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>>727>やたら店が多く ←また荒らし君のデマw
タウンページ店舗数検索結果
尼崎市 芦屋市
人口462,718人 93,477人
パチンコ 34 0
スナック 402 25
居酒屋 374 19
焼肉店 101 10
ラーメン 59 10
喫茶店 277 35
すし店 28 30
回転すし 16 0
レストラン 59 40
肉 店 74 5
魚 店 37 6
青果店 45 10
洋菓子 51 26
パン店 58 8
自動車整備203 11
自動車販売142 8
中古車 115 6
婦人服 96 34
電気店 34 4
スーパー 88 11
コンビニ1 39 22
不動産 602 164
銀 行 49 10
消費者金融 22 1
タウンページ店舗数検索結果
尼崎市 西宮市 芦屋市
人口 462,718人 481,211人 93,477人
パチンコ 34 19 0
スナック 402 175 25
カラオケ 122 57 5
居酒屋 374 227 19
焼肉店 101 74 10
ラーメン 59 47 10
喫茶店 277 172 35
すし店 28 80 30
回転すし 16 8 0
レストラン 59 99 40
肉 店 74 43 5
魚 店 37 23 6
青果店 45 26 10
洋菓子 51 90 26
パン店 58 55 8
車販売 142 106 8
中古車 115 91 6
婦人服 96 93 34
電気店 34 34 4
スーパー 88 58 11
コンビニ 139 116 22
不動産 602 596 164
銀 行 49 39 10
サラ金 27 7 2
みんなよっぽど暇なのね。
芦屋市の全半壊率は57%で震災において阪神間&神戸の市町村別でダントツでトップの被害を出しました。
57%の家屋が壊れて住めなくなったのですから、売却や建替等で住民の大きな入れ替わりがあったのは、街並みの激変同様に言うまでもありません。
ちなみに既に常識だが、芦屋の持家の平均面積が広いのは、震災後の建替え住戸の比率が際立って多い(H22年現在で市の全体住戸の50%超が震災後建築)というが大きな要因を占める。
実際は、新築住居における戸建及びマンションの平均面積は、同じ都市圏で大都市からの距離が大きく違わない衛星都市ならばどの市でも同一年度では数㎡しか違わないので、新しい建物が多い都市は平均面積が大きくなる。
H17年度国勢
阪急以北と人口島(南芦屋浜)を含まない芦屋市のメイン街区の人口 64,301人
一般世帯数(世帯人員6人以上含む) 27,222 世帯
世帯人員1人 7,601 世帯
世帯人員2人 8,808 世帯
世帯人員3人 5,547 世帯
世帯人員4人 4,130 世帯
世帯人員5人 946 世帯
一般世帯人員 64,301 人
阪急以北と人口島(南芦屋浜)を含まない芦屋市のメイン街区の面積 約5.24k㎡
つまり芦屋市の主要部の人口密度は12,000人/k㎡を超えている
大都市圏都心から約20kmも離れている郊外衛星住宅都市としては「ありえないレベル」のとんでもない過密人口地帯であるという事がよくわかる。
>>734
また荒し君は妄想の世界へw
貴方の書いてるのは全く逆。
芦屋に限らず全国的に大都市圏では時代と共に細分化が進んだことは周知の事実。
芦屋は今でも平均床面積は大きいが震災前は今以上に他を圧倒してたのは周知の事実
阪神間の海と山の間の地域は、生活至便な場所は都心から15km以上の郊外とは思えないほどマンションだらけで人口密度が高くて人が多くて(のんびりゆとりがあるような環境ではない)、かといって環境が良いと言われる場所は急坂だらけや山の斜面で何をするにもどこに行くにも車を出す必要があるような生活不便な場所が大半を占める。はっきりいってフェアに評価すると、住みやすい地域とは言えない。
これは阪急沿線の山手にもよく見られる傾向だが、プライドと自尊心と地域差別意識の塊のような住民が、そこに住む事によって得られる歪んだ選民意識、つまり自身が持つ差別意識に基づく満足感を「住みやすい」と脳内変換し、その価値観を銭ゲバの悪徳なデベや不動産屋が世間に吹聴・喧伝しているに過ぎない。
>>737
情弱乙。日本の持ち家の新設住宅の平均床面積は、ここ40年一貫して劇的に上昇しています。
http://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h14/H14/html/E1022211.html
これ、地方だけでなく、横浜でも東京でも大阪圏でも阪神間でもどこでも同じだからねw
尼崎市
土地の使用目的%
田畑3 住宅地36工業用地20 雑種地資材置場等8 道路河川学校公園等33
住宅数 1993年207930戸2003年227690戸 世帯数2004 年195,603戸
