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最近又良く話題になるいじめ。
昔からいじめはあるけど、教育委員会や学校、校長も悪いかもしんないけど。
いじめてんのは学校等に文句言ってる親達の子供だからね。
完全に大人をなめてる子供。こういうふうに育てた親の責任はどこへやら・・
ただ、あの女の子の「私が死んだら〜」の文を遺書じゃないって言っていた
ギョロ目のおっさんはゆるせんな
どうでしょか??
[スレ作成日時]2006-10-18 12:21:00
最近又良く話題になるいじめ。
昔からいじめはあるけど、教育委員会や学校、校長も悪いかもしんないけど。
いじめてんのは学校等に文句言ってる親達の子供だからね。
完全に大人をなめてる子供。こういうふうに育てた親の責任はどこへやら・・
ただ、あの女の子の「私が死んだら〜」の文を遺書じゃないって言っていた
ギョロ目のおっさんはゆるせんな
どうでしょか??
[スレ作成日時]2006-10-18 12:21:00
>大人の視点で「辛いのは今だけ」って言っても「今」が永遠に思えるのが子供。
そうなんですよね。
どうしたら分かってもらえるんでしょうね!?
いじめ時期を乗り越えた人は必ずといっていいほど、
「いじめは一生は続かないってことが分かった」って言ってるんだけどね。
実際もし自分の子がいじめに遭ったら、すぐ学校休ませて逃避させると思う。
それから見返してやるには、自分がそいつらより絶対幸せになれって言うと思うよ。
やっぱり仕返しは賛成しないかな。
友達親子でしっかり教育できてない。
厳しく接したら親からクレームがつく。
親の顔色伺って、「なれ合いの友達担任」で学級崩壊でいじめが多く発生。
「多様化」という言葉の元に常識が揺らいでる。
結局、親が自分の教育力のなさをなすりつけてるじゃん。
親も先生もダメなものはダメって言える大人じゃないとね。
大人がしっかりしたいものだ。
>>337 おはようママ さん
>>347 ままん侍 さん
>>「相手のすべてを受け入れる」とは言ってません。
>>「いじめっ子をありのまま受け入れる」とままん侍は言ってます。
>>第3者の立場または自分の子が間違いを犯してしまった側の場合の話でしょ?
「相手のすべてを」でも、「いじめっ子のありのままを」でも
私としては同じ解釈しかできません。
つまり、この件は「いま現在いじめられている子供」をどう救えるのか、という
議論ではなかったという事で宜しいのでしょうか?
だとすれば、お二人に噛み付いたのは私の勇み足だったようです。
お騒がせして申し訳ありませんでした。
302で、おはようママさんが「レスの時間でその人の生活パターンが読める」と
仰っていたのは、おそらく私を指しての事だと思います。
そしてままん侍さんも、「そうした事に関心のある方であれば・・・」という表現で
子を持つ者とそうでない者の「考え方の違い」を挙げておられました。
事実、育児は私にとって未知の世界ですし、そうした実体験を経た上で
いじめ問題を考えるにあたっては、私にはまだまだ解らないことがたくさん有ります。
自分の意思こそが正である、だなどとは到底言い切れません。
しかし、やはり私は『いじめっ子のありのままを受け入れる』という言葉を
どうしても「具体的に」理解することが出来ません。
私が誤解しているのではないと思います。言葉そのものが曖昧過ぎるのです。
子供を信じ、犯してしまった過ちをも受け入れるいう姿勢は、親として
当然のものだと私も思っていますが、例えば「罰」は別の問題だと思います。
その「罪は罰するべきなのだ」というニュアンスが、『ありのままを受け入れる』という
表現の中には一切感じられなかったので、こうして意見させて頂いているのです。
言葉としても矛盾していると思います。
私も、わが子が「いじめる側」にまわった時には厳しく対処する覚悟です。
その際には『ありのままを受け入れる』などという態度は考えられません。
そういう姿勢でいればこそ、お互いに信頼できるのだと思うのですが。
以降、蛇足です。
私が特定のグループから受けていた「攻撃」とは、ケガをしない程度の「暴力」。
そして、毎日のように持ち物をとられるといったものでした。
おそらく担任に相談した後は相手の親御さんにもその内容が伝わったのでしょう。
攻撃がパッタリと止んだ背景には、その子供たちには親御さんから厳しい罰が
下された、という事が有ったようです。
(詳細は省きますが、それを暗示するエピソードがいくつかあったので)
私には、彼らが「ありのままを受け入れる」という発想の下で行動したとは
思えませんし、事実私が救われたのも「罰」があったからです。
なんとも切ない話だと思われるかも知れませんが、それが「いじめ」の現実です。
いじめは加害者と被害者がいて成り立つもの。そこには必ず第三者がいます。学校ならばクラスメイトや教師です。とくにクラスメイトはクラスの空気の変化に敏感なもの。「あの子、もしかして・・・」いじめてるんじゃないか?いじめられてるんじゃないか?そう感じることは少なくないはず。わかっているんです。いじめの存在を第三者として誰よりも。でも一番いじめの存在をわかって欲しいのは教師や親なんです。いじめてる側の親は自分の子がいじめの加害者になっていることを知らない。何故なら親は学校に、いじめの現場にいるわけではないからです。百聞は一見にしかずとはよく言ったものですが、授業参観なんかでいじめの現場に立ち会うわけがありません。担任教師は何故そのクラスを任せられていながらいじめに気付かないのでしょうか。気付いていても対処しないのでしょうか。「いじめを知っていながらそれを知らないふりしている子は、いじめている子と同じだ。」小さい頃、そう教えられた記憶があります。それは正しいことでしょうか?いじめられている子を前に、いじめている子を前に、止めに入る子は確かに正しい。では恐くて何も言えない子は悪い子ですか?そんなはずがありません。子供にいじめはとめられません。いくらいじめをしている本人が子供であったとしても、それを止めさせることが出来るのは大人でしょう?親や教師だけじゃない、いじめとは何かを知っている大人なら誰もがこの問題について解決することを考えなくてはいけないはずです。子供は未来を担っています。子供を立派な大人に育てるのは大人です。その大人が自分のプライドや立場を気にするが故に子供達の未来を潰しているのは情けなく、悲しいことです。具体的な解決方法をあまり聞いたことがないのですが、私はまず、親と教師の教育が足りないことを詩的します。特に親の学校に対する態度、そして学校側のいじめに対する態度が悪すぎます。どういうことかというと、どちらも自分の責任をとらないというところです。親は自分の育て教育した子がいじめをしていると言われれば不愉快になることは当然です。しかし、それを否定してはいけないと思います。それが事実であろうが誤解であろうがまず、その実態を確かめる努力をして欲しい。本当にいじめの加害者に子供がなっていたなら、そこでもう一度子供に諭すのが親の義務です。教師はもっといじめに敏感になって欲しい。「このクラスじゃそんなことはないと思うけど。」信じてくれるのは嬉しいことですが、「ちょっと変だな。」と思ったら何かしらの対処をして欲しい。いじめられていると思われる子と話を少しする程度でもかまわない。放っておかないで欲しい。学校全体としても同じように、いじめにスポットがあてられたからという理由だけではなく、学校の問題としていじめを受け止め、それを未然に防ぎ、なくす努力をして欲しい。
>つまり、この件は「いま現在いじめられている子供」をどう救えるのか、という
>議論ではなかったという事で宜しいのでしょうか?
