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託児所に子供を預けてまで仕事するのってどうかなあと思います。
他人に面倒をみてもらってまでねえ・・・・
[スレ作成日時]2006-03-21 23:28:00
託児所に子供を預けてまで仕事するのってどうかなあと思います。
他人に面倒をみてもらってまでねえ・・・・
[スレ作成日時]2006-03-21 23:28:00
68歳でくらいではまだまだわからないですよ。
まだまだお若いじゃないですか。
いつ凶とでるか、恐ろしくはないですか?
仕事をしていた人は、やめた時が空虚感で危なくなるとか。
>>いつ凶とでるか、恐ろしくはないですか?
今まで、別の意味での凶をたくさん経験したので、
母親は夜働いていました。だから夜は兄弟だけ。
それも普通の家庭と比べたら凶ですね、でも今は懐かしいだけです。
162さんは多分痴呆症等の心配をおっしゃっていると
思います。そのときは、そのときです。
163のおっしゃることは、そのとおりらしいです。
特に男。その中でも趣味のない人。
あれっ!! 子育てのスレがシルバー相談室に?
これってわたしのせい?
昔の母親は経済的な事情で働いていても、子供の面倒、しつけは
きちんとしたでしょ
今は、面倒みるのが嫌、仕事のほうが楽だから、という人が多いから問題なのでは?
仕事してるしてないに関わらず、自分の子なのに、祖父母に預けっぱなしで
育児を放棄している人が多い
うちの母も働く母でしたが、家事も育児もきちんとやる人でした
父は幼少の頃に他界しました。
母が仕事でいない寂しさはありましたが、母を尊敬してます
>>165
『今は、面倒みるのが嫌、仕事のほうが楽だから、
という人が多いから問題なのでは?』
・・・なにを根拠に「多い」とおっしゃっているの?
どうも最近のスレを見ていると、
働く母親は子育てより仕事が「楽しいから」だと
決めてかかっている人がいますね。
「専業主婦=善」
「働く親=悪」
という固定観念から出発するとそうなるのかな?
そうそう単純な話ではないと思いますが。
うん。そういう事情なら子どもだってよーーく理解してると思う。
子どもを育てるためにはしょうがないんだって。
でもそんな母親なら本当に尊敬できますよね。
自分中心の仕事大好きな母親じゃ尊敬できない。
>>165
生むのが若すぎるんじゃないかなあ
ある程度遊ぶ前に(まあ遊んだ結果子供が出来ることも今は多いけど)
育児に入って、同年代とだんだんずれていく自分に
絶えられないとか(まだ他の子は楽しそうにあそんでるから)
なんとなく、いとこ見て思いました。
>>168さん
「子育て=女性の仕事」
「子育て中は四六時中、母親がそばにいるべき」
という観念から出発するから、こうなるのでは?
母親が仕事大好きで子供がさびしい思いをしているって、
父親も仕事大好きで子供に構ってられない、という状況だと
思うのですが、自分中心の仕事大好きな父親は、ここまで
非難されないですよね。
私としては、収入を共同で稼いでいるなら、子育ても共同するのが
理にかなっていると思います。
なぜ、母親の方ばかり非難されるのでしょう?
