匿名さん
[更新日時] 2024-01-01 16:53:15
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日本人と韓国人(在日朝鮮人)は仲良く出来ないのか?
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6891
匿名さん
パククネがすがり付いてる中国にもどんどん噛み付くし
相手かまわずだ。
節操がない。中国にも嫌われている。
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6892
匿名さん
日本人を殺しまくってる凶悪な在日朝鮮人を
日本人が自衛のために殺しても許されるように法律を改正しましょうよ。
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6893
匿名
↓何か間違ってるのか?
安倍首相が「韓国は愚かな国」と発言か、韓国メディアが一斉に報道
サーチナ 11月15日(金)10時4分配信
14日に発売された週刊誌・週刊文春が、安倍首相の側近の発言として、安倍首相が「中国は嫌な国だが外交はできる。韓国は交渉もできない愚かな国だ」と語ったと報道した。韓国国内では、安倍首相が韓国をおとしめる発言をしたとして、各メディアが15日、一斉に報じた。
韓国メディアは、安倍首相は14日には、日本を訪問した韓国の国会議員などに会い、年内の首脳会談の開催を強く希望していたと紹介。しかし、週刊文春が伝えた安倍首相の発言は、日中韓首脳会談を望む最近の態度とはまったく異なるものであり、2つの顔があると指摘。「本性があらわになった」、「安倍がまた妄言」、「韓国をおとしめる発言」などと非難した。
また同誌の記事では、日本統治時代の強制動員被害者らに、日本企業が賠償しなければならないとの判決が韓国国内で続いていることに関連し、「日本企業が賠償金を強制的に徴収されれば対抗措置は、(韓国への)金融制裁しかない」という見方があると紹介された。
もし安倍首相が、実際にこのような発言をしていた場合には、日韓関係の悪化は避けられず、波紋が広がると伝えた。
しかし、韓国政府は、安倍首相の直接の言葉ではなくメディアの引用報道という点を挙げて、公式な対応を自制する立場を取るとみられている。(編集担当:李信恵・山口幸治)
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6894
匿名さん
>韓国政府は、安倍首相の直接の言葉ではなくメディアの引用報道という点を挙げて、公式な対応を自制
ここで安倍首相が、
私がそう言いましたが何か?
と発言したらどうなるか。
面白いから、安倍ちゃん言ってみれば。
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6895
匿名さん
いんにゃ、安倍ちゃん、韓国の反日は無視したらよろし、1000年間は無視でしょう。
相手すればなんでもかんでも、因縁つけてからんでくるので、鬱陶しいでしょう。
お互いに干渉しない、お互いの国に行かない、お付き合いはしない、でお互いにがんばろう。
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6896
匿名さん
「朝日新聞の尾崎秀実と反戦・反核・脱原発の起源」より 1
日華事変から太平洋戦争までの道筋を決定づけたのは、東條英機ではなく、近衛文麿首相である。
東京裁判時点で近衛は自殺して、A級戦犯として人々の口の歯にのぼらなくなったからと言って、
近衛文麿の果たした重大な役割まで、日本人が忘れ去るのは、あまりにもうかつな事である。
要するに、殺人者が自殺したからと言って、共犯者が全部罪をかぶらなければいけないわけもない。
あくまでも、軍国主義だから、軍人が悪く、文民政治家の近衛文麿は引きずられたというわけではない。
逆だ、むしろ、東條のほうが、近衛の敷いたレールから抜け出せなくなった、というほうが真実だ。
