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噂の東京マガジンで放映されてましたが
1989年から1992年まで建設が続き計50棟以上のリゾートマンションが町に建ち並ぶことになりました。
あれから、20年。今、湯沢町は大きな転機に差し掛かっています。
町の目玉にもなっていた、温泉やプールなど設備の充実しているリゾートマンションが、100万円以下という安値で売り出される状況に。
[スレ作成日時]2011-11-06 16:42:59
噂の東京マガジンで放映されてましたが
1989年から1992年まで建設が続き計50棟以上のリゾートマンションが町に建ち並ぶことになりました。
あれから、20年。今、湯沢町は大きな転機に差し掛かっています。
町の目玉にもなっていた、温泉やプールなど設備の充実しているリゾートマンションが、100万円以下という安値で売り出される状況に。
[スレ作成日時]2011-11-06 16:42:59
やけに17号が混んでると思ったら
有給で連休にした人が多いんだね。
スキー場はまだまだ滑れるしな。
オミクロンだけ心配。
「新潟県」でイケてると思う街ランキングTOP31! 第1位は「上越市」!【2022年最新投票結果】
https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/604337/6
第1位:上越市
第1位は「上越市」でした。得票数は95票です。長岡市に次ぐ人口規模を擁する街。北陸新幹線・上越妙高駅が位置しており、東京まで約2時間でアクセスできます。上杉謙信に縁があり、「出陣餅」が銘菓として人気を集めています。日本三大夜桜として名高い「高田城址公園」は、上越市の主要な観光スポットです。
第2位:長岡市
第2位は「長岡市」でした。得票数は82票です。新潟市に次ぐ人口の多さを誇る街で、豪雪地帯としても有名です。日本三大花火大会の「長岡まつり大花火大会」や、日本酒の蔵元が豊富な点など、様々な魅力をもっています。東京からのアクセスもよく、豊かな自然を感じながら快適に暮らせる街です。
第20位:南魚沼郡湯沢町
上品な人が住んでいる所が上位になるんだね
極論で得意になるのは中二病の特徴だなぁw
3月6日にしてまだ積雪。
そろそろ春ドライブと洒落込みたいところ。
亀レスにもほどがある
湯沢も明日で完全な春ですね、桜の季節になったらまたレポートお願いします。
もうすぐ湯沢のスキー場はすべて廃業か
コロナが追い打ち、2年でスキー場30か所休廃業…総数はピーク時の3分の2以下
3/14(月) 13:47配信
新型コロナウイルスの感染が拡大したこの2年で、全国30か所のスキー場が休業や廃業に追い込まれた。今季は雪も多くゲレンデ状態は良好だが、営業にこぎつけても「まん延防止等重点措置」の適用などで、苦戦が続くスキー場もある。
外国人観光客の誘致に力を入れてきた新潟県では、今季5か所のスキー場が営業を休止した。南魚沼市の五日町スキー場は、昨季までの収益の大幅な落ち込みに加え、今後の感染状況が見通せないとして、休業を選択した。運営会社の担当者は「小さなスキー場が経営を維持するのは大変厳しい」とこぼす。
佐賀県内で唯一のスキー場だった佐賀市の「天山スキー場」の運営会社は今年1月、「数年来の雪不足と新型コロナの影響」を理由に廃業を発表。その後、佐賀地裁から破産手続き開始決定を受けた。福岡市から車で約1時間という立地が人気で、シーズンに10万人以上が訪れることもあったが、経営悪化には耐えきれなかった。
日本鋼索交通協会(東京)によると、リフトなどがある全国のスキー場は計437か所(今年1月時点)。新型コロナの感染拡大が始まった2年前から営業休止が相次ぎ、北海道、長野、岐阜などで計30か所が休業・廃業した。総数もピーク時の1999年(698か所)の3分の2以下まで減り、同協会の担当者は「少雪やスキー人口の減少に、コロナ禍が追い打ちをかけている」と語る。
南魚沼市の石打丸山スキー場は、今季から接触機会を減らすためICチップ入りリフト券の導入など感染防止策に力を入れてきた。オンライン販売も好調で、1月上旬までは例年並みの客足を確保していた。だが、1月21日に新潟県に重点措置が適用されて以降、県のリフト券割引キャンペーンの新規販売中止を余儀なくされ、ファミリー層の減少で苦戦が続いていた。
同県の重点措置は今月6日を期限に解除されたが、シーズンはすでに終盤。同スキー場営業企画部の勝又健さん(40)は「営業期間は1か月を切った。感染対策を万全にし、一人でも多くの客を出迎えたい」と話している。
火災??
