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最近又良く話題になるいじめ。
昔からいじめはあるけど、教育委員会や学校、校長も悪いかもしんないけど。
いじめてんのは学校等に文句言ってる親達の子供だからね。
完全に大人をなめてる子供。こういうふうに育てた親の責任はどこへやら・・
ただ、あの女の子の「私が死んだら〜」の文を遺書じゃないって言っていた
ギョロ目のおっさんはゆるせんな
どうでしょか??
[スレ作成日時]2006-10-18 12:21:00
最近又良く話題になるいじめ。
昔からいじめはあるけど、教育委員会や学校、校長も悪いかもしんないけど。
いじめてんのは学校等に文句言ってる親達の子供だからね。
完全に大人をなめてる子供。こういうふうに育てた親の責任はどこへやら・・
ただ、あの女の子の「私が死んだら〜」の文を遺書じゃないって言っていた
ギョロ目のおっさんはゆるせんな
どうでしょか??
[スレ作成日時]2006-10-18 12:21:00
>>791
何をもって「いじめ」と判断するのか、現実にはそこが一番難しいんでしょうね。
いじめている側が意識の有無に関わらず、たとえば
「いじめているんじゃない、一緒に遊んでいるんだ」
などと言ってしまえば、状況的に見ても相手は黙るしかない。
中には、そこを逆手にとって利用するような狡猾な子供もいるのだと思います。
短絡的な「罰」に害があるとすれば、そういう子供が罰を恐れるが故に
隠れたところでのいじめをエスカレートさせてしまう惧れがある、という事でしょうか。
(782さんが言いたいのもそういう事なのかも)
しかし、だからと言って「ルールづくり」の基準をそこに合わせてしまっては本末転倒だと思う。
必要以上に迎合して、子供に舐められている大人が多いんじゃないでしょうか。
私が子供だった時代は既に「大昔」になってしまったけれど、あの頃の子供たちは
やはり親や教師を畏れていたと思います。
萎縮してしまうほどの恐怖とは違う、いわゆる「畏怖の気持ち」というものです。
過ちを犯せば、その度合いによって痛みをともなう罰を受ける。
自分が受ける罰だけではなく、友達がそういう目に遭っている場面を見る事も
ひとつの経験だったものです。
「罪の意味を学ぶ」って、まさにそういう事だと私は思ってます。
実際、皆そうやって色々な事を学んで大人になってきたと思うんですけどね。