田中角栄がゴリ押しして作らせた上越新幹線、湯沢の無数のスキー場とリゾートマンション、35年後の評価はいかに?
国会議員になった田中角栄は、長岡鉄道の社長に就任し、会社合併により越後交通を発足させる。これが田中角栄の地盤の基だ。越後交通は現在では鉄道を運営していないが、田中角栄の出世の足掛かりは鉄道事業だったのだ。
国政の中枢に上り詰めた角栄は、道路特定財源の仕組みを作って道路整備を進め、鉄道建設を国鉄から切り離し、日本鉄道建設公団を発足させて全国に鉄道を敷設した。ただし、そのローカル線の経営を国鉄に押し付けたため、国鉄破綻の大きな要因になる。
鉄道に関する象徴的な出来事といえば、上越新幹線の開業だろう。
今では言われなくなったが、かつて日本海側は“裏日本”と呼ばれ、太平洋側に比べて発展が遅れていた。新潟出身の田中角栄にとって、これが政治家としての原点となる。戦後間もない昭和21年、彼が政治家を志して行った演説では、
「この新潟と群馬の境にある三国峠を切り崩してしまう」(早坂茂三「オヤジとわたし」)
と、ぶち上げている。ホラ話のようだが、実際に三国峠を貫通させて関越自動車道と上越新幹線を開業させたのだ。
どのように上越新幹線を実現させたか、その様子が「NHKスペシャル 戦後50年そのとき日本は」(NHK出版)に描かれている。
東海道・山陽新幹線以降の新幹線建設は、全国新幹線鉄道整備法を制定して進めることが決まり、その第一章第一条には、
“新幹線鉄道による全国的な鉄道網の整備を図り、もつて国民経済の発展及び国民生活領域の拡大並びに地域の振興に資することを目的とする”(一部抜粋)
と掲げられた。つまり、(輸送量の増大で)必要に迫られて開業した東海道・山陽新幹線とは違い、地域振興を新幹線開業の目的に据えたのだ。
JR東日本の経営を支える上越新幹線
この法律には重要な点がもう一つある。どこに新幹線を建設するかを、国鉄(現:JR)が決めるのではなく、運輸大臣(現:国土交通大臣)が“基本計画”および“整備計画”として決定するのだ。
田中角栄(自民党幹事長)は、法律の原案を官僚から受け取ると、路線が書かれた別表を見るや、
「ここに、もう一線つけくわえるべきではないか」
と言って、路線を書き加えたという。付け加えた路線が上越新幹線だったとは明記していないが、言うまでもないということだろう。
このとき“基本計画”になったのが、東北新幹線、上越新幹線、成田新幹線である。東北新幹線は鈴木善幸総務会長、上越新幹線は田中角栄幹事長、成田新幹線は水田三喜男政調会長の地元を通るもので、このとき田中角栄が自民党三役に上り詰めていたことが、新潟県には幸いしたのだ。ちなみに、成田新幹線は地元の反対もあって実現せず、東北新幹線と上越新幹線だけが早期実現を果たす。
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当初は収支が危ぶまれた上越新幹線だが、現在はJR東日本の経営を支える路線の一つである。上越新幹線の大宮駅~新潟駅(北陸新幹線含む)は、JRが発足した30年前に比べて5割も輸送量が増えた。
ただし、その牽引役は田中角栄の地元ではない。大宮駅~高崎駅は2.3倍にもなったが、高崎駅~新潟駅では15%も減っているのだ。
大宮駅~高崎駅が増えたのは、JR発足時にバブル景気が始まり、地価の高騰で通勤圏が広がって、新幹線通勤が急増したためである。
JR東日本が2階建て新幹線を投入したのも、この新幹線通勤に対応するためだ。こうして定着した新幹線通勤は、不景気になっても大きく落ち込むことはなく、現在に至るのである。田中角栄が生んだ上越新幹線は、北関東に住む遠距離通勤客によって育てられたわけだ。
https://www.jprime.jp/articles/-/8930?page=3
田中角栄がゴリ押しして作らせた欠陥スキー場 苗場スキー場とすぐにスラム化したリゾートマンション 西武ヴィラ苗場 1号館 - 9号館
【バブル遺産】10万円のタワマン?衰退する有名リゾート地に潜入 - YouTube
西武ヴィラ苗場の専用ゲレンデに近かった白樺平ゲレンデが 2013年に廃業したらすぐに西武ヴィラ苗場も廃墟・ゴーストタウン化したんですね。 浅貝ゲレンデが2015年に廃業した時も近くの飲食店や旅館はすべて廃墟になり、近くの5軒のリゾートマンションの値段も10万円まで下がりました。
苗場スキー場は西武ヴィラ苗場のすぐ前に見えますが、実際に行くには自動車で 10分以上かかるので、かぐらスキー場に行くのとかかる手間はあまり変わりません。 スキーヤーに一番人気の かぐらスキー場に行くなら苗場のリゾマンから行くより湯沢町のリゾマンから行く方が遥かに近いです。 苗場スキー場でスキーヤーに人気が有るのは急傾斜で非圧雪の上級コース数本だけなので、西武ヴィラ苗場のオーナーで苗場スキー場を利用している人は殆どいません:
Re 苗場地区の将来は? 投稿者:タワー引退者 投稿日:2016年 8月31日(水)12時22分29秒
私は苗場スキー場に絶望してタワーを売却しました。
毎年いるとわかるのですが、経営が傾斜した時から、
・コースの廃止(火打ゲレンデはかなりコース廃止されましたね)
・コース整備の手抜き(コースは存在しても滑れない。大斜面も迂回くねくねが存在して、初中級者でも上から下まで何とか降りてこれたはず)、
・ロープウェイ・ゴンドラがすぐに運休(強風とか視界不良とかの理由ですぐ1日運休する)
・平日はさらにコースも縮小
・プリンスホテル内の店が穴あき状態(行くと営業してないとか)
・プリンスホテル自体が季節営業に以降(今は夏はやっているようですが、冬しか営業せず)
など、スキー場としてまともではなくなりました。
子供と外国人だけ相手して、下の方で滑ってろと言わんばかり。
子どももちょっと滑れるようになると、満足せず田代や湯沢まで遠征してました。
さらにスキーシーズン以外で営業していたゴルフ場も廃止されましたしね。
プリンスホテルだけのせいにするつもりは無いです。
地元も浅貝ゲレンデもM選手の仲間内だけでの営業(レストハウスで仲間内だけでの盛り上がりで営業しているのかどうかもわかず、地元のホテル・ペンションとの連携もなし)で、M選手がスキー選手のせいかスノボパークもなくなり、地元もやる気なし(浅貝と温泉のセットでもやればいいのに)
タワーは気に入ってたのですが、手放しました。
苗場は温暖化で雪質も悪くなり、さらに奥の三国スキー場があれば雪質の良さは多分売りになると思うんですけど、地元もこうじゃ難しんでしょうね。残念です。
もう苗場スキー場は駄目でしょう。 元々傾斜が きつ過ぎて上級者以外には向かないスキー場だったのですから。
しかし、西武のアホ経営者は何を考えていたのかな?
浅貝ゲレンデと白樺平ゲレンデは連絡路が有ったくらいなので、この二つを繋げれば巨大なスキー場になったのですが、西武にはそういう事を考えられる頭の有る人間が一人も居なかったという事なんですね。
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金儲けと女にしか関心が無かった堤義明
プリンスの墓標 堤義明怨念の家系
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/373.html