新築平均床面積 1993年 持家137㎡ 賃貸59㎡ 2003年 持家124㎡賃貸41㎡
また荒し君の妄想書き込みが続きますが、
住宅に特化した芦屋市と工場の多い尼崎等の大都市圏都市を比較するのは無意味だ。
>これ、地方だけでなく、横浜でも東京でも大阪圏でも阪神間でもどこでも同じだからねw
地方等のマンション需要の少ない地区では平均床面積も増えつつあるが、
大都市またはその近郊でマンション需要の高い地区の床面積は減りつつあるのは常識。
【ご本人様からの依頼により削除しました。管理人】
ほんまに暇やねんな。 することないんか。
また、無知なバカがインチキ撒き散らしてるなw
芦屋市が震災で全半壊率トップだったのは周知の事実だが、その壊れた建物は「戦前の大きなお屋敷」などは倒壊棟数の2%にも満たず(地震前時点で、既に殆どが相続・分割されている)、全半壊家屋の98%以上は、戦後の昭和30年代以降に建てられた在来・鉄骨の家屋・木造アパート・軽量鉄骨アパートなど。
そして日本人が一般的に都市近郊でマイホームを持つようになったのは戦後の成長期(戦前は借地持家を含めると、借家比率は90%)に入ってからだが、昭和30~40年代に建てられた家屋の床面積は、現在の平均値より圧倒的に小さい(戸建で90㎡、集合住宅で50㎡程度)。
ゆえにこの時代に建てられた建物の多くが倒壊し、現代の水準となる新しい家屋に建て替えられた比率が他の都市より際立って高い地域(芦屋市)は、明確に平均床面積が大きくなるのは当たり前の話。
戦後の大都市近郊衛星都市で、平均土地面積が低下しているのは当たり前だが、世帯あたりの床面積は逆に増大している。
現在においては、新設住宅における注文住宅、分譲住宅、分譲集合住宅のそれぞれの居住面積水準は、同一都市圏で都心からの距離が近い地域においては、数㎡も違わない(単純平均値ではなく、より実情に近い中央値)。
震災の時に住民が多く入れ替わったのは、事実ですね。
トラウマになり、もうここには住みたくないと出られた方々は多数いらっしゃいました。
特に木造家屋は70%が全半壊したので、住民の入れ替わりが激しいです。
【ご本人様からの依頼により削除しました。管理人】
やはり神戸から西宮、芦屋は、震災の時にかなり住民がごっそり入れ替わりましたよ。
http://www.city.ashiya.hyogo.jp/quake/kenchiku/kench002.html
特に芦屋は戸建が7割以上全半壊となったので(マンションはもともと高度成長期以降の
転入者が殆ど)、現在は古くから住んでいる住民の割合は本当に少なくなりました。
>>750
震災をネタに根拠も無いデマを流すのは人間としても最低です。、
またその資料には被害状況が書かれていても入れ替わりは何処にも書かれてない、そして土地売却には無縁の方で知識も未熟な方なのでしょう。
震災で全快した多くの建物は築年数が旧く購入時の土地代も安い家が多く、売時に掛かる税金は購入時との差額に掛かるし諸費用も含めると大損です。
また突然家が潰れた訳だから余分な出費も極力控えるには心情で、その土地にまた家を建てる人が多いのは推測されるし現実にもそれが最も多かったのは下記の人口増減率でも明白です。
平成 芦屋人口 増減率
6年86630人
7年75032人△13,4% 阪神淡路大震災
8年74562人△0,6%
9年74922人+0,5%
10年76212人+1,7% 南浜埋立地の完成、震災復興住宅入居開始。
11年77775人+2,1% 多くの震災復興区画整備地で戸建て建設が始まる。
12年83834人+7,8% 震災復興区画整備地の戸建完成がピークを迎える。
13年85378人+1,8% この頃より市内各所のマンション完成が相次ぐ。
14年87790人+2.7% 震災前の人口にまで回復
↓
22年93259人+5,9%
震災で住民の入れ替わりが激しかったなんて神戸や阪神間の新興住宅地ではない旧市街地や古い住宅街に住んでいてリアルに震災を経験した人間や不動産業者なら常識だが。
実体験で経験してて、震災で住めなくなった人間の殆どが当地に戻ってきてるなんて主張をする人間がいるとすればトンデモだろう。「震災 住民 入れ替わり」でぐぐりなさい。
746はマンションの事は関係ない記事をのせてますので削除していだだくようにおねがいします。
753
マンションの事は関係ない記事をのせてますので削除していだだくようにおねがいします。
僕は兵庫県でマンションをさがしてます。会社を経営してるのですが経営を縮小して
秘書の奈良の女性と同棲してます。今は大阪の会社兼住居マンションに妻と別れてすんでるのですが
いずれか再婚して環境の良い神戸に住みたいです。良い物件があれば教えてください。
お願いします。
甲子園口駅の山幹北側がよいと思います。
閑静な住宅街でありながら
大阪まで13分、三ノ宮も20分ぐらい通勤できます。
JRなので新大阪もすぐです。
大阪駅再開発ビルが開業したらさらに良くなるし、
いまでも西宮ガーデンズにすぐに行ける利便性は抜群かと。