戦後の日本は、要するに武力がゼロになればいいという思い込みから、軍人を最も悪い者としたがるが、
実際は、松岡外相、近衛首相、大川周明、北一輝のように、
軍人ではない人物たちのほうがよほど、日本を戦争の惨禍に推し進めた・・・。
近衛文麿は、現在の政治家たちが、竹中平蔵や田原総一郎に参考意見を聞くがごとく、
特定の新聞記者、学者をアドバイザーとして「朝飯会」を持っていた。
この「朝飯会」のメンバーは、実質的に、朝日新聞の政治部記者、尾崎秀実が選定した。
※尾崎秀実は、「世界共産革命」を起こすべく国外侵略を進めていた「旧ソ連」を総本山とした、
国際共産主義者たち(コミンテルン/テロリスト)の一人であり、日本共産党工作員であった。
この朝飯会は日米戦争開始直前まで継続して、内外の状勢分析と日本政府の取るべき方針について、意見交換が行われた。
また、当然、日本政府の最新情報も、ここで、朝日新聞に伝えられて、新聞の社説の形で、新聞の解説のかたちで、
政府の意図を体現することになった。
が、実は、そこには、近衛首相自身知らない、「ソ連コミンテルン」と「朝日新聞 尾崎秀実」によって
日本を戦争へ仕向けて最終的には、屋台骨のゆらいだ日本が共産主義革命に向かうよう、
遠大な謀略の意図が秘匿されていた。
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6897
匿名さん
「朝日新聞の尾崎秀実と反戦・反核・脱原発の起源」より 2
尾崎秀実は、また、現在の竹中平蔵、田原総一郎にも似た重要な民間知識人アドバイザーとして、信頼されていたため、
首相周辺に次の要路の役職について、人事上の推薦をしていた。
「企画院」「内閣調査局」「昭和研究会」「言論界人脈「中央公論」「改造」などの月刊論壇誌への、執筆者の推薦。
つまり、まとめると、尾崎秀実の差配人事は、「政府最上層部人事」「高級官僚」「言論界」に及んでいた。
尾崎に推薦された人物たちの多くは、元マルクス主義者が多く、
尾崎が確信犯的に、日本を戦争に追い込もうとしているとは、知らずに操られていた、と言える。
なぜ、尾崎秀実の「謀略活動(共産活動)」が相当な成功を収めたかといえば、
戦後、日本の政治家と警察が北朝鮮による拉致事件について極めて無力であったように、
一貫して、日本は、欧米に比べて、思想犯の調査、警戒について、無知とお人好しの面があった。
戦前を暗黒時代としたいために、「特別高等警察が恐ろしかった」という言い方が流布されているが、
実際には、日本の共産主義の取締りは、極めて温情主義的で、
反省の意を示せば、その人間の将来を案じて就職の世話をすることさえ少なからずあった。
また、政治家も、根本的に思想犯について、無知であるのは、現在も変わりない。
CIAや英国情報部のある国とは、ケタ違いに日本はゆるい意識を持っていた。
日本政府要人の中に「朝日新聞記者で共産党スパイの尾崎秀実」が入り込んでいたように、
ヒトラードイツの日本大使館職員にも、「共産主義者」が正体を隠して、入り込んで、
内外の状勢を、尾崎と連携をとりつつ、モスクワの上層部に秘密宝庫していた。
これが、リヒャルト・ゾルゲである。
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6898
匿名さん
「朝日新聞の尾崎秀実と反戦・反核・脱原発の起源」より 3
彼らは、戦争をさせて、多数の民衆が犠牲になることが、共産主義の実現になる、
というほぼ、「オウム真理教」に匹敵する「悪魔のように善意にあふれた大量殺人者」と言っていい。
(中略)
モスクワのソ連上層部が尾崎秀実に何を望んだかというと、情報漏えいではない。
論壇誌、新聞社説、政府要人との懇談などにおいて、中国、アメリカとの他対決方針を日本国民に宣伝して、
日本の武力がソ連には向かわないようにすること、
そして、日本政府の内部決定を、日本の新聞よりも、先にソ連に知らせることである。
その情報は、ソ連の対ドイツ戦略決定の重要な情報ともなった。
