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三浦さんについて、思い存分書き込もう。
[スレ作成日時]2020-10-06 16:51:44
三浦さんについて、思い存分書き込もう。
[スレ作成日時]2020-10-06 16:51:44
「原因を追究したとしても、もう息子は戻りません……。これからの私は“春馬のいない残された時間”を、ただ生きていくだけです」
昨年12月、三浦春馬さん逝去後の心境を本誌にそう語っていた実父・Aさん(63)。だがその1カ月後、Aさんも急逝していたことが本紙の取材で分かった。
「Aさんが最後に目撃されたのは1月15日未明です。前夜、いきつけの飲食店に現れたのです。しかし朝の3時ごろ、『気分が悪くなった』と帰宅し、その後、連絡が途絶えてしまったのです。帰宅した直後に亡くなったということを聞いたのは、1月下旬のことでした。こんなに急にAさんがいなくなってしまったことに愕然として……」(Aさんの知人)
実はAさんは’17年に心臓にペースメーカーを入れる手術を受けており、その入院を機に息子である春馬さんの交流も復活していた。
本当だったんだ、、
記事を読んで、ゾワッと寒気して鳥肌立つ感じになった。
これは自然死ではないよ。
飲食店でしょ?グル?また毒を盛られたか、、、
遺産でもめていてジャストタイミングで父親が死に母親のみが相続者?
不自然。
父親が死ぬのがわかっていたから引き延ばした。
計画的殺人でしょ。
もう、こわすぎる。
実父逝去は超ビッグニュースなのに、トモヒコもてっちゃんも情報遅いね。
ヤバすぎる。
母親、どうなってんだ?
写真のあの人が本当に春馬くんを産んだと思う?
あの写真が母親と言うならば、産みの母が他にいると私は思う。
ものすごく美人のはず。
母親がその後出産しなかったのも疑問があるでしょ。
母親は春馬くんと血縁関係はないだろう。
春馬くんのルーツ、豊島なんじゃないの?
春馬くん自身が身売りされてもらわれた。
だから、助けることに命懸けになった。
私は春馬くんは親無き子供だったと妄想している。
春馬さんも日本人でお父さんも日本人。
探偵さん=姫様ですよね。
お久しぶりです、お元気そうで安心しました。いつまでも毒舌吐いてくだされ。、
春ちゃんの実父の葬式 参列者ひとりだけ
人生はこんなもん 何か寒いね
1月半ばに3時まで営業している飲食店ってどうなの?どこなの?いきつけ?
茨城は自粛甘かったの?
死因は何だったのか。
気分悪くなって帰るってちょっと不自然。
本当に具合悪い寸前の時は一人になるのがこわい、一人にならないようにする、だから救急車を呼ぶ。
いきつけなのに帰すほうも帰すほう。馴染みだったら送ってくれる。それが人情。
>>1933 匿名さん
コロナ禍でほとんど「家族葬」です
コロナ死だったら、家族一人も立ち会えずに遺骨のみ渡されるだけ
一人でも参列出来たらよき!
葬式大々的にやるのは税金でクソ政治家くらいでしょ?
普通の葬式でひとりとはな
寂しすぎるで
そらおかしいわ。。。
誰が自慰さんやねん!
淑女を侮辱するな、てめえ!
心臓ペースメーカー付けていたからって早死にしたのでは
手術した甲斐ないじゃないか。
羽田議員と同じ手口だね。
実父ならばコロナに感染すれば死亡リスクは高い。
コロナと毒の両方で攻めた。
取材した記者の責任も否めない。
ただ、記事によってお父さんの人柄がよくわかった。
やっぱり母親がとても怪しい。
突然母親を擁護する論調になったのもおかしい。
実父への取材で、春馬くんと母親が金銭問題でもめて心配していたことが告白されていた。
口封じにあったと考えるのが自然。
三浦春馬の財産を一人で相続することになった母親。
しかも、春馬くんとも春馬くんの実父とも金銭問題でもめていた。
この先は母親も危ないだろうね。
感動・安らぎ・優しさ……、俳優として、そして1人の人間として、春馬さんは多くの人々に“贈り物”を届け続けた。もちろん前出の実父・Aさんも、それを受け取った1人だろう。そのAさんの突然の逝去を本誌が知ったのは、表彰式の数日前。63歳だったという。
Aさんは春馬さんが生まれ育った地である茨城県に住んでいた。Aさんの知人はこう語る。
「Aさんが最後に目撃されたのは1月15日未明です。前夜、いきつけの飲食店に現れたのです。しかし朝の3時ごろ、『気分が悪くなった』と、帰宅し、その後、連絡が途絶えてしまいました。店では親しく話す仲とはいえ、Aさんの自宅の住所を知る者はいませんでした。
Aさんは’17年に心臓を悪くしてペースメーカーを入れる手術を受けていたのです。そのときに医師から『余命は1年ぐらい』と、宣告されたそうです。本人も『俺はいつ死ぬかわからないから』と、よく言っていましたので、連絡が取れなくなったことを、仲間たちはとても心配していました。
実は帰宅した直後に亡くなったということを聞いたのは、1月下旬です。こんなに急にAさんがいなくなってしまったことに、私も愕然として……。でも余命1年と宣告されてから3年以上も頑張ったのですからね。きっと春馬くんの存在が支えになっていたのだと思います」