落ち着いて暮せて、学校区もよく、利便性もよい。
物件価格は高いけどそれだけの価値はある地域です。
お金持ちばかりではにので、サラリーマンも住めます。。。
>>756>>757
その資料は東灘区の甲南商店街限定と、単純数を拾っただけの欠陥論文だねw
まず欠陥論文の根拠だが、震災で一時的に市外に引越しして戻った人や
市内での引越し者の数字が全くカウントされてない。
下記は表3から抜粋した震災後3年が経過した時点での住民基本台帳と国政調査との人口差で、
カッコ内はもっとも被害が大きかった地区。
1995年芦屋市 A住基93.2(82.9) B国調87.7(40.6) A―B5.5(42.4)
http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/2567/1/20090622-3-25....
震災から5年近くは家を失った人たちが同市内の賃貸を求め価格が急騰し分譲も競争率が高かった
時なので他地区からの流入はほとんど無かったが、3年経過した時点で市内全域で住基93.%
最も被害が大きかった地区でも住基が82.%。
被害の大きかった地区は国調と2倍近くも差が出たが3年も経過したのに住基を移さなかった人の
多くは戻る意思が強い人と推測される。
但し被害の大きかった地区は区画整理が長期化したため戻るのを諦めた人も少なくないのは事実だが、
市から等価交換の市内代替地を提供された人も少なくはない。
行政関係者が戸建の全半壊率が60%を超えた地域(東灘、芦屋、西宮の阪急以南のほぼ全域)では、住民の半数が入れ替わったと名言しているのにアンケート調査がソース(笑)
そもそも阪神間(西宮~神戸東部)は転出率が高くて有名な地域で、震災に関係なくそれ以前からもともと人口の1/3が10~20年で入れ替わる事で有名だった。芦屋の転出率は年5.5%をゆうに超え有数のレベル。東灘区は芦屋よりもさらに高く6%近い。
震災後に生まれた子供の大部分は、新たに転入してきた子育て層の1~2人目など。
もともと震災前から住んでいた世帯(年配や中高年が当然多い)の子供ではない。
あのね~ 震災がなくても10~15年スパンで市民の1/3が入れ替わるのが阪神間なのよ。
それが震災という過半数の戸建が倒壊する大インパクトがあって、それから15年も経過しているんだから
半数程度の住民の入れ替わりがあるのは当たり前だろw
阪神間需要(不動産の担保価値)は、転入需要で成り立っている。
不動産屋が異常に多いのはその為(イメージ商法に釣られるバカをだまして一攫千金を狙う業者が集まってくるシマ)。
地縁、血縁による身内需要で成り立っているわけではない。
この地域が、住民の入れ替わりがきわめて激しいから仲介業者にとって旨味があるというのは、不動産業者の間では常識中の常識。
>>775
典型的な情弱おバカさんへ
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/toukeiChiri.do?method=init
2005年の統計GISデータ(国勢)
芦屋市
一戸建て 11216世帯(30.5%)
集合住宅(長屋建・共同住宅) 25422世帯(69.5%)
実際は、ここ5年でさらにマンションが激増しているので、集合住宅世帯の比率は70%なんてもんじゃない
芦屋市は戦前のDID及び可住地についてはその面積に対して限界近くまで戦後に開発され世帯数が増加したが、
昭和40年代以降に旧住造法の認可を得て各都市で幾つも開発された100~数100ヘクタール級の住宅開発を
行えなかったので(市域の極端な狭さ及び開発に適した緩やかな地勢の大規模山林が存在しなかった為)、
DID自体が拡大しなかったというのが、他の地域のような60~70年代の爆発的人口増加が起こらなかった要因。
戦前の芦屋の市街地・住宅街の風景や街並みは様変わりし、もはや当時の原型を留めていない(所々に面影を
残す建物が残っている程度で、街並み自体は別物)というのは、誰もが知っている事実。
そもそも「奥池や埋立地を除外すると、戦前から人口は云々」といった表現も全くもって意味不明。
通常の大都市近郊の都市は、奥池や芦屋の埋立地とは比較にならない規模の可住地拡大が見られて、
それに伴う人口増加が、全体の人口増加の大部分を占めているんだから、他の都市の人口増加と
比較するにあたって「奥池や埋立地を除くと云々」といった前提をする事がそもそもアホ丸出しw
現実として、芦屋の世帯数は戦前(昭和15年で7890世帯)から5倍(現在4万世帯超)に増えているし、
人口も2.4倍(140%増加)に増えている。
http://www.city.ashiya.lg.jp/bunsho/toukei/documents/jinnkou.xls
http://www.city.ashiya.lg.jp/bunsho/toukei/documents/heisei22nen-jinko...