よろしいです。
確かに言葉があいまいで、飛躍しすぎたのかもしれません。
誤解を招くべく発言失礼しました。
いじめってどうしてするんでしょう。
…他者を傷つけたり害したりしたいという感情や衝動には、
自己否定感が伴っています。
自己否定感はどこから生まれてくるのでしょう。
…ありのまま受け入れる育てられ方をしていないからです。
ありのまま受け入れるって
…生まれてきてありがとうという気持ちを伝えることです。
276さんがおっしゃるようにとても当たり前のことです。
でもそれがなされていない家庭が多いために
「いじめ」はおきます。
生まれてきたときは、ただそれだけで嬉しかったのに
段々と子どもに理想を押し付けます。
発達が早い遅いで他の子と比べたり、
躾と称して指示命令の下で子どもを動かします。
それができないと自分はダメだと思います。
課題は途切れることなく続きます。
…何かができないと認められない自分。
その査定は学校、家庭、地域社会において同心円状に働きます。
勉強ができない子どもは評価される場所がありません。
自分を卑下したくない気持ち、上に立とうとする気持ちが
「いじめ」という形で表出されるのだと思います。
つまり大人が子どもをありのまま受け入れていないから
…大人が子どもを出来る出来ないで見ることの子ども達の鬱憤が
「いじめ」を生んでいるのだと思います。
>勉強ができない子どもは評価される場所がありません。
親(母)がそれ以外を評価できてればいいんだが案外できないみたいだね、最近は特に。
逆にそれのみができればいいんだが接する時間も少ないみたいだしなぁ
それがイジメに直結してる、ってのは短絡的過ぎると思うんだけどね・・・。
基本的に動物の世界にもイジメがあるよね?
それで鍛えられていくんじゃないのかなぁ。
どんな動物でも常に周りのものより優位に立とうとするのは本能では?
人間の場合、差別、えこひいき、悪口などはもちろん人をラベル付けして
グループ分けしたがるのだって、
結局は自分を相手より上に位置づけしたい気持ちからくるものだと思います。
この掲示板見ていてもそうじゃないですか。
だからといって、もちろんいじめを肯定しているわけじゃありません。
ただ、本能からくる行動を人間としてどう制御していくか(これが理性といわれるものか?)
それを教えていくのは一番身近にいる親の役割だと思うのです。
いじめのある社会といっても別にそれをよしとしているわけではないんですよね?
確認しているだけですが。
でもいじめがありふれた場所と、たいしてない世間とくのは今でもあると思います。
それにいじめがあるのは当たり前というのも、今後のいじめに対する対応次第で変わっていくかも
しれません。
あるのが当たり前という態度でいる限りはなくならないと思いますが。
>子供を信じ、犯してしまった過ちをも受け入れるいう姿勢は、親として
>当然のものだと私も思っていますが、例えば「罰」は別の問題だと思います。
>その「罪は罰するべきなのだ」というニュアンスが、『ありのままを受け入れる』という
>表現の中には一切感じられなかったので、こうして意見させて頂いているのです。
>私も、わが子が「いじめる側」にまわった時には厳しく対処する覚悟です。
>その際には『ありのままを受け入れる』などという態度は考えられません。
>そういう姿勢でいればこそ、お互いに信頼できるのだと思うのですが。
全く同感です。
子供がいる親でも色々な考え方があるし、子供の性質にもよるだろうし、子供がいるいないは関係ないと思いますよ。
私は子供がいますが、353さんの考え方のほうがよっぽど近いです。
>361
子供をありのまま受け入れるというのはわかりましたが、ではあなたの子供が加害者になったとき
どうするのですか?
勿論、ただ受け入れるだけではないと思いますが、上にも更正させるのは一番の謝罪と書いていた人がいましたがそんなわけありません。
被害者の立場だったら、相手が自分を踏みつけてまともな人間になれればそれで一番なんて絶対に思わないでしょう。
自分が、いじめられた側だったら、いじめた側が将来、どんなに立派な人になったとしても、
許せないでしょうね。
いっそ、自分より不幸になってくれた方が、心が晴れるかもしれませんね。
いじめた側は、時効だと思っていても、いじめられた側には時効なんてないんですから。
やりかえせ、意地見せろ、やったれぇ〜
ありのままを受け入れる、ってとても素晴らしいことにも思えますが、
何もできない、してやらない、責任も取らないと紙一重のように感じます。
>>361
>>学校での集会で親達は子どもの成績ばかりに感心を寄せて
>>心を見ようとはしなかったと反省したと聞いています。
本当に、そういう事なんでしょうか・・・・。
全ての親が成績にしか関心が無かった訳ではないでしょうし
逆に、しっかり子供と向き合っていたつもりでも
子供は子供で親の与り知らないところで悪さをしていた、という事例も
現実には相当ある筈。
私の記憶を辿ってみても(成長してからの補正は多少あるにせよ)
小さい頃は小さいなりに、自分にとっての利害を計算しながら
大人の顔色を伺って行動していたところがある気がします。
子供とは決して天使の様に純真無垢な存在なんかではなく
したたかさとズル賢さを備えた一個の人格として、我々が思う以上に
早い時期から独り立ちしているのではないかとさえ思えます。
そして私の親も、子供に対しては『ありのままを受け入れる』という
かたちでの愛情表現は決してしていなかったのではないかと。
私の母は優しい人間でしたし、常に私の味方でいてくれましたが
そんな母でさえも、私を否定し時として手を上げる事がありました。
(私も決して常に良い子ではなかったので)
親に詰られ叩かれる事によって、その時はひどく傷つきます。
しかし子供は子供なりに、その都度逃げ場や居場所を探し
少しずつ強くなることによって、時とともに傷の痛みを忘れてしまう。
基本的には親を信頼しているからこそ、です。
そして一方で己の過ちを反省し、繰り返さない事を体で覚える。
・・・・『ありのままを受け入れる』などとという事ではなく
こうして親から否定されたり親を否定したりする事を繰り返すうちに
養われていく「正常な感覚」も在るように思うのです。
私も、親に毅然としたところがあったからこそ信頼していたのでしょうし。
※この課程で必要以上に傷を負い過ぎて、本当におかしくなってしまう
子供達が、現実にはいるのだと思います。
が、少なくとも彼らを、親が『ありのまま受け入れる』事で救えるとは
私にはどうしても思えません。
ましてや、そういう「彼ら」に傷つけられてしまう子供たちは尚更です。
私の体験や意見は私だけのものであり、一般性は無いのかも知れない。
しかし、そういった「固有例」の集まりこそが社会なのだから
現実に起こっているトラブルには、お決まりの言葉を当てはめるのではなく
その時その時、場面に合った言葉を使わなければならないと思うのです。
長くなりましたのでまとめます。
『ありのままを・・・』という表現は、実際にいじめで苦しんでいる子供達に
とっては何ら救いとならない言葉である以上、不適切だと私は考えます。
「誤解を招いた」と、ままん侍さんはおっしゃいますが、それも違う。
言葉の意味を、私をはじめとする「受け取る側」が誤解しているのではなく
以前も書いたように、言葉そのものがカラッポだと思うのです。
いじめられた人は一生、人を恨み、憎しみながら生きていくのでしょうか?