10分くらい前から内廊下でサイレンなってて怖いんだけど・・・
さっさと誤報のアナウンスしてくれ。心臓ドキドキするよ
湯沢町、地震はどうですか。
停電していますか。
私の知る限りでは地震の影響はないようです。
揺れも少なかった。それより雪崩の注意報が出てますね。
もうそろそろ冬も終わりと思いきや今朝も雪が降ってます。
プリンスポイントの極改悪。
少し前のお話ですが、
西武ホールディングスは子会社のプリンスホテルが国内に所有するホテルやゴルフ場、スキー場など31施設を売却、
と言うニュースが話題になりました。
かぐらをホームに苗場や富良野、軽井沢、八海山などにお世話になっている者として気にならない訳ないニュースです。
が、
運営はこれまでどおりプリンスホテルが継続するとの事でもあり、
滑り手側としては少なくとも数年のうちに特に大きな変化は感じられないのかもなと認識しておりました。
しかし、
経営が厳しい事は事実であり、様々な改悪を覚悟しなくてはいけません。
新サービススタート!なんて告知されたプリンスポイントですが、
ついに極改悪になってしまいました。
数年前からちょこちょこ改悪されており、
スキー場リフト券の引き換えはそろそろヤバいかもと感じておりましたが、
ついに今シーズンで終了となってしまうようです…。
嗚呼…!!
※ご宿泊・お食事・レジャーなどがご利用いただける引換券、およびグルメ・グッズ類の取扱いを終了いたします。
との文言からの推測です。
ただし、
※なお、新たな交換商品として、ご交換から1年間ご利用いただける「<eバウチャー>プリンスホテルズ&リ
ゾーツご利用券 2,000 円分」をラインナップいたします。また、期間限定の交換商品もご用意する予定です。
↑もしかしたら期間限定交換商品としてリフト券は残るかもしれません。
まだ数十回分のポイントを貯め込んでいたのに(笑)
今後は1ポイント1円の支払いに使用できる運用になるそうですが、
それではただ還元率が悪い何のメリットも無いポイント制度。
1ポイント=1円なら、
どこでも貯まってどこでも使えるポイントサービスが群雄割拠されている。
西武グループでしか貯まらず西武グループでしか使えないポイントサービスなんて…、
プリンスカードを使う理由は無くなり、利用者は他社のカードに流れるだけです。
プリンスポイントの交換サービス、
スキー場利用者にはリフト券、
そうでない方にもプリンスホテルの宿泊券とかはかなり好評のサービスでした。
1ポイント1円相当だと還元率悪すぎだけど、
自社サービスへの交換で驚くほど還元率が良い優良制度だっただけに、
ただただ残念です…。
リフト券やシーズン券にもこの波が訪れる事は必至でしょう。
ここの所内容据え置きであったプレミアムシーズン券なんか、元々サービス価格であっただろうし怪しいよなぁ。
価格面の改悪はこんなご時世ですのである程度は仕方ない。
不人気リフトやコースの縮小、平日営業の縮小などなど…、
営業運用面だけはどうにか据え置きであって欲しい。
とりあえず、
今後リフト券には引き換えられなくなってしまいそうなプリンスポイント、
残りのポイントどうしようかな!?
プリンススカッチにでも交換しておこうかな(笑)
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-4269.html
湯沢も苗場もこれからは中国人団体客に乗っ取られるんだな。
ニセコみたいに湯沢や苗場も日本語が通じなくなるんだ。
相続したくない(涙)
相続すると、これから一生、毎年40万円づつ払い続けないといけなくなる
リゾマンを取り壊す事になったら300万円は取られる
覚悟しておく事だ
例えリゾマンが10万円だとしても、取り壊すまでに何だかんだと 2000万円は掛かるんだよ。
スキーしないのに相続はかわいそうだよね・・・
金食い虫じゃん!
知り合いのスキー好きにウマイ感じで譲渡できればメデタシメデタシだけど
渓流つりが好きなオッサンも狙い目。有効活用してくれる
>>6466 評判気になるさん
廃墟リゾマンはあるけど、取り壊したリゾマンは聞かないな。滋賀県の廃墟マンションを行政が強制代執行して取り壊した話は聞くけど、その後どのくらい回収出来たのだろう?