昭和15年 7890世帯
平成22年 40166世帯(400%増加、世帯数5倍)
昭和15年 7890世帯
平成22年 40166世帯(400%増加、世帯数5倍)
昭和15年 7890世帯
平成22年 40166世帯(400%増加、世帯数5倍)
昭和15年 7890世帯
平成22年 40166世帯(400%増加、世帯数5倍)
昭和15年 7890世帯
平成22年 40166世帯(400%増加、世帯数5倍)
戦前の大都市近郊の住宅街(分譲地)や市街地は、主に駅を起点にせいぜい1~2km圏内で開発され発展した。
そりゃそうだよな。
駅から3~4kmも離れた山林や丘陵地や田畑に人口数万人規模の巨大規模の住宅街が開発されるようになったのは、(旧)住造法などの法律関係が整備され、マイカーが爆発的に普及しバス便も発展した昭和40年代以降からだ。
逆に言えば、駅から3~4kmも離れれば、そこは今までは生活不便で住みにくいエリアだったので、開発されていない土地は「平均的な面積を備えた大都市近郊の衛星都市」にはゴロゴロあった。
ところが芦屋は極端に面積が小さく南北に細長い上に北部は急稜な六甲の斜面が迫っている為、駅から3~4km離れたエリアが大規模住宅街として成立する時代に入っても、巨大規模の住宅街を複数開発可能な土地が全くなかった。
これが、芦屋が他の都市と違い、爆発的に人口の増加が起こらなかった理由。
何も芦屋の市街地が多の都市より戦前から、開発が進んでいたわけでも完成していたわけでもない。
実際は芦屋ほど戦後猛烈に開発された都市は無いぐらい開発されたが(街並みは様変わりして、現在では多くの
街区で戦前とは街並みがまるで異なる)、この点に気付いていないと「芦屋は他の地域と違って、戦前から開発が熟成していた。人口の増加が少ないのがその証拠」などというマヌケな勘違いをするオツムの不自由な情弱君が出てくる。
普通は都心から20km圏にある郊外都市というのは、戦前の市制施行時で30~100k㎡はあるのが普通だった。
それに対して芦屋は極端に小さく18k㎡しかなく、可住地に至っては7k㎡しかない。
だから芦屋は戦後に猛烈に開発されはしたが、(戦前の町の発展度合いが同規模の周辺都市に対しても、
勝るとも劣らない開発圧力で開発された)、土地不足という物理的限界に行き当たるのが早く、
安定成長期以降の巨大規模のニュータウン開発は行えなかった。
ようは市の人が住む事が可能な面積あたりで、戦後から現在に至るまで限界レベルに近い所まで開発が
行われ世帯数も増加しているが(DID人口密度は大阪市より高いので、限界近い開発が行われたのは明白)、
市域の狭さ・可住地不足ゆえに、大規模な人口の増加をもたらす巨大開発は行えなかった(埋め立てや奥池
エリアの開発が精一杯だった)というのが史実。
総合的に判断せず、人口だけを見ても何も分からない。
S10年の世帯数(≒住戸数) 7890
S40年の世帯数(≒住戸数) 17046
H10年の世帯数(≒住戸数) 30808
H22年の世帯数(≒住戸数) 40000(埋立地・奥池・奥山を除くと33000)
これを見て(埋立地・奥池・奥山を除外した戦前から人が住めた町丁で世帯数が300%以上増加)、開発が
緩やかだとか、戦前から家はそんなに増えてないとか言い張るのは頭が湧いてるとしか言えない。
芦屋市のDID面積は、
http://www.city.ashiya.hyogo.jp/machidukuri/toshimasu/image/genkyo.pdf
これを見ればわかるように全体面積より狭く7.65k㎡にすぎない。
H17年 DID面積:7.65k㎡ DID人口:85,497人なので
芦屋市のDID人口密度 11,173(人/k㎡)
