- 検討スレ
- 住民スレ
- 物件概要
- 地図
- 価格スレ
- 価格表販売
- 見学記
>1493
だから証拠みせろって。今日中に画像アップしろよな。雑誌の写真を掲載したってすぐわかるからな。
いいの?mixiに出してるよ!
でもさ
スポーツカーが好きだからこのスレに
書くのでしょう。
成功者を尊敬しスポーツカーに乗る
経営者に憧れを持つことが若者には
必要だと思うよ。僕も高校生の時
高級スポーツカーに乗っている人に
声を掛けて仕事を聞いたり、横に
乗せてもらったよ!
高級スポーツカーの経営者の人達は、
全て丁寧に仕事やスペック、努力する事など
教えてくれたよ!
ある時バイト中に、3000万のスポーツカーに乗る
赤ちゃん連れの人がいて、フエイラーの赤ちゃん
タオルを落としたのをきっかけにスポーツカーの話、
何の仕事をしているのかと聞くと丁寧に教えてくれました。成功者は親切ですね。
「僕」では事業などできんので、相手にするだけ無駄。
そうなんだ?
僕だったらメイン銀行から何億円も事業資金
借りる事が出来ないのかな?(笑)
それだけ幼く若い経営者ってこと!
銀行が事業を認め稟議書を書いてくれ
プライムレートで資金調達し有利に
事業を展開する!
僕がスポーツカーに乗ることにより社長候補
がさらに発奮し努力する!
がんばれ!若き起業家よ!成功しスポーツカー!
>>1480
安いと言っても当時新車で1500万、中古で500~800だから
今のお金にしたら新車で3000万、中古でも1500以上だから
安いのは語弊があるよ。当時大卒の初任給11万位だから
やれやれ。くだらんやつが増えたな。自慢したいだけならよそでやってくれ。
そもそも希少性があるからスポーツカー
ミニバン 軽 よそでやって下さいね。
スポーツカー自慢どうぞ!
数字に弱い人1480がいるね!
経営者は人より半歩先、だからスポーツカー!
数字に強いよ!強くなければ即破産する!
借入金が億単位になると数字に強くないとね!
パンテーラそんなに高かったかな?
エンジンはトラクターと同じフォード製OHVだぞ(笑)
確かにDOHCが当たり前、12気筒が珍しくないスーパーカーブームの中で
OHVエンジンのパンテーラはださかった
当時、相手にされてなかったんじゃないの
パンテーラ
でも、丈夫だったみたいだよ
パンテーラよりもパンチーラがいいな。
しかし高級スーパーカーをスポーツカーと言いたくないな。
運転しててツマランのが多いんですよね。
ヘラーリ様(仮名)とか・・・
スーパーカー乗りの人に声を掛けられやすい車に乗っているのですが
「カッコイイ車ですね~」
から声を掛けてきて
結局自分の車の自慢したいだけって方が多いんですよね。
(自慢したいがために声をかけてきたのが見え見えなのよ)
ワイドボディのクーペに乗ってますが別段ヘラーリ様に憧れて・・・ではないんですがね。
「いつかはヘラーリに乗るといいよ」
とだいたいの方が言ってくださいます。
オートマしかなくなった今の高級スーパーカーに興味ないですし、
マニュアルのあった頃・・・F放置~(仮名)頃の曲がらないっぷりも良く知っているので全くいらないんですけどね。
走行中にドアが落ちる乱暴牛乳(仮名)にも興味ないですよ。
パンテーラは高くはないですよ
大量生産を前提とした廉価なスポカーが前提
エンスージアストからはフォード製エンジン搭載のため「純粋なスポーツカーではない」と非難まで浴びてしまう。
パンテーラはそれらのライバルに対し半額のプライスタグをつけていたため、競争力という点ではかなり強かったらしいです
別に自慢話じゃないよ。学生時代の思い出話だ。ゲーリー光永氏。一部の人の中では伝説化してるらしい。
彼はハワイの日系2世でボーズという音響機器メーカーの日本支社長だった。パンテーラの前はフェアレディZ」
にⅤ8を積み込んで立川ベースのゼロヨンに出場していた。この時すでに雨さんはサバンナのバンに13Bの
サイドポートなどのマシンでトライしていた。彼はZの改造に限界を感じてパンテーラの改造に着手する。
安いというレスがあったが当時でもフェラーリ、ランボは遅くて話にならない頑張っても250がいいところ
それも調子が良くての結果であった。速くする、すなわち改造するのはポルシェかパンテーラしかない。
