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噂の東京マガジンで放映されてましたが
1989年から1992年まで建設が続き計50棟以上のリゾートマンションが町に建ち並ぶことになりました。
あれから、20年。今、湯沢町は大きな転機に差し掛かっています。
町の目玉にもなっていた、温泉やプールなど設備の充実しているリゾートマンションが、100万円以下という安値で売り出される状況に。
[スレ作成日時]2011-11-06 16:42:59
噂の東京マガジンで放映されてましたが
1989年から1992年まで建設が続き計50棟以上のリゾートマンションが町に建ち並ぶことになりました。
あれから、20年。今、湯沢町は大きな転機に差し掛かっています。
町の目玉にもなっていた、温泉やプールなど設備の充実しているリゾートマンションが、100万円以下という安値で売り出される状況に。
[スレ作成日時]2011-11-06 16:42:59
元々が新潟など日本海側の豪商や豪農が関東の人間をもてなす土地だったんだよね。
だから芸者もいたし、雪国の舞台にもなった。
三国街道は五街道に劣らないほどの重要街道ではあったし。
常に東京と密接な繋がりのある土地ではあったんだね。
つまりその頃からひなびた田舎というだけではなくてね、
都会の文物は意外と身近にある土地だったわけだ。
そういう決して派手でなはい歴史や文化の積み重ねを知らず、
今の見た目でしか考えられない人には理解出来ないことかもしれないが、
そんな部分もあるってことは知っておいた方がいいんじゃないかね。
>>2345
>そういう決して派手でなはい歴史や文化の積み重ねを知らず
川端康成が水上温泉に泊まった時に、清水トンネルの向こうには誰も知らない鄙びた温泉が有ると聞いて、湯沢に初めて来た1934年頃は、湯沢の名前を聞いた事が有る文人は東京には一人もいなかったよ。
水上温泉や法師温泉は有名だったけど、湯沢温泉は誰も知らなかった。
そもそも雪国の駒子というのは農閑期に地元の宴会に呼ばれるピンクコンパニオン 兼 売春婦だしね。
雪国が売れて川端康成に金が入ったら、すぐに軽井沢に別荘を建てて、それ以降 湯沢には行っていない。
川端康成は女性がすぐに手に入る場所が好きだったんだ。
歴史とか景観なんかには全然興味が無くて、すぐに関係を持てる女性がいるかどうかしか考えていなかった。
それで場末の田舎町 湯沢の温泉旅館に泊まって芸者 兼 売春婦を呼んでもらったら、来たのが駒子だったんだ。
三国街道は佐渡の金山と江戸を結ぶ街道だったんだろうが、そう容易く通れる道では無かった。日本海側から湯沢あたりまでは平坦だが、あとは山道で山賊なども出る危険な場所。明治に鉄道が開通するまでは東京から気楽に来れる場所ではなかった。地元でも湯沢町の温泉といえばいろんな業種の集まりの宴会場でコンパニオンを呼んで遊ぶ目的の場所。それが健康的なスポーツであるスキー場と合体して、なんともアンバランスな雰囲気を作り出している。スキー目的の客がなんとなく感じる違和感はそんなところからきてるだろうな。
>2345さん
まあまあ、
当地の故事来歴は重々承知しております。
僕はあくまで観光地としての企画的なアプローチの事を申し上げたまでで、
川端康成さんの個人的な趣向はともかく、歴史的な背景に言及するつもりはないんです。
言ってみればまぁパブリシティ的にというかビジュアルというか...そんなのも大事かと。
いま湯沢駅西口ロータリーの改修工事やってますが、駅中にも折角CoCoLoが出来たんですから
観光行政の切り口として、箱は今風になったのだから
ソフトもアップデートされないと...ということかと思います。
雪国の文化の積み重ねを否定するつもりは全くありません。
平成に入ってから東京もかなり変わってきていて、ちょっと歩いてないと様子が随分と違ってしまっている。まあちょっと古いがお台場、浜松町あたりから六本木ヒルズあたり。なぜかあまり変わらない上野あたりも健在だけど、オリンピックを機にまだまだ変化の兆しもある。まあ内情は知らないがGALAや湯沢駅内の変化は、JR東日本が自分達の出来る範囲で時代に合わせようと頑張ったものだと思う。そういう変化を好まずほとんど魅力もない過去にこだわる姿勢はよそ者には到底理解出来ないこと。
ラ・ウ゛ィ湯沢さんの物件がかなり以前よりも安く沢山売りに出てるように見えますが買っても大丈夫なんでしょうか?
なにか訳でもあるのでしょうか?
ご存知の方、いたら教えてください!
他に駅地下でおススメもあったら教えてください!
ライオンズさんも検討中です!!