その「人」というのは全ての人ではなく「いじめた人」を、ならあるでしょうね。
少なくともそのいじめた人との記憶ではいじめを忘れることはないんじゃないでしょうかね。
いじめられた人にいじめた人を許してあげましょうなんていうのはそれこそキレイゴトです。
たいしたいじめではないいじめを受けたことがあり、相手の更正と幸せを心から願った人がもしいたとしてもそんなの大したことじゃなかったからでしょうよ。
>>363
あなたはいじめた子が更生して謝罪することを望まないですか?
更生することは健全な心を取り戻し、自分がやってしまった罪の深さを知り
ここから反省することだと言っているのですよ。
更生していない子の謝罪を受けて納得しますか?
親から言われた形だけの心のない謝罪を求めますか?
いじめた側に時候があって、いじめられた側に時候が無いなんてどうして言えます?
過去にいじめに遭った人でも、今では明るく幸せに生きている人は沢山いるでしょう?
過去の不幸をバネに前向きに生きている人は素晴らしいと思います。
363ではありませんが、あなたのレスはちょっとずれてると思います。
過去の不幸をバネにって、別にその不幸がなくても十分幸せな人生を生きていくこともできるし
実際できる人もいるんですよ。
その言い方じゃ、まるで過去の不幸のおかげで幸せになれたみたいだし、まるで感謝しろとでもいいそうです。
とても失礼ですね。
それにではバネにできなくて、自殺までする人はどうなんです?
また自殺する人が悪いと言い出しそうですが、自殺までしなくてもず〜と心に傷をもっているくらいの人ならいくらでもいると思いますけど。
個人的には更正して謝罪するなんていうのは最低限のことです。
心から反省されても、実際に受けた傷というのはそう簡単に癒えるものではないでしょう。
いじめた子がいじめられた子以上に幸せな人生なんて歩いて欲しくはないですね。
更正して謝罪すれば終わりだなんて、全くもって被害者の人達のことをわかってないか想像力の乏しい人としか思えません。
更正していない子の謝罪なんて受けませんよ。そんなもの謝罪でも何でもありません。
それに謝罪を受けたくもないという被害者の人達だってたくさんいます。
あなたにはそういう気持ちがわかりませんか?
>更生していない子の謝罪を受けて納得しますか?
>親から言われた形だけの心のない謝罪を求めますか?
こんなことありえるわけないでしょう?誰がそんなことで満足するとか形だけの謝罪を求めているとか書いてありましたか?
読解力ももう少しつけてくださいよ。
370の子供がいじめっ子にはならないことを心から祈ります。
被害者の人がかわいそうです。
ありのまま受け入れるって…例えば
注射が痛いって言う子に対して「痛ない!痛ない!」じゃなくて
「そう、痛かったね〜」ってその子の気持ちをまず受け入れること。
子どもは自分の気持ちを表現し、それを受け入れてもらえれば
どんどん自分の気持ちを表し、そこに自尊感情が育まれます。
「痛い」でもそれは病気にならないために必要なんだと理解すれば
自分のために我慢することを覚えます。
それは自分をなくして親のためにすることではありません。
「痛い」という思いを否定されると痛いと思った自分が間違ってたんだ、と思います。
そうした経験を繰り返すと自分を信じられなくなっていきます。
自己否定感が長く続くとそれは暴力の基盤となります。
ありのまま受け入れるということは、
謝った行為を容認するという意味ではありません。
何が出来ても出来なくても
頭が良くても悪くても
親の思い通りいかなくとも存在そのものを受け入れるということです。
そうした体験、自分を受け入れてもらう居場所のない子が
いじめをしたり、またいじめられて自殺にまで及ぶのだと思います。
以前にいじめられたら『仕返し』より『見返してやれ』と言いました。
すると『勉強で?仕事で?』と問われましてた。
私は『幸せになれと言う』と答えました。
いじめに対する復讐は『自分が幸せになること』だと思いますが違いますか?
人を恨み、憎しみんでいて幸せになれるでしょうか?
いくら時間がかかっても自分がその恨み、憎しみを克服しないと
いじめに勝ったことにはならないでしょう?
幸せは地位や名誉や財産を得ることではないですよね。
幸せは自分の心の中にあるものだと私は思います。
これはまたキレイごとだと言われてしまうのかな?
キレイゴトですね。まさしく。
いじめられなくても幸せになれます、人は。
なれないとしたらまさしくいじめた人のせいですね。少なくともいじめた側がいじめられた人に
幸せになるために、いじめを忘れろなんて言うだけおこがましいこと。
それに別に人一人くらい恨んでいてもそれなりに幸せにもなれるでしょう。
で374さんは自分の子供がいじめをしたらその子をいじめっ子としてありのまま受け入れることと何をするのですか?
いじめというのはいじめっ子の存在だけでなく相手がいるのです。
その相手のことに何も触れないでいるのがやはり違和感があります。
別に書いてあることはその通りだと思いますが、それで、現実としてどうするのですか?
