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物件概要 |
所在地 |
東京都江東区豊洲 |
交通 |
None
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種別 |
新築マンション |
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分譲時 価格一覧表(新築)
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» サンプル
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豊洲・東雲・有明(湾岸東エリア)の事をはなしましょう 廿肆(二十四)
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961
匿名さん
諸悪の根元を探し出したら自分のご近所さんでした。てか。
豊洲住民が不憫です。
早くID表示式にしてほしいよ。
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962
周辺住民さん
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963
匿名さん
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965
匿名さん
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966
住民さん
>>965さん
えーと、真面目に答えると。
510だけを読んだ人は、「豊洲擁護派」が何を指しているのか分からないと思う。
なりすましをしたというその人個人なのか、当時たくさんいた買い煽りの人たちなのか、それともネガティブな書き込みに反論した人たち全員なのか。そのあたり次第で判断も変わってくると思うけどね。
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967
匿名さん
ネガは豊洲に通ってる派遣さんでしょ
NTTデータからの写真とか貼ったり
「休日も写真撮り行きます」とか言ったり
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968
匿名さん
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969
匿名さん
叩かれると震え上がって喜ぶ豊洲のマゾぶりはちょっと不気味。
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970
匿名
この前の強風のあと壁に潮がついて見苦しいので掃除して欲しいと
管理組合にお願いしたら計画外のことはできないと怒られた。
みんなで1000出せばいいだけなのに
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972
匿名さん
東京ゴミ戦争(とうきょうゴミせんそう)とは、東京都における廃棄物(ごみ)の処理・処分に関する紛争(ゴミ問題)のこと。特に1950年代後半から1970年代にかけて江東区と杉並区の間で起きたごみの処理・処分に関する紛争のことをさすことが多い。当時の美濃部東京都知事が「ごみ戦争宣言」を行ったことで「ゴミ戦争」の名がクローズアップされ、これ以後、類似の事案についてごみ戦争と言われるようになった。
背景
1950年代半ばに日本は高度経済成長期を迎えた。高度経済成長は国民の所得を増加させ、その結果、生活様式は大量生産・大量消費・大量廃棄へと変化した。このことは廃棄物の増大や多様化を招き、最終処分場の逼迫や清掃工場から出る煤煙の問題など、ゴミ問題がより顕著に現れるようになった。
当時、特別区における清掃行政は、東京都清掃局が担っていた。東京都でも他の自治体と同様、ごみを焼却処理や埋立処分をしていたが、1950年代後半には、特別区内における埋立処分場は満杯となっており、替わって海面埋立となっていた。
また、処理量の増大に清掃工場の処理能力や清掃工場そのものの数が追いつかず、廃棄されるごみの約7割がそのまま埋め立てられるようになっていた。なお、東京都内(または江戸)の処理されたあるいは未処理のごみを埋め立る最終処分場を明暦元年(1655年)から一貫して抱えていたのが江東区である。同区には他の区からも未処理のごみや焼却灰などを積載した収集車やダンプカーなどが入り、1971年には特別区で排出されるゴミの7割が江東区に運ばれ、毎日5,000台以上の収集車などが区内を走り悪臭やゴミ火災、交通渋滞、ハエの発生などが深刻な問題となっていた。
都の対応
