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これまでの人生で、初めて出会った!というほどいい人がいたけど、
逆に人生で最低最悪だ!と思った人もそうでした。しかも圧倒的に
後者が多い。
みなさんはどうですか?
[スレ作成日時]2005-10-01 02:22:00
これまでの人生で、初めて出会った!というほどいい人がいたけど、
逆に人生で最低最悪だ!と思った人もそうでした。しかも圧倒的に
後者が多い。
みなさんはどうですか?
[スレ作成日時]2005-10-01 02:22:00
無知な人や子供でも知ってる地域ってのは、やっぱ東京と大阪くらいなんだよね〜
北海道とか青森とか石川とか和歌山とか山口とか鹿児島とか沖縄も覚えやすいよね。
>33
「関西中心の平家と関東中心の源氏」っていうのは、よくある誤解ですよね。
実態は逆でした。勉強してください。
それから「一般的に「平氏と源家」と表現しないのか?」について。
これは別に、平氏が心優しくて、源氏が同族血で血を洗ったから、とかではなくて、歴史的経緯があってのこと。
平氏はいち早く関東に土着してみんな平姓を名乗らなくなっちゃった。
平姓を残したのがそもそも少ないなか、たまたま栄えた平清盛の一族を特に「平家 」と呼んだだけ。
一方の源氏は、みんな源姓を捨てなかったのでいわゆる「源家」がたくさんあった。
そんで、その総体を「源氏」と呼ぶわけ。
そういうわけで、「源氏が親兄弟を殺して、平氏が家族で栄えたから・・・」というのは、
あなたのこころのうちで思うのは結構ですが、あんまり人前で披露されないほうがよろしいかと・・。
それにしてもなんだか、関西って「もともと○○だった」とか「昔は良かった」ばっかりなんですね。
好きなところも嫌いなところもありますね。例外の人もいらっしゃいますが。
<好きなところ>
明るい、初対面の人でも話しかけられる。(羨ましい)
うまいものへのあくなき追求。
<嫌いなところ>
運転が乱暴(すぐ詰める、合流でも入れない、無理に割り込む)、電車のホームで列を守らない。
すぐに、「それなんぼしたん?」と価格を聞く。
東京に出てきた関西人はマナーもよくて面白い
さいこうの気質を備えてるな
今までの認識を覆すレスありがとう!
45さん、怖いくらいずばりですね!!
後、いつも思うことですが、他の地方の人も、
地元から出ても出身の言葉(方言)でしゃべればいいのになと思いますね。
どの方言も表現が豊かだし、標準語っていう概念が日本はすこし行き過ぎているような気がします。
ってこの文が関西弁ではありませんね。(関西弁はしゃべって何ぼの言葉なんで)
>48さん
確かに標準語にこだわることはないと思うけど…。
みんながみんな出身地の方言使って会話したら、
コミュニケーションがとれなくなるのではないかと危惧する者ですが。
九州の「来る」「行く」なんか顕著な例。
まあ確かに仕事の能率は落ちるかもしれませんね。
でもそれ以上に得れるものも多いと思いますよ。
また、なれればいろんな方言のクセにも十分知識がついて対応できると思うんですが。
やっぱりその人の個性が圧倒的に感じれますからね。せっかく歴史を積み重ねてできた言葉ですから。
>44 貴方が言ってるのは関東七平氏のことでしょ? もともと中央である京都の堂上公家は藤原氏、平氏で源氏一族は村上源氏のみ栄えています。それ以外の一族は地方に飛ばされて地方官僚になった一族は源氏だろうと平家一族だろうと名前は変えてます。源氏の松浦、渡辺、木曾、佐竹、佐々木など平氏の三浦、千葉、北条など。それは余りにも源平姓が増え本家と分ける意味で自称したのでしょう。それは時代の流れによってそうなったのであって貴方の仰ってることは、庶流の平氏のことを言ってるだけです。平氏は4流、源氏は21流あります。今此処で語ってるのは清和源氏についてです。ややこしくなるので簡潔に書きますけど長く関東及び近辺にすんでいる源氏一族と関西に住んでいる平家を比べる事が一番分かりやすく説明できるわけですからね。それから偶々平家が栄えたのではなく平清盛の父親は白河上皇だったからです。勿論清盛の卓抜した政治的センスと勘、軍事的判断力と実行力がそれを支えたのでしょうけれどね。頼朝は叔父の行家、従兄弟の義仲、その息子の義高、兄弟の義経、範頼と殺害してますし平家と比べればかなり悪趣味な個人主義ですね。源平合戦のとき平家は子息や一族がやられそうになったらそれを救う為に命を落したりしました。まさに一族共に栄え滅んだんでしょう。
改行しろ。
よみにきぃぃぃぃ
集中して読めば問題ないですよ。
何で赤字やねん!
景気悪いね
祇園精舎の鐘の声 だっけ?
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理ありけり 奢る者は久しからずただ春の世の夢の如し
猛たる者ついに滅びぬ ひとえに風の前の塵と同じ。
>44 貴方が言ってるのは関東七平氏のことでしょ? もともと中央である京都の堂上公家は藤原氏、平氏で源氏一族は村上源氏のみ栄えています。それ以外の一族は地方に飛ばされて地方官僚になった一族は源氏だろうと平家一族だろうと名前は変えてます。
源氏の松浦、渡辺、木曾、佐竹、佐々木など平氏の三浦、千葉、北条など。それは余りにも源平姓が増え本家と分ける意味で自称したのでしょう。それは時代の流れによってそうなったのであって貴方の仰ってることは、庶流の平氏のことを言ってるだけです。
平氏は4流、源氏は21流あります。今此処で語ってるのは清和源氏についてです。ややこしくなるので簡潔に書きますけど長く関東及び近辺にすんでいる源氏一族と関西に住んでいる平家を比べる事が一番分かりやすく説明できるわけですからね。
それから偶々平家が栄えたのではなく平清盛の父親は白河上皇だったからです。勿論清盛の卓抜した政治的センスと勘、軍事的判断力と実行力がそれを支えたのでしょうけれどね。
頼朝は叔父の行家、従兄弟の義仲、その息子の義高、兄弟の義経、範頼と殺害してますし平家と比べればかなり悪趣味な個人主義ですね。
源平合戦のとき平家は子息や一族がやられそうになったらそれを救う為に命を落したりしました。まさに一族共に栄え滅んだんでしょう。