>>170さん
169です。思わず涙目になりました。(笑)
長く働くことが良いことみたいな、日本の会社じゃ
なかなか男性は参加しづらいですね。
資源のない国だから、労働時間の長さだけが財産だからかな
と考えます。
オーストラリア人は子育て優先で、
6時になったらみんな「今日は終わり」って
帰っちゃうそうです。
そんで2歳くらいからもうパソコン教えてました。
オーストラリアではそうなんですね・・・でも
文化の違いをここで出してもしょうがないでしょ。
ここは日本なんだから、オーストラリアがいいと思うなら
オーストラリアへアメリカがいいならアメリカへ行って育児して。
父親ももちろん子育ての責任があるとは思います。
が、男女平等といわれる中でやはり性の適性はあると思うのです。
どんなに頑張ったって男性は妊娠して出産しておっぱいは出ないのだから。
もの言わぬ赤ちゃんがお父さんがいいかお母さんがいいか
聞いてみたいものですね。
母親の役割は父親では換えられないほどの貴重なものだと思います。
>>171さん
えっと。何番さんだろう?自作自演じゃないです。念のため。
>長く働くことが良いことみたいな、日本の会社じゃ
「雇用機会均等法」のもと、そんな会社に入って、
男性と同じ労働条件の下で働いている女性も多いと思います。
労働環境は変わっているのに、「家事・育児は女性の仕事」と
いう考え方はあまり変わっていないように思います。
男性の家事参加が進んでいるという話もありますが、
「妻の仕事(家事)を手伝ってる」という認識の方が多い
のではないかなぁ・・・と。
法的には、男性も育児休暇を取得できるようになりましたが、
世間の目がそれを許さない、という状況になりそう。
北欧(3カ国のうち、どこだったかは忘れました)では、両親が週の半分
ずつ育児休暇をとって、仕事をしながら二人で子育てできるそうです。
日本にも欲しい、うらやましい制度です。
長い長〜い歴史を刻んだその国の文化であるのだから
そこだけまねするのは無理な気がしませんか?
できるならそうなってほしいですが、日本の文化でよい面にも甘えながら
ないものねだりはズルイ気がします。
男女平等といっても、男でなければできない仕事、女でなければできない仕事は
どうしてもあると思います。
家事も妻の仕事と考えるのはイヤだけど、確かに妻の方がむいていると思う。
あの〜バトルは自由ですが、sage進行できませんか?
無理にとは言いませんが、お願いです。
>166
>面倒みるのが嫌、仕事のほうが楽だから、という人が多い
・・・なにを根拠に「多い」とおっしゃっているの?
根拠はありませんが、私の周りではそのようにおっしゃる母が
多いのでついそう思ってしまいがちです。
172さん、171です。別に反論じゃないのでお手柔らかに。
私はオーストラリアには行ったことは一度もなしです。
私が見たのは、日本の女性と結婚して今まさに日本で、
子育てをしているオージーと、二人っきりで働かされた(会社から)
ことがあるので、彼との仕事感、育児感のちがいを、
まざまざと見たので、ちょこっと紹介したまでです。
あんな働き方ではすぐに日本人なら解雇されます。
はっきり言って不真面目ととれますが、
育児には真剣なのです。
2歳半でパソコンをある程度操作するハーフのこどもを
見てびっくりしました。
子育ての道はなんともバリエーションに富んでると
思ったのです。こどもの可能性の無限さ、順応性に
驚いたということでした。
(長くてあどーもすいません)
一日中子供といるなんて嫌、保育園でしつけしてくれるほうが楽だからいい、って
言っている友人、何人かいます
別に仕事してる母親が悪なんて誰も言っていません
専業主婦でも、子育てを放棄して他人にまかせっきりにしているのが問題だと言っているんです
そんな母親を見て育った子は、同様になるだろうし、親のことなんて尊敬しないんじゃないかな
私もそう思う。
でも専業主婦で一日中子供と向き合っててストレスたまったりしたら
たまには託児所預けて、リフレッシュするのはいいと思う。
己が感じることは相手も感じてるかもね。
お子は敏感じゃたしかに
一日中子どもといっしょでなんてストレスたまるわ〜
だから働くのよ、お金ももらえるし・・・って言う友人が
