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最近又良く話題になるいじめ。
昔からいじめはあるけど、教育委員会や学校、校長も悪いかもしんないけど。
いじめてんのは学校等に文句言ってる親達の子供だからね。
完全に大人をなめてる子供。こういうふうに育てた親の責任はどこへやら・・
ただ、あの女の子の「私が死んだら〜」の文を遺書じゃないって言っていた
ギョロ目のおっさんはゆるせんな
どうでしょか??
[スレ作成日時]2006-10-18 12:21:00
最近又良く話題になるいじめ。
昔からいじめはあるけど、教育委員会や学校、校長も悪いかもしんないけど。
いじめてんのは学校等に文句言ってる親達の子供だからね。
完全に大人をなめてる子供。こういうふうに育てた親の責任はどこへやら・・
ただ、あの女の子の「私が死んだら〜」の文を遺書じゃないって言っていた
ギョロ目のおっさんはゆるせんな
どうでしょか??
[スレ作成日時]2006-10-18 12:21:00
勿論全部でどうぞ。
いじめたほうは大したことないと思っていて、そのうち忘れて平気で教師になったりするんだよね。
そういった話を聞いた時にはぞっとした。
いじめられた方はどんなに大人になってもその時のことを忘れられず、トラウマになっていたりするのに。
でも自分で考えたら?もし加害者になったら、どうやって償えるかって。
それが一番だと思う。
そういうもんでしょ?
親の立場、いじめる立場で意見すると誤解や反感を招き易いですね。
少し視点が違いますが、
マスコミが学校非難ばかりすると子供まで学校は信頼出来ないんだ
先生は信頼出来ないんだと思う危険があると思いませんか?
現実、先生が一緒になっていじめたり、校長が自殺したり情けない話も
あるのですが・・・。
だから子供は悩みを先生に相談しなくなるのではないでしょうかね。
皆さんの学校では************者会とかって無いですか?(個人懇談ではなく)
私が子供の頃、学校で************者の学級委員会があって先生を交えて色々意見交換したり
してたみたいなんですけど、今子供の学校では無いです。
個人情報************ということもあって、子供の話以外ではどんな子がクラスにいるのか
分かりません。電話連絡網もありません。
先生も一人で問題を抱えないで、************者たちを巻き添えにして下さっていいのにと思うのですが。
あれ?なんで****に?
因みに****部分はホゴ(漢字)です。
信頼できない学校や信頼できない教師が確かにいるから、信頼出来なくても構わないのでは?
それでも子供は子供なりにちゃんと先生を見分けていると思います。
良い先生を疑心暗鬼から信頼しなくなるのではなんていうのは要らない心配ではないかな。
信頼とは別に悩みや問題があったら先生には相談するものだと良く教えておいたらどうですか?
そうか〜
確かに子供とは言え観察力は大人顔負けですものね。
>>330さんに対しては、おはようママさんが>>337でおっしゃるとおりです。
>>298さんのおっしゃるのは生徒さんが劇をするということですので
自分の言うのとは違うかもしれませんが学校でCAPというNPO法人の
取り組みを聞いてきました。
CAPとは
Child 子どもへの
Assault 暴力(いじめ、誘拐、虐待)
Prevention 防止
CAPは、すべての子ども達に自分の大切さを教え、
内にある自信を育てることを目的とした人権教育プログラム だそうです。
具体的に小学生では4年生を対象に
暴力とは何か? 権利とは何か?を
一方的に説明するのでなく、子ども達から聞き出しながら教え、
劇を見せ、そこに参加させる、ロールプレイ、
そしてトークタイムという90分のプログラムだそうです。
実際に聞きに来た保護者は4年生になったという設定で講演を聞きました。
劇は学校の帰り、内山君が藤井君に鞄を持たせることを強要する。
という内容です。
藤井君はしぶしぶ鞄を持ちます。
内山君は「また明日、ここで待ち合わせ!また持ってな」
と言って別れます。
「内山君のやってること、どう?
