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喫煙者が考える「ベランダ喫煙のマナー」
① 灰を落とさない
② 煙を吐くときは一方向に偏らないように、
あっちへ向いて吐いたりこっちへ向いて吐いたりする。
…あたしゃこれを読んだとき、この数年来でいちばん力が抜けたよ、正直。
あっちへ向いて吐いたりこっちへ向いて吐いたり…だよ?
そうしている姿を想像するだに、タバコを吸わない私でさえ悲しくなってくるが、
しかし総会でこれを言うのかい?喫煙者は。
[スレ作成日時]2009-03-13 16:57:00
喫煙者が考える「ベランダ喫煙のマナー」
① 灰を落とさない
② 煙を吐くときは一方向に偏らないように、
あっちへ向いて吐いたりこっちへ向いて吐いたりする。
…あたしゃこれを読んだとき、この数年来でいちばん力が抜けたよ、正直。
あっちへ向いて吐いたりこっちへ向いて吐いたり…だよ?
そうしている姿を想像するだに、タバコを吸わない私でさえ悲しくなってくるが、
しかし総会でこれを言うのかい?喫煙者は。
[スレ作成日時]2009-03-13 16:57:00
「明文化されない限り規制できない」
暴煙者に特有の考え方を端的に表した言葉ですね。
ベランダ喫煙について「規制」と言ったら規約のことですね。
規約が明文化されているのはそりゃ当たり前。だから上の言葉は別段新しいことを言ってるわけではない。
問題は、ベランダ喫煙への苦情=喫煙規制
と考えてしまうところにある。
ベランダで吸いたい人とそれを迷惑に感じる人。
どうしたらお互いが快適に(現実的には多少の我慢をしつつ快適に)住めるかを当事者同士で話し合う。これは当たり前の話。
そこでベランダ喫煙の回数をどれだけ減らすかとか、なるべく室内で吸うかとか、その納得できる中身はまさに当事者以外には決められないわけで。
その当事者同士の話し合いの結果は「規制」でもなんでもないでしょ?
自分も納得の上なんだから。
すぐ「規約改正すれば?」とか
「明文化された規制がなければ遠慮は要らない」だとか言ってる人は、
どうもこの「当事者同士の自主的な話し合い」という選択肢を最初から排除しているように感じる。
これがないと、喫煙者は物理的・社会的に強制される以外、喫煙行動を自分でコントロールできないんだ、
となってしまうよ。