>>368
最初にも書きましたが、私の場合は幸い「孤立」はしていなかったし
被害そのものも深刻なものではなかったからか、後々まで
尾をひくほど「負の感情」を抱くことはなかったですね。
とにかく、相手と距離を置くことが出来ただけで嬉しかった。
ちょうど学年が変わる時期に近い事もあったので
クラス替えがあれば物理的にも離れる事ができる、という希望もあった。
相手から見れば、私は虫の好かない相手だったとか
ちょっかいを出しやすい相手だったとかいう事情は有ったのでしょう。
そこも含め、当時も本当は「なぜこんな事になったのか」という事を
私自身もっと深く考えても良かったのかも知れません。
しかし、それでもそんな過去の事はどうでも良いと思えるくらい
悩みから開放された事だけが私にとってはすべてでした。
むしろ、相手の方が私に対し感情的な「しこり」を残したかも知れません。
見方を変えれば、要するに私は「親にチクった奴」な訳ですから。
(相手から後日それに近いリアクションを受けたことも少々記憶しています)
ただ、昨今ニュースで報じられているようなケースについては判りません。
それこそ、当人でなければ解らない苦しみというものがあるでしょうし
それが蓄積されるかどうか・されるとどうなるかには個人差があると思います。
しかし、普通の子供なら、本来学校では友達と楽しく過ごしたり
勉強やスポーツで自分を磨く機会を十二分に与えられている筈。
そのかけがえの無い機会を失った悲しみが、憎悪に変換されたとしても
誰がそれを非難できるのでしょうか。
自ら命を絶たなければならないほどの苦痛・・・・解る様でいて
やはり私には想像もつかない闇の世界です。ましてや学校の中で。
本当に気の毒でなりません。
おはようママさん、貴方はその問いに答えを得たとして何を感じるのですか?
私なら敢えて、「恨み憎んでも無理はあるまい」と答えます。
いくら読み取ろうとしても他人の心。想像の域は出ませんが。
>過去の不幸をバネにって、別にその不幸がなくても十分幸せな人生を生きていくこともできるし
実際できる人もいるんですよ。
その言い方じゃ、まるで過去の不幸のおかげで幸せになれたみたいだし、まるで感謝しろとでもいいそうです。
あなたは極端な考え方をされますね。実に想像力が豊かな方です。
あなたは過去に嫌な経験もいい経験もされてきたでしょう?
あなたの過去は全てあなたの人生ですよ。
どれも削除することなんて出来ないんです。
過去に辛かったことや苦しかったことがあれば
その分幸せになろうと思わないですか?
ズレてるのはあなたじゃないですか?
>いじめに対する復讐は『自分が幸せになること
もともとそんな風に思いません。
自分が幸せになることといじめとは別問題です。
自分が幸せになることでいじめに対する復讐になんてならないでしょ。
いじめた子が幸せかはともかく、「立派」な人間になっていたらそれは嫌でしょうね〜。
>379
多少嫌な経験というのは勿論してますが、削除したいほどの嫌な経験というのはないもので。
過去も今も幸せだったと思います。恵まれていると自分でも思っています。
誰かを見返すために幸せになろうなんて考えたこともありません。
>>377
自分の子どもがいじめをしたら、
当然それは人間としてやってはいけないこと。
卑劣な行為であることを理解させるでしょう。
そして親としてのこれまでを遡及し誤ったところから
子どもと一緒にやり直すでしょうね。
う〜ん、何かまだ足りないと思うのですが。
理解させて親子でやり直すって何をやり直すのでしょうか?
子供の人生?
やっぱりいじめられた子の存在が全く感じられません。
いじめられた子は子供と自分の人生を見直させてくれたという存在だけなんですか?
できれば誰が誰だかわかるようにして頂けると有難い。
>>375
には続きがあったのですが378さんのレスを読んで書くことにしました。
378さんがおっしゃるとおり『人を恨み憎しんでも無理がない』と思えるのは
人の手によって自分の大切な人の命が絶たれた時です。
ただそれがいじめによる自殺となると複雑です。
いじめっ子を一時は恨み憎しむかも知れません。
でもそれを一生続けることは私には出来ないような気がするのです。
すみません、読めば当然分かると思ったので。
383は377です。382への質問です。
いじめるのも、いじめられるも、ちょっとしたきっかけに過ぎないよ。
愛情もって育てていても、一歩外に出た周りの環境が大きく影響される。
集団いじめなんて典型的な例だよ。
自分では、するつもりは無くて、集団心理が働く。
いじめられるのちょっとした事から大きく発展するもんだよ。
だから、ハイソな人は私立に入れたがる。
愛情だけでは今の世の中、強者に飲まれるだけ
いかに周りの環境に飲まれないように強い意志を育てるかって事ですよ。
>>385
一生続けることはできないって
じゃあ、いじめによる自殺を自分の子供がしたとして、いじめっ子が将来、成功するのを見たらどうですか?名前を聞くことがあっても平然としていられます?
いじめによる自殺=いじめに負けた=自分に負けたと思ってしまうのだが・・・
これではいじめで自殺した子が浮かばれない・・・
それともうひとつ。
>>375
私は「いじめられている」という告白はギリギリまで仕舞い込んでいましたが
それでも、学校で有ったイザコザについては親に話していました。
「今日○○君にぶたれた」、「ケンカをした」という具合に。
(服が汚れていたり、涙の跡が残っている事を時々指摘されていたし)
そういう時、親に言われて最もキツかった言葉が、まさに
「男ならやりかえしてやりなさい」 でした。
「見返してやりなさい」も、そういう意味では同義です。
いじめられているまさにその時でも、自分が相手よりも劣っているとか
不幸せであるなんて認識は有りませんでした。(少なくとも私の場合は)
なのに、殴られ、物を盗られる。
それを食い止める術が自分には無い。
相手に仕返しが出来ない子供は弱い子供だと思いますか?
不当な暴力を受けた怒りや憎しみを克服できなければ
その子供はずっと幸せにはなれないのでしょうか?
当時の私は確かに気弱だったと思いますし、暴力に訴えるだけの度胸は
カケラほども持っていませんでしたが、それが私という人間の本質です。
大人になった今は、自分と家族の身を護るくらいの身体と覚悟は
持っているつもりですが、私は自分の本質を否定する気はありません。
相手の子達は、私にとっては完全に過去の存在ですが
少なくとも好ましい印象などまったくありません。
当時の事は「克服」などされず、そのまま私の中に残っていると言えるでしょう。
それでも、今の私は充分幸せになれていますよ。
>いじめによる自殺を自分の子供がしたとして、いじめっ子が将来、成功するのを見たらどうです
>か?名前を聞くことがあっても平然としていられます?