腹立つ!仕返ししたろ!と思った人居るかな?」
何人か手を挙げる。
「でもな、同じことしたら、それは内山君の権利を奪うことやな?」
「じゃあ、内山君の権利を奪わんと、藤井君が嫌な思いせん方法あるかな?」
と私達から方法を導き出す。
「いや」と言う。
その場を離れる。
誰かに相談する。
劇の中で藤井君は友達に相談し、着いてきてもらいます。
友達の助言もあって内山君は諦めます。
この友達を誰かにやってもらい、その後、藤井君の気持ちなど
みんなから聞きます。
藤井君の気持ちを考えることは自分の中の気持ちを表現すること。
それは自尊感情を作る基本だそうです。
また、劇について、
「自分の子どもからも、いじめは鞄を持たせるぐらいの単純な
内容ではないと言われますし、
これを見たからといっていじめがすぐなくなるものでもありません」
と前置きしながらメリットを上げられました。
・いじめの傍観者に何ができるかということが分る。
・いじめることがカッコ悪いと認識できる。
(いじめる側がカッコイイというイメージがありがちだそう)
・心配する大人が居るという安心感を持てる。
・権利という言葉が身につく。
いじめだけでなく、暴漢に襲われそうになったらどうするか等
具体的に教えます。
子ども達が本来持っている力を引き出して子ども自身が
暴力を跳ね返すことを目的に活動しているそうです。
こうした団体は約140団体。
どんどん広がって欲しいと思います。
中◎新聞ってト○タびいきの記事ばかりで
反吐かが出そうだし、もうやめようかと思ってたけど
先月辺りから『いじめ私の意見』が連載されて
皆とてもいいこと書いてる。
実体験が多くいじめられてた子の気持ちがよく伝わる。
またぼちぼち紹介していきます。
>>325
それは、きれい事ですね。
見返すって、勉強や仕事でですか?
そんなに、未来まで待てないんですよ。
だから、自殺する子がいるんです。
いじめられてる、今が辛いんですから、仕返しも許されると思いますよ。
一方的に、やられっぱなしなら、さらにいじめがエスカレートする可能性もありますよ。
子供の世界は狭いです。だって10数年以下しか生きてないんですもん。
大人の視点で「辛いのは今だけ」って言っても「今」が永遠に思えるのが子供。
どうか 自殺なんてする前に親が逃げ場になれますように。
そして自分の子供が「加害者」になりませんように。。
ま なってたら しばくけどさ。。
>大人の視点で「辛いのは今だけ」って言っても「今」が永遠に思えるのが子供。
そうなんですよね。
どうしたら分かってもらえるんでしょうね!?
いじめ時期を乗り越えた人は必ずといっていいほど、
「いじめは一生は続かないってことが分かった」って言ってるんだけどね。
実際もし自分の子がいじめに遭ったら、すぐ学校休ませて逃避させると思う。
それから見返してやるには、自分がそいつらより絶対幸せになれって言うと思うよ。
やっぱり仕返しは賛成しないかな。
友達親子でしっかり教育できてない。
厳しく接したら親からクレームがつく。
親の顔色伺って、「なれ合いの友達担任」で学級崩壊でいじめが多く発生。
「多様化」という言葉の元に常識が揺らいでる。
結局、親が自分の教育力のなさをなすりつけてるじゃん。
親も先生もダメなものはダメって言える大人じゃないとね。
大人がしっかりしたいものだ。
>>337 おはようママ さん
>>347 ままん侍 さん
>>「相手のすべてを受け入れる」とは言ってません。
>>「いじめっ子をありのまま受け入れる」とままん侍は言ってます。
>>第3者の立場または自分の子が間違いを犯してしまった側の場合の話でしょ?
「相手のすべてを」でも、「いじめっ子のありのままを」でも
私としては同じ解釈しかできません。
つまり、この件は「いま現在いじめられている子供」をどう救えるのか、という
議論ではなかったという事で宜しいのでしょうか?
