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徳川家康は卑しく見られているようですが
いかがでしょうか
[スレ作成日時]2009-09-12 15:55:02
徳川家康は卑しく見られているようですが
いかがでしょうか
[スレ作成日時]2009-09-12 15:55:02
松方弘樹いやらしいのう
淀君がBAKA主婦だっただけ。
家康君はむしろ被害者。
そりゃあんた西軍側からみた歴史観だからでしょう。
大河ドラマなんぞ「民のため」や「平和のため」とか
ありえもしないことをいうこと自体信じられん。
歴史をどのくらいご存知なのでしょうか。
徳川幕府は関ヶ原以降、大名の取り潰しに躍起になっていて、事あるごとに些細な難癖をつけながら、特に西軍側の大名家をつぶしていくわけです。
それが天地人でどのくらい描いてあるかは見てないからしらないけど、伏線がある程度わかっていれば変ではないよ。
しかし、「民のため」「平和のため」
これは嘘だわな。
それに吉川広家の奴、余計なことしやがって。
あいつがばたばたしなければ毛利家(糞長州)いってまったんだがな。
>>5
>歴史をどのくらいご存知なのでしょうか。
はあ?どのくらい?ではあんたはどのくらい。
あんたがいっているのは関が原後に難癖をつけて取り潰された大名でしょうか。
西軍とは?関が原の西軍についた諸将でだれがどのくらい取り潰されたのでしょうか?
ぜひ教えてください。
私は東軍につきながらも元々豊臣恩顧の大名のほうが取り潰された方が多いかと。
放り込む前に
しばりょーたろー読んだらええんちゃう?
はおうのいえあたり。
やはり武田や上杉と比べ、徳川や織田は嫌われやすいようですね。
小説を読む?読まないよりはいいだろうが、小説はあくまで小説。作者の創作もたくさんあるんだよ。
徳川家康は強固な天下太平を築いたことは評価する。
(豊臣秀吉の太平は足元が脆かった)
しかし、豊臣秀吉とは政権の確立手法に違いがあり対比されているのでは?
豊臣秀吉が自らの力で天下を得たのに対し、徳川は相手の純心に付け込んだ陰湿な謀略を重ねて得た。
秀吉は華美な文化を好んだが徳川は倹約質素を徹底した。
秀吉は新しいものを積極的に受け入れたが、徳川は現状維持に固執した。
徳川によって海洋国日本の海洋技術は衰退し、発明は禁止され、技術・文化共長期に亘り停滞した。
前例主義・官僚社会・既得権・差別意識はこの間に日本人に刷り込まれていった。
未だに日本は徳川家康の亡霊に取り付かれているような気がする。
日本人の悪いところを凝縮したような徳川家康を見るのは同族嫌悪に似たものがあるのでは?
それを感じるが故に徳川に対峙した武将が美しく見えるのではないかと思う。
石田三成以外は。
(↑個人的には嫌いじゃないが)
飛躍し過ぎて恐縮ですが、長年の鎖国で対外交渉技術を養わないまま国際社会に飛び込んだことが戦争を避けられない状況を作ってしまったと言えなくもないと思う。
これはやはり言いすぎかなw
>豊臣秀吉が自らの力で天下を得たのに対し、徳川は相手の純心に付け込んだ陰湿な謀略を重ねて得た。
はははは?
自ら?織田信長がいなくても天下をとれたの?純心ねえ。豊臣秀吉が清洲会議でいち早く、池田恒興や丹羽長秀を懐柔し、織田家のあととりを神戸信孝ではなく三法師にしたこと。
柴田勝家を滅ぼしたあと、信孝と信孝のお母さん(つまり主君の側室)を平気で殺している。
これを純心というのか?
それに徳川だって太平を第一に思っている訳ではなく、徳川家政権を築きたかったから結果太平?という時代が続いただけ。天地人はもちろん織田家あとはメインに描かれている訳だが、大丈夫ですか?まともに歴史を論じられますか?
しかし石田光成の評価は低いよね。
教科書にもまともに載ってなかった感じだし。
西軍の天下、個人的には興味ありますね。
石田三成は敗北したから悪いイメージのものしか残っていません。
歴史は勝者がつくるものということを忘れずに。好き嫌いで歴史は語れません。
関が原の布陣を欧米の陸軍軍人に見せると異口同音に西軍の勝ちと言うそうですね。
いや、東軍が勝ったのですと告げるとどうしてと反応する。
そこで西軍の一部が寝返ったと知らせると、はあ~政略レヴェルは軍人の責任外と応えるそうです。
家康の勝利もかなり危うかった?
ついでに言わせていただくと、鎖国政策に関しては徳川家康は全く関係なし。鎖国の開始は確か三代目家光の時代でしたね。
>ついでに言わせていただくと、鎖国政策に関しては徳川家康は全く関係なし。鎖国の開始は確か三代目家光の時代でしたね。
高校時代に習った日本史は当時のスペイン、ポルトガル=南蛮人=カトリックは出入り禁止。
イギリス、オランダ=紅毛人=プロテスタントは出入りOKでもイギリスはオランダとの競争に敗れ
自主的に撤退。結果、オランダのみが生き残り、出島を以外は鎖国ではなかったか?
あと、朝鮮とは対馬藩経由で釜山の指定された場所で交流した。
そして、朝鮮の通信使は幕府に下にもおかぬもてなしを受けていた。
これを言うと荒れるかな?
>>11さんの意見大変わかりやすかったです。
歴史研究家ではないので、自分の中ではソースがすべて司馬遼太郎先生です。
すべてが事実ではなく、あくまで「歴史小説」なのはわかっているつもりです。
僕は司馬フィルターを通してしか意見を出すことができないけど
今の、自己評価の著しく低い日本を築いた大元は徳川からって考えています。
あくまで素人考えですよ。
徳川を語るとき、自己嫌悪の投射対象になってしまうんでしょうかね。
織豊天下で今に至ったらどうなっていたかっていう議論はそこかしこでされてるんでしょうが、
知らないので、興味深いところです。