私の親しいなかに4人もいるんですよ。
私によく一日中向き合ってられるね、エライわ!って言いますよ。
うーーんそんなにストレスも感じていないけどなぁ。
色即是空 空即是色。
ストレスは人によって違うから、185さんはそれでいいと思う。
でも託児所預けて、遊んでてもやっぱり気になるもんよ。
迎えに行って抱きついてくるわが子にきゅんとなって…
スーパーや百貨店で買い物中に時間単位で見てくれるサービスがありますね。
以前、私の礼服を買うのにお願いしたのですが、
やっぱり心ここにあらずでよけいにストレス感じました。
こんなに心配になるなら通販でガマンしておけばかった後悔。
もし今大きな地震がきてこのまま会えなかったらとか、
私が何か事故・事件に巻き込まれ迎えにいけなかったらとか・・・
こんな小さな子を傍から一時も離したくないと痛感しました。
しばらくは私の大事な仕事と思って育児に専念します。
うちの娘も今2歳で反抗期まっさかりで、うんざりすることもあります。
保育園に行ってたら、どんなに楽だったろうなあ・・と。
でも、親子でベッタリいられるのって人生のうちほんの数年。
毎日どんなことに泣いて、怒って、笑っているかを全部見られるのは今しかないな、と
考えるようにしています
そのうち幼稚園や小学校に入ったら、ママのことなんか構ってくれなくなるかもしれないもんね
あと数年すれば、自分の自由な時間もたくさんできるわけだし。
今は平日は他の親子といろんな遊び場に連れて行ったり、いろんな習い事の体験レッスンに
行ってみたり、結構楽しいですよ。
でも友達がいないとつらいでしょうね。
休日に夫が予定なければ、子守してくれるので、平日に託児所に預けてまでリフレッシュしたいとは
思いません。
人生80年として子育てで大変なのは3〜4年、二人を育てて7〜8年。
確かにたいした期間ではないでしょうが、働き盛りの将来の基盤を作る
その時期仕事を辞めてしまうと、職業人としては残りの30年を棒にふった
ようなもの。育児休業や職場復帰のシステムを取り入れている会社は少数。
給料の安い若い新人を採用してこき使いたいというのが会社の本音。
たとえカムバックできても単身と同等の残業等過酷な労働が待っている。
母親となった女性がそこで男並みに働けるはずもなく、
職業人として働くことははじめから諦め、小遣い稼ぎ程度の仕事に甘んじる。
それまでの生活が楽しく、充実したものであればあるほど、
それまでの自分に自信と誇りを持つ人であればあるほど、
母親は子育てによって「閉じ込められた」という気持ちになります。
若い母親は子どもを産むことによって、実際にはそれまで享受していた
ほとんどすべてのものを失ってしまうのです。
職業を失います。収入を失います。友人も失います。
そして自由と、ついでに自信までも。
失ったものが大きければ大きいほど、母親はその代償として
自分に与えられたこの生き物に執着せずにはいられません。
母親はそうでなくともゼロ歳児との密着の中、子どもとの一体感を深め、
「この子だけが私のもの」という思いを抱きがちですが、日本はとりわけ
家庭に父親の姿が見当たらないことに、より、母親と子どもの密着度は増していきます。
父親の代わりに母と子の小宇宙に侵入してくる第三者があります。
教育産業です。情報社会とは恐ろしいもので「みんなこれを習っていますよ」
「今のうちこれをしておかないとあとで困りますよ」というささやきに
心を動かされ、わずか二歳ほどで子どもはもう、母親のなすがままに
「お勉強」を重ねる生活の中に入っていきます。
その生活のなかには、子どもの心と体を安らげ、抱きとめてくれる
さわやかな自然もありません。父親もいなければ、地域のおじさん、
おばさんも、犬ころのように戯れ合って遊ぶ群れもありません。
子供達は社会から隔絶した母と子のカプセルの中で、
幼児期に必要なあらゆる体験を奪われたまま、母親の好む
「お勉強」に日を送ります。
「子育てのために自分の生活がある」と考えている専業主婦も
「自分がこんな生活をしているのは納得できない」と考えている専業主婦も
共通点は子どもの成長とともに「成績」を子育ての最大の目標として
暮らすようになってくるということです。
