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■ 東西線 ■ T01~T23 (東京メトロ)
【沿線ランドマーク】イトーヨーカドーとジャスコ、兜町、神楽坂、早稲田大学
【利用者イメージ】船橋都民、城東の団地住まい、日本型サラリーマン、オタクな早大生
【料理に例えると…】吉野家の牛丼
●解説
<<★西から出発した東方見聞録 >>
東西線と言えば東陽町や葛西、浦安など、都心の東側の路線のイメージが強い。
地下鉄のくせに長大な高架区間を誇る東西線。東京メトロなのに堂々と千葉を走る東西線。
そして私鉄の朝ラッシュ時の最混雑区間を謳うようになった東西線。そう、路線名を「東方線」に
変えた方がいいんじゃないか? と思ってしまうほど、東西線のトピックは東側に集中している。
ところが意外にも東西線で1964年に先行開業したのは高田馬場-九段下間で都心の西側なのだ。
もっというと、東側の西葛西、南行徳、妙典の3駅はさらに後に既存線に追加された新駅だ。
この何気ない事実が意味するところは大きい。それは過去における東京の東西格差だ。
つまり開業順はすでに発展していた西武新宿線沿線からの旅客輸送こそが当時の早急の課題であった
ことを意味し、新駅の連打は「ど田舎が思ったより発展しちゃったよ」ということなのだろう。
最近は足立区や江戸川区も含め、城東地域を一括りに「下町」などと呼んだりするので
誤解が生じやすいが、都心より東側は新宿や渋谷の西側などよりも遙かに新しく若い町である。
いわゆる古くから人が住み、伝統を受け継いでいるという意味においての下町は、東西線でいえば
せいぜい東陽町までの区間だ。その先、砂町よりも東側ともなると、70年代にも差し掛かろうという
折りにすんなりと長大な高架を通せるほどだから、相当な陸の孤島であったことは想像に難くない。
なお、隣を走る都営新宿線や京葉線の開業は東西線の全線開通よりもさらに後の話となる。
<<★JRに勝って、自転車に負けた? >>
ひるがえって、現在の東西線。その発展ぶりは自慢の高架から車窓を眺めていれば一目瞭然。
雨後の竹の子のようなマンション群をはじめ、沿線の人口密度が凄まじそうなことは伝わるはずだ。
だが、東西線の混雑の理由はそれだけではない。「安い! 速い! うまい!」の3拍子で、
天下のJR路線を利便性で圧倒。まず、なんといっても東西線は速い。昼の快速なら西船橋から
お江戸日本橋までわずか21分だ。渋谷から日本橋までの移動が最短でも銀座線で18分かかる
ことを考えれば、これは特筆すべきタイムだ。
加えて東京メトロは長い距離を乗り通しても運賃はさほど加算されないし、東西線は銀座線や
日比谷線といった他の使える路線との乗り換えも便利。大手町駅も東京駅と連絡する絶妙な
ポジションであるなど、とにかく東西線は駅の造りがうまい。こうして東西線は遠方のJR線や
直通している東葉高速鉄道からも乗客をかき集めているのである。
そんな東西線にも泣き所がある。それは特に買い物においてだ。沿線の駅前に充実した商店街も
なければ都心の大繁華街に繋がっているわけでもない。確かに都心の会社には近いのだけど、
会社と家を往復する間に気晴らしとなるようなものや利便性、文化的体験が明らかに不足している。
ここらへんが西側の新宿や池袋、渋谷に繋がる路線との決定的な差であり、また、東西線のもつ、
独特のオヤジ臭の源泉なのだ。本当は西側よりもずっと若くて新しい地域なのにね。
かわりにこの沿線にあるのは、駅とはなんの関係もない場所に突如としてそびえる大型スーパー。
当然こういった場所にはマイカーや自転車で向かうこととなり、東西線との接点は何もない。
<<★東西線の老後に待ちかまえるものとは >>
さて、誰が何と言おうと新しくて若い東西線。産まれたときからちょっと老け顔だったかもしれないけど
沿線の細胞は今現在もなお新陳代謝が活発なのか、若いファミリーの姿もよくみかける。
東西線でどこへ?? 絶対途中で乗り換えるんだろうな…なんて差し出口はともかく、そんな
流入してきた人口を円滑に輸送するために当座の知恵として投入されるのがワイドドア車だ。
だけどそんなものを主力車種にしたら、高齢化でただでさえ年寄りが増えているのに
座席の数まで減って、若い人は東西線ではもう着席機会なんて与えられなくなるんだろうな…
昭和の「つくばエクスプレス」だった東西線。イメージ上のオヤジっぽさから、本当にオヤジ
ばかりにならないためにも、平成生まれの若者にとっても魅力的にうつる路線になっておくれ。
都心の勤務地に近いという強みも、将来、勤務形態が多様化したらどうなるかわからないんだからさ!