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いざ対決
グーグルマップのストリートビューも活用したまえ
[スレ作成日時]2008-08-28 21:19:00
いざ対決
グーグルマップのストリートビューも活用したまえ
[スレ作成日時]2008-08-28 21:19:00
東急多摩田園都市は、東京の西南部、都心から15~35kmにわたる緑豊かな丘陵地に(東急田園都市線「梶が谷」駅~「中央林間」駅間)に広がる生活都市。開発計画総面積約5,000万平米という民間最大級の中に、現在約58万人が生活しています(2007年4月1日現在)。
この大きな街の誕生に端を発したのが約1世紀前に、イギリスの経済学者E・ハワードが提唱した「田園都市論」。これは都市と田園の長所を兼備し、均衡のとれた社会を形成できるよう計画的に生活都市を建設するというもの。
日本では大正時代、この田園都市構想を背景に東急電鉄の前身である「田園都市株式会社」が田園調布を開発。さらにその思想を引き継いだ五島慶太が、東京の人口過密化を予測し優良な宅地の供給を目指した「城西南地区開発趣意書」を1953年に発表し、東急多摩田園都市の街づくりがスタートしたのです。
20世紀初頭のふたつの偉大な発明、それは飛行機と“田園都市”だったと言われます※。高度3m×距離126mの飛行に成功したのはライト兄弟。そして、“田園都市”理念を提唱したのは、イギリス人の経済学者ハワードでした。
わが国で彼の“田園都市”理念にいち早く注目したのは、明治・大正時代の実業家・渋澤栄一で、ハワードの理念をもとに、日本における田園都市構想実現の第一歩となる田園調布の街づくりに着手。やがて、それは東急多摩田園都市へと受け継がれていきました。
※社会学者ルイス・マンフォード「田園都市理念と現代の計画」引用。
ハワードは、「過密で不健康な都市が経済科学の最後の言葉であってはならない」と考え、「きわめて精力的で活動的な都市のあらゆる利点と田園のすべての美しさと楽しさが完全に融合した田園都市」の存在を提唱しました。
英国ではロンドン郊外のレッチワースをはじめ、この理念に基づく約20の街が建設され、多摩田園都市など世界各地の都市計画にも生かされています。
19世紀におけるイギリスの都市生活は、工場の煙突から出る煙によって汚染された空気を吸うなど、おおかたの人々にとって快適なものではありませんでした。サー・エベネザー・ハワード(1850-1928)は、この状況を改革するために、1898年に「明日の田園都市(Garden Cities of Tomorrow)」を発刊。この考え方は、大きな反響を呼び、1902年に最初の田園都市が建設されることが決定しました。それがロンドン郊外に生まれた“レッチワース・ガーデンシティ”です。
ハワードにより提唱され、建築家バリー・パーカーとレイモンド・アンウィンによって進められた、レッチワースの新しい田園都市づくり。街の中心部に商業施設や公共施設を配し、緑のオープンスペース、さらに工場などの働く場所を近くに設けられました。積極的に各種工場を近隣に誘致して、ゆとりある生活をトータルプランの中で実現。また、廉価住宅を積極的に販売したり、パブ(居酒屋)を開店させたり、集会室をつくるなど、人口増加のための工夫も積極的に図られました。
1920年代には田園都市レッチワースの人口は約16,000人に増加しました。生協が誕生し、“ジ・アーケード”と呼ばれるモダンな商店街が完成し、屋外プールや2軒の映画館も新たに設けられました。産業と快適な住宅、このふたつのバランスの取れた田園都市として、レッチワースはその成熟度を深めていきました。
1902年のレッチワースに端を発する「田園都市構想」は、イギリスのハンプステッド田園住宅、ウェルウィン田園都市へと引き継がれ、その後は海外各国にも導入されていきました。現在でも、この街を視察に訪れる人は絶えることなく、1950年代には日本においてレッチワースに大きく影響された、東急多摩田園都市の開発が着手されました。
1953年(昭和28年)にはじまった東急多摩田園都市の街づくりは、開発総面積5,000万平米という、民間事業としては我が国最大規模のものです。
その高い利便性と豊かな緑が調和した環境に、邸宅街全体がひとつの美しい景観となるような街並づくりを一環して続けてきたこの一大プロジェクトが他の開発プランと異なるのは、単なる宅地造成にとどまらず、緻密な計画のもとに、地域全体の有効活用を図ろうと考慮・工夫されている点です。
そして一民間企業が独断で事業を進めるのではなく、長年住み続けてきた地元の方々と共に力を合わせて街づくりを進める「土地区画整理事業」の開発方式を採用したことも特長です。
まず鉄道を敷設し、東急田園都市線の駅を起点にバスを走らせ、道路や公園を整え、東急多摩田園都市の街づくりは綿密な計画のもと、一歩一歩着実に進められてきました。
「たまプラーザ東急ショッピングセンター」などの商業施設をはじめ、開発着手以来、時代の変化や住む方々のニーズにお応えしながら、より質の高い住環境の形成に力を注いできました。1966年に発表した「ペアシティー計画」、そして1973年発表の「アメニティプラン」では、快適性を追求しながら、都市機能の充実や高水準住宅の供給などを積極的に推進。1988年発表の「多摩田園都市21プラン」では、道路や情報、サービス、景観などの街づくりの基本となる要素について、質と量の両方から見直しを図り、自立性の高い多機能都市を目指してきました。
駅をそれぞれの街の拠点として、そこを中心に美しい街並を広げてきた東急多摩田園都市。彫刻やモニュメントを配した気持ちのいい駅前広場、街路樹の緑が美しいメインロード、整備されたバスターミナルなど、駅の改札口を一歩出た瞬間から、この街ならではの洗練された雰囲気が感じられます。
周辺には大型ショッピング施設や金融機関、教育、医療、文化施設など、様々な都市機能がバランスよく配され、便利で心地よい時間が育まれています。
また、田園都市の名前にふさわしい居住エリアを開発するために、緑をテーマにした街づくりも特徴のひとつ。歩車道分離された道路には並木を設けて、緑豊かな街並を形成。さらに公園も理想的な配置で街全体に緑のネットワークを広げています。そして街路樹を植えられない街路についても、沿道に緑を植えられるような工夫が施こされています。
また年2回実施されている東急グリーニング運動「緑のプレゼント」による苗木の配布も好評で、住民の方が庭や窓辺に植える緑が街の美しさをさらに深めています。東急多摩田園都市は、長い歳月をかけて培った街づくりのノウハウをもとに、育まれた住文化を継承し、そして将来を見通し、これからもサスティナブルな街づくり、街並を目指しています。
(某サイトより引用)
千里丘陵の竹林
http://homepage1.nifty.com/pekopokonet/hashiru/htxt/h2/senri.html
竹というのは、中国から伝わったもので、日本には自生してなかったのですね。
だから、竹林のあったところというのは、寺社のそばが多いのです。
千里丘陵の竹林は、京都の嵯峨の竹林と同じくらい立派だったのですが、住宅地として開発されて現在はわずかしか残っていません。
それでも、上記のサイトのように、立派な竹林に気軽に立ち入れるのは、関西人の特権と言えるかもしれません。
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=200810/18/12/e0083...