他の地域は、
札幌市 7,966
横浜市 10,036
さいたま市 9,345
川崎市 9,974
大阪市 11,857
東大阪市 10,355
堺市 7,558
尼崎市 9,295
西宮市 10,849
神戸市 9,536
政令指定都市(平均) 8,089
いかに芦屋が戦後から現在に至るまで猛烈に限界まで開発され続け流入し続け住民が激しく入れ替わり、郊外としてはありえないほど市街地・住宅地の人口密度(DID人口密度)が高いかよくわかる。
開発が緩やかで住民の入れ替わりが少ない地域(元から住んでいる地縁・血縁者が多い地域)が、DID人口密度で1万人を超えるとかありえないw
>>775
H17年データ
一般世帯数 37,070 世帯
一戸建 11,398 世帯
長屋建 1,169 世帯
共同住宅 24,452 世帯
・・・共同住宅1・2階建 1,582 世帯
・・・共同住宅3~5階建 11,996 世帯
・・・共同住宅6~10階建 6,040 世帯
・・・共同住宅11~14階建 2,706 世帯
・・・共同住宅15階建以上 2,128 世帯
・・・その他 51 世帯
長屋建+共同住宅=25621世帯
256621÷37070=0.69115 よって集合住宅居住世帯の比率は5年前の時点で市民全体の69%
5年経過した現在は70%超えてる事はここ5年のマンション急増を考慮するとサルでもわかるよな?
西宮は5年前で集合住宅比率65.3%って事になってるけど、これは市の北部地域(名塩、山口、北六甲)が殆ど一戸建てだからで、南部は現在値だと実際は70%ぐらいある。
ようするに、芦屋は戦後ありえないほど開発されて
「大規模ニュータウンが開発されなかったにも関わらず」
「大規模ニュータウンが開発されなかったにも関わらず」
「大規模ニュータウンが開発されなかったにも関わらず」
「大規模ニュータウンが開発されなかったにも関わらず」
「大規模ニュータウンが開発されなかったにも関わらず」
世帯数が5倍に増えたって事だろ(笑)
駅から3km以上離れた地域は、マイカー普及率が0.01%以下だった戦前は市街地として成立しなかったのでのでそのエリアは広大な開発余地が残されていたのが通常の都市だが、市域が東西に狭い芦屋は3km離れると北の急斜面の山腹なので、大規模な新規の住宅地の開発が行えなかった。
つまり芦屋は、大規模開発が行えなかったにも関わらず、世帯数が5倍に増加するほど戦後に開発され尽くしたが、60~70年代以降の巨大規模開発が行える用地が無かったので、表面上の人口増加が通常の郊外都市(郊外都市の爆発的な人口増加は安定成長期以降の巨大ニュータウン開発によるもの)と比べて少なくなったというからくり。
これが理解できていないと
「芦屋は戦前からの住民が殆どを占め、戦後の開発は緩やかで現在人口に占める流入住民は少ないといったバカ丸出しのトンデモ勘違いをする者が出てくる」
戦前の芦屋が他の都市と比較して、発展していたわけでも成熟していたわけでもない。
都心から同一距離圏の他の都市も駅から市街地として成立する圏内は同様に発展していた。
単に芦屋は市域が狭く、戦前の可住地全体面積に対して駅2km圏内のエリアが占める割合が大きかった(ー市域が狭いから)だけの話。
芦屋市の特徴(客観的な事実)
・芦屋市の世帯数は戦前の5倍に増加している S15年8000弱 H22年40000強
http://www.city.ashiya.lg.jp/bunsho/toukei/documents/jinnkou.xls
http://www.city.ashiya.lg.jp/bunsho/toukei/documents/heisei22nen-jinko...