なぜ、尾崎秀実とリヒャルトゾルゲのスパイ謀略工作が発覚したかというと、日独伊三国同盟を結んでいたことから、
ドイツ大使館に捜査の手をいれることは信頼関係にヒビが入ることを恐れた日本陸軍が、
尾崎とリヒャルトゾルゲの関係に疑いを持った官憲に対して圧力をかけて、捜査を泊めていたところ、
近衛文麿から、東條英機に首相が交代して、東條英機が朝日新聞記者尾崎秀実と近衛文麿とが、緊密な関係で、
しかも、尾崎のスパイ容疑がかけられていることを知って、
近衛の政治的失脚を画策して、徹底的な調査と摘発を命じたのだった。
しかし、東條自身、戦争をやめるにやめられない状態になっていたのは、
まさに、尾崎秀実が長年にわたって作り上げた世論と近衛を誘導した「大政翼賛会」だったから、
尾崎を逮捕しても、もはや時遅し、と言えた。
この時、日本を戦争へ戦争へと新聞、論壇誌の論文で誘導していった、明白な共産主義経歴のある人物は、次のとおり。
1.堀江邑一
(かつて共産党事件で今日だを追われたが、国家主義者のふりをして、学者に返り咲き、中央公論に、「満州建設の労苦をムダにしてはならない」と説いた。
2.細川嘉六
中央公論に、「支那の背後には、英米がいる」、とことさら、ソ連ではなく、英米が敵だと強調する。
3.治安維持法により逮捕されたが、温情により、企画院の高級官僚になっていた正木千冬は、尋問されて、
「日本帝国主義は英米的秩序に対抗することになりました。」と説明してみせた。
4.同じ企画院のスパイ 勝間田清一
はっきりと「東亜民族をして、英米支配が脱して、後に「次期の共産主義社会機構」の基礎的体制を築こうと考えていあたのであります。」と言った。
当時の国際共産主義指導組織コミンテルンの第6回大会決議は、
後に起こる日本のベトナム反戦運動や非武装中立論をあざわらうかのように、
「世界革命闘争を任務とするプロレタリアートは、「すべての戦争」に反対すべきではない、と言っている。
平和とは、現状維持にほかならず、戦争の後の混乱こそ、革命の機運があるから
善意にすました平和を主張する者は、実は現体制で安寧をむさぼり、さらに平和主義を主張する偽善者だからだ。
レーニンは明確に言った。
「戦争は資本主義がある限り、必ず起こるから、資本主義を廃止しなければならない。そのためには、戦争と混乱が必要だ」と。
「労働者を軍国主義化する事は内乱戦を呼び起こすものとして、プロレタリアの勝利の素地を作る。」
これが、日本国憲法の掲げる「諸国民の信義」の実相だった。
長崎の原爆投下を、犠牲者を悼むよりも、
「日本軍国主義に対する鉄槌」と平気で言える『反戦運動家』と『純真な反戦運動』、香山リカ、大江健三郎、小田実、本多勝一筑紫哲也、落合恵子らが、優しく信じ合って、共産主義本山首領に嘲笑われる姿がここにある。
そして、ここには、何がなんでも、
共産主義になるためだったら何十万人が犠牲になっても、構わないんだという悪魔のような思想と、
それに踊らされる平和主義者の善意がある。
この両者の結託が、中国、北朝鮮への好意的な姿勢なのである。(河野洋平、鳩山由起夫、菅直人、等々を代表とする中国、北朝鮮への鈍感。)
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6899
匿名さん
「朝日新聞の尾崎秀実と反戦・反核・脱原発の起源」より 4
ところで、尾崎秀実の日本共産主義化計画は、失敗に終わった。
なぜ失敗に終わったかというと、ソ連の日本進軍前に、日本が降伏してしまい、米軍単独占領になったから。
NHKの「その時歴史は動いた」ではないが、その後、ソ連と中国共産党を中心とするコミンテルンはどう方針転換したか。
それが、「日本政界・財界・官界・マスコミ・学界の反共勢力の排除」であり、
具体的には、NHK、朝日、岩波書店、毎日新聞とその系列テレビによる、「自民党と財界の結託に起源すると思われるあらゆる政策」への反対である。
具体的には、「公共投資」「原発」「改憲」「中国」「韓国」に対する国益擁護姿勢であるあらゆる自民党的なものを批判して、