だとすれば、お二人に噛み付いたのは私の勇み足だったようです。
お騒がせして申し訳ありませんでした。
302で、おはようママさんが「レスの時間でその人の生活パターンが読める」と
仰っていたのは、おそらく私を指しての事だと思います。
そしてままん侍さんも、「そうした事に関心のある方であれば・・・」という表現で
子を持つ者とそうでない者の「考え方の違い」を挙げておられました。
事実、育児は私にとって未知の世界ですし、そうした実体験を経た上で
いじめ問題を考えるにあたっては、私にはまだまだ解らないことがたくさん有ります。
自分の意思こそが正である、だなどとは到底言い切れません。
しかし、やはり私は『いじめっ子のありのままを受け入れる』という言葉を
どうしても「具体的に」理解することが出来ません。
私が誤解しているのではないと思います。言葉そのものが曖昧過ぎるのです。
子供を信じ、犯してしまった過ちをも受け入れるいう姿勢は、親として
当然のものだと私も思っていますが、例えば「罰」は別の問題だと思います。
その「罪は罰するべきなのだ」というニュアンスが、『ありのままを受け入れる』という
表現の中には一切感じられなかったので、こうして意見させて頂いているのです。
言葉としても矛盾していると思います。
私も、わが子が「いじめる側」にまわった時には厳しく対処する覚悟です。
その際には『ありのままを受け入れる』などという態度は考えられません。
そういう姿勢でいればこそ、お互いに信頼できるのだと思うのですが。
以降、蛇足です。
私が特定のグループから受けていた「攻撃」とは、ケガをしない程度の「暴力」。
そして、毎日のように持ち物をとられるといったものでした。
おそらく担任に相談した後は相手の親御さんにもその内容が伝わったのでしょう。
攻撃がパッタリと止んだ背景には、その子供たちには親御さんから厳しい罰が
下された、という事が有ったようです。
(詳細は省きますが、それを暗示するエピソードがいくつかあったので)
私には、彼らが「ありのままを受け入れる」という発想の下で行動したとは
思えませんし、事実私が救われたのも「罰」があったからです。
なんとも切ない話だと思われるかも知れませんが、それが「いじめ」の現実です。
いじめは加害者と被害者がいて成り立つもの。そこには必ず第三者がいます。学校ならばクラスメイトや教師です。とくにクラスメイトはクラスの空気の変化に敏感なもの。「あの子、もしかして・・・」いじめてるんじゃないか?いじめられてるんじゃないか?そう感じることは少なくないはず。わかっているんです。いじめの存在を第三者として誰よりも。でも一番いじめの存在をわかって欲しいのは教師や親なんです。いじめてる側の親は自分の子がいじめの加害者になっていることを知らない。何故なら親は学校に、いじめの現場にいるわけではないからです。百聞は一見にしかずとはよく言ったものですが、授業参観なんかでいじめの現場に立ち会うわけがありません。担任教師は何故そのクラスを任せられていながらいじめに気付かないのでしょうか。気付いていても対処しないのでしょうか。「いじめを知っていながらそれを知らないふりしている子は、いじめている子と同じだ。」小さい頃、そう教えられた記憶があります。それは正しいことでしょうか?いじめられている子を前に、いじめている子を前に、止めに入る子は確かに正しい。では恐くて何も言えない子は悪い子ですか?そんなはずがありません。子供にいじめはとめられません。いくらいじめをしている本人が子供であったとしても、それを止めさせることが出来るのは大人でしょう?親や教師だけじゃない、いじめとは何かを知っている大人なら誰もがこの問題について解決することを考えなくてはいけないはずです。子供は未来を担っています。子供を立派な大人に育てるのは大人です。その大人が自分のプライドや立場を気にするが故に子供達の未来を潰しているのは情けなく、悲しいことです。具体的な解決方法をあまり聞いたことがないのですが、私はまず、親と教師の教育が足りないことを詩的します。特に親の学校に対する態度、そして学校側のいじめに対する態度が悪すぎます。どういうことかというと、どちらも自分の責任をとらないというところです。親は自分の育て教育した子がいじめをしていると言われれば不愉快になることは当然です。しかし、それを否定してはいけないと思います。それが事実であろうが誤解であろうがまず、その実態を確かめる努力をして欲しい。本当にいじめの加害者に子供がなっていたなら、そこでもう一度子供に諭すのが親の義務です。教師はもっといじめに敏感になって欲しい。「このクラスじゃそんなことはないと思うけど。」信じてくれるのは嬉しいことですが、「ちょっと変だな。」と思ったら何かしらの対処をして欲しい。いじめられていると思われる子と話を少しする程度でもかまわない。放っておかないで欲しい。学校全体としても同じように、いじめにスポットがあてられたからという理由だけではなく、学校の問題としていじめを受け止め、それを未然に防ぎ、なくす努力をして欲しい。
>つまり、この件は「いま現在いじめられている子供」をどう救えるのか、という
>議論ではなかったという事で宜しいのでしょうか?
