匿名さん
[更新日時] 2024-01-01 16:53:15
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日本人と韓国人(在日朝鮮人)は仲良く出来ないのか?
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2581
匿名さん
>731細菌戦部隊の恐るべき全貌
太平洋戦争は日本国が起こした戦争であり65年前戦争の狂気が生んだ恐るべき人体実験の全貌を
詳しく説明しております。
広島・長崎原爆の悲劇同様、731細菌戦部隊が行った悲劇を後世まで伝えて行かなくてはならない。
このような悲劇を二度と繰り返してはならない 。
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2584
匿名
日本にきて めぐんでもろとる
おまえらは
おおきい事をゆうのは 1000年 早い
日本人の 皆さんが 思っていること わかりましたか
日本人が いやなら 祖国にかえれ
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2585
匿名さん
>日本人による20世紀最大の国家的集団性奴隷制度ー従軍慰安婦制度への日本国首相の謝罪集
1993年8月4日 - 河野洋平内閣官房長官。「いずれにしても、
>本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。
>政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の
苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心から
>お詫びと反省の気持ちを申し上げる。」
(慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話。いわゆる河野談話)
1994年8月31日 - 村山富市首相。「いわゆる従軍慰安婦問題は、
>女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省
>とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います。
我が国としては、このような問題も含め、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に
伝えるとともに、関係諸国等との相互理解の一層の増進に努めることが、我が国のお詫びと反省の
気持ちを表すことになると考えており、本計画は、このような気持ちを踏まえたものであります。」
1995年7月 - 村山富市首相。「いわゆる従軍慰安婦の問題もそのひとつです。この問題は、
>旧日本軍が関与して多くの女性の名誉と尊厳を深く傷つけたものであり、とうてい許されるもの
>ではありません。私は、従軍慰安婦として心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に
>対して、深くおわびを申し上げたいと思います。」
1996年6月23日 - 橋本龍太郎首相。「従軍慰安婦の問題に触れられましたが、
>私はこの問題ほど女性の名誉と尊厳を傷つけた 問題はないと思います。そして、
>心からおわびと反省の言葉を申し上げたいと思います。」
1998年7月15日 - 橋本龍太郎首相。「我が国政府は、
>いわゆる従軍慰安婦問題に関して、責任を痛感しており、
国民的な償いの気持ちを表すための事業を行っている「女性のためのアジア平和国民基金」と
協力しつつ、この問題に対し誠実に対応してきております。私は、いわゆる従軍慰安婦問題は、
>当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題と認識しており、
>数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての元慰安婦の方々に対し
>心からのおわびと反省の気持ちを抱いていることを貴首相にお伝えしたいと思います」
「我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。我が国としては、
過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えながら、2000年には交流400周年を迎える貴国との
友好関係を更に増進することに全力を傾けてまいりたいと思います。」
2001年 - 小泉純一郎首相。「いわゆる従軍慰安婦問題は、
>当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。
>私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、
>心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを
>申し上げます。 我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。
わが国としては、責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、
正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも
積極的に取り組んでいかなければならないと考えております…。」
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2588
匿名さん
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2589
匿名さん
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2591
匿名さん
>南京や731部隊では 捏造資料を信用している人がいますが一般には 証拠扱いされません。
「証拠」云々よりも、
高等裁判所による「南京大虐殺は日本人の仕業」「七三一部隊の人体実験も疑う事ができない」
と明確に判事(認定)していますが・・・・wwwwwwwwwwww
>=判決骨子=
一、わが国の中国での各種軍事行動は侵略にほかならず、中国国民に真摯(しんし)に謝罪すべきだ
一、「南京虐殺」という事象は存在し、七三一部隊の人体実験も疑うことができない
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2592
匿名さん
>まだまだ、「南京大虐殺」の紹介したいなー いい?
あっ、いいよ! どんどんして! 僕も手伝ってあげるよ!(1)
日本政府が認めた、そして、中日両政府が進めてきた有識者研究会でも明確に認めた
日本人による「南京大虐殺」・・・・この人間の所業とは言えないおぞましい現実です。
涙なくしては見れない残虐・非道な行いです。
人間ってここまで残酷になれるのかって考え込んでしまいます。
どうして、こうも簡単に人間を、しかも大量に殺害できるの?強・姦・できるの?略奪できるの?