廃墟同然リゾマン、執念の解体
更新日:2021年7月27日
「築44年で老朽化が進み、所有者も散り散りになっていた湯沢新潟県のリゾートマンション(リゾマン)が昨年取り壊され、更地として売却された。所有者全員が同意しての解体は全マンション的にも珍しく、「奇跡的」ともいえる。売るに売れず、税金や管理の負担が重くのしかかる「負動産」の問題を長く取材してきた記者が、現地に向かった。
リゾマンの草分け
上越新幹線の越後湯沢駅から車で約30分。「マンション苗場」があった場所はいま、きれいな更地になっている。
全国屈指のスキーリゾートとして知られる苗場高原にこのマンションが建ったのは1975年。6階建て、40~50平方メートルの30部屋にレストランなどもあり、リゾートマンションの草分け的存在だった。その後、バブル期にかけてリゾマンが次々と建ち、そのバブルも崩壊したため、利用者は激減した。
管理費の滞納も相次ぎ、管理組合は機能不全に。2003年を最後に大規模修繕も行われなくなり、廃虚に近づいていった。
https://www.kaiteki-mansyon.com/post/%E5%BB%83%E5%A2%9F%E5%90%8C%E7%84...
外人さんや法人が多くなると逃げられて積立金が不足する。残った人の負担が多くなる。固定資産税を上げて、湯沢町の計算で解体してもらえるとありがたい。
別に東京の数万棟のマンションや親世代の戸建だろうが
同じ状況でしょ。苦労して数千万でローン組んで買った
戸建だって30年ほどで土地代ぐらいしか評価されない。
だから賃貸がいいって人もいるけど、歳取ったら
賃貸もなかなか貸してもらえない。
子世代と同居って言ってもストレスは高いと思う。
まあそれぞれ事情も経済力も違うんだから、
他人の心配なんてしなさんな。
私はリゾマン買って満足してるし、楽しく使っているけど、
私がタヒんだあとはお荷物になるんだろうな・・・
日経
老朽マンション管理不十分16%。東京、地震時にリスク。
>>6461 評判気になるさん
つ つ み 様は、
太平洋戦争中にも土地の買い付けに奔走なさったとかいう
お話をどこかで見かけました。
旧 宮 家 の御邸宅もたくさん譲り受けて
ホテルになさってらっしゃるようですしね。
西武と堤義明の悪業を暴く
"宮様"土地収奪の手練手管
「西武鉄道」のある役員は「義明さんは太陽で、あとはみんな石コロだよ」と言った。
お茶を運んできた女性秘書は、床にひざまずいて差し出す。
西武が開発した"鎌倉霊園"には、毎年元旦にはグループ幹部500人が、
先代の墓前に手を合わせる。
そして「感謝奉仕」の社是を引き継ぐと称して西武グループの「奉仕当番」だ。
これは西武グループの誰かが、毎日2人か3人で墓地の横にある休憩所に泊り込む。
各自手弁当でこの墓地に出勤して清掃する。
これは狂信的な宗教団体のようなもので、
義明のこうした前近代的な君主制は何によって培われたのだろう。
'92年に、"持株会社"といわれる「コクド」が、
名門の「川奈ホテル」の経営を引き受けた。
周知のように「川奈ホテル」には"富士コース"と"大島コース"のゴルフコースがあり、
毎年フジサンケイクラシックが開催される。
一泊してワンラウンドまわると1人7万~9万円。
凋落傾向にある義明の「コクド」が、なぜ「川奈ホテル」に手を出したのかといえば、
「先代康次郎そっくり」の義明は"宮家"とか"華族""名門"に異常な執着心を見せる。
旧財閥の岩崎小弥太(三菱財閥)の持っていた伊豆長岡の別邸を先代康次郎は、
調査もしないでいい値で買い取った。(『西武大国』長島忠三郎著)
また、北白川家の約4万平米の高輪の土地は衆議院議長に就任した2ヵ月後に
"西武のもの"(所有権登記は26年後)にしている。
そしてここには「新高輪プリンスホテル」を建てた。
戦後の皇室離脱によって民間人になった"宮家"は、税金で持ちこたえられずに、
やむなく"物納"していた。
国は、この土地の一角を衆議院議長公邸として使用していたが、
先代康次郎が衆議院議長に就任するや、北白川家の執事を抱き込み
「高輪に家を建てて戻りたいから、物納した土地を返してもらいたい」と
衆議院議長あてに返還を訴えさせた。
それを受理する側だった康次郎は、衆議院議長の立場を利用して処理させた。
明治天皇は「北白川の宮」、「武田の宮」、「東久邇の宮」、「朝香の宮」
のそれぞれの皇女に約4万坪の土地を持参金として4つに分けて下賜されたものが、
目黒の迎賓館、品川のパシフィックホテル、赤坂のプリンスホテル、
高輪のプリンスホテルなどの土地で、「東久邇の宮」のパシフィックホテルの土地は、
故河野一郎と故大野伴睦に邪魔されて目的を達することができなかった。