このような状況や江東区からの要望を受け、都は全ての特別区に清掃工場の建設を決め、1956年「清掃工場建設10ヵ年計画」を策定した。東京都はこれに従って建設用地などの選定を進め、大田・世田谷・練馬・板橋などの区で新しく清掃工場が建設されることになった。このうち、杉並区における建設案は環状八号線沿いに清掃工場を設ける1939年の内務省告示をベースとしており、1966年に東京都は清掃工場建設予定地として高井戸地区を選定した。しかし、地域選定理由が不透明で事前に地域住民に対する協議等がなかったなどとして高井戸地区住民が反発し、杉並区の清掃工場建設計画は中断してしまった。これに対し、東京都は1968年に強制収用手続を開始し、1971年5月には審議が終了して採決を待つ段階に入っている。
一方、江東区は東京のゴミの最終処分場であり、1957年の夢の島(14号埋立地)の建設に際して東京都はゴミによる公害を防ぐことを公約して江東区の建設許可を得たが、これは十分に順守されていなかった。このため1964年の新夢の島(15号埋立地)建設にあたって反対運動が起き、東京都は1970年までに埋め立てを終了して以後は全量を焼却に転換する事を約束したが、上記のような清掃工場の建設停滞を受けてこの約束も果たされず、1973年まで埋め立てが延長された。
建設計画の審議
1971年9月27日、江東区は進まない計画に苛立ちを募らせ、区議会においてゴミ持込反対決議を行った。これに加えて江東区は都と22区宛に「自区内で処分場をもつという原則に賛成か反対か」という内容の公開質問状の送付、および返答などの対応が不十分な場合はゴミの搬入を阻止することを決定している。翌日、美濃部はこれを受けて都議会において「ゴミ戦争」を宣言し、その解決への決意を表明した。
1972年に美濃部は反対地区住民との対話を重視する姿勢を打ち出した。杉並区については強制収用を執行せず、計画を白紙として改めて地区を選定し直した上で、区職員や有識者などで構成する都区懇談会(以下、「都区懇」という)を設け、その地区選定などを諮った。
騒動
都区懇では、選定された地区について建設が妥当であるかどうかなどについて協議が行われていたが、高井戸を含む各候補地で反対組織が作られて事態は膠着した。このような中、同年12月に入って年末年始のゴミ増加に対応するため東京都が都内8か所に一時的なゴミ集積所を設けようとしたところ、この一つとなった和田堀公園周辺の住民が工事を実力阻止する事件が12月16日に起きた。
この事件を受け、杉並区の住民がこの都全体の問題解決に積極的ではないと見た江東区は、12月22日に区長自らが杉並区のゴミの搬入を江東区の道路で止めるという行動を起こした。東京都が早急な集積所建設を約束したため同日昼に搬入阻止は解除されたが、一時集積所の建設が遅れた杉並区では収集が出来ないゴミが集積所に積み上げられたままとなり、江東区のように悪臭やハエなどが発生し、地域の衛生が悪化した[6]。このような状況はメディアに取り上げられ、全国にこの紛争の様子が映し出されることとなった。
高井戸地区を含む選定予定地区の住民が都区懇に含まれていなかったことから、翌1973年5月15日には清掃工場の建設に反対する住民が会合に乱入して流会させる事件が起きた。これに江東区は再び反発し、翌日に杉並区のゴミの搬入阻止を決定した。さらに5月21日にも反対派による流会が起きたため、翌22日に搬入阻止が実行され、これに加えて江東区に協調した東京都清掃労働組合も杉並区内での収集を拒否し、同区での収集が中止された[7]。
この混乱を受けて5月23日に都区懇は高井戸への工場建設を再決定し、9月中の解決を江東区に約束したが、規定された手続きを経なかったこともあって期日までに事態は進展しなかった。このため、5月25日から阻止を中止していた江東区は10月1日に公開質問状を再び送り、都全体のゴミを対象とした全面埋め立て阻止を示唆した。
その後
東京都は、都区懇からの答申などを受け、改めて高井戸地区を清掃工場の用地に選定した。都の設けた最終期限の11月5日までの回答を反対派は拒否し、美濃部知事は強制収用手続きの再開を決めて審理委員会に採決を求めた。これに対する収用手続き取り消し訴訟もあったが、東京地裁から勧告が出され、1974年11月21日に全面的な和解が成立した。
年表
1956年:都、「焼却工場建設10ヵ年計画」発表
1966年:都、高井戸地区を清掃工場予定地に選定
1967年:美濃部、都知事に就任。事業計画の取消を求め地域住民が提訴
1971年:江東区「ゴミ持込反対」決議。美濃部、都議会でゴミ戦争を宣言
1972年:江東区、杉並区のごみ搬入阻止
1973年:江東区、杉並区のごみ搬入阻止(2回目)。都、高井戸地区を再選定
1974年:東京地裁で和解勧告・成立
1978年:清掃工場建設開始
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973
匿名
それ、ダイジェストにすぎないね。
もっと細かく色んなことが当時はあった。
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974
匿名
マクロミルの調査では、住みたい街ランキングで、十位以内どころか、二十位以内にも入っていない豊洲。銀座まで5分なのに。
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975
入居済み住民さん
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976
匿名さん
ごみの埋立地はどうなっている?