よろしいです。
確かに言葉があいまいで、飛躍しすぎたのかもしれません。
誤解を招くべく発言失礼しました。
いじめってどうしてするんでしょう。
…他者を傷つけたり害したりしたいという感情や衝動には、
自己否定感が伴っています。
自己否定感はどこから生まれてくるのでしょう。
…ありのまま受け入れる育てられ方をしていないからです。
ありのまま受け入れるって
…生まれてきてありがとうという気持ちを伝えることです。
276さんがおっしゃるようにとても当たり前のことです。
でもそれがなされていない家庭が多いために
「いじめ」はおきます。
生まれてきたときは、ただそれだけで嬉しかったのに
段々と子どもに理想を押し付けます。
発達が早い遅いで他の子と比べたり、
躾と称して指示命令の下で子どもを動かします。
それができないと自分はダメだと思います。
課題は途切れることなく続きます。
…何かができないと認められない自分。
その査定は学校、家庭、地域社会において同心円状に働きます。
勉強ができない子どもは評価される場所がありません。
自分を卑下したくない気持ち、上に立とうとする気持ちが
「いじめ」という形で表出されるのだと思います。
つまり大人が子どもをありのまま受け入れていないから
…大人が子どもを出来る出来ないで見ることの子ども達の鬱憤が
「いじめ」を生んでいるのだと思います。
>勉強ができない子どもは評価される場所がありません。
親(母)がそれ以外を評価できてればいいんだが案外できないみたいだね、最近は特に。
逆にそれのみができればいいんだが接する時間も少ないみたいだしなぁ
それがイジメに直結してる、ってのは短絡的過ぎると思うんだけどね・・・。
基本的に動物の世界にもイジメがあるよね?
それで鍛えられていくんじゃないのかなぁ。
どんな動物でも常に周りのものより優位に立とうとするのは本能では?
人間の場合、差別、えこひいき、悪口などはもちろん人をラベル付けして
グループ分けしたがるのだって、
結局は自分を相手より上に位置づけしたい気持ちからくるものだと思います。
この掲示板見ていてもそうじゃないですか。
だからといって、もちろんいじめを肯定しているわけじゃありません。
ただ、本能からくる行動を人間としてどう制御していくか(これが理性といわれるものか?)
それを教えていくのは一番身近にいる親の役割だと思うのです。
いじめのある社会といっても別にそれをよしとしているわけではないんですよね?
確認しているだけですが。
でもいじめがありふれた場所と、たいしてない世間とくのは今でもあると思います。
それにいじめがあるのは当たり前というのも、今後のいじめに対する対応次第で変わっていくかも
しれません。
あるのが当たり前という態度でいる限りはなくならないと思いますが。
>子供を信じ、犯してしまった過ちをも受け入れるいう姿勢は、親として
>当然のものだと私も思っていますが、例えば「罰」は別の問題だと思います。
>その「罪は罰するべきなのだ」というニュアンスが、『ありのままを受け入れる』という
>表現の中には一切感じられなかったので、こうして意見させて頂いているのです。
>私も、わが子が「いじめる側」にまわった時には厳しく対処する覚悟です。
>その際には『ありのままを受け入れる』などという態度は考えられません。
>そういう姿勢でいればこそ、お互いに信頼できるのだと思うのですが。
全く同感です。
子供がいる親でも色々な考え方があるし、子供の性質にもよるだろうし、子供がいるいないは関係ないと思いますよ。
私は子供がいますが、353さんの考え方のほうがよっぽど近いです。
>361
子供をありのまま受け入れるというのはわかりましたが、ではあなたの子供が加害者になったとき
どうするのですか?