西武と堤義明の"悪業"を暴く
"皇室"にも触手をのばした義明
「西武」創設者である先代康次郎も堤義明も、
「旧華族」、「皇室」、「名門」にこだわってきたかというと、
世事に疎い"皇族"は"欺しやすい"だけでなく、
"堤家の血"すなわちそのルーツにあるのではないかと思われる。
「日本で活躍する朝鮮半島出身者の末裔・西武王国の実像」
という記事が某誌に掲載された。
その某誌の「最高顧問」も朝鮮半島系の人物で、その記事の中に
「かつて義明は、彼の長男に天皇家の長女・紀宮妃を嫁にもらうべく画策した、
と某週刊誌が報じたことがある」と書かれている。
これが事実だったとすれば、"堤家"は日本の"皇室"の財産を収奪し、
長男を皇室と結びつけることによって堤家の過去の悪業の数々を
隠ぺいしようとしたのだろうか。
人間にとって、その血のルーツがどこにあろうとこだわるべきでないが、
"堤家"の"皇族"に対する執着にはただならぬものを感じる。
その一方で西武は税金を払わないよう経理上の操作をし、
義明個人は「世界一の金持ち」として『フォーブス』に取上げられたこともある。
「義明さんは大物だよ。われわれがゴルフに行くと、
何人連れていってもタダでやらせてくれて、プリンスホテルに泊まらせてくれるよ」
と元首相の小渕恵三(故人)は言った。
そこで「義明さんがそうした待遇をするのは、早稲田大学出身同士という
親しみからでしょうが、何か陳情された時断れないでしょう。
企業人が金を出したり、便宜をはかるときは、必ず下心があるものですよ」
と言葉を返すと、まだ40代後半だった小渕は、意味が飲み込めないようだった。
こうした義明の魂胆を見抜けないノー天気な政治家らは、
そのパーティーにプリンスホテルを利用する。
'98年10月、「高輪プリンス」の"さくらタワー"開業記念パーティーには
1万人ほど招待された。
その中には羽田孜、森喜朗、竹下登(故人)、村山富市ら総理大臣経験者から、
義明と"親密"と噂のある沢口靖子をはじめ芸能人、マジシャンの引田天功、
そして義明と同様に、「プロ野球再編問題」でヒンシュクをかった
『読売』のナベツネこと渡辺恒雄もかけつけていた。
西武と堤義明の"悪業"を暴く
お彼岸の中日に皇女「和宮」の墓を壊す
『西武王国・その炎と影』(1990年4月刊)には、
-狂気と野望-というサブタイトルもある。
この『西武王国』は、サンデー社から出版された280頁ていどの単行本で、
先代康次郎の側近弁護士の中嶋忠三郎(故人)が書いたものだが、
中嶋の子息が、この本を義明と清二に届けたところ、
すぐに西武鉄道の総務部長が忠三郎と子息を訪ねてきて
「中嶋さんはすでに退職してますが、特別に1億円退職金を追加で払いたい
と社長(義明)がおっしゃるので小切手を持ってきました」と言って
税金を差し引いた小切手を差し出してきたという。
子息が、「この本を出さないでくれということですか?」と聞くと、総務部長はうなずいて
「こういう出版物は今後出さないようにしてほしい」と告げて帰ったという。
この中嶋忠三郎の『西武王国』には
徳川家と増上寺の土地買収問題が記されてある。
<増上寺は、徳川幕府が寄進した寺院であったのだが、
この当時は徳川家よりむしろ増上寺の方が威張っていた。
明治の初期、一時的には、全部国有地にもなったことがあったが、
それが再度徳川家のものとなったりで、いろいろと複雑であった。
徳川家の所有地3万坪は、増上寺を挟んで東西に分かれていた。
その東側は墓地になっていて、皇女和宮の霊廟もあった。
現在、東京プリンスホテルが建っているところである。>(『西武王国』より)
先代康次郎はこの土地に目をつけ、安い価格で買収したが、
風致地区を知っていて樹木を切り倒し、東京都とモメたことがある。
これも康次郎は風致地区の見直しを検討させ解除させてしまった。
そして中嶋忠三郎は、<私は悲しくも寂しい思いをさせられた。>という個所がある。
それは、<実は私と増上寺側の作田弁護士は、話し合いを重ね、
お墓の移転問題についても打ち合せをしていた。そしていずれにしても
「お彼岸中には移転はしない」という約束をしていた。
ところが、堤は、西武の中村弁護士に指示してお彼岸の中日に、
徳川家のお墓即ち和宮のお墓を取り毀してしまったのである。
これは、大問題に発展した。>(『西武王国』より)
つまり、康次郎は、儲かると思えば、規制もねぢ曲げ、"皇室"の土地であろうが、
"宮様"の墓だって暴いてしまう。
朝鮮王朝最後の王女
投稿者: 総務外交 in 「外交の現場」を行く 投稿日: 2016年10月21日
https://www.spjd.or.jp/?p=2226
1910年。日本による韓国併合。これをどう解釈するか?