そりゃあ、おめでとうとは言わないだろうね。
それに平然となんてしてないよ。
でもその子を恨んだって憎しんだって死んだ子は帰ってこないんだよ。
確かに実際自殺した子の親はこれからどうやって生きていくんだろうね。
他に子供がいたらまだ何とか残された子のために生きていけそうだけど・・・。
ウチなんか一人っ子だし。子供に先立たれたらどうなるか・・・。
皆!自分の子が自殺なんてしないように教えて行こうね。
388のレスでちょっと泣けた。
>「見返してやりなさい」も、そういう意味では同義です
それは親の言葉が足りないです。
こどもは勉強か運動かと思っちゃいますよね。
口調も優しくいたわりながら言わないと。
>当時の事は「克服」などされず、そのまま私の中に残っていると言えるでしょう。
>それでも、今の私は充分幸せになれていますよ。
あなたは傷は傷として残っているでしょう。
でもその傷は今の幸せでもう癒えているではありませんか。
怒り、憎しみ、恨みが消えることが「克服」だと言っているのです。
消えることは忘れることでもあるでしょう。
「克服」して何も相手に好意をもつべきだなんて言ってなのに。
>>393
383です。
自分の子がいじめたら。どなたかも しばくけどさ っなんてて書いていたけど行為に対しては厳しく罰します。
万引きなんかだったら厳しくするというよりは子供をそれこそそのまま受け入れて、お店に返金&謝罪でいいと思うけどどうもいじめだと、しっくりこないです。
自分の子がいじめられた立場だったら、相手の親がただ自分の子供を受け入れるだけだったらそれこそ頭にくると思うし。
>怒り、憎しみ、恨みが消えることが「克服」だと言っているのです。
>消えることは忘れることでもあるでしょう。
そうかなあ。消えたと思っているだけで、消えてはいないと思うけど。
傷があっても今の幸せで癒えているというのとは違うと思いますよ。
それは傷が癒えたとかいじめを克服したというのではなく 276さんがいじめとは無関係に幸せになっただけのことだと思います。
別にいじめをバネに幸せになったわけでもなく、いじめを忘れた(日常では忘れているけれど傷があるというのは忘れていないことです)わけでもなく。
>万引きなんかだったら厳しくするというよりは子供をそれこそそのまま受け入れて、お店に返金&
>謝罪でいいと思うけど
口挟んでごめんなさい。
これだわ!!!!
だから話がかみ合わなかったのよ。
ありのままを受け入れるという意味がこの人には分からない。
え?わかってますよ。ままん侍さんの書かれてることそのままです。
あなたこそ、万引きだとというので何か誤解してるんじゃないですか??
>>400
いいえ。あなたは強くなったと思いますよ。
いじめをバネになんて思ってなかったかも知れないけど
人生回り道をした分、人間の深みが増すものだと思いませんか?
って私、何様のつもりでしょうね。すみません。
ホントに何様だろうね・・・・
400は276ではありません。
別にいじめられたら誰でも強くなるわけでも、人生回り道をしたから人生深みが増すわけでもありません。
まあ、どうしてもそう思いたいならそれでいいと思いますが。あるいはいじめられたことを美化(どうしても人生にプラス)したいならとでもいうか・・・。
でもその考え方ってやっぱりいじめられて強くなったという意味?だったらいじめられるのも悪いことじゃないみたいな考え方で、本気でいじめをなくそうとかいじめを悪いことと考えてないようです。
無理やり幸せをいじめにつなげるほうが不自然です。無理に後付けで意味を加えなくてもいいのじゃないですか?
いじめられたほうだってそんな事望んでないでしょうに、いじめのせいで強くなれたなんて気分悪いですよ。
苦労は人をまげることのほうが多いんですよ、実際は。
いじめっ子が典型でしょ? あなた方の言うように。
>>402
あのね〜・・。
なんか誤解が多いようだけど、当たり前です。
お店に返金&謝罪ですむというのは相手(つまりお店)に対してのことです。
そもそもあなたなんていじめられた子に対しても謝罪&更正ですむって言ってたじゃないですか?
わかりませんかね??
万引きしてお店に返金、謝罪して、子供をありのまま受け入れる(ままん侍さんの言うそのままの意味があなたもわかっていたら、私がありのままに受け入れると書いた時点でわかりそうなものなのに)、つまり欠点のある子供を受け入れて、親子でやり直すんですよ。
あ〜あ、なんでこんな当たり前のことが通じないんだろ。
「ありのままを受け入れる」って
いじめの行為を受け入れるということではありません。
行為は人間としてやってはいけない事ですから
それは糾弾します。
でもその行為はどこから生まれたのか…
それがありのまま自分を受け入れてもらう体験が少なかった。
だからその体験をさせる…自尊心を持てる人間にする。
という意味なのですが…
>>408
あなたどうしようもないね。そのずれまくり方・・・・。
苦労すれば誰でも立派になるわけでも誰でも曲がった人間になるわけでもないだろうに。
ようするに苦労したらそれだけ立派になると苦労したことに対していいわけしたいだけなのかと思ってしまう。
皆さんハンドルネームつけて欲しいですね。
万引きといじめの決定的な違いは相手があるかどうかでしょ?
いじめはいじめられた子がいますよ。
406ですが、大した苦労したことありませんのでわかりません。
これでよろしいですか?
>>413
>いじめられた子に謝罪やら償いやら勿論するんですよね?
当然ですよね。それも儀礼でなく本心から思えるよう
導かないとお互いにとってしこりを残す…しこりは消えないかもしれませんが…
約一ヶ月間、毎日新聞でいじめられっ子だった人の意見が連載されててそれを読んでます。
いじめられてた時、誰かに気づいてもらった。おはようと声をかけてもらったり、大丈夫か?と
何となく声をかけてもらった。それだけで自分にも味方がいる(親だったり先生だったり友達だったり)と思い、いじめに耐えれた。仕返しは考えなかった。
皆、今は誰も恨んでません。幸せに生きています。
大半の人がこう書いてます。
これらはうそ?本心は違うの?