勿論、ただ受け入れるだけではないと思いますが、上にも更正させるのは一番の謝罪と書いていた人がいましたがそんなわけありません。
被害者の立場だったら、相手が自分を踏みつけてまともな人間になれればそれで一番なんて絶対に思わないでしょう。
自分が、いじめられた側だったら、いじめた側が将来、どんなに立派な人になったとしても、
許せないでしょうね。
いっそ、自分より不幸になってくれた方が、心が晴れるかもしれませんね。
いじめた側は、時効だと思っていても、いじめられた側には時効なんてないんですから。
やりかえせ、意地見せろ、やったれぇ〜
ありのままを受け入れる、ってとても素晴らしいことにも思えますが、
何もできない、してやらない、責任も取らないと紙一重のように感じます。
>>361
>>学校での集会で親達は子どもの成績ばかりに感心を寄せて
>>心を見ようとはしなかったと反省したと聞いています。
本当に、そういう事なんでしょうか・・・・。
全ての親が成績にしか関心が無かった訳ではないでしょうし
逆に、しっかり子供と向き合っていたつもりでも
子供は子供で親の与り知らないところで悪さをしていた、という事例も
現実には相当ある筈。
私の記憶を辿ってみても(成長してからの補正は多少あるにせよ)
小さい頃は小さいなりに、自分にとっての利害を計算しながら
大人の顔色を伺って行動していたところがある気がします。
子供とは決して天使の様に純真無垢な存在なんかではなく
したたかさとズル賢さを備えた一個の人格として、我々が思う以上に
早い時期から独り立ちしているのではないかとさえ思えます。
そして私の親も、子供に対しては『ありのままを受け入れる』という
かたちでの愛情表現は決してしていなかったのではないかと。
私の母は優しい人間でしたし、常に私の味方でいてくれましたが
そんな母でさえも、私を否定し時として手を上げる事がありました。
(私も決して常に良い子ではなかったので)
親に詰られ叩かれる事によって、その時はひどく傷つきます。
しかし子供は子供なりに、その都度逃げ場や居場所を探し
少しずつ強くなることによって、時とともに傷の痛みを忘れてしまう。
基本的には親を信頼しているからこそ、です。
そして一方で己の過ちを反省し、繰り返さない事を体で覚える。
・・・・『ありのままを受け入れる』などとという事ではなく
こうして親から否定されたり親を否定したりする事を繰り返すうちに
養われていく「正常な感覚」も在るように思うのです。
私も、親に毅然としたところがあったからこそ信頼していたのでしょうし。
※この課程で必要以上に傷を負い過ぎて、本当におかしくなってしまう
子供達が、現実にはいるのだと思います。
が、少なくとも彼らを、親が『ありのまま受け入れる』事で救えるとは
私にはどうしても思えません。
ましてや、そういう「彼ら」に傷つけられてしまう子供たちは尚更です。
私の体験や意見は私だけのものであり、一般性は無いのかも知れない。
しかし、そういった「固有例」の集まりこそが社会なのだから
現実に起こっているトラブルには、お決まりの言葉を当てはめるのではなく
その時その時、場面に合った言葉を使わなければならないと思うのです。
長くなりましたのでまとめます。
『ありのままを・・・』という表現は、実際にいじめで苦しんでいる子供達に
とっては何ら救いとならない言葉である以上、不適切だと私は考えます。
「誤解を招いた」と、ままん侍さんはおっしゃいますが、それも違う。
言葉の意味を、私をはじめとする「受け取る側」が誤解しているのではなく
以前も書いたように、言葉そのものがカラッポだと思うのです。
いじめられた人は一生、人を恨み、憎しみながら生きていくのでしょうか?
その「人」というのは全ての人ではなく「いじめた人」を、ならあるでしょうね。
少なくともそのいじめた人との記憶ではいじめを忘れることはないんじゃないでしょうかね。
いじめられた人にいじめた人を許してあげましょうなんていうのはそれこそキレイゴトです。
たいしたいじめではないいじめを受けたことがあり、相手の更正と幸せを心から願った人がもしいたとしてもそんなの大したことじゃなかったからでしょうよ。
>>363
あなたはいじめた子が更生して謝罪することを望まないですか?
更生することは健全な心を取り戻し、自分がやってしまった罪の深さを知り
ここから反省することだと言っているのですよ。
更生していない子の謝罪を受けて納得しますか?
親から言われた形だけの心のない謝罪を求めますか?
いじめた側に時候があって、いじめられた側に時候が無いなんてどうして言えます?
過去にいじめに遭った人でも、今では明るく幸せに生きている人は沢山いるでしょう?
過去の不幸をバネに前向きに生きている人は素晴らしいと思います。
363ではありませんが、あなたのレスはちょっとずれてると思います。
過去の不幸をバネにって、別にその不幸がなくても十分幸せな人生を生きていくこともできるし
実際できる人もいるんですよ。
その言い方じゃ、まるで過去の不幸のおかげで幸せになれたみたいだし、まるで感謝しろとでもいいそうです。
とても失礼ですね。
それにではバネにできなくて、自殺までする人はどうなんです?