これがアジアの開放なの? 大東亜共栄圏の構築に向けた取り組みなの?
http://japanese.china.org.cn/japanese/169708.htm
http://japanese.china.org.cn/japanese/169692.htm
http://japanese.china.org.cn/japanese/169735.htm
http://japanese.china.org.cn/japanese/170408.htm
http://japanese.china.org.cn/japanese/170409.htm
●上海から南京まで約300kmの道のりを猛スピードで進軍したため、食糧などの補給が間に
合いませんでした。そのため、日本軍は途中の村々で米やブタやニワトリなどの食糧を奪ったのです。
>その時に放火、暴行、強・姦・、殺害などがくりひろげられました。
「上海・南京の進撃中に30万人の人民が日本軍に殺された」ともいわれています。
そして、12月13日、首都・南京を攻撃し、占領したのです。それから2ヶ月間、中国の民衆を
無差別に虐殺(むごたらしく殺す)していったのです。
●この虐殺事件の被害者の数は20万人以上(中国側では30万人以上)とされています。この他に、
掠奪や放火や強姦などが行われ、明治以後の歴史の中で最大の戦争犯罪といわれています。
>とくに、この事件が悲惨だったのは無抵抗の市民・婦女子・捕虜の被害が多かったことでした。
●この事件は世界各国に報道され、非難の声があがりましたが、日本国民にはまったく
知らされませんでした。
日本人がこの事実を知ったのは、戦後の極東軍事裁判(東京裁判)によってでした。
http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/nankin.htm
●虐殺のいたみを忘れることはできない【陳 徳貴さん】
「私は当時19才でした。12月14日、私は和記洋行から煤炭港に連行されました。
>3000人ぐらいの人が倉庫に押し込められたのです。10人ぐらいずつ連れ出され揚子江で
銃殺されました。 私も連れ出されましたが、すきを見て川の中へ飛び込み、転覆していた貨物列車
の中へかくれました。 夜遅くぬけ出し、死体からはぎとった毛布を冷えきった体にまきつけました。
翌朝、日本兵に見つかって撃たれ ました。この時、左手の薬指の先をとばされ、両足のももの内側を
弾が貫通しけがをしました」
●私たちが何をしたというのですか!【夏 淑琴さん】
押し入ってきた日本兵は、いきなり父とおばあさんを撃ち殺しました。
>まだ赤ちゃんだった妹は、床 にたたきつけられて殺され、
>母は強姦されたあと刺し殺されました。
>いちばん悲しかったのは、二人の姉さんの ことです。
>15才だった上の姉はテーブルの上で強・姦・され殺されました。13才の姉もズボンをおろされて
>殺されていま した。私もフトンの上からメチャメチャに刺され、気が付いたとき、
>9人家族のうち生き残ったのは 7才の私と3才の妹だけでした。
その後、助けられるまで、鍋の底のおこげを食べ水を飲んで、家族の死体の中で暮らしたのです。
私たちがどうしてこんな目に会わなくてはならないのですか!
私たちがいったい何をしたというのですか!
http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/nankin2.htm
・・・・でも、君達は声高に叫びながら残虐非道の事実を忘れたい、「そんなこと、デッチあげだ~」って。
そして、何も起らなかったと信じきることで気持ちを沈めている(合掌)
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2593
匿名さん
>まだまだ、「南京大虐殺」の紹介したいなー いい?
