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日本の国民は” 戦前の日本の歴史を知らない” と思いますか?
[スレ作成日時]2019-03-31 20:32:07
日本の国民は” 戦前の日本の歴史を知らない” と思いますか?
[スレ作成日時]2019-03-31 20:32:07
令和になり、戦争がますます遠いことに感じる
戦争と言えば我々の祖父母(80代後半)が体験者
今の子供に『火垂るの墓』(ほたるのはか)を見せたところでピンと来ないだろう
● 宝田明少年が見た終戦=旧満州・ハルビンから引き揚げの記憶
俳優の宝田明さんは、1934年朝鮮半島北部の清津市生まれ。小学2年生のときに
家族と共に旧・満州国のハルビンに移った。父親が南満州鉄道の技師として勤務。
「五族協和」するハルビンで、満鉄家族の生活は恵まれていたが、小学校では関東軍
から銃剣術の訓練を受け、戦陣訓を唱える日々だった。
しかし、宝田氏の人生は、1945年8月の日本の敗戦で一転、壮絶な体験を余儀なく
された。
終戦の日から、その後の生活、そして46年11月から2ヶ月かけて博多に引き揚げる
までの体験を語る。
■ 早乙女勝元さんが亡くなられた
1945年3月の東京大空襲を経験し、戦争の悲惨さを訴え続けた作家の早乙女勝元さんが
5月10日、老衰のため埼玉県内の病院で死去した。90歳だった。
葬儀の日時は未定。親族が取材に明らかにした。
東京出身。12歳で東京大空襲を経験。その後、働きながら文学を志した。1956年に小説
「ハモニカ工場」で作家として独立。70年に発起人の一人として「東京空襲を記録する会」
を結成した。同会は74年、市民の体験などを収録した「東京大空襲・戦災誌」で菊池寛賞
を受賞した。
2002年、民間からの募金を元にオープンした民営の「東京大空襲・戦災資料センター」
(東京都江東区)の初代館長に就任。17年間にわたり館長を務めた。
2010年に結成された、太平洋戦争の空襲被害者らによる全国組織「全国空襲被害者
連絡協議会」では共同代表を務めた。
『 東京大空襲・戦災資料センター 』をたずねて。
ーーーー戦争について考えるーーーーー
2018年3月16日、
読書
伊藤桂一著
「兵隊たちの陸軍史」 新潮社、
日本の兵隊は建軍から8月15日まで、いかに戦ってきたのか。
生身の兵隊たちのことを、私たちは知らない、
巨大な運隊組織の中で、ただ一個の兵士だった祖父や曾祖父たち。
その率直な生活感情、極限状況での思いとは?
終戦の日、「軍隊はほろぶにしても、かってお前が兵隊であった、という
事実の歴史はほろぶことがないだろう」 と自らに言い聞かせた著者が、
知られざる兵隊の心情を後世に伝える。
読書
井上寿一著、
『戦前日本の「グローバリズム」、1930年代の教訓』 新潮社、
昭和史の定説を覆し、新たな戦前像を構築する意欲的論考;
満洲と関東軍、軍部の政治介入、ブロック経済による孤立化、日中戦争・・・・
多くの歴史教科書が「戦争とファシズム」の時代と括る1930年代。
だが、位相を少しずらして見てみると、全く違った国家と外交の
姿が見えてくる。 国際協調に腐心した為政者たち、通商の自由を
掲げた経済外交、民族を超えた地域主義を模索する知識人・・・・
実は、日本人にとって世界が最も広がった時代だった。
『 中央公論、9月号 』
昭和の戦争、指導者の失敗、
満州事変、三国同盟、対米開戦……‥破局は避けられなかった
のか ?
▼東条英機と陸軍、
▼大局的視座を持たなかった海軍、
▼日中戦争はなぜ泥沼化したか?
▼山本五十六が演出した対米開戦、
▼日ソ戦争と認知バイアス、
▼評伝で知る言論人の翼賛と抵抗、
▼チャーチルに学ぶ
■寝不足大国ニッポン
「 昭和枯れすすき 」
さくら と いちろう(歌)
「戦犯裕仁斬首」
お薦めの本
『 ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死 』
稲泉 連 著、
2004年、中央公論新社、
内 容
お姉さんっ子で、レコード店の娘に恋し、映画監督に憧れつつ
太平洋戦争に従軍、23歳で戦死した若者が残した詩は、
時代を越えて人の胸を打つ。
目 次
序 伊勢にて
第1章 姉と弟
第2章 伝えられてゆく詩
第3章 バギオ訪問
「 星の流れに 」
菊池章子(歌)
「 学徒出陣、戦争と青春 」
蜷川壽惠 著
1998年1月、 吉川弘文館、 1,870円(税込)
戦争を生き、戦争に散った学徒たちの記録。
彼らはいかなる経緯で徴兵され、陸海軍に入隊後、どのような
経過をたどったのか。
「 沖縄戦の子どもたち 」
川満 彰 著
2021年5月、吉川弘文館、 1870円(税込)
太平洋戦争末期、激しい戦禍に遭った少年少女たち。彼らの体験や
視点を通し、二度と戦争を起こさないために何ができるのかを考える。
「検証・学徒出陣」
西山 伸著、
2024年7月、 吉川弘文館、1870円(税込)
アジア・太平洋戦争終盤、徴集猶予の対象だった多くの
学生・生徒が戦場へと送られた。
在学・修業年限短縮をはじめとする「特権」縮小や、先駆けと
なった1943年夏の大量動員、徴集延期停止、絶望的な戦局に
おける特攻志願など、彼らの記録や各大学で進む実態調査を
生かしつつ「学徒出陣」の真実に迫る。
遺稿集が語り継ぐ戦後にも説き及ぶ。
『 ぼくが子どものころ戦争があった―「いくさの少年期」より 』
田中幹夫【原作】、寮美千子【文】、真野正美【絵】
2024年7月、ロクリン社、 2,200円(税込)
ぼくたちは、戦争のない国を作ります。きっときっと作ります。
「日本は神国。絶対に勝ちます」と始まった太平洋戦争。
南方を植民地にして豊かになるはずが、暮らしはみるみる貧しく
なり…たった4年で大切なものも人も、いやおうなしに奪われて
いった田中幹夫少年の実話です。
戦争体験を語れる最後の世代からこれからの日本をつくる
世代へどうしても伝えたいこと。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784867610206