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戦前から東京に住んでいるひとなら、埋立地には住み慣れていませんね。「山の手」ということばは、地域名ではないですね。谷戸、鶯谷、桐ケ谷、渋谷、芋窪、扇谷、蛇ケ谷とか、古くからある地名って地形をですから。それ以前に、埋立地には(大規模な造成地であったって)絶対に住まないのが、教養のあるひとの態度だと、親から教わっています。
豊洲は3.11の震災で液状化が確認されていますが、液状化すれば入れ替え済みより深い部分に蓄積された有毒物が噴き出てきます。汚染度を入れ替えたのは地下2mで、その上に2.5mの盛り土をしてコンクリートで固めただけなので液状化すれば何の意味もありません。液状化しなくても気化して地上に上ってくる有毒物もあります。
豊洲の地盤は、もともと軟弱なうえ、隅田川のヘドロで埋め立てられた土地です。大きな地震が起きれば、液状化や側方流動が起こりやすいのです。側方流動とは、軟弱な地盤が横滑りする現象で、実際、東日本大震災の後、豊洲新市場周辺で側方流動が起きた形跡がありました。
ガッチリ固定された杭が横殴りに揺さぶられ、損傷するでしょう。杭はほとんどしなることがないため、揺れが強いと折れる可能性があります。新市場は床や天井がボコボコになり、建物に亀裂が入る。横浜のマンションどころの騒ぎではありません。
豊洲は液状化しただけでなく、側方流動も確認されています。
側方流動が起きれば杭が破壊されるだけではなく、その上のマンションにも亀裂が入り、強制退去になる可能性もあります。
豊洲とその周辺に住むのはあまりお薦めできません。
隣の枝川は地図を見れば判るように離れ小島のような朝鮮**。
横隣の辰巳は戦後まで刑務所があった所で収監者の家族が住み着いたのが始まりの都営住宅街。
その横隣の東雲地区はかの宮崎勤が最後に事件を起こしたくらいの忌みある土地柄。
(宮崎は逮捕後、地元管轄の深川警察署で聴取でした)
豊洲自体が終戦までは海軍の工廠でその後は東芝→IHIの造船ドックだった場所。
どのような有害物質が埋まっているかは不明。
原子力船むつも確かここで事故前にメンテを受けた事もある筈。
日本初のイージス艦もここから出向して行きました。
IHI(現 豊洲ららぽーと)の地続きの隣の旧東京電力の火力発電所は石炭発電だった頃から稼働していたのでどんな廃棄物が出ているか?
さらにその隣の東京ガスもその隣なのでどんな廃棄物が埋蔵されているか?
実際の土壌汚染の値が出ています。
元々から人が住む事を前提にして開発しなかった土地です。
地元の人は絶対に周辺に住みません。
地図を見ると判りますが豊洲の島の中で豊洲小学校の周りの都営住宅以外には人は住んでいませんでした。
都営住宅ですからどんな層の人が住んでいたかは想像がつくと思います。
「深川五中 暴力」でググると都内最凶とヒットするほど都内有数のスラム街です。
うちの中学にはあの辺りから越境して通って来ていた学生が多いのでよく話を聞きました。
名古屋だったら今池、新栄あたりから繁華街を取り除いて薬物中毒患者が通行人になっているようなイメージをすれば良いかもしれません。
今はどうかは知りませんが(笑)
あの土地はそのような事もあり21世紀までガラ空きでしたので、偶然空きに注目した不動産会社によって再開発着手となったのでしょう。
銀座まで15分と言う土地が平成までガラ空きだったのは当然の事ですね。
知らずにあの辺りに毎日通っていたら遺伝子的にどのような影響が出るかは疑問です。
豊洲ららぽーとなんかは築地問題が出る前に完成しちゃいましたしね(笑)
自分の子供だったら絶対通わせません。
ちなみに我が実家は豊洲と銀座くらい距離が離れていますので安心です(笑)
四代続けて江東区出身の家系の者からの意見でした。
「江戸の初め頃、庶民はごみを近くの空き地や堀や川などに捨てていた。当時は空き地も多く、ごみを捨てる場所が至るところにあった。堀や川もごみを捨てるには最適の場所だった。水の流れが、ごみをどこかに運び去ってくれるからだ。しかし、人口が増加するにつれて、ごみはどんどん増えていった。空き地はごみの山となり、川のごみは船の通行の邪魔になる。江戸に幕府が開かれてから五十年後、幕府は川筋にごみを捨てることを禁じ、ごみは船に積んで海に出て、永代島の周囲に捨てるように命じた。だが、海までごみを捨てに行くのは、なかなか厄介なことだった。そこで家々が共同して、芥あくた取とり請負人という専門の業者に委託するようになった。ごみ収集の始まりである。永代島周辺の隅田川河口部の海域には、江戸中のごみが投棄された。ごみは増え続け、海中に堆積して新しい陸地となった」
「ごみによって生まれた、陸地ですか」
「そうだ。ごみと言っても、今の感覚とは少し違う。当時のごみは、紙や土、瓦など土砂に近いものだった。海に捨てると、自然と陸地を形成したんだろう。こうして、江戸市中のごみ問題は解決し、土地の面積も増えた。幕府にとっては一石二鳥の名案だった。以降、海にごみの投棄場所を定め、計画的に陸地を作っていこうということになった。その始まりが、深川を含む永代島の一帯なんだ。だが、江戸の人口増加に伴い、ごみの量も増えていった。永代島周辺は埋め尽くされ、ごみ投棄によってできた陸地は、どんどん広がって行った。今日歩いてきた、小名木川から南の土地は全部、江戸時代に埋め立てられた場所だ」
「江東区の一帯はほとんどが、そうやってできた土地だったんですね」
「そうだ。明治以降もごみ投棄による埋め立ては続いた。さっき歩いてきた東陽町や木場は、明治時代に埋め立てられた土地だ。この先の豊洲や有明は大正から昭和にかけて……。江東区の土地は、どんどんと広がり続けている」
江東区の土地が拡大し続ける理由。それは江戸の時代から、私たちが排出し続けたごみだった。東京に暮らしていながら、その事実を知らなかった。璃々子は、そんな自分を恥じた。
豊洲に乗り入れている交通機関は、東京メトロ有楽町線、ゆりかもめ、都バスになりますが、とりわけ利用者が集中しているのが有楽町線豊洲駅です。この駅は開設当初から住吉への延伸が計画されていたため、ホームは4番線まで出来ていますが、実際に電車が発着するのは上下2線のみ。しかし、街の発展は開設当初から想像出来ないほど急であるため、キャパが追いついていません。数年前大規模な拡張工事が行われましたが、まだラッシュ時の混雑度緩和には到っていません。また、江東区が第3セクター方式で有楽町線の住吉延伸計画を推し進めていますが、都との足並みは決して揃っておらず、30年前から駅にホームは出来ていながら、肝心の線路は未着工で建設の目処は立っておらず正直使い勝手は悪いです。
【2020】住みたくない街5位は江東区の豊洲
https://chintaibest.com/sumitakunai2020_rank5/
1 豊洲に投票した人たちのコメント
1.1 住みづらい場所
1.2 家賃・物価ともに高い
1.3 液状化が起こっていた
1.4 喘息の症状がでてしんどい
1.5 軋轢があると聞いた
1.6 他人感が強そう
1.7 困っていた
1.8 地盤の低さが気になる
1.9 ネガティブな要素が多い
1.10 水が非常にまずい
貼り付けがお好きなのねwww
醜悪コーナン