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日当たりや間取り、隣地との関係で南西の玄関を作ることに
なりました。
家相は気にしない方でも、玄関だけは・・・
と言う方もいるようですが、気にしていたら希望の間取りが
できないと思い、気にしないことにしました。
同じような方が見えましたら、お願いします。
[スレ作成日時]2010-01-03 23:15:12
日当たりや間取り、隣地との関係で南西の玄関を作ることに
なりました。
家相は気にしない方でも、玄関だけは・・・
と言う方もいるようですが、気にしていたら希望の間取りが
できないと思い、気にしないことにしました。
同じような方が見えましたら、お願いします。
[スレ作成日時]2010-01-03 23:15:12
>>340
313=327さんは330さんでもありますが、それを踏まえてですか?
330で”根拠は知らないけど家族が安心するので家相を取り入れた”ということを言っています(不要な説明も多いですが)。思想こそ違えど真摯だと思いますよ。
315さん、332さんはネタ投下するだけで後は知らんぷりのいつものパターンですから追及しても良いと思いますが。
まだですかー。
私、信者の主張を聞くのが楽しみです。
「信じる者は、お金をまきあげられる」。
答えなんてないのに、目糞鼻糞の集まりですね。
何を信じるかは個人の自由。信じないも個人の自由。
「何をしても自由」ですか?
個人が迷信、宗教を信じるのは自由です。
一方、北東あるいは南西の玄関を配置している人に対して、「不幸になりますよ」と断定発言することって、これは親切ですか? 違うでしょ、「余計なこと」なんですよ。科学的にも統計学的にも根拠がない、それをあたかも事実のように発言する、こういう行為は慎む方が本人には得だってことです。
あと、日本という国は、迷信で儲けている人が存在しているという事実があります。これを素晴らしいと思うか、アホらしいと思うか、それは自由ですね。
以上
>>343
343さん、344さんの言う通りだと思いますよ。
何を信じるかは個人の自由。ただし人に迷惑をかけるなら相応の覚悟をしてね、ということ。
あと、人に迷惑はかけていなくても332のように議論をふっかけるならきちんと根拠も示してね。
根拠を示せないなら330さんのように事実を認めた上で主張してね。
ということ。
多くの方の色々な説がありますが、昔から家を造るときに自然とうまく付き合っていく方法、心地よく生活する方法や知恵の一つとして捉えれば良いのではないでしょうか。
表鬼門と裏鬼門には水、火、不浄物が来ることを忌み嫌うという理由は、その方位の場所で水や火を使うと湿気や臭気がこもり不衛生で健康に悪いとの理由があるそうです。今の住まいに当てはまらないとはいえ、気になる方も多いと思います。
表鬼門、裏鬼門、中央には、暑い、寒い、暗い、湿気がこもる、という特徴があるそうです。ですので、ここにトイレ、キッチン、浴室を設けないということらしいです。三所に三備を設けず、というらしいです。
初詣に行き、建築時には暦を見て三隣亡を避けたり、地鎮祭をしますね。工事の皆様とお住まいになる家族全員の無事と幸せを祈って良い家を建てたいものです。
家相だ風水だを気にし過ぎて住みにくい家を作り上げて、その上病気やケガ、災難にあったら笑えないよね。
何事も気にし過ぎないで生きていきましょうよ。
人生なるようにしかなりませんから。
家相や風水に配慮した家が住みにくい家とは限りません。
また、建てた後や建売を購入した場合でも、家相や風水上無難な家に変えることはできます。
もし、気になるのであればそれなりに配慮すれば良いだけです。
建築時の地鎮祭や上棟祭も昔からの伝統を思えばおろそかにはできないと思います。
何よりも、一番大切な家族の幸せを思えば、今の自分にできる限りの事をしたいと思いませんか。
家づくりで大事なのは敷地の条件や家族のライフスタイルに合った快適で住みやすい間取りとそれをお値打ちに実現してくれる建築業者選び。
一番大切な家族の幸せを思うならそのことにできる限りのエネルギーを注ぐべき。
「家相」や「風水」を気にしながらでは肝心の間取りがおかしくなってくると思いますよ。
それと、地鎮祭や上棟式をすることと家相や風水を取り入れることは全く次元の違うことです。
>>345、344
何を信じるかは自由。不幸になりますよって言葉を信じるも信じないも自由。科学的、統計学的に出ているものだけ信じるも信じないも自由。迷信で儲けるも儲けないも自由。
因みに何を迷惑かけられたのか?そう思うことも自由。
だから目糞鼻糞だよ。
>>351
地鎮祭はその土地の神様にこれから家を建てることを奉告し工事の無事と末永くご加護があるように祈る儀式です。
上棟式は棟木の取り付けにより家の骨組みが無事完成したことに感謝するためのものです。
家づくりにおいては、根拠はともかくおっしゃるように大きな意義のある節目だと思います。
その一方で、家相や風水にはその根拠もそれを取り入れる意義もあるようには思えません。
地鎮祭や上棟式は家づくりにおける節目節目のしっかりとした意義のある儀式。
もちろん、そういうものに価値を見い出せるかどうかは個人の自由。
一方家相や風水は家づくりの節目の儀式でもないし、そもそも何の根拠も意義もない迷信。
もちろん迷信を信ずるも信じないのも個人の自由。
ただ、家相風水信者は他人に対して余計なお世話をしがちなので、これはハタ迷惑というもの。
>>354
おっしゃっているように、意義あるかどうかは本人が決めることですから、地鎮式や上棟式に対して家相・風水が意義がないというのはあくまで354さん個人の評価ということですね、了解しました。なんだか一般論であるように読めましたので食いつきました。失礼いたしました。
信者が余計なお世話をしがちという点は賛成です。主観的な価値観と客観的な事実はきちんと分離しなきゃいけませんよね。
・家相は長い歴史の中で会得された経験知を体系化したものであるが、科学的根拠のあるものとないものがある。
・根拠があるものについては配慮が必要だが、現代の技術で解決できるものが多い。
・裏鬼門の玄関は根拠のない部類の言説であり、基本的に気にする必要はない。
・ただし、「科学的根拠はどこかにあるが、解明されていない可能性ある」ことを心配するなら配慮すると良い。
と、言うのがタイトルに対する結論かな?
このように、家相は事実をもとに論理的に判断されるべきで、運気や霊などという根拠のないオカルトを何千万もの費用がかかり今後ずっと付き合って行かなければならないマイホームの検討に持ち込むべきではない。