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東京ではトップ(日本全国では2位)の高級住宅地として知られる田園調布か。
それとも成城か。
はたまた。
[スレ作成日時]2014-10-05 15:52:08
東京ではトップ(日本全国では2位)の高級住宅地として知られる田園調布か。
それとも成城か。
はたまた。
[スレ作成日時]2014-10-05 15:52:08
江戸城本丸、一・二の丸から概ね一里(約4キロ)圏内が主要屋敷武家地。
①江戸初期以降の元々の主要な「武家屋敷地等」。維新後は平地で利用価値が高いため国家行政・財閥・資産家等が所有し現在に至る
明治時代以降、江戸市街のうち武家屋敷などが建ち並んでいた地区(山の手の赤坂から下町の本所(赤穂事件の吉良義央の屋敷で有名)にまで及ぶ)に富裕層が居を構えるようになり、初期の高級住宅街が形成された。主に番町、麹町、紀尾井町、永田町、平河町、九段の皇居周辺、富士見、神田駿河台の内神田地域(以上、千代田区)、赤坂、麻布、白金、三田、青山(以上、港区)、小石川、本駒込、西片、本郷、目白台(以上、文京区)、松濤、広尾、神宮前(以上、渋谷区)、下落合(新宿区)、目白(豊島区)などの地域で、概ね武蔵野台地の高台(いわゆる山の手)に位置している。ただし、日本橋、京橋、神田、下谷、浅草、本所、深川等の下町地域にも、多くの武家屋敷が存在した。
②農地山林等を開発した「新興住宅地」。維新後、非平地で遠方などで利用しずらいため、住宅地等に転用された
1923年(大正12年)に東京中心部の富裕層を襲ったのが関東大震災であり、この震災を契機に武家屋敷跡をルーツにしない高級住宅街が誕生する。中でも全国によく知られているのが大田区田園調布や世田谷区成城である。渋沢栄一などを中心として1918年に設立された田園都市株式会社(現在の東急株式会社の源流の一つ)によって、当時農村地帯で交通不便だったエリアに鉄道を敷設し、住宅地として開発を進めることになったことも注目すべき点である。1922年洗足地区(洗足田園都市)、翌年多摩川台地区(後の田園調布)が分譲され、東急よるブランド戦略を展開した結果、現在では全国に知られた高級住宅地として認知されている。同様に1927年成城学園前駅を誘致した小原國芳が学校建設の費用を賄う目的で整備を行った成城も高級住宅地として知られており、自治会が一丸となって景観を保全するように努める成城憲章が敷かれている。
ほかに、元来農地、山林が広がっていた山の手西側や南側、いわゆる城西、城南方面に高級住宅街が点在する。城南五山(東から順番に八ツ山《港区高輪》、御殿山《品川区北品川》、島津山《同東五反田》、池田山《同東五反田》、花房山《同上大崎)、代々木上原界隈(渋谷区大山町・西原)、常盤台(板橋区)、大泉学園町、石神井町(以上、練馬区)、浜田山(杉並区)、成城、等々力、深沢、奥沢、代沢など(以上、世田谷区)、柿の木坂、八雲(以上、目黒区)、田園調布、久が原(以上、大田区)などの高台に当たるエリアに形成された新興住宅地が、比較的転居を自由にできる富裕層の集住により次第に高級住宅街化していった。