~廃棄物等の埋め立て処分計画について東京都との懇談会~
これまで不燃ごみだったプラスチックを焼却する理由として「埋め立て処分場の延命」があげられています。それでは、埋め立て処分場はどのような状況になっているのでしょうか。
都市整備委員会では、改定になった「廃棄物等の埋め立て処分計画」について東京都と懇談を行いました。
私たちの出すごみを埋め立てていることをご存知の方は多いと思いますが、どこへ(場所)、どんなもの(埋め立て物の種類)を、どの位(量) 、どのように(方法)埋め立てられているのかは意外に知らないものです。
23区が、これまで不燃ごみとして埋め立てていたプラスチックを焼却すると言っているのも、埋め立て処分場がいっぱいになるので量を少なくする(=燃やして灰にする)必要があるというのがその理由でした。
23区のごみは、東京都が管理している埋め立て処分場に持ち込まれ埋め立てられています。東京都が策定した埋め立て処分計画について、東京都の港湾整備部、環境局廃棄物対策部と懇談会を持ちました。
◆どこへ(場所)
現在、埋め立てられているのは、中央防波堤の外側=新海面処分場です。
新海面処分場は、いくつかの利用区分に分かれていて、その利用区分によって埋め立てるごみの種類が異なります。
上記の「利用区分」をクリックするとB~Fまでブロックごとに記されている図があります。
◆どんなもの(埋め立て物の種類)
この図のB~Eには、家庭ごみに加え産業廃棄物や下水道の汚泥なども含めたごみが埋め立てられ、GとFには、しゅんせつ土砂(港湾利用する場合、海底の深さを確保するため取り除く河川から運びこまれた土砂・)や建設発生土(ビルを建てる際に廃棄しなくてはならなくなった土)を埋め立てます。
おおよそで、B~Eの面積3に対してGとFあわせて1の割合でしょうか。
GとFはもともと埠頭や建物を建てることを想定しているため、ゴミなどのふわふわしたもので埋め立てることがふさわしくない、ゴミ埋立地として想定されていない土地です。
一方のB・C・D・E・Fが私たちのごみを埋め立てるための用地となります。
◆どのくらい(量)
東京都が策定した埋め立て処分計画の2ページ目の表をみると良くわかりますが、今回の改訂によって、大幅に変わるのは、焼却によって減量されるプラスチックの部分です。
しかし、実際に、埋め立て処分場の1/2以上を占めているのは、しゅんせつ土や建設廃棄物であることに私たちは注目しなければなりません。
また、産業廃棄物総量にも匹敵する都市施設廃棄物とは、下水道に流れてくる汚物・土砂ですが、これらの処分量も見逃せない大きさです。
埋め立て処分場に持ち込まれる計画総量は、平成19年から33年で3,332万m3。そのうちの一般廃棄物は1/8程度。その中の体積で1/2を占めるプラスチックの焼却のみをもってしか埋め立て処分場の延命を図ることのできなかった計画は、埋め立てを行わなければならない生産と廃棄の根本的なサイクルから目をそらした不十分な計画であると言わざるを得ません。
平成17年度の埋め立て実績は次の通りです。
廃棄物系・・・・・・124㎥(36.9%)
一般廃棄物 85㎥(25.3%)
産業廃棄物 20㎥(5.9%)
都市施設廃棄物 19㎥(5.7%)
土砂系合計・・・・・212㎥(63.1%)
合計・・・・・・・・336㎥(100%)
◆どのように
埋め立てる場所があれば、ただ埋め立ててよいというわけにはいきません。
埋め立てることにより、更に、土砂のしゅんせつを余儀なくされ、更なる埋め立てとしゅんせつを繰り返せば生産と廃棄のサイクルは破綻します。
当然、安全性や環境への対策も十分にとっていかなければなりません。
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977
匿名さん
>>975
杉並区がどうとかじゃなくて、この辺りがゴミの埋立地だって現実をよく美奈代。
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978
入居済み住民さん
>>974さん
魅力的な街がたくさんあるのはいいことだよ。
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980
入居済み住民さん
>>977さん
埋立地なのは、ここを見に来る人なら誰でも知ってるから、別に構わない。
でも、972の書き込みを読むと、杉並の人が悪者のように思えてしまう。
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981
入居済み住民さん
>>979さん
枝川が豊洲の隣なのも地図見ればわかることだけど、、、
運動の宣伝をしたいのかな? ネトウヨに叩かれないよう気をつけてね。
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982
入居済み住民さん
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983
匿名さん
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