あっ、いいよ! どんどんして! 僕も手伝ってあげるよ!日本の教科書にも書かれたよ!(2)
日本政府が認めた、そして、中日両政府が進めてきた有識者研究会でも明確に認めた
日本人による「南京大虐殺」・・・・この人間の所業とは言えないおぞましい現実です。
>日本の文部科学省の検定を見事にパスした教科書の中でも、日本人による残虐非道行為・南京大虐殺
>が示されています。これをもとに、日本の生徒はその残虐性を学んでいるのです。
南京大虐殺とホロコースト。 高校の世界史資料からの引用です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1937年12月の始めに、村井の指揮する中支那派遺軍が南京市に接近すると、
100万の住民の半数以上と、国際安全地帯を組織するために残留した少数のものを
除いた中立国人の全部とはこの市から避難した。中国人は、この市を防衛するために
、約5万の兵を残して撤退した。1937年12月12日の夜に、日本軍が南門に殺
到するに至って、残留軍5万の大部分は市の北門と西門から退却した。中国軍のほと
んど全部は、市を撤退するか、武器と軍服を捨てて国際安全地帯に避難したので、1
937年12月13日の朝、日本軍が市に入ったときには、抵抗は一切なくなってい
た。
>日本兵は市内に群がってさまざまな残虐行為を犯した。
目撃者の一人によると、
>日本兵は同市を荒し汚すために、まるで野蛮人の一団のように放たれたのだった。
目撃者達によって同市は捕らえられた獲物のように日本人の手中に帰したこと、同市は
単に組織的な戦闘で占領されただけではなかったこと、戦いに勝った日本軍はその獲
物に飛びかかって、際限のない暴行を犯したことが語られた。兵隊は個々に、または
>2,3の小さい集団で、全市内を歩きまわり、殺人、強姦、略奪、放火を行った。そ
>こにはなんの規律もなかった。多くの兵は酔っていた。それらしい挑発も口実もない
>のに、中国人の男女子供を無差別に殺しながら、兵は町を歩きまわり、遂にはところ
>によって大通りや裏通りには被害者の死体が散乱したほどだった。他の一人の証人に
よると、
>中国人は兎のように狩りたてられ、動くところを見られたものは誰でも射撃
>された。これらの無差別の殺人によって、日本側が市を占領した最初の2,3日の間
>に、少なくとも12000人の非戦闘員である中国人男女子供が死亡した。
「東京裁判」 東京裁判刊行会
・・・・・・・・・
日本国内はこの戦勝に酔わされ、街々は堤灯行列の人なみにうまっていた。この時、
>南京においては、狂ったような日本兵によって数多くの非戦闘員が何の理由もなく虐
>殺をされ続けていた。そしてこの虐殺は翌年の2月ころまでも続き10万人以上の人
>たちが殺害されたという。
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2594
匿名さん
>まだまだ、「南京大虐殺」の紹介したいなー いい?
あっ、いいよ! どんどんして! 僕も手伝ってあげるよ!(3)
日本政府が認めた、そして、中日両政府が進めてきた有識者研究会でも明確に認めた
日本人による「南京大虐殺」・・・・この人間の所業とは言えないおぞましい現実です。
>有識者会議は、日本政府の委託に基づくメンバーにより合議・決定しています。
>会議での決定それに基づく発表は全て日本国政府を代弁したものです!!!!!!!!
そして、
>この会議の結果を受けて、日本政府はまったく抗議・変更・撤回は行っておらず、決定内容を
>そのまま受け入れています。
日中両政府の有識者による日中歴史共同研究会では、明確に
> 1937年の南京大虐殺は「大規模な虐殺行為」との認識では一致した
として、日本人による虐殺を認めている。
そう、日本政府代表した有識者が明確に「日本人によるダ規模な虐殺行為を認定」=政府見解の補強
となる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「南京で大虐殺」認定 規模は今後の課題 日中共同研究
2009年12月24日4時40分
日中両政府が進めてきた有識者による初の日中歴史共同研究の報告書の内容が明らかになった。
>1937年の南京大虐殺は「大規模な虐殺行為」との認識では一致したが、
犠牲者数は今後の研究課題とした。
虐殺の規模をめぐっては、中国の大虐殺記念館が「30万人」と表示。日本の研究者の間では
「数万~20万人」などの諸説があり、虐殺そのものを否定する研究者もいる。
>日本政府は「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為などがあったことは否定できない」としつつも、
犠牲者数について「諸説あり、政府として正しい数を認定することは困難」との見解を示している
>座長は日本側が北岡伸一・東大教授、中国側が歩平・社会科学院近代史研究所長が務めた。
>両政府は研究を継続することで合意している。
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