自民党政治を骨抜きにすることを永遠にすることが、来るべき『社会主義革命』の必須可能性を準備する。
少なくともそれなくして、資本主義克服はありえない。
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6900
匿名さん
朝鮮人たちと組んだ共産主義者の尾崎秀実は朝日新聞記者で、
近衛首相の私的ブレーンである昭和研究会の重要メンバーになり、
英米との戦争を誘導し、日本の南進政策を積極的に勧めた。
裏に「ソ連」の諜報部の指示がゾルゲ経由で存在した。
近衛上奏文(このえじょうそうぶん)とは、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)2月14日に、
近衛文麿が昭和天皇に対して出した上奏文である。
近衛は昭和天皇に対して、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候」で始まる「近衛上奏文」を奏上し、英米の世論は天皇制廃止にまでは至っていないとの情勢判断の下、いわゆる「国体護持」には敗戦それ自体よりも『敗戦の混乱に伴う共産革命』を恐れるべきであるとの問題意識を示した。
●「大東亜戦争」(太平洋戦争)は日本の革新を目的とする軍の一味の計画によるものであること
●一味の目的は『共産革命』とは断言できないが、共産革命を目的とした官僚や民間有志がこれを支援していること
●「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞であること
●米英撃滅の論が出てきている反面、一部の陸軍将校にはソ連軍や中国共産党と手を組むことを考えるものもでてきていること
近衛は陸軍内に共産主義者が存在し、敗戦を利用して共産革命を行おうとしている旨を述べた。
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6901
匿名さん
「悪の論理」 倉前盛通著
ゾルゲ、尾崎の逮捕
戦後、重慶から帰国した青山和男氏(本名黒田善次)の談話が
昭和21年4月3日の朝日新聞に掲載されている。
共産党の青山は人民戦線派の一人として、コミンテルンの指令で活躍していたが、
昭和11年11月~12年2月頃に人民戦線派の弾圧がはじまったので、中国へ逃亡し、
以来、敗戦まで重慶の国民政府の保護下で「対日工作(テロ・スパイ工作)」に従事してきた男である。
「尾崎秀実君から(日米戦がはじまるぞ)と予告を私たちに伝えてきた。
そのため、連合国のいっさいの準備ができた。
尾崎がしらせたのはソ連と中国であったが、
私は英国と米国へ”戦争の準備はいいか”
とはっきり駄目を押したところ、
両国とも”大丈夫”と答えた。云々」
と自慢話をしている。
真珠湾の不意打ち説が完全な嘘であることは、これでも明らかであろう。
敗戦で打ちひしがれた日本へ、まるで戦勝国の人間のような顔をして帰ってきた青山は、おごり昂ぶった気のゆるみから、うっかり、本当のことをいってしまったのである。
尾崎秀実著「愛情はふる星のごとく」 の巻末に、友人の松本慎一(共産党員、通名か?)の寄稿がある。
その記述は矛盾と欺瞞に満ちており、「愛国者である」と言ったかと思うと、次には「敗戦主義者だった」と言い、
日本を敗北させることが中国の勝利であり、
それが日本国民の為だったのだ、などと書いているのである。
尾崎秀実を称えようとする余り、尾崎秀実がスターリンの「敗戦革命」に荷担していたことを暴露してしまった。
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6902
匿名さん
忘れるな
外国人参政権、外国人住民基本法、人権救済設置法案 等 反対
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6903
匿名さん
親日罪がある国と仲良くなる必要ありますか?
親日罪がある国のオリンピックを援助しますか?