また自殺する人が悪いと言い出しそうですが、自殺までしなくてもず〜と心に傷をもっているくらいの人ならいくらでもいると思いますけど。
個人的には更正して謝罪するなんていうのは最低限のことです。
心から反省されても、実際に受けた傷というのはそう簡単に癒えるものではないでしょう。
いじめた子がいじめられた子以上に幸せな人生なんて歩いて欲しくはないですね。
更正して謝罪すれば終わりだなんて、全くもって被害者の人達のことをわかってないか想像力の乏しい人としか思えません。
更正していない子の謝罪なんて受けませんよ。そんなもの謝罪でも何でもありません。
それに謝罪を受けたくもないという被害者の人達だってたくさんいます。
あなたにはそういう気持ちがわかりませんか?
>更生していない子の謝罪を受けて納得しますか?
>親から言われた形だけの心のない謝罪を求めますか?
こんなことありえるわけないでしょう?誰がそんなことで満足するとか形だけの謝罪を求めているとか書いてありましたか?
読解力ももう少しつけてくださいよ。
370の子供がいじめっ子にはならないことを心から祈ります。
被害者の人がかわいそうです。
ありのまま受け入れるって…例えば
注射が痛いって言う子に対して「痛ない!痛ない!」じゃなくて
「そう、痛かったね〜」ってその子の気持ちをまず受け入れること。
子どもは自分の気持ちを表現し、それを受け入れてもらえれば
どんどん自分の気持ちを表し、そこに自尊感情が育まれます。
「痛い」でもそれは病気にならないために必要なんだと理解すれば
自分のために我慢することを覚えます。
それは自分をなくして親のためにすることではありません。
「痛い」という思いを否定されると痛いと思った自分が間違ってたんだ、と思います。
そうした経験を繰り返すと自分を信じられなくなっていきます。
自己否定感が長く続くとそれは暴力の基盤となります。
ありのまま受け入れるということは、
謝った行為を容認するという意味ではありません。
何が出来ても出来なくても
頭が良くても悪くても
親の思い通りいかなくとも存在そのものを受け入れるということです。
そうした体験、自分を受け入れてもらう居場所のない子が
いじめをしたり、またいじめられて自殺にまで及ぶのだと思います。
以前にいじめられたら『仕返し』より『見返してやれ』と言いました。
すると『勉強で?仕事で?』と問われましてた。
私は『幸せになれと言う』と答えました。
いじめに対する復讐は『自分が幸せになること』だと思いますが違いますか?
人を恨み、憎しみんでいて幸せになれるでしょうか?
いくら時間がかかっても自分がその恨み、憎しみを克服しないと
いじめに勝ったことにはならないでしょう?
幸せは地位や名誉や財産を得ることではないですよね。
幸せは自分の心の中にあるものだと私は思います。
これはまたキレイごとだと言われてしまうのかな?
キレイゴトですね。まさしく。
いじめられなくても幸せになれます、人は。
なれないとしたらまさしくいじめた人のせいですね。少なくともいじめた側がいじめられた人に
幸せになるために、いじめを忘れろなんて言うだけおこがましいこと。
それに別に人一人くらい恨んでいてもそれなりに幸せにもなれるでしょう。
で374さんは自分の子供がいじめをしたらその子をいじめっ子としてありのまま受け入れることと何をするのですか?
いじめというのはいじめっ子の存在だけでなく相手がいるのです。
その相手のことに何も触れないでいるのがやはり違和感があります。
別に書いてあることはその通りだと思いますが、それで、現実としてどうするのですか?
