匿名さん
[更新日時] 2024-01-01 16:53:15
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日本人と韓国人(在日朝鮮人)は仲良く出来ないのか?
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2381
匿名さん
>>なんなら、 「物証」を出せよ。ほれ。いいか。「物証」だぞ。
いまさら、加害国日本が認めている以上、それを覆すつもりならば、
ハッタリ大王大明神、オマエ自身が、「南京大虐殺はなかった」という「物証」を出せ!
いいな、「物証」だぞ! もうこれ以上の恥の上塗りはやめろwwwww
ただでさえ、大恥かきの哀れなハッタリ野郎になり下がっているんだ
日中両政府が進めてきた有識者による初の日中歴史共同研究のなかで、
>南京大虐殺については「大規模な虐殺行為であることを認めこれを討論した」と明記
と認めてるがなwww
きっちり、認めとるがな、
>日本政府自身は、南京で不法行為が行われたことを認めており、文部省(現文部科学省)の検定を
>通過した、中学校や高校用の教科書でも、南京大虐殺事件についての言及がある。
>旧陸軍の正規将校の団体である偕行(かいこう)社が、『南京戦史』(非売品、1989)を公刊して、
>少なくとも約1万6000名に上る捕虜などの殺害があったことを認めた
日本軍自身が発表してるがな
>日本軍は遺棄死体8万4000と発表したが
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%...
「大虐殺」の実態
占領当日から翌日にかけての南京城内外における掃蕩(そうとう)戦では、戦意を失った多数の中国兵を
掃射によって虐殺し、また以後1週間ばかりの間に、捕虜や、民間人の間に身を潜めていて狩り出された
>敗残兵(便衣(べんい)兵)の大部分が集団虐殺された。
>戦死者を含めて中国軍の犠牲者は10万を下らなかったと推測される。
これら将兵のほか、掃蕩戦で犠牲になった市民や城外からの避難民、また敗残兵狩りの巻き添えで殺された
市民も、少ない数ではなかった。
>中国軍将兵に対する集団虐殺は明らかに軍命令によるものであった。
日本軍は21日まではほぼ全軍が城内に駐留し、その後は南京警備軍として1個師団だけとどまったが、
軍隊教育で中国人蔑視(べっし)観を植え付けられていたこと、過酷な急進撃を強いられたこと、
集団虐殺の大惨劇を見せつけられたことなどによって、一部の日本軍将兵は凶猛化し、一般市民に対して
>虐殺・強・姦・(ごうかん)・略奪・放火と蛮行の限りを尽くし、勝利祭の饗宴(きょうえん)ともいう
>べきこの蛮行は数週間にわたって繰り広げられた。
城内家屋の被害は、軍事行動によるもの1.8%、放火13%(主要実業街は平均32.6%)、略奪63%に及び、
>中国人は南京に「処・女・1・人・も・な・し」と称したという。
>日本軍は遺棄死体8万4000と発表したが、
現地の慈善団体が組織した二つの埋葬隊の記録によれば、その埋葬数はあわせて15万5337体に上り、
揚子江(ようすこう)岸で集団虐殺されて同江に投棄されたものその他を加えれば、
中国軍民の犠牲者は20万を下らなかったものと推測される。
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2395
匿名さん
出るわ、出るわ、貴重な証言!!ーーー日本人による南京大大大大虐殺
法眼晋作回顧録「外交の真髄を求めて」より
電信専門の官補時代に最もショックを受けたのは、南京事件(後述)であった。
敗走する中国軍を追って南京を占領(昭和十二年一二月十三日)した日本軍が、
筆舌を絶する乱暴を働いた事実である。
この未曾有の事件を否定すればするほど、日本の恥の上塗りとなるくらいのことは常識であると思う。
(「外交の真髄を求めて」 P35~P36)
徳川義寛「侍従長の遺言」より
昭和十二年の南京占領の時、日本軍がひどいことをしたということは、私は当時から知っていました。
中国人捕虜を数珠つなぎにして撃ち殺すとか・・・。私の大学の友人で軍医だったのが、
朝香宮さまのお供で現地へ行って見聞した話を、私は聞いていたからです。
(「侍従長の遺言」 P38~P39)
「最後の殿様―徳川義親自伝」より
ぼくが慰問を終えて帰国の途についた数日後のことだが、日本軍が南京で大殺戮を行なった。
殺戮の内容は、十人斬りをしたとか、百人斬りをしたとかというようなものではない。今日では、
南京虐殺は、まぼろしの事件ではなかろうか、といわれるが、
当時ぼくが聞いたのは数万人の中国民衆を殺傷したということである。
日本軍に包囲された南京城の一方から、揚子江沿いに女、子どもをまじえた市民の大群が
怒涛のように逃げていく。そのなかに多数の中国兵がまぎれこんでいる。中国兵をそのまま
逃がしたのでは、あとで戦力に影響する。そこで、前線で機関銃をすえている兵士に長中佐は、
あれを撃て、と命令した。中国兵がまぎれこんでいるとはいえ、逃げているのは市民であるから、
さすがに兵士はちゅうちょして撃たなかった。それで長中佐は激怒して、
>「人を殺すのはこうするんじゃ」と、軍刀でその兵士を袈裟がけに切り殺した。
>おどろいたほかの兵隊が、いっせいに機関銃を発射し、
>大殺戮となったという。長中佐が自慢気にこの話を藤田くんにしたので、藤田くんは驚いて、
>「長、その話だけはだれにもするなよ」と厳重に口どめしたという。
(「最後の殿様」P170~P173)
三笠宮崇仁インタビュー「闇に葬られた皇室の軍部批判」より
(聞き手 中野邦観・読売新聞調査研究本部主任研究員)
私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から
