豊洲の歴史
豊洲:
1923年(大正12年)の関東大震災の瓦礫処理で江東区豊洲などが埋め立てられた。
工業地として発展し、20世紀後半までに、石川島播磨重工業などの工場、新東京火力発電所(東京電力、廃止)などの他に、種々の流通設備が立地し、さらに関係者向けの商店、社宅等もあるという状況が続いた。この時代、日本初のコンビニエンスストア、当時珍しかったスポーツクラブ(ドゥ・スポーツプラザ)も設置された。
・豊洲二丁目 - 第3期隅田川改良工事の5号埋立地および豊州突堤埋立工事、豊州拡張埋立工事で起立。
・豊洲三丁目 - 枝川改修工事の7号埋立地に起立。
・豊洲四丁目 - 枝川改修工事の6号埋立地に起立
枝川:
旧東京市は戦前の東京オリンピックと東京万博の誘致に失敗した翌年の1941年、「環境整備」を目的として枝川に簡素なバラックを建設し、主に深川区内に不法住宅を構えて居住していた朝鮮人約1000人を強制的に移住させ収容した。これが枝川のコリア・タウンの起源である。
朝鮮人たちが強制移住させられた当初の枝川は環境が劣悪だった。ゴミ焼却場から漂う悪臭や、降雨の際の住居浸水に住民たちは悩まされたが、当時の行政の対応が十分ではなく、戦後、在日コリアンたちは自力で枝川のインフラを整備することになる。