- 検討スレ
- 住民スレ
- 物件概要
- 地図
- 価格スレ
- 価格表販売
- 見学記
貧乏人はすぐにムキになるから嫌だな〜。w
>阪急沿線でもいまや切り売り、小規模宅地化してるのは、傾向としては事実。
阪急神戸線沿線の山手(六麓荘、苦楽園、甲陽園、甲東園)には、そんな傾向は微塵も見られないんだが。
震災後に、利便性の高い地域にタワーマンションがふえたのは事実だが。
>昔の栄華を語るのはいいが、視野は広くしような。
住吉村のことを話したのは、教育的配慮だよ。
どうせ、阪神間モダニズムとか、全く理解してないんでしょ?
>まずな、あんた、東京では偉い人がみんな都心に住んでると思ってるのかw?
関西では、大企業の経営者は、だいたい船場、上町、阪急沿線に住んでる。
東京では、都心にも十分な住居があり、文京区、井之頭沿線にもステータスの高い住宅街が多く存在する。
富裕層の中には都心以外に住む人もいるだろうが、その中で東急沿線に住む割合は高いとは言いがたい。
>成城や田園調布そのほか、国分寺崖線近辺の高級住宅地は、もとは大学の先生とか当時の先進的な文化人が支援を受けて作ったもので、東急が作ったわけではない。
阪急は、小林一三によって1907年に開業されている。
雲雀ヶ丘の開発は、1916年に始まっている。
田園都市株式会社は、渋沢栄一によって1918年に立ち上げられた。
小林一三と田園都市株式会社との関係をWikipediaから引用しておこう。
石井裕晶によれば、第一次大戦後の不況時に渋沢は、関西で鉄道敷設と一体となった沿線開発に成功していた箕面有馬電気軌道社長 小林一三に田園都市株式会社の経営を依頼している。小林は名前を出さず、報酬も受け取らす、日曜日のみ、という約束で経営を引き受け、玉川、調布方面の宅地開発と鉄道事業を進めたという[3]。
残念ながら、田園都市株式会社も小林の経営理念を受け継いだものにすぎない。
もう少し勉強してから、発言したほうがいいのでは?