ポルシェは当時、ショップとしては大御所が世田谷のアウトバーン、練馬、大泉のガルト、ここの中島氏は
かのゼロ戦で有名な中島飛行機の中島知久平の末裔だ。アウトバーンの社長、佐藤氏が率いるこの店より
はるかに正直だ。わが友、武田ポルシェは5台のポルシェをここでメンテしていた。富士のゼロヨンのときは
メカを引き連れて一度の大会で70万必要で改造も含めた支払いでは月額平均で200万アウトバーンに
支払っていた。当時ポルシェはすでに911ターボもあったがノンターボが改造の主流で2,7→2,8に
3→3,2に改造。前出のT中氏のポルシェは当時、世田谷のチェッカーモータースが輸入した73年型
ポルシェカレラRSライトウエイト2台の一台でもう一台は松田コレクションにおさめられている。
このままでも速いのだが彼は当時、GCレースで活躍していた三橋選手のドイツ本国のポルシェから
送られた3リッターのレーシングエンジンに目を付ける。このエンジンは準ワークスで300馬力
を超え、280キロの最高速をもたらす。当時、このエンジンに勝てる911は無かった。911ターボでも
問題外でのちに武田が3,5リッターの911で挑戦したが257キロ程度しか出なかった。
その後、T氏は湾岸で単独事故を起こし本人は無事だったもののエンジンは200メーターも遠くに飛んだと
事故の日に話してくれた。ノンターボで後にも先にもこれほど速いマシンは見たこともない。
当時はノーマルではレーシングサービスディノ切替氏のマセラティボーラが257キロ台で速かった。メラク
などは見かけ倒しでカムシンは速い。話を元に戻すと光永氏がパンテーラにカンナムを押し込んだ苦労は
有名な話だがABRの細木さんという元々マリーンのエンジンを手掛けた人の功績が日本では大きい。
アメリカンv8は4ボルト、6ボルトという種別、LS-6、LS-7ではノーマルで400馬力を
軽く超える。当時もアメ車のエンジンのチューニングをうたうところが多かったが殆んどは
キットの取り付け。ホーリーのキャブを大きくしたり、へダースを組み付けたりそれでは速くならない。
本国ではATでなくマニュアル車もありハーストなどのマニュアルミッションを組み込み
7リッターのトランザムにウエーバーのキャブをくみこんだのが後にトラストというエキゾーストの
メーカーの役員になった大川さんだ。彼も最初はコルベットに乗っていた。この薄いブルーのトランザムは
260キロのスピードを可能にする。ノーマルのパンテーラでは勝てない。パンテーラは加速重視のため
ローギヤードでせいぜい230くらいしか出ない。ノーマルノ911ターボですら250は楽々出た。
俺も2台のパンテーラに乗り継いだがそんなものだった。光永氏のパンテーラは72年型位のボロボロ
それがカルロ、ロッシが組んだカンナム級エンジン600馬力に近かったと思う。
雨の日の表参道で別れたのが最後だった。{お茶飲もうよ}と誘ったのだがニコニコしながら{かみさんが
待ってるから替えるよ}と軽く手を上げて明治通りのほうに消えた。その30分後位に目黒通りで
帰らぬ人になった。このくだりは福野礼一郎が書いているが彼は大ウソツキだ。光永氏は絶対に
隣に人は乗せない。また、彼の姿はどの場面でも見たことがない。すべて、聞き書きだと思う。
彼はその頃、我々の周辺には存在して無かった。
ちなみに仕事は建設会社の3代目、パーキング、賃貸ビルなどの賃貸業もやっています。
第3弾はまた。
単純だなー
現在と金の価値が違うんだよ。
40年前と今と同じ価値だと思ってるのかな―。
皆の衆、もっと精神的に余裕をもたんとスポーツカーどころじゃないでしょうに!(^^;
他人の自慢などスルーでいいの。自分に自信があれば軽でもいいの。
年収なんて関係ない。
上には常に上が、下にも常に下がいる。
>>1508
パンテーラのエンジンのクリ―ブランドは傑作でしたよね。
500馬力から上の話ではフェラーリ、ランボルギーニはこの頃の話で
昔は遅い車の代名詞。
アメ車のエンジンは1000馬力でも作れる。
イタ車の最高速は公称の2割引きなんて言われていた。
長文うざい。読む気になれん。もっと簡潔にまとめろ。 せめて改行、段落分けくらいしろ。