日本と韓国の近代史を考える際に、避けて通れない問題である。誇り高き韓国人はこれを屈辱と感じ、できれば歴史上なかった事態にしたいと考えている。同じように植民地経験を持つ台湾人が、日本支配をおおむね肯定的に捉えているのと、それは対照的でもある。
あまり言及されることがないが、日本の明治天皇と朝鮮の高宗は、それぞれ1852年11月3日、1852年7月25日に生まれた。つまり同年生まれである。しかし歴史的事実は残酷だ。明治天皇は帝国主義時代の「名君」になり、高宗は時に「愚公」と批判されることもある。
今回のテーマは、その高宗に生まれた最後の王女・徳恵姫(1912ー1989)にまつわる物語である。
日本による韓国併合は、歴史的事実に即して言えば、「大日本帝国」による「大韓帝国」の併合である。急成長した新興国家による没落国家の「吸収合併」であった。「朝鮮王朝最後の王女」の生涯からも、そのことがお分かりいただけるだろう。
<現場①>旧李王家邸宅(港区・赤坂プリンスホテルクラシックハウス)
https://www.spjd.or.jp/wpspjd/wp-content/uploads/2016/10/genba01.jpg
神宮外苑の秩父宮ラグビー場の場所には、戦前、女子学習院があった。皇族をはじめとした名門家庭の子女がここに通った。
1925年4月、京城(現在のソウル)から、ひとりの少女が転校して来た。高宗と下級官女の間に生まれた徳恵姫である。同級生には、後に満州帝国の愛新覚羅溥傑夫人になった嵯峨浩(ひろ)や、「憲政の神様」と呼ばれた政治家・尾崎行雄の3女・雪香らがいた。雪香によると、徳恵姫は「口数の少ない方で、運動会ではいつもビリで、本当にお気の毒でした」という。
「私があなたの立場なら、独立運動をやっているのに、なぜ、あなたはなさらないの?」。ある日、雪香はストレートな質問を徳恵姫に向かって発した。日本の朝鮮政策に批判的だった父親の影響があったようだ。しかし朝鮮から来た少女は、黙ったままだった。彼女の日本語理解力は十分だったが、この過酷な質問には答えられないだろう。沈黙は無理もない。
当時、彼女は宮内省から提供された麻布・鳥居坂の邸宅に、兄の皇太子・李垠(リウン)や日本人夫人の方子(まさこ、皇族梨本宮守正の長女)とともに、住んでいた。当時の住居地図をもとに探索すると、そこには現在、K-POPS公演なども行われる劇場「Zeppブルーシアター六本木」があった。その敷地のほとんどが駐車場だが、立入り禁止の庭の一角に残る鳥居や大木が、わずかに往時をしのばせる。北隣が「スヌーピーミュージアム」であり、南隣は旧岩﨑邸跡地の「国際文化会館」である。
徳恵姫は1930年3月、紀尾井町の元北白川宮邸の敷地に完成した新しい洋館「李王家東京御殿」に引っ越した。桃の節句の佳き日であったが、この邸宅が後にどういう運命をたどるか、若い彼女はまだ知らない。
この洋館が現在の「赤坂プリンスホテル・クラシックハウス」だ。ホテルの新築と合わせて改修され、今年夏に再オープンした。歴史を感じさせる建物の一階は、洒落たレストランになっている。ウェイターに聞くと、時折、韓国人観光客が訪ねて来るという。近代朝鮮の「悲運の現場」がそこにあるからだ。
李垠の戦後は悲惨だった。紀尾井町の李王家邸を参議院議長公舎として間貸しし、方子とともに侍女部屋で暮らしていた。一時期、駐日韓国大使館の候補地になったものの、韓国政府から購入資金の送付はなかった。これが「西武」の総帥・堤康次郎に4000万円で売却した背景である。しかし、この4000万円も借金返済などでほとんど消えたという。
伊藤博文から譲渡された大磯の別邸・滄浪閣(そうろうかく)は戦後、楢橋渡(政治家)の手を経て、堤康次郎の所有になった。現在の大磯プリンスホテル別館である。