>ホントに何様だろうね・・・・
禿同。276さん真面目にレスしなくていいと思うよ、このレスには。
276さんのレス同感です。くだらない遣り取りのせいで埋もれてしまったかもしれないのでもう一度貼りたいくらいです。
276です。
なんだかスピードについて行けなくなってきました・・・。
406=400さんを補足します。
私も、一連のイヤな思い出が人生に深み(?)を与えてくれたなどとは
これっぽっちも思っていません。
物理的にはムダな時間だったと言っても過言ではありません。
しかしこうして「過去の話」として話題にする事が出来るし
何より、いじめを絶対悪として否定し続ける自信を与えてくれた経験では
ありますので、そういう意味ではバネになっているかもしれません。
今の状態を「克服した」と呼ぶかどうかは、もはや言葉遊びのようなものです。
>おはようママさん。
私はもともと、「相手」を地の果てまで憎み続けるような感情を持ってません。
なので、謝罪や償いなんて言ってみればハラの足しにもならんのです。
当時はただただ「排除あるのみ」を望んでいたという当時の心情をお解り頂きたい。
そしてそれは、今現在も何処かでいじめ被害に遭っている多くの子供達も
同じ気持ちではないかと思うのです。
いじめ問題とは「予防」と「抑止」、その他諸々の要素が複雑に絡み合った
非常に難しい問題だと思うので、それぞれ別々に議論しなければ
(このスレのように)収拾がつかなくなってしまうのかも知れませんね。
私は最初から「抑止」の話をしてきたつもりです。
一方、貴方や ままん侍さんは「予防」の話をされてきたのではないかと。
であれば、噛み合わないのもむべなるかな、です。
でも、本当は完全に切り離しては考えられない事だと思います。
何度も言うようですが、苦しみを排除する唯一最大の即効薬は「抑止」なのですから。
毎日新聞ではありません。毎日、新聞で・・・です。
>>418
おめでたい。
新聞に投稿しようという人ということで第一に絞られています。
新聞にのるのに未だにうらんでいますなんて書ける人なかなかいないでしょう。
うちは別の新聞ですが、「うらんでいません、今幸せです」なんてわざわざ書いている人のほうを見たことありません。
>苦しみを排除する唯一最大の即効薬は「抑止」なのですから。
確かに順番ではまずこれが先決。そしていじめられっ子の救済。
そしていじめっ子の再教育ですね。
最初からそれは大前提でお話していたのですが
最後ばかり強調してしまったために、皆さんの誤解を招きました。すみせん。
おはようママさんは強くなるために
いじめ体験しよう!とか言ってるんじゃないでしょ。
受けてしまったいじめを自分の中でどう処理するかを言っているんでしょ。
そりゃ、バネでも忘却でもなんでも前向きに捉えるしかないんじゃないかな。
いつまでも恨みつらみを引きづるより、前向きに考えようってことでしょ。
私がもしいじめられて他人にそんな事言われたら、他人事だから言えるんだと思ってしまいそう。
それできっと人より強くなる、なんて言われてもちっともうれしくもないだろうし。
やっぱりいじめられたことはマイナスじゃなかったって言うのはどうなんだろう。
いじめは絶対に悪い、いじめはあってはならない のでしょ、本当は?
いつまで続くやら〜。もう夜中ですが明日の育児に差し障りありますよ。
>>苦しみを排除する唯一最大の即効薬は「抑止」なのですから。
>確かに順番ではまずこれが先決。そしていじめられっ子の救済。
>そしていじめっ子の再教育ですね。
ですね。
私はもう休みます。
長文なのに読んで頂いてありがとう。
>>429
そうですね〜。
この間TVでヤンキー先生が朝の大切さを語ってた。
朝は「十月十日」と書く。
まさに誕生の時だって。
朝ごはんを食べさせないなんて生まれた子に、
おっぱいやらないのと一緒だって。
会話もなくひとりひとりバラバラにとる朝食、
食物を与えるだけだったらそれは「餌」と一緒だって。
朝みんなでおいしくご飯を頂いて
気持ちよく送り出してやれるよう、お先に失礼します。
あれ?
色々考えて一旦床に就いたが寝れなくて
もどって来たら皆寝てた・・・。
今日は子供が胃腸風邪で昼間一緒に寝てたから余計寝れないわ。
胃腸風邪(今年はしつこいよ)大人も流行ってるから気をつけてくださいね。
ままん侍さんフォローありがとうございます。
私の言い分はどうも誤解と反感を買ってしまうみたい。
>それにいじめられた子にそれを言うわけ?
そのまま言葉で伝えなくても、いつか分かっておくれと願います。
もし自分の子がいじめられたら相手を許せとは言わない。
でもやっぱり克服して幸せになって欲しい。
【克服=忘れる。憎しみが消える又は薄れる。】
あなたならどうしますか?
もし自分の子がいじめっ子になったら。
相手に謝罪させてそれから・・・。
そしていじめられっ子になったら。
やり返せっていいますか?それとも・・・。
おはようございます。
今朝もまたいじめ事件が新聞に(津の中3男子2人逮捕)・・・
学校に何回か相談していたのに・・・。
でも「先生から脅されてるんじゃないか?」と聞かれたときは
仕返しが恐くてノーと言っちゃったんだね。
可哀想に。知人が助けてくれて本当に良かった。
いじめられた立場から言わせて貰うと、
いじめられた体験は、消したい過去ですね。
いじめられていた時は、自分が消えるか相手が消えるか、
そのことばかりを考えていました。
だから、自殺が負けではなく、自分を守る最大最後の方法なのだと思います。
自殺した人が弱いとは思いません。
自殺もできなかった自分の方が、勇気がなくて弱い人間です。
いじめた人を見返すために、幸せになろうなんて考えたこともありません。
自分は、あの時いじめられなかったら、
もっと幸せな人生を歩んでいたはずだ、と考えるのが普通ではないでしょうか?
どんな理由があろうとも、自殺という行為は肯定なんかされない。
何があったって自殺なんて最低な行為。弱い強いじゃなく最低!!。
死を選ぶ自体が身勝手!!。いじめられてる悲劇のヒロインぶっての自殺?
そんなもの可哀想でもなんでもない。いじめた側だって反省なんかするわけ無い。
だって、ただの遊びの延長程度の気持ちでやっているのが多いから。
犬死とはよく言うけれど、それすらも当てはまらない。無駄な行為、愚の骨頂。
生きることを必死に頑張っている者がいるのに、死を選ぶなんてのは人として価値すらない。
命がどれだけ大切か、自分がいかに愛されているのか、
そんなことすらもわからないから、いじめられるんだ。
残された親の方が可哀想。
学校で孤独にいることぐらいで、親の顔が思い浮かばないのか?
いじめられて居る場所が無いぐらいで、家に帰って居る場所は無いのか?
学校が居場所じゃないなら、家に居場所あるんじゃないのか?
自分のことを思ってくれる人がいるならば死を選ぶ必要が無い。
【いじめられ側場合】
>でもやっぱり克服して幸せになって欲しい。
親としてこの気持ちに変わりはないですが
このスレでいじめに遭った方の体験を聞き、
いじめられた体験がどれほど心の傷となって
トラウマとなって残ってしまったかよくわかりました。
わからせてくれてありがとう。
自殺した子も不幸ですが、生きているからこそ、
その苦しみ消えないのは辛いでことですね。
いじめがどんなに罪なことなのか再確認しました。
経験談か知らないけれど、いじめられたっていっても人生の中でどれだけの時間?
そんな一握りの時間で一生が決まるのか?
別に忘れろって言ってるんじゃない。人間だもの恨みつらみは生きてりゃあるさ。
だけどそんなことに時間を使うなら自分に使うべきじゃないのか?
いつまでもいじめられた側の気持ちが分かってないなんて言ってないで。
前向きにならなきゃ人生なんて送れない。
人を妬んでいたら前に進まない、
自分を僻んでいたら進歩しない、
恨んで生きていたら幸せになれない。
それらは経験として自分の心にしまっておけばいい。
>自分のことを思ってくれる人がいるならば死を選ぶ必要が無い。
その存在のはずの親に言っても対処してもらえなかったと遺書には書いてなかったか?