教育産業がこれほど凄まじい勢いで家庭に侵入してくるのは、
決して彼らだけの力ではなく、母親たちの価値観にもあります。
キャリアを捨てて家庭に入ることを余儀なくされた母親達は
すでに偏差値的人間評価の荒波をくぐり抜けて育ってきています。
その価値観から自由になるのは、決してたやすいことではありません。
無意識に「できのよい子」であることを求めるのです。
逆に偏差値的人間評価のなかで、割を食って育ってきた母親は母親で、
わが子にはその辛さを味あわせたくないと思います。
それゆえ彼女達は彼女達で、子どもの成績にのめり込む危険性を持っています。
こうして、昭和三十年代から増加の一途をたどった専業主婦が
「豊かさ」のなかで育てる子供達は、二、三歳というごく幼い年齢から、
塾や、おけいこごとや、スポーツクラブに連れ回され、極度に人工的な
環境で育つようになってしまいます。
その結果、子供達が失うものはなんでしょうか。「遊び」です。
三,四歳という年齢はいじめたりいじめられたり、喧嘩して泣いたり
泣かされたりしても、それが人格の上にいささかの傷も残さず、
次の日にはケロリとして友達と向き合うことのできる人生唯一の
貴重な時期なのです。この時期の子供同士の十分な遊びこそが
子どもの心と体を鍛え、その後の仲間づきあいの土台を築く、
かけがえない体験となるのです。
幼児期にそれを与えられない子どもが育ってしまうことのマイナスは
計り知れません。
母親は確かに、仲間を求めて公園に出掛けていきます。
しかし子供同士の喧嘩が始まるとすぐに飛んでいって引き分けてしまうのです。
最近ではおもちゃの取り合いが起きないようにと、同じおもちゃを二つ用意
する母親まで現れ始めました。母親の監視のもとにある公園での遊びは
密室育児の延長にすぎません。
こうして子供達は、彼らの人間的成長に絶対に必要な幼児期の
仲間同士の遊びを奪われたまま、育っていきます。
そして彼らの幼い頭脳には「できる」「できない」という価値観が
癒しがたくすり込まれていくのです。
幼児期からつねに「できる」「できない」を意識されている生活の中で
勉強ではいつも負かされている相手をいじめの標的にしたくなるのは
ある意味で無理ないかもしれません。いじめを苦に自殺する子供達に
成績の良い子が多いのは偶然ではないでしょう。
遊びの中で自らを鍛える体験がなく、人工的な環境のなかで
「いい子」のイメージを演じ続けてきた子供達は、不思議なほどもろく、
死への逃避を選んでしまいます。
「子どもは生まれたときは、それだけで可愛い宝物に見えました。
でも、大きくなると、成績で子どもを見るようになってしまいます。
親はいい子だと安心して心を見ない。できなければ、成績を上げようとして
苦しめてしまう。清輝君の事件で、私は子どもの心を見ようとしなかった
自分に気づかされました」
清輝君の「いじめ自殺」のあと、PTA総会で一人の母親がこう語っています。
こうした母親の姿勢の背後には、彼女達をそこに追い込んでいく
社会構造が存在することを忘れてはなりません。
男性並の能力と学歴の持ち主である女性が、一度母となると
生産の現場から疎外され、子どもとともに家に閉じ込められる
生産第一主義の「日本株式会社」の現実が、母親を教育にのめり込ませ、
子どもから遊びを取り上げて、「いじめっ子」と「いじめられっ子」
を育てる温床をつくり上げているのです。
あのお
長〜いのおで、連載にしていただければ〜
さっき本読んでて、気分転換に掲示板見たら
また本だった感じ〜
↑
ごめんなさい。
もうやめます。
190は本からの抜粋なの?
それとも自分の考えなの?
自分の考えだったら凄すぎる…
192さん、謝られても困るダニよ
短編にした方が、読者が増えるダニよ
私は今、ヘッセのシッダールダを読んでるぞなもし。
人間の営みを考え直す年齢に私もなったダニ。
だからもっと続けてもかまわないのじゃ
ふと感じたダニ
仏陀が生まれた頃と現代の人間
比べて 幸福度に進化がないのだよ
子育てにも感じるダニ
気にせんで続けなはれ
思うからには存分にやりなはれ!!
今のこどもは何して遊ぶ?
私の頃は怪獣ブロマイド収集ですたね。
交換したりして、あれって商売の原点だったかも?