2005年7月、赤坂プリンスホテルの一室で老人の遺体が見つかった。李垠皇太子・方子夫人の二男・李玖(リク、当時73歳)である。今上天皇とは「はとこ」の関係にある人物だ。子供はおらず、これで李王家の直系子孫は断絶した。当時、日本では皇位継承問題が表面化していたが、翌2006年、秋篠宮家に皇族男子(悠仁親王)が誕生したことで、危機を脱した。
日本の皇室と朝鮮王家の明暗は、このように対照的である。朝鮮王家の金銭感覚のなさも目立つ。「国運」というには、あまりに悲劇的だ。
<現場②>対馬・厳原(宗武志との結婚)
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本馬恭子「徳恵姫ー李氏朝鮮最後の王女」(1998)は、悲運の王女の生涯を丹念に追った日本で唯一の著作だ。出版当時、著者は長崎の女子大講師であり、版元の「葦書房」は、かつて毎日新聞西部本社記者だった三原浩良が社長を務めていた。私も個人的恩義がある先輩だ。
この著作は、3・1独立運動直後に書かれたプロパガンダ本「朝鮮独立運動の血史」(朴殷植)を不用意に引用するなど、出版当時の時代風潮だった「贖罪史観」が背景にあるものの、取材自体はきわめて丹念に行っている。
その本の口絵に印象深い写真がある。1931年秋、対馬を訪問した徳恵姫と、結婚した宗武志(そう・たけゆき)伯爵のツーショットだ。宗家は対馬藩主の子孫という名門である。当時、徳恵姫19歳、武志23歳。新郎は東京帝大卒、長身のイケメンである。戦後は、麗沢大学教授を務めた英文学者だ。
韓国では「彼は李王家の莫大な持参金を目当てに結婚した」「徳恵姫が病気になるや精神病院に送り込んだ」との風評が少なくなかった。日本側にも同様の見方があった。いわゆる政略結婚説である。本馬の著書の目的は、これに対して「ふたりの人間関係を史実に基づいて明らかにする」ことであり、ふたりに「愛がなかった」という見方に異議を唱えることだった。「愛があったにもかかわらず、彼らは不幸だった」ことを立証したことに、この著作の意義がある。
武志は北原白秋門下の詩人だ。妻に捧げた彼の詩「閑感」がある。その一部を引用する。
愛し妻よ、鳴るや、渡殿/百千鳥 群れ羽ばたくや/離れ屋の 赤き長押に/白珠を 書けて 嘆くや。/愛し妻よ、わたりは絶えて/いとし子を われは抱けり
彼の詩的才能と妻に対する愛情は、この一編の詩から十分に推測できる。
「日鮮融和」を目的とする政略結婚説には、異論を唱える研究者が増えている。
それは最近、日韓歴史ドラマの定番になってい李垠・方子夫妻の場合でも同様だ。縁談のパイプ役だった宮内省事務官の回顧録には、二人の結婚が梨本宮家側が主導されたという記録が残されている。最近になって発掘された。ほかにも傍証は少なくない。この点は新城道彦「朝鮮王公族ー帝国日本の準皇族」(中公新書)にわかりやすく叙述してある。
新城は、徳恵姫の結婚も「政略結婚と結論づけるには留保が必要であろう」と書いている。その理由は、徳恵姫にとって、伯爵家との縁談は「必ずしも悪い話ではなかった」からだ。朝鮮の当時の事情では、「朝鮮貴族ならば子爵以下しか見込めなかったのである」という。
徳恵姫は戦後の華族解体により、一般の日本人になった。1955年には離婚して、母親の氏を名乗って「梁徳恵」となり、ソウルに戻って、韓国籍を得た。
彼女はなぜ離婚したのか。宗武志はなぜ徳恵姫と離婚したのか。この点については、明快でない。徳恵姫の精神病悪化もあり、家庭事情が複雑すぎるからだ。本馬は前著で、彼の詩を引用して宗武志の真情を弁護した。
「狂へるも 神の子なれば あわれさは 言はむかたなし」
この表現に偽善やまやかしがあるとは思えない、と本馬は断じている。
<現場③>韓国映画「徳恵翁主」の虚妄