>>368
最初にも書きましたが、私の場合は幸い「孤立」はしていなかったし
被害そのものも深刻なものではなかったからか、後々まで
尾をひくほど「負の感情」を抱くことはなかったですね。
とにかく、相手と距離を置くことが出来ただけで嬉しかった。
ちょうど学年が変わる時期に近い事もあったので
クラス替えがあれば物理的にも離れる事ができる、という希望もあった。
相手から見れば、私は虫の好かない相手だったとか
ちょっかいを出しやすい相手だったとかいう事情は有ったのでしょう。
そこも含め、当時も本当は「なぜこんな事になったのか」という事を
私自身もっと深く考えても良かったのかも知れません。
しかし、それでもそんな過去の事はどうでも良いと思えるくらい
悩みから開放された事だけが私にとってはすべてでした。
むしろ、相手の方が私に対し感情的な「しこり」を残したかも知れません。
見方を変えれば、要するに私は「親にチクった奴」な訳ですから。
(相手から後日それに近いリアクションを受けたことも少々記憶しています)
ただ、昨今ニュースで報じられているようなケースについては判りません。
それこそ、当人でなければ解らない苦しみというものがあるでしょうし
それが蓄積されるかどうか・されるとどうなるかには個人差があると思います。
しかし、普通の子供なら、本来学校では友達と楽しく過ごしたり
勉強やスポーツで自分を磨く機会を十二分に与えられている筈。
そのかけがえの無い機会を失った悲しみが、憎悪に変換されたとしても
誰がそれを非難できるのでしょうか。
自ら命を絶たなければならないほどの苦痛・・・・解る様でいて
やはり私には想像もつかない闇の世界です。ましてや学校の中で。
本当に気の毒でなりません。
おはようママさん、貴方はその問いに答えを得たとして何を感じるのですか?
私なら敢えて、「恨み憎んでも無理はあるまい」と答えます。
いくら読み取ろうとしても他人の心。想像の域は出ませんが。
>過去の不幸をバネにって、別にその不幸がなくても十分幸せな人生を生きていくこともできるし
実際できる人もいるんですよ。
その言い方じゃ、まるで過去の不幸のおかげで幸せになれたみたいだし、まるで感謝しろとでもいいそうです。
あなたは極端な考え方をされますね。実に想像力が豊かな方です。
あなたは過去に嫌な経験もいい経験もされてきたでしょう?
あなたの過去は全てあなたの人生ですよ。
どれも削除することなんて出来ないんです。
過去に辛かったことや苦しかったことがあれば
その分幸せになろうと思わないですか?
ズレてるのはあなたじゃないですか?
>いじめに対する復讐は『自分が幸せになること
もともとそんな風に思いません。
自分が幸せになることといじめとは別問題です。
自分が幸せになることでいじめに対する復讐になんてならないでしょ。
いじめた子が幸せかはともかく、「立派」な人間になっていたらそれは嫌でしょうね〜。
>379
多少嫌な経験というのは勿論してますが、削除したいほどの嫌な経験というのはないもので。
過去も今も幸せだったと思います。恵まれていると自分でも思っています。
誰かを見返すために幸せになろうなんて考えたこともありません。
>>377
自分の子どもがいじめをしたら、
当然それは人間としてやってはいけないこと。
卑劣な行為であることを理解させるでしょう。
そして親としてのこれまでを遡及し誤ったところから
子どもと一緒にやり直すでしょうね。
う〜ん、何かまだ足りないと思うのですが。
理解させて親子でやり直すって何をやり直すのでしょうか?
子供の人生?
やっぱりいじめられた子の存在が全く感じられません。
いじめられた子は子供と自分の人生を見直させてくれたという存在だけなんですか?
できれば誰が誰だかわかるようにして頂けると有難い。
>>375
には続きがあったのですが378さんのレスを読んで書くことにしました。
378さんがおっしゃるとおり『人を恨み憎しんでも無理がない』と思えるのは
人の手によって自分の大切な人の命が絶たれた時です。
ただそれがいじめによる自殺となると複雑です。
いじめっ子を一時は恨み憎しむかも知れません。
でもそれを一生続けることは私には出来ないような気がするのです。
すみません、読めば当然分かると思ったので。
383は377です。382への質問です。
いじめるのも、いじめられるも、ちょっとしたきっかけに過ぎないよ。
愛情もって育てていても、一歩外に出た周りの環境が大きく影響される。
集団いじめなんて典型的な例だよ。
自分では、するつもりは無くて、集団心理が働く。
いじめられるのちょっとした事から大きく発展するもんだよ。
だから、ハイソな人は私立に入れたがる。
愛情だけでは今の世の中、強者に飲まれるだけ
いかに周りの環境に飲まれないように強い意志を育てるかって事ですよ。
>>385
一生続けることはできないって
じゃあ、いじめによる自殺を自分の子供がしたとして、いじめっ子が将来、成功するのを見たらどうですか?名前を聞くことがあっても平然としていられます?
いじめによる自殺=いじめに負けた=自分に負けたと思ってしまうのだが・・・
これではいじめで自殺した子が浮かばれない・・・