>「新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。
>それで根性ができる」という話を聞いた時でした。
それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体何だったのかという懐疑に駆られました。
また、南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。それには、
>広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられており、また、そこに毒ガスが放射されたり、
>毒ガス弾が発射されたりしていました。ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。
>これごそ虐殺以外の何ものでもないでしょう。
(「THIS IS 読売」1994年8月号 P54~P56)
瀧川政次郎「新版 東京裁判をさばく(下)」より
私はこれらの証人が語った残虐行為をここに載録するに堪えない。これらの証人の中には危く日本兵
の虐殺の手から逃れた人々も交っているから、彼らは南京占領後に繰りひろげられた地獄図をまざまざ
と描いている。
>南京占領後における日本軍の南京市民に加えた暴行が相当ひどいものであったことは
>蔽い難き事実である。
南京市民の日本人に対する恐怖の念は、半歳を経た当時においてもなお冷めやらず、
南京の婦女子は私がやさしく話しかけても返事もせずに逃げかくれした。私を乗せて走る洋車夫が
私に語ったところによると、
>現在南京市内にいる姑娘(クーニャン)で日本兵の暴行を受けなかった者はひとりもないという。
(「新版 東京最後をさばく(下)」P95~P98)
菅原裕「東京裁判の正体」より
残虐行為の証人たち
残虐行為の主張は、中国代表向検事の宣伝演説にはじまり、検事団はつぎつぎにいわゆる被害者
や目撃者を法廷に立たせて、
>法廷をして掠奪、強姦、放火の坩堝と化せしめたのであった。
>日本民族としては、敗戦にもまして、悲しき事実の是認であった。
(同書 P144-P145)
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2396
匿名さん
>私の大学の友人で軍医だったのが、
>朝香宮さまのお供で現地へ行って見聞した話を、私は聞いていたからです。
知り合いから聞いた話?
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2397
匿名さん
>なんなら、 「物証」を出せよ。ほれ。いいか。「物証」だぞ。
大恥かいた、哀れで軽薄な、ハッタリ大王大明神よ、
物証は必要ない!
当事者、とりわけ、加害国が素直に認めて所在しているのに今さら物証は不要だw
さあ、これを覆したいのなら、物証を提示しろ!!! 再び、大恥の上乗りでもしたいのか!wwww
かりに
>日本政府は南京事件って言葉しか使ってない
としても、
日中両政府の有識者による日中歴史共同研究会では、明確に
>1937年の南京大虐殺は「大規模な虐殺行為」との認識では一致した
として、日本人による虐殺を認めているがな。
>じゃあ、「事件」って、何の事件やね?!w・・・・人殺しの事件や!! それしかあらへん!
日本人は戦争に負けても「8月15日は終戦記念日」っていうまやかしの表現が好き。
それと同じ。 「敗戦」を使いたがらないのと同じように「虐殺」との文字を使いたくないだけ。
でも、明確に、
>1937年の南京大虐殺は「大規模な虐殺行為」との認識では一致した
それに、外務省のホームページ上の
>日本政府は「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為などがあったことは否定できない」としつつも、
>犠牲者数について「諸説あり、政府として正しい数を認定することは困難」との見解を示している
なぜ、否定しない?!w
犠牲者数について「虐殺した人数の認定が困難」と言及していると言う事は
虐殺した事が前提となる意味や。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「南京で大虐殺」認定 規模は今後の課題 日中共同研究
2009年12月24日4時40分
日中両政府が進めてきた有識者による初の日中歴史共同研究の報告書の内容が明らかになった。
>1937年の南京大虐殺は「大規模な虐殺行為」との認識では一致したが、
犠牲者数は今後の研究課題とした。
虐殺の規模をめぐっては、中国の大虐殺記念館が「30万人」と表示。日本の研究者の間では
「数万~20万人」などの諸説があり、虐殺そのものを否定する研究者もいる。
>日本政府は「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為などがあったことは否定できない」としつつも、
犠牲者数について「諸説あり、政府として正しい数を認定することは困難」との見解を示している
>座長は日本側が北岡伸一・東大教授、中国側が歩平・社会科学院近代史研究所長が務めた。
>両政府は研究を継続することで合意している。
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2398
匿名さん
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2399
匿名さん
>>2397
ソースが古くて数値に差がある場合は信用できないって言ってなかった?
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