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その時に聴きたい曲とは、自分の心理を表しているといいます。
悲しくて沈んだ気分の時に、雨や雪が降ってると心地よいように、
悲しくて切ない気分の時は、暗めのムードある曲が心を癒してくれます。
[スレ作成日時]2010-03-04 22:37:46
その時に聴きたい曲とは、自分の心理を表しているといいます。
悲しくて沈んだ気分の時に、雨や雪が降ってると心地よいように、
悲しくて切ない気分の時は、暗めのムードある曲が心を癒してくれます。
[スレ作成日時]2010-03-04 22:37:46
素人な人達だな。
この「ざんげの値打ちもない」が作詞家阿久悠のデビュー作になったよう絶賛された歌詞だというのに。
素人が似たようなストーリーの歌詞をつくるとしたら、こうなる。
「私は恋人を殺しました。そして刑務所にはいりました。」って書く。
ところが、阿久悠氏は「刑務所」なんて言葉は一言も歌詞にない。
「殺した」なんて言葉は一言も歌詞にない。
「刑務所にはいった」なんて一言も歌詞にない。
それなのに、全てのストーリーが理解できる。
説明のような歌詞になると、情感がなくなる。
ところが、阿久悠氏の作った歌詞は、説明文ではない。
そのとき、そのときの、ワンシーン、フレーズ一つで、どんなストーリーかみんな理解できる。
人を殺したくなるほど愛したことがない人には理解できない歌でしょうね。
「細いナイフを光らせて」って歌詞のところで涙があふれますよ。
主人公がどんな気持ちでナイフを握ってたと思う?
ナイフを光らせてって歌詞だけで、暗闇のなかで憎い男を待っているシーンが目に浮かぶ。
明るいところじゃ、ナイフは光らないよ。
「光らせて」っい「憎い男に対する想い」とかけてる。
あと「鉄の格子の窓」は当然、刑務所にいることを連想させる。
「月の姿が寂しくて」とは、月を己自身に投影してみていたんだよ。
明るい気持ちの時は、外の風景の何を見ても幸せに見える。
でも悲しい気持ちの時は、外の景色何をみても、寂しく見えるものだ。
つまり、自分が感じたことは、自分の心の状態を顕している。
「月の姿が寂しくて…」とは、寂しくて悲しい己の気持ちそのまま顕しているんだよ。
この名曲が理解できないようでは、天才的作詞家阿久悠を語ることはできない。