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6904
匿名さん
昭和10年(1935)の第7回コミンテルン大会におけるスターリンの演説「砕氷船のテーゼ」と呼ばれる部分を紹介する。
「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。
ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。
そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。
日・独の敗北は必至である。
そこでドイツと日本が荒らし回った地域、つまり日独砕氷船が割って歩いた跡と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営に頂くのだ。」
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6905
匿名さん
反日親中ルーツ 「ルーズベルト時代」のコミンテルン工作
ttp://sankei.jp.msn.com/world/news/131006/amr13100612300002-n1.htm
米国では戦前も「反日世論」の形成に向けた活発な宣伝活動が繰り広げられた。
背後で操っていたのが中国国民党であり、米国共産党、コミンテルン(国際共産主義)だった。
日本側も当時の若杉要・在ニューヨーク総領事が反日宣伝の実態を把握し、機密電報で報告していたが、政策に反映されることはなかった。
若杉氏は昭和13年7月20日付で、宇垣一成外相あてに「当地方に於ける支那側宣伝に関する件」と題した報告を行った(「機密第560号」、外務省外交史料館)。
報告では、12年に日中戦争が始まると、米国の新聞社は「日本の侵略からデモクラシーを擁護すべく苦闘している中国」という構図で、中国の被害状況をセンセーショナルに報道している、と紹介。
「世論に極めて敏感なフランクリン・ルーズベルト政権と議会はどうしても反日になりがちだ」と指摘した。
報告では「中国擁護の反日宣伝組織」として、中国国民党系と米国共産党系、そしてキリスト教系・人道団体系の3つを挙げ、共産党系が掲げる「反ファシズム、デモクラシー擁護」が、各種団体の指導原理となっている、とした。
そのうえで「反日工作は侮りがたいほどの成功を収めている」と結論付けた。
15年7月25日、若杉氏は発足直後の第2次近衛内閣の松岡洋右外相に「米国内の反日援支運動」を報告している。
報告では
「反日運動の大部分は、米国共産党、ひいてはコミンテルンが唆したもの。目的は、中国救済を名目に米国民衆を反日戦線に巻き込み、極東における日本の行動を牽制(けんせい)することによって(ソ連の)スターリンによるアジア共産化の陰謀を助成することだ」と強調した。
若杉氏は日米分断策動に乗らないように訴えたが、近衛内閣はアジアから英米勢力の排除を目指す「大東亜新秩序」を国是とする「基本国策要綱」を閣議決定。
翌16年には日ソ中立条約を締結した。
そして同年12月の日米開戦につながっていく。
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匿名さん
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6907
ビギナーさん
なるほど。
「韓国の実態は中国の一地方行政機関にすぎなかった」という証明になってるのがすごい。
まるで 統 合 失 調 症 みたいな 民族だな。
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匿名さん
66:名無しさん@13周年 2013/11/19(火)
コミンテルンが操ったのは朝日新聞と日本だけではない。
第二次世界大戦前、モンロー主義で国外問題不干渉で反戦だったアメリカの国内世論を南京大虐殺で反日に誘導し参戦に誘導したのは「コミンテルン」と「中国共産党」。
アメリカ国内で、反日か運動を行ったのはコミンテルンの活動家で南京大虐殺について描いた「アジアの戦争」の著者エドガー・スノーらだった。
これが、南京大虐殺の最初の記述だとされている。
また、同様にジャーナリストとして日本批判記事をアメリカの新聞に送っていたスメドレーはゾルゲ諜報団のメンバー。赤狩りで国外脱出後、急死。