>前向きにならなきゃ人生なんて送れない。
>人を妬んでいたら前に進まない、
>自分を僻んでいたら進歩しない、
>恨んで生きていたら幸せになれない。
>それらは経験として自分の心にしまっておけばいい。
昨夜、私は同じようなことを訴えた。
でも心の奥に封印していたつもりでも
今でも辛い経験がフラッシュバックして苦しんでいる人が多いみたいです。
当人たちの心の傷は酷いいじめを体験していない我々の想像を遥かに超えている。
相変わらず すごいスピードでレス入ってますね。
またまた いじめられっ子だった私の場合で書かせてもらいます。
以下はすべて「私の場合」です。 長文ですみません。
いじめられた過去は消えないし どうやっても消せません、
というか消えてくれませんし 消す方法は今でも見つかりません。
忘れられたら楽かもしれないと思うけど忘れられないし、
あの辛さは忘れてはいけないものの1つだとも思ってます。
傷が癒えることはないし、今が辛くないのは 傷が癒えたからでも
幸せになったからでも過去を忘れたからでもなく
普段は心の奥底に沈めておくことができるようになっただけ・・・。
こうやって書いたりして思い出すと傷がうずく気がします。
いじめは私の精神の一部に今でも暗い影を落としてると感じてますし
その自覚(?)はある種のコンプレックスになってます。
「いじめられた」ことよりも「いじめられて出来た暗い影」が
私から無邪気さを奪った要因の1つになってる、
という思いはぬぐいさることができないんです。
そして、特に初対面の人やつきあいの浅い人と接する時
「またいじめられるかも」「嫌われるかも」という
恐怖心は今もあります。 だから対応は慎重になるし、
さらにはその慎重さと口数を減らすことによって
「堅いと思われるかも」「誤解されないかな」という
恐怖を感じる・・・いじめられる前はそんなこと
考えたことも無かったのは確かですから
いじめの精神的後遺症だと思います。
「過去は今(現在)と将来(未来)を縛る」
というのは事実だと思います。
いじめっ子が更正して心から謝罪しても傷は癒えないし
心底から許すことはできない、これは自殺を考えるほどの
いじめを受けた場合は普通だろうと感じてます。
それどころか、場合(相手?)によっては
謝罪はいじめっ子の自己満足や自己救済でしかない、
と感じる場合もあります。
逆に、場合(相手?)によっては
謝罪を聞くことによって「いじめをした自分」を
許せないで苦しんでいる相手を少し救えるのかな
と感じる場合もあります。
人の感じ方って勝手だな とは思いますが
1つとして同じ経験は無いことを考えれば当然なんだろう
とも思ってます。
謝罪や罰の意味も価値(効果)も人それぞれでしょう。
いじめを悪いこととわかっててやったり見ないふりをしてた場合、
悪いことと思ってさえいなかった場合など
適切な対応というものも本当は無いだろうと思います。
だからこそ具体的な経験や例がある場合は
じっくり考えてみるべきなんでしょう。
いじめは昔からあるし子供社会でも大人社会でもあります。
「報道が増えただけ」「自殺者が出て目立ってるだけ」も
事実だと思います。 でも こうやって意見を言う
(考える)きっかけになった点だけは良かったと思います。
子供や自分で深く考えない大人がマスコミに流されて
ますます字体を悪化させないよう願ってますけど・・・。
いじめで自殺する子が精神的に強くないのは事実でしょう。
何も行動をおこさなかったり深く考えずに自殺してしまう子が
いるのも事実でしょう。
でも、前向きな考えどころか逃げ道を探す余裕さえ無くして
唯一絶対的な逃げ道として自殺する子もいると思います。
「いじめの全滅」は不可能だけど理念としては必要だ思いますが、
今は「現在いじめられてる子」の救済を最優先したほうが良いと
思います。 自殺では本人も誰も救われませんから・・・。
この場合の救済は「傷をいやす」「精神的に強くする」ではなく
「現在の環境を改善する」ことで、逃避と言われようとも
転校も手段の1つだと思います。 ただ、転校先に
「いじめ」や「またいじめられる可能性」が無いわけは無く、
「いじめられて転校」という事実が子供に影を落とし
その影や事実がいじめっ子を刺激して再度いじめられた場合、
その傷はより深いはずですから私は勧めはしません。
言いにくいことですが、地域特性や学校の校風として
いじめが少なかったり改善されやすい場合はあると思うので、
それを調べたうえでなら検討の価値はあると言えるかも。
「荒れた学校の筆頭問題児が転校してきたら
ウチの学校まで荒れ始めた」という話も中学教諭の友人から
聞いてますから、過去の校風とかがどこまでアテになるかは
疑問だということも私はわかってるつもりです。
>謝罪を聞くことによって「いじめをした自分」を
>許せないで苦しんでいる相手を少し救えるのかな
>と感じる場合もあります。
いじめられた側にすればそう感じてしまうこともあるのですね。
>初対面の人やつきあいの浅い人と接する時
>「またいじめられるかも」「嫌われるかも」という
>恐怖心は今もあります。 だから対応は慎重になるし、
>さらにはその慎重さと口数を減らすことによって
>「堅いと思われるかも」「誤解されないかな」という
>恐怖を感じる・・・
いわゆる対人恐怖症ですか?
特に男子に酷いいじめを受けた人は男性恐怖症で恋も結婚も出来ないそうですね。
心からお気の毒だと思います。
精神的ケアをしてくれるクリニックに行かれたことはありますか?
周囲の人間はどのように接してあげればいいですか?
>>443
本当に失礼な人だね・・・
言うに事欠いてトラウマ、対人恐怖症、挙げ句に男性恐怖症??
あまりにも理解が足りていない。
悪意にまかせた当てこすりだとでも言われた方がよっぽど理解できる。
もしも本当に相手の事を思いやっているつもりで
素で出てきている言葉だと言うならひどいとしか言い様がないよ。
親身になって対話に応じろとまでは言わないが、せめて言葉には
慎重になった方がいい。
↑
しかたないよ。
自称親切人は、えてして己の傲慢さ・ずうずうしさに気づいていない人が多い。
>悪意にまかせた当てこすりだとでも言われた方がよっぽど理解できる。
?