https://www.spjd.or.jp/wpspjd/wp-content/uploads/2016/10/genba03.jpg
今年の夏、韓国で徳恵姫をヒロインにした映画「徳恵翁主」が封切られた。清楚な人気女優ソン・イェジンが徳恵姫を演じた。観客動員500万人を突破するヒット作になったが、映画自体は批判に遭遇した。(翁主とは側室の王女の意。正妃の王女は公主と呼ばれる)
有力紙「中央日報」は社説「韓国史研究の新たな踏み台に」で、以下のように批判した。
「決定的なミスは、徳恵翁主を独立闘士型のキャラクターとして描いたという点だ。映画で徳恵翁主は日本に強制徴用されてきた朝鮮の民を慰め、日帝に抵抗する朝鮮留学生の集いに参加する」
なんとも荒唐無稽な人物に、映画は仕立てた訳だ。それにもかかわらず映画はヒットした。ありもしなかった「夢の歴史」を見たいという韓国人の願望が投影したと言うしかない。実証主義を基礎にしたフィクションとはほど遠い。これは実は、最近の韓国歴史映画の特徴でもある。
韓国にとってさらに残念なのは、韓国における徳恵姫研究が、18年前に刊行された本馬の著書を超えるものがないという事実だ。これは韓国近現代史研究の全般にわたる「弱点」であり、「大韓帝国亡国史」に関する韓国人の無関心と関係がある。つまり彼らにとって「見たくない歴史」なのだ。だから当時を描いた歴史映画はいきおい「史実を美化したファンタジー」になっているのだ。この虚妄に満ちた「自分の壁」を突破しない限り、韓国史叙述の未来はないと、私には思える。
1989年4月21日、徳恵姫はソウル昌徳宮にある「楽善斎」で、看護師2人に見守られて永眠した。享年76。宗武志は1985年に77歳で死去していた。二人には、ひとり娘「正恵」がいた。早稲田大学を卒業した彼女は、英語教諭と結婚したが、1956年「自殺する」旨の遺書を残し失踪した。遺体が見つかったのは、その50年後だった。
下川正晴の顔写真 (2) 下川正晴(しもかわ・まさはる) 1949年、鹿児島県霧島市生まれ。大阪大学法学部卒。毎日新聞ソウル、バンコク特派員、論説委員などを歴任。韓国外国語大学客員教授、大分県立芸術文化短大教授を経て、文筆業。
https://www.spjd.or.jp/?p=2226
華麗なる女性関係…愛人は大物女優から秘書まで (夕刊フジ)
父親、康次郎氏が授けた帝王学では「友達はつくるな。信用するな」と説いたが、女性問題は例外だったようだ。康次郎氏が女性に関しては、「愛人だらけで、康次郎の死後、会社に康次郎似の子供が次々とやってきて、その処理には清二氏が当たっていた」(西武関係者)ほどだ。
堤前会長も康次郎氏の遺伝子をしっかりと受け継ぎ、コクド関係者は「大物女優から秘書まで盛んでした」と話す。
実際、昨年10月の有価証券報告書の虚偽記載問題を発表後、姿を消した堤前会長に影のように付き添っていたのは、正妻や子供たちではなく、愛人歴25年のコクド元秘書(48)だとみられる。
この女性は、堤前会長の威光をかさにあらゆることに口出しすることから「コクドの女帝」と呼ばれ、周囲から恐れられた人物。堤前会長から東京・世田谷にあるテニスコート付きの豪邸があてがわれていたが、堤前会長の失脚で、コクドも辞め、一緒に姿を隠した。
堤前会長にはもう1人、女優の水野真紀似の30代のコクド秘書の愛人がいた。入社3年目から堤氏が会社で入浴するときの手伝いをする係で、さすがに会社でセックスはできないが、口で奉仕していたと週刊誌で告白。その後、神奈川県・箱根で約10年間、愛人生活を送ったという。その間、勤務実体のない秘書給料のほか、10年間で6000万円の“お手当て”が支給されていたことなどを赤裸々に語った。
このほか、「荻窪第2夫人」と呼ばれる女性(56)の存在も週刊誌で暴露された。この女性は銀座の超高級クラブの元ホステスで、堤前会長に見初められ、いまでは長男と2人の娘がいるという。