さらに「大虐殺」の証拠の一つとされた『ラーベ日記』筆者、ジョン・ラーベは、ゾルゲの活動を上海で支援していた赤軍諜報部員の友人だった。
当時、アメリカにはコミンテルンのスパイがたくさんいた。ルーズベルトの側近にもいた。
ハルノートをドラフトしたハリー・ホワイトは、
原案にあった日本が手をひく対象を「満州を除く中国」から「中国」に変えて日本を戦争に追い込んだ。
結局、アメリカは戦後、共産主義への防波堤だった日本を壊したことが失敗だったことを悟る。
アメリカ国内外で赤狩りがはじまり、ハリー・ホワイトは自殺。
なんと言っても「日本の敵」の真打は、ハーバード・ノーマンだ。
「カナダ外交官」で、戦前から終戦後にかけて「知日派学者」として名を馳せたノーマンは、マルクス主義者であり、コミンテルン工作員であった。
彼はケンブリッジ大学留学時にイギリス共産党に入党し、インド独立運動に関わった。
ちなみにゾルゲや、朝日の尾崎秀美の一味であるアグネス・スメドレーも
ベルリンでインド独立運動に携わり、その後上海に入っている。
ノーマンは、昭和12年に支那事変が始まると、
スメドレーの親友で戦後「女性開放」運動に影響を与えたアメリカ共産党員の石垣綾子や
キョ朝鼎、また都留らとともに、アメリカ国内で反日、反戦活動を繰り広げた。
『日本に石油を売ってはならない、中国を侵略している日本を孤立させていこう』と呼びかける反日集会を二ユーヨーク・ボストン・フィラデルフィアなど東部の主要都市で開催し、
昭和14年のアメリカによる日米通商航海条約破棄を大きく後押ししたのだ。
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匿名さん
78:名無しさん@13周年 2013/11/19(火)
日本降伏後の1945年9月、東京に赴いてノーマンはいち早く、マルクス主義憲法学者の鈴木安蔵と接触した。
ノーマンは鈴木に「憲法研究会」と称する左翼グループを作らせ、GHQ草案に近似した憲法草案を公表させる工作に従事したのであった
(原秀成「日本国憲法制定の系譜・Ⅲ」2006年)。
この意味で「日本国憲法」は、単に占領軍将校が、一週間で作った「GHQ憲法」というだけでなく、もっとディープな「影の工作」をそもそもの基礎として生まれたという点で、
「ノーマン憲法」さらには、「コミンテルン憲法」という方が、より本質に近い呼び名であると思われる。
ノーマンはまた、戦犯指定を差配し、近衛文麿を戦犯指名するようGHQを動かした影の工作者でもあった。
近衛は昭和20年10月にマッカーサーから新憲法起草を指示されており、戦犯指名はされないはずであった。
ところが12月に突如「戦犯」として逮捕命令が出され、出頭期日の12月16日に自殺することになる。
そして、朝日新聞は何の処分もなかった。それはコミンテルンの仲間だったからだ。
ノーマンはその後、第二次世界大戦後の冷戦下のアメリカで起きた赤狩り旋風の中で共産主義者の疑いをかけられ、
アメリカの圧力を受けたカナダ政府による審問を数回に渡って受ける。
そのようなアメリカからの圧力から逃れさせるべく、1953年には駐ニュージーランド高等弁務官に任命され、その後1956年には駐エジプト大使兼レバノン公使に栄転する。
しかし、都留重人を取り調べたFBI調査官によるアメリカ上院における証言によって「共産主義者」との疑いを再度かけられ、1957年4月4日に赴任先のカイロで転落事故を遂げた。
日本とアメリカは、第二次世界大戦にコミンテルンの誘導で突入した。双方とも得る物は無かった。
草の根のアメリカ保守は孤立主義なのだ。
アメリカには資源も土地もあるのだから。
第二次世界大戦の勝者は、東ヨーロッパを手に入れたソ連と中国大陸を手に入れた中国共産党だったのだ。
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匿名さん
「大東亜戦争とスターリンの謀略 - 戦争と共産主義(三田村武夫著/自由選書)」
共産主義が如何に右 翼、軍部を自家薬ろう中のものにしたかがよく判る。
何故それが出来たのか、誰しも疑問に思うところであろう。
然し、考えてみれば、本来この両者(右 翼と左 翼)、共に全体主義であり、一党独裁・計画経済を基本としている点では同類である。
当時、戦争遂行のために軍部がとった政治は、
まさに一党独裁(翼賛政治)、計画経済(国家総動員法→生産統制と配給制)であり、
驚くべき程、今日の「ソ連体制」と類似している。
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