクラスほど
暴走したら言うこと聞かなくなるってこと。
大人が普段から毅然とした態度で接してないとダメって事。
子どもの顔色伺って家庭教育してるようじゃ、集団教育なんて出来ないよ。
>ままん侍さん
根本的なズレを感じてしまうのですが
「いじめ」は現代社会になってから起こりだし、学校の中だけの話と捉えてらっしゃいますか?
私は人が集団生活を始めた時から「いつの時代もある」ことだと考えてます。
つまり、弱者をはけ口にする動物的な本能的なものだと。
となれば、刑罰で抑止するしかないと考えてます。
812さんに似た趣旨なんですが、一言。
イジメは、例えば江戸幕府の大奥や旧日本帝国陸海軍では日常茶飯事で自殺者も出ている。
学校でもしかり。ただ、当時はイジメはその組織において必要悪とする風潮もあったし、
ままん侍さんが忌み嫌う旧日本軍兵士は部品として見るなら筋金入りの強兵であった。
イジメは順送りで、イジメられた側がイジメに回った。
しかし現在の日本はイジメが悪いと喚くだけで、何の解決策も出てこない。そうであるなら、
罰則を科するのも、何もしないで理想論を振り回すだけよりマシじゃないか。
>>ままん侍さん
>管理主義によるストレス
ではなく、大人がやってる事を真似てるのかと。
大人社会でもイジメ(ハラスメント系含め)があるんだから子供社会にもあって当然じゃない?
で、大人のイジメにはそれなりの処分が可能となったんだし、
子供でも適用することに何の問題もないかと。
まぁ、更正施設送りとかやってもらうのが一番かな。
人間の行動を抑止するには厳罰化してくしかないよ。
理想論説いてても何の足しにもならんよ。
いわゆる人権屋の登場を待つまでもなく、罰則強化を打ち出すと酔っぱらい運転は別と
して必ず反対論者が出てくる。イジメでなくとも、例えばポイ捨てタバコを罰金を徴収
する条例を施行し、実際に取り立てると激減したと言う。しかし、これは精神論で、運
用にあたっては個人の自覚に待つと言う場合は、分かってくると平気でポイ捨てする。
人間はいかな綺麗事を言っても人間本来の業というものがあろう。
学級会でみんな守ろうねと打ち合わせたマナーがずっと続いたことがあるか。理想論を
振りかざすことは簡単、では、どうすればいいのか。皆さんよろしいね・・が機能しな
いことが分からないはずがない。
理想論で思考停止するのは卑怯だが、そのほうが精神的に楽なんですよ。
>>808,807
そういった事だから子供に舐められて、
親や教師に躾も出来なくなってしまったんじゃないの?
それとそういった理想論で「イジメに苦しんで自殺してしまった子供」、
若しくは「今現在イジメに苦しみ、死を選ぼうとしている子供」は救われるのか?
「イジメを苦に自殺をする」人間がいるのに、
イジメた側には「安心して転ぶ」といったレベルで済まされるのか?
聖人君子よろしく理想を振りかざすのは結構だが、
現実的に「では、どうしたら良いのか?」といった思考が貴方には欠けている。
教育現場にも校則はあるし、社会生活においてのルールもある。
それを破る者には「罰」が与えられる。
これはこれから先にも社会で生きていく子供に教えるべき「教育」なのではないのかな?
その対象から何故「イジメ」の問題だけが外れるのか、
「罰」が適当でないとするなら、何を持って「善悪」を子供に教えるつもりなのかを
貴方に問いたい。
また、貴方の論理の行き着く先も「こうあるべきだ」との理想が同心円状の基準で固められ、
管理主義よりさらに心苦しい、「清流に魚住まず」の状態になることをお忘れなき用。
清濁併せ持った世の中での業(毒)は罰(毒)で制するのが先人から続いている
人間社会での根本だとも思いますし。
管理主義よりさらに心苦しい、「清流に魚住まず」の状態になることをお忘れなき用。
司法も当てにできないかも、国に嘘ついて人命亡くした原因の責任者が無罪になっちゃうんだから。
↑そんな事を言い出したら、世の中の全ての物が当てにはならんよ。