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田園調布それとも代々木上原
[スレ作成日時]2006-06-08 14:57:00
田園調布それとも代々木上原
[スレ作成日時]2006-06-08 14:57:00
目神山町は山そのもの。住むのはちょっと・・。
夜なんか道はせまいは、入りくんでるはで、迷子になります。
確かに家は大きいが、別荘って感じかな?ここは。
そういえば昔は、目神山町最寄の駅の甲陽園のタクシーは名前をいうだけで家まで行ってくれたし、朝の改札は定期だとフリーパスという優雅な時代でした。単に人が少なかったということかも知れないけどね。昔住人より。
私が住んでいる所は、阪急創業者一族の自宅がありますし、有名企業の経営者や創業者の自宅も沢山あります
。阪急沿線山手側は芦屋に限らず豪邸が多いです。
大正〜昭和初期に転入したか、戦後か、平成かで街の雰囲気が違いますね。
44
そうですね。阪急神戸線の夙川、芦屋川、岡本、御影と並ぶと東急東横線の都立大学、自由が丘、田園調布、多摩川よりも、はるかに歴史も文化も感じさせます。谷崎潤一郎の「細雪」の世界ですよね。
>>41
土気あすみが丘のワンハンドレッドヒルズですね。
http://www.one-hundred.com/
バブルの時に売り出されて、10億!とか言っていたような気が。
まだ売り出されているみたいで、宅地500坪が8500万(坪17万!)。
住宅地としては悪くないので、景気がよくなると又上昇するかも。
ちょっと住んでいるというの恥ずかしい感じですが。
チバリーヒルズに住んでると胸を張りたいですね
前に書いた、なぜ東京は関西にくらべて金持地域が分散したかについて、今長野県知事の田中康夫が「なんクリ」の頃面白いことを言っていました。
それは東京ではもともと番町に住んでいた金持ちが拡大してゆき、松涛などに住むようになった。松涛の金持ちは、さらに田園調布のような郊外に拡散していった。つまり金持ちが拡散してしまような土地の広がりがあった。
一方、関西は船場の旦那が、芦屋に家を構えるわけですが、芦屋の先は六甲山の麓がすぐそばに迫っており、そこでせき止められるようにそれより先にはひろがらなかったのです。で、芦屋には金持ちがぐっと凝縮されるような地域になったというものです。
結局彼が言うには東西の差は地勢にもとづくというわけですが、関東関西両方とも知っているとなんとなく納得がいく説明です。実際関西には西はあっても、関東にある膨大な西南地域は無いのです(実際、神戸は大阪の西だが、横浜は東京の南です)。
まず東京と阪神間の地形はぜんぜんちがう。
関西に住んで20年、山の斜面まで家、マンションぎっしり。
芦屋の六麓荘はまさに山の中腹。確かに家も凄いが坂もスゴイ。
東京の邸宅街とは雰囲気も全く違う。
中が見えないうっそうとした感じもする。
まあ、田中康夫のような郊外出身者に、都心金持ちのなにがわかるのかといいたくなるが・・・。
すぐ煽ってくる。
多分52さんも芦屋には行かれたことが無いのだろうと思います。実際に行ってみれば、素直に田中康夫がいったことが間違っていないと思うのでは。
私はこれを読んだ時、なるほどなぁって思いました。腑に落ちたっていうか。東京に来た時から不思議でしたもん。金持ちがはるかに多い東京になぜ芦屋みたいなところがどこにもないのかと。もっとも芦屋は自然にも恵まれていますけどね。
六麓荘町で検索すると、イメージだけでもつかめますよ。
Google Mapの衛星写真で比較すると面白いです
関西に住みたい人は関西にどうぞ
田園調布に住んでいることを自慢したあとで、相手の出身が芦屋であることを知るとちょっと気まずくなる。