明らかになっているだけで、3人の愛人がいたが「女性に手を出した数は計り知れず」(西武関係者)ということだろう。
というもの、フィギュアスケートの元五輪選手でタレントの渡部絵美さんは週刊誌で、17歳のころ、キスを迫られたり、体を触られたり、ベッドに押し倒されたり、堤容疑者から執拗(しつよう)なセクハラ行為を受けたと激白した。
実名の告白だけにインパクトは大きく、堤前会長の女性関係の一端が生々しく浮かび上がった。また、堤前会長はかつて、大物女優をものにするため、後援会をわざわざ影でバックアップするなど、手の込んだ“ナンパ”法を編み出していたという。
特に女優の吉永小百合さん(59)との親密ぶりは有名で、西武ドームや東伏見のアイスアリーナで一緒に観戦する姿が目撃され、一部報道では軽井沢の別荘を格安で譲り受けたという。
西武関係者は「堤前会長の愛人たちを見ていると、兄の清二氏の好みと似ている。2人とも色白のぽっちゃりタイプだが、一流の女性を好む」と解説する。経済評論家の1人は「友達をつくらない堤前会長の唯一の心の安らぎが女性関係」というが、会社の研修寮という名目で愛人に住まいを与えるなど、公私混同ぶりは驚くばかり。
愛人の“お手当て”の出所が堤前会長個人でなく、会社だったり、住まわせている住宅にかかる費用も会社が出したりしているとすれば、特別背任罪に問われる可能性がある。
拝啓
暖かな風を感じる季節となりました。777においては暇な時間を持て余し日々長文のコピペに邁進し、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
平素は関係皆無の湯沢のリゾマンにひとかたならぬご高配を賜り、心より心配しております。
つきましては、今後におきましては貴重な暇な時間をこの場の瑣末なスレにおいてまでお気遣いなさらぬよう願う次第です。ご笑諾いただければ幸いに存じます。
777にはよい出会いをされ幸せになれるよう、お祈りいたします。
敬具
コロナで控えていましたが、先週末湯沢に行ってまいりました。2年ぶりです。管理人さんやご近所さんはいつも通りでしたが、他府県ナンバーに対する見方ってどうなんだろうと、正直ヒヤヒヤしておりました。
外食、買い物、駐車場、周りの目が気になって落ち着きませんでした。もう少し、ダメですね。
今年のスキーシーズンは首都圏ナンバーがたくさんいましたし、もはや湯沢もコロナ感染者がたくさん出てますので、個人的には飲食店や大浴場でのマナーを守れば問題ないと思います。
首都圏も湯沢も同じ気持ちで感染予防を心掛ける。この一点に尽きるかと。
実は飲食店での飲食にはいまだに抵抗があり外食はしていませんが・・・。
シーズン中に若い方が5人ほど、大浴場で楽しそうに話されていましたが、私が入って行った途端にピタッと話をやめました。
初めてお会いする方々なので、私の悪口を言っていたとは思えません。
リゾートとして利用されている方々も、かなり気を使っているのだと思いました。
とにかく、1日も早い収束を願うばかりです。
今朝目が覚めて窓のカーテンを開けると、山も人家もうっすら雪化粧。
4月1日といえばエイプリルフール、しかしこれは嘘ではなく本当の話。
まあ数時間でまた春の景色に戻るのでしょうが、地球温暖化などと
曰うお偉い学者政治家どもを尻目に湯沢町は寒冷化のようでございます。
今年のスキー場はどこも例年より長く営業しておりましたが、
コロナ禍の中、幾らか町経済の足しになりましたでしょうか。
昨日のニュースだと、北海道の熊が人を襲っていました。本州の熊さんは冬眠中だと良いのですが…..。
ワラビ、タラの芽、こごみetc
マンションの裏手で沢山採れます。
山菜の季節ももうすぐですね。
とれたての山菜を天ぷら!おいしそう!