東京世田谷区にある勝光寺の竹林です。素晴らしい。
東京都内とは思えない。
>関西人の特権と言えるかもしれません。
京都人の特権だね。わかります。
関東人、哀れ過ぎw
相手のこともろくに知らないくせに、相手を誹謗中傷することしかできない実にくだらない投稿者のスレですね。
大阪最高!
3186あんたもなにかと誹謗中傷投稿をしてるよな 関東人を馬鹿にしたような上から目線発言だし
>3190
ここの過去の書き込みを見直してみたらわかるけど、
先に悪口や誹謗中傷で絡んでくるのは東京側の方が多いんだけど。。
>あなた達が大阪を東京と並ぶ日本第二の都市と意地を張っているのから相手にしただけ。
>私たちからみると一地方都市にしか見えないんだよ。
本当にそう思ってるのなら、大阪なんて地方都市の戯言なんて相手せず
どんと構えて無視すればいいじゃん。何で先にちょっかい出してくるのさ?
>3191
逆ですよ。何度かHN変えてるみたいですけど、
通りすがりさんは半年前くらいからずっと大阪の誹謗中傷ばかり書き込んでますから。
おそらく3186も大阪人に向けてのコメントじゃないかなぁ。
アジアを旅行中の英国人カップルが、旅行関係の英ブログ「travelpod.com」に、大阪の印象についてつづっている。
筆者らは、中国の上海から、船で48時間かけて大阪にたどり着いたという。大阪は上海とはまるで別世界で、
とても清潔で、人々がとても礼儀正しかったと語っている。ただ、街が混沌としていて、通りの名称やビルの番号が見当たらず、
なかなか思うように目的地に行けなかったとつづっている。
しかし大阪の人々は英語があまり話せないにもかかわらず、とても親切で、行き先を丁寧に教えてくれたという。2人の
若者にホテルの場所を尋ねたところ、1人は東へ行くようにと言い、もう1人は西を指し、さらに、とても元気のよい女性が
やってきて、また別の方向を教えてくれたが、最後には何とかホテルに到着できたと説明。
ホテルは中之島にあり、とても静かで落ち着いていて、日本の伝統的なパジャマである浴衣が置いてあり、感激。荷物を
置き、早速大阪見物に出かけたとつづる。
まずは、梅田スカイビルに向かったが、ここでもまた迷ってしまったと打ち明ける。しかし、ここでも日本人の親切さに
驚かされたという。道を尋ねた人は、10分も歩いて自分たちを目的地に案内してくれた、と語っている。ビルは都心に
そびえ立ち、最上階には空中庭園があり、そこからの夜景は衝撃的に美しかったと伝えている。
その後、地下鉄で難波へ移動したところ、今度は、地下の巨大モールから抜け出せなくなり、地上に出るのに
30分もかかったという。地上に出ると、ネオンに輝いた町には、レストランが星の数ほどあり、人でごった返していて、
活気にあふれていたとその印象を伝えている。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0920&f=national_...
やっぱり大阪は住みにくい。
犯人じゃないのに、犯人にされてしまうから。
検事って、犯罪を取り締まると思ったていたが、
大阪地検は犯罪をつくるらしいで。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20100921-00000798-fnn-soc...
※3195
そういった事件や出来事をひとつ挙げて
「住みにくい」と決めつけるのは、そろそろ控えませんか?
視野が狭くなる一方ですし、ネガティブ合戦ほど建設的でないものはありませんから
>そういった事件や出来事をひとつ挙げて
おいおいおい!!
これは大阪地検の大事件やぞ。
それを、「一つ」とか「二つ」とか言うてる場合やないやろ。
そういう感覚でいるから、大阪がいつまでたってもダメなんだよ。
反省しろ!!
>おいおいおい!!
>これは大阪地検の大事件やぞ。
>それを、「一つ」とか「二つ」とか言うてる場合やないやろ。
>そういう感覚でいるから、大阪がいつまでたってもダメなんだよ。
>反省しろ!!
たしかに大事件だけど、地検の検事らが起した問題をそのまま一般府民に転換にされても困る
それに反省しろ、自浄しろなんて言葉を独善的に投げつけるのは簡単だけど
現実的にどうしようもないことだってあるし、それだけじゃ相手の心にはなにも届かないよ