>>441
>いじめを体験していない我々
自分は体験しているよ。
教師(小、中学生の時)からも、同級生(中学生の時)からも。
教師には、字が下手ってだけで、
字の下手な奴は心が汚いとか、信用できないとか言われた。
他にも目の前で色々言われ、一言一言はっきり覚えている。
今でも教師は尊敬できないし、信用できないし、大嫌い。
同級生は、挨拶しても無視されて、グループ分けでも仲間はずれ、
ズボン脱がしされそうなとき、必死で抵抗したこともある。
休憩時間に一人で教室にいた。
された経験を語る気も無いし、知った顔で苦しんでいたんだと言われたくない。
これは誰にもわからない。自分のなかの闇だから。
ただ自分は一人でいられることの強さは持っていた。
休み時間ひたすら本を読んでいた。本の世界に入るのが好きだった。
教室だけが嫌だった。
でもそれだってず〜と続いたわけじゃない。
進級すれば教師は変わる。
いじめる側は遊びの延長だから。飽きればしなくなる。
そんなのと同レベルになるのが嫌いだから、相手にしないだけ。
ここが自分の居場所じゃないと、常に自分を持っていた。
教師に対しても
教師が絶対的な善だと思うからつらいだけで、
所詮人間好き嫌いはあるもんだと、
この程度の人間と見下すことでずいぶん楽になった。
(そのせいか、人を見下すくせがある。)
この一人でいられる強さがあるか無いかで受け取り方も違うと思う。
また>>442の言うとおり、逃げることもいいと思う。
いじめに耐えろとか、向かっていけなんていわない。
いじめは昔からあること、急に無くせる訳が無い。
なれば、いじめられる側が防御する手立てを考えるのが現実的。
自分を持ち続け、逃げればいい。
無理に付き合う必要も無い。
今は、小中学校に子供が就学する際、
市区町村教委が指定した学校の変更を申請できる制度もあるのだから。
444、445さん
あなた方のおっしゃるとおりかも知れませんね。
ここにレスするたびに否定され、
私の方がレス恐怖症になりそうです。
もうおはようママさんは幕を引きますね。
今までありがとうございました。
おはようママさん
私の場合で答えさせていただきますね。
(またもや長文です、すみません)
対人恐怖症と劣等感と自己嫌悪の混合です。
「いじめられること」「嫌われること」をおそれると同時に、
「自分の中のいじめられるポイント」が劣等感に
「いじめられる自分」が自己嫌悪の対象になるんです。
これは いじめられなくなると少しずつ治りました。
ただし完全な克服というのは無理だと私は感じています。
本当は「治る」のではなく「自分の奥底に封印できるようになる」
というのが正しいのかもしれません。 半端に少ない口数は
誤解を招きやすいということで言葉に言葉を重ねていくようになりました。
とはいえ 今でもいつも不安は抱えています。
掲示板の書き込みでも誤解されて補記するのはしょっちゅうですし・・・。
男性恐怖症は 「すぐ泣くと男子は調子に乗る」と言った友人の言葉と
小学校卒業を機会に男嫌い(男性不信)っぽい方向に移行しました。
「男なんて女より子供で単純」と考えることによって
男子に強気な態度がとれるようになったんです。
男子には必要最小限しか口をきかず挨拶や「ありがとう」「ごめんね」
さえもロクに言わなかったのは褒められたことじゃないし、
当然「女のくせに」「生意気」と反発は受けましたが
いじめほど陰湿ではなかったので気は楽になりました。
隣のクラスの女子に「もしかして男嫌い?」と聞かれた時には
微妙に違う気もして苦笑いしてました。
高校では明るく男女対等な校風だったので中学時代ほど
男子にキツく当たる必要が無く助かりました。
(短大は女子校なので省略します。)
社会人になってからは「立場にふさわしくない上司」を多数見て
「男性に期待するだけ無駄」と考えるようになってました。
新人研修で同期の女の子に「男(彼氏という意味かも?)なんて
要らないってオーラが出てるよ」と言われたこともありましたね。
で、22歳からお見合いさせられても何度も断わり断わられて、
母に「現実を見てない」と言われては 口では勝てないから心の中で
「現実を知ってるから甘い考えを持てないだけ」と反論して、
見合いを放棄するなら一生独身の誓いとプランを立てろと言われて
真剣に検討して・・・。 30歳すぎて
これを最後のお見合いにしようかと考えている時に
そのお見合いで主人に会いました。
趣味に共通点があったのと 当初の「お兄さんみたい」な
フィーリングで何回か会って慣れていきました。
(ずっと「お兄さん」欲しかったんです(笑))。
で「本人達のペースでは結婚に行き着く前に
「良い人ということにしておこう」ってことになる」
と意見の一致した仲介人と両家の両親が話を進めて・・・。
今では「幸せそう」「似合ってる」と言われる夫婦になりました。
ただし、女性に対するより男性に対する方が評価が
辛辣なのは変わってません。 これは
男性優位の社会傾向が残る限り変わらないでしょうね(苦笑)。
その評価を表に出す場面は心得てるつもりですよ?!
精神的ケアのクリニックは場合によっては逆効果になります。
私のように「いじめられる自分」を嫌いになるタイプには
クリニックでの対応は劣等感を煽るだけだと思うんです。
「心配を掛けてる」「手間かけさせてる」というかたちで
劣等感と自己嫌悪に繋がるんです。 そして これらは
深みにはまると自殺に繋がります。 「死んだ方が周りのため」
「私には生きてる価値も意味もない」「**ばこれ以上迷惑掛けなくてすむ」
・・・あげくに「生まれてくるべきじゃなかった」。
産んでくれた親や友人のことを考える余裕なんて無いので
「生まれてきたこと」「存在すること」を自分で否定するんです。
クリニックもそこに連れて行ってくれる親も
「迷惑を被っている(手間かけさせられている)周り」
としての存在としか考えられない精神状態では、
そんな対象を増やすようなことは逆効果になるんです。
また、クリニックに行っているということは
いじめっ子にとって絶好のネタですし・・・ね。
周囲の接し方・・・微妙でなんとも言えません。
過保護・過干渉は厳禁 ということは断言できます。
良く観る(「見る」ではない)、さりげなく穏やかにじっくり話を聞く、
まずは本人にできる対応を一緒に考えて教える、ぐらいでしょうか。
無理に話させようとしたり問いつめるような聞き方はタブーですし
聞いてる方はゆったりどっしり構えていなくてはなりません。
周りのマイナス感情には過敏になってますから・・・。
・・・普通の人には難しいと思います、特に他人には・・・。
教師だって他人です、普通の親より多少は色々な生徒と親を
知ってるだけだと思った方が良いでしょう。 兄弟や同級生には
「味方になってあげて」というところが限界でしょう。
だからこそ親が重要だと思います。 こう言うと
「私には無理」「親になるのがこわい」と言う人が出てきますが
覚悟を決めて腰を据えて産み育ててくださいとお願いしたいです。
兄弟やいとこや同級生が少ないほど 我が子が「いじめっ子」に
出会う可能性は増え 親友に出会う可能性は減るんですから、
みんなで「人間性の良い子」を増やしましょ?! 私も
結婚前は「自分の遺伝子を受け継いだ子供なんて不安」
「子供が同じ経験をするなんて耐えられない」と思ってましたが、
今は「子供を作って元気に明るく育つところを見たい」と
思うようになったからこそ言わせてもらってるんですよ?!