>そういう変化を好まずほとんど魅力もない過去にこだわる姿勢はよそ者には到底理解出来ないこと。
全然わかったないな。
観光地というのは何時まで経っても変わらないから価値が出るんだよ。
川端康成が泊まった高半旅館も昔の木造の建物のまま残っていたら観光名所になっていたよ。
子供の頃に連れていってもらった、あるいは昔恋人と一緒に泊まった旅館が本当に当時のままで残っていると不思議な感覚になるよ
時の止まった様に当時と寸分たがわぬ光景が広がっていて、レトロな気分に、いやタイムマシンにでも乗ったかのような錯覚に陥るんだ。
思い出の有る観光地というのは何百年経っても変わっては困るんだ。
湯沢の人間はそういう基本が全然わかっていないから、自分達の宝を自分で破壊してしまったんだ。
日光でも、鎌倉でも、京都、奈良でも、まあもっと規模の小さな川越や千葉の佐原でも行かれてみては?
川端が芸者と過ごした旅館が観光って、まあそれ以上言うのはムダかな。
>>2353
昔の高半旅館の写真を見た事ないの?
今残っていれば、蔦温泉、法師温泉や銀山温泉並みのインパクトが有るよ:
当時の高半旅館と裏山の写真はこれだ。
▲ 赤印が高半旅館。右端の杉林が、諏訪社。
さらに、当時の高半旅館がこれ。
▲ 丸印が、川端が逗留し松栄が通った部屋。これが島村と駒子の物語に代わっていった。
昭和初期の高半旅館。
http://ameblo.jp/naruru8854/image-11506027175-12490281812.html
http://blogs.yahoo.co.jp/icemanjyushirofuji/GALLERY/show_image.html?id...
この旅館は建て替えられて、現在の高半ホテル↓になる
因みに、上越新幹線のトンネルを掘って湯沢の温泉が枯れる前までは、高半旅館の温泉の泉質は新潟でもトップクラスだった。
それから、川端康成の雪国は明治以降の日本文学の最高傑作
その話の 9割はノンフィクションの私小説で、登場人物も、会話が行われた場所もすべて特定されている。
湯沢には大観光地になるだけの素地が有ったんだけど、リゾマンを建てまくって温泉街の雰囲気を台無しにした為に、今の有様になったんだ。
湯沢には頭の有る人間が一人も居なかったという事だね。
なるほど残ってれば渋温泉、銀山温泉ほどにはなったと、
分からないではないけれど、それは「たられば」でしょ。
昔の温泉はどこでも当然和風建築だからね。
草津あたりも昔のままだったら、今以上に人気でしょうね。
地元の人には川端は神なんだろうけど、まあ新潟県民にしか通じない話しだね。東京には大勢作家が住んでたし、小説や時代劇の舞台となった場所も沢山ある、テレビに出たり雑誌に出てるような有名人も普通に歩いてるし、天皇陛下や総理大臣も住んでる。何が言いたいか分かるでしょ、川端を過小に言うことはしないが、東京から来る人にはそういう人や場所に対してはそれほど興味を持たないんだよ。川端自身は大阪出身だし「伊豆の踊り子」など多くの作品を残している。「雪国」も秀逸だとは思うけど、今の湯沢の観光という視点では弱過ぎなんだ。
まあ、実際には
テレビドラマ『北の国から』をやってから富良野に行く観光客が何倍にもなったし、
中国の大ヒット映画「狙った恋の落とし方。(中国語名:非誠勿擾)」を見て中国人観光客が毎年何万人も釧路・阿寒に来る様になったし、(わざわざ釧路まで自殺しに来た中国女性まで現れたよね)
映画や小説自体がその観光地のプロモーション作品になっているんだ。
しかし、湯沢の場合は雪国に出て来る、神社とか芸者の置屋とか一番重要な所をすべて壊してしまったのが致命的だったね。
>>2351
ほんとだ・・・
私が購入を検討してたほんの数年前までは100万が出たらすぐに売れていたし、
80万が出た時は100を切った事に珍しさすら感じていたというのに、
40万50万60万って。。。
何かあったの!?
つーか、雪国を読んでる人間も今はどれだけいるのかな。
昔は読んでて当たり前の基礎教養だったんだろうけど、今はね。
ここで発言してる人間の中にも何人くらいいるやら。
それでそのネタで人を呼ぼうってのはそもそも無理があるんじゃないかという気はするな。
ラヴィ住人さんが2月に書いてますね。
1904、1908さんの書き込みも気になります。
らび、もともとの積み立て費がかなり安いけど、10倍は一気にあげ過ぎじゃ・・・
何年か前に積み立て費を一気にあげた湯沢の某マンションは、
管理会社が頑張ってくれたみたいで、修繕積み立て上がるタイミングで管理費がぐぐっと下がった。
だから、あわせて2割弱の値上げで済んだけど、、、
らび、どーなっちゃうんだろね
詳しい人ヨロシク!!