・芦屋市の全世帯の7割は集合住宅である 2005年戸建11216世帯(30.5%)集合住宅25422世帯(69.5%)
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/toukeiChiri.do?method=init
・集合住宅の99%以上はここ40年で建てられたものであり相当数は震災後のマンションである
・震災で戸建の全半壊率は7割を超え、集合住宅も含めた全体でも全半壊率は5割を超えている
・芦屋市の転出率は戦後一貫して高く常に年5%以上である
・震災以前から市民の1/3が僅か10~15年程度で入れ替わる極めて住民の入れ替わりが激しい地域である
これらをどう脳内変換統合したら「芦屋は戦前や昔から住んでいる家が多い地域」になるんだw
でもね、
人口の1割生活保護の大阪民国や、ヨゴレ尼崎に住むのはいくら落ちぶれても嫌。
生活保護受けても、芦屋夫人。芦屋マダム。
姫路市民ですが、某西宮市民から話す地元への自信ぶりにびっくりしたのですが、これって西宮市民の普通の認識なのでしょうか?
阪神間の友人なども多いのですが、出身地の話などになると西宮出身者の地元アピールが想像以上に強く驚いております。
今まで西宮のイメージとしては、ただのベッドタウンというか神戸や尼崎や豊岡などと比べてもマイナーなイメージでしかなかったのですが、
明らかに尼崎や姫路を下に見ているというか(絶対に住みたいとは思わないみたいな表現が多いです)、そういう表現で私の知ってる西宮出身者の多くが
地元アピールをするのにびっくりしております。
とかいって彼らが姫路の街を知っているかといえば、実際に訪れている人がいるわけでもなく、人口や商業施設や職場の数でも目立たない西宮市民がそこまで
自信を持つ(というか他都市を下に見る)根拠が分かりません。
甲子園球場があるからかなとか思ったりもするのですが、実際には関東出身の西宮在住者などからすれば、球場自体が「誤解の元」らしいですし、
ますますイメージがわきません。
無論、西宮の町並みは、頻繁に訪れるのでよく知っています。普通のベッドタウンです。
大阪や尼崎出身の友人からしても、西宮に対するイメージは私とそう大差はないのですが
(大雑把に言えば、普通のベッドタウンという印象です。)、やはりベッドタウンのイメージが
ある茨木や加古川の知人が多少自虐的な表現で地元を語る事がある事があるのに比較して、
やはり異常なまでに自信がありありで虚栄心と自尊心とプライドと自己顕示欲と他の地域に対して
根拠も無く上から見下したがる貧しい心が感じられました。
基本的に、神戸阪神間(の主に山手)は、なじまず出た人々(ある意味正常な人々)を除いては
居住する事で高い満足度が得られているのは確か。
この地域に住むと、殆どの人はとてつもないプライドと虚栄心と自己顕示欲の塊みたいな地域性に染まるので、
もともとそれを望んでいる(望んでいた)人々にとってはこれ以上無い理想の永住地となる。
普通の日本・日本人は自分以外に対して、あえてへりくだる、配慮する、気を使う、敬うといった遠慮、謙遜の文化と価値観がベースにあるけど、神戸・阪神間は真逆で、いかに自分・自地域を誇るか、他を見下すか、比べて勝ち誇るかという自分・自地域を実際以上に立派に大きく見せる・誇る事が優先される文化、価値観になっている。
一言で言えば、日本人独特の気遣いや配慮や謙遜よりも、自己のプライドと虚栄心と選民意識を満たすほうが
優先される(謙遜するよりも他を蹴落としてでも自分を立派に見せたがる)恐るべき文化圏。
完全に大韓民国・中華人民共和国・アメリカに酷似しています。
これが神戸・阪神間が日本ではないといわれる理由です。
あたくし、芦屋で生活保護受けてるざ~ますけど、芦屋マダムでございますのよ。
芦屋・西宮にも、いわゆる〇〇地区もあるわけでしょ。
イメージ商法でカモを相手に業者が儲けるのは西宮・芦屋だけではないですよ。
というか、業者はどんな街だろうとあれこれ理屈をつけて高く売りつけようとしますからね。
ただ、昨今は消費者も賢くなっているので、モノが悪ければ芦屋だろうと西宮だろうと大量の
売れ残りが出る業者にとっては非常に過酷な時代になっています。
>わざわざむこうからネギしょってやってくるカモが桁違いに多いから、業者のシマになっている地域って事でしょ
それが、ここ数年でめっきり減っているらしんですよね。業者としては、カモを当て込んでいたのに大損害です。
むしろ、尼崎あたりのこなれた価格のマンションの方が売りゆきはいいらしいです。 海外ブランドが不調で
ユニクロが売れるのと同じ理屈です。