能力と意欲が充分にある人は仕事をすればいいと思う。
両立は難しいし、家にいることが好きで子育てが楽しいと感じる人は
専業主婦になればいい。
先ず自分自身が幸せになることを優先する。 その上でなければ、人を
幸せにすることなど出来ないと思う。
どんな環境も、その子にとって悪いと言うことはないような気がする。
真に問われるのは「愛しているか」であるはずだから。
196さんの意見。とてもうれしいです。
私は医者しながら子育てしてますが、子供は何より大事です。
第一線といわれる仕事からは手を引いてますが、時々昔みたいに・・
と思うことも実際あります。両立は時に大変なこともありますが、
子供の顔見てたら不可能なことはありません。
毎朝元気よく登園し、夕方笑顔で出てくる娘にはげまされてます。
何を持って
良い子育て、悪い子育てというのかわかりません。
その子が成長して、どうなるか誰にもわかりません。
我が家も娘です(一人っ子)
今のところ問題なし
将来はわかりません
問題が起これば
そのときそのとき真剣に向き合って
行くしかないのかなと自分は考えます。
問題は社会環境じゃないとも考えます。
問題の答えは自分の心の中にあること、
本当は皆、知っているはず。
>196
>先ず自分自身が幸せになることを優先する。
そうでしょうか?
まず自分の幸せを優先した結果不幸になる子どももいると思う。
実際、親になると自分の幸せが第一という考えはどこかへいって
しまいましたね。
だた、働くにしても、家にいるにしても子どもに愛情を注ぐことが
大切なんだと思います。
愛のない家庭に育った子どもは不幸だと思います。
自分が幸せだと、他の人にも優しく寛容になれるものだ。
家にいるお母さんが育児も家事も楽しい感じながら生き生きとしていると
子どもも安心して育っていくでしょう。
家にいるお母さんが育児も家事も辛く思いながら何で私だけ?と思っていれば
子どももボクのせいかな?と悲しくなるでしょう。
仕事をもつお母さんはその大変さをこどもに向けず笑顔で生き生きしてると
子どももそれを受け入れるでしょう。
仕事をもつお母さんが仕事の辛さを愚痴り子どもに八つ当たりしていると
子どもはボクなんかどうでもいいんだと爪をかんだりするでしょう。
自分が幸せになるということは
子どもや夫や他人を押しのけて自分を優先する幸せのことではなく
お母さんが与えられた今の状況を受け入れ前をむいていることだと思う。
その姿は子どもにも夫にも周りの他人にも伝わり幸せに見えるよ。
>自分が幸せだと、他の人にも優しく寛容になれるものだ
親の場合は逆じゃないでしょうか。
子供が幸せなら、自分はどんな状況下でも幸せです。
>203
私も同感です。
親になるとまず、子どもの幸せを考えませんかね?
大体、自分が幸せでないとしてもそれを子どもに見せ、八つ当たりする親
ってどうしようもない親だと思いますけど。
親になった以上、子どもをしっかりとした人間に育てる必要があるのです。
そういう覚悟がない人は子どもを持つべきではありません。
子どもを産めたこと、育てていけることを幸せだと思えることが
私はとても幸せに思えます。
親子の蜜月(たった数年ですが)を噛み締めるように過ごしてます。
>子どもを産むことによってそれまで享受していた
>ほとんどすべてのものを失ってしまう・・・
>職業を失い収入を失い友人も失う・・
>そして自由と、ついでに自信までも。
私は失うどころか、新しく得ることがたくさんあると信じます。
物事をマイナスに考えるよりプラスに考えます。
子どもは子ども、親は親の幸せを見つけましょう。
「子どもが生きがい」なんて子どもがかわいそうです。
子どもは子どもの人生を歩ませてやりましょう。
私達は私達の人生をそれぞれに歩んでいきましょうよ。
生きてることが幸せ
毎日の当たり前のことが幸せ
もうあなたは絶対的幸福を手に入れてるじゃないですか
お金持ちでも悪いことばかり起きて、不幸せな人もいるじゃないですか
どっかのお金持ちの社長は、老齢になって妻も娘もいっぺんに殺害されました。
貧しくても笑いの絶えない家庭もあるじゃないですか
こどもにどっちが良いかなんて
表情から親が読み取ってください
ま、いずれにしても自分の都合・願望のためだけで
保育園に預ける親にろくなのはいないからね。
>208
わかってないなぁ!
保育園は
>三,四歳という年齢はいじめたりいじめられたり、喧嘩して泣いたり
>泣かされたりしても、それが人格の上にいささかの傷も残さず、
>次の日にはケロリとして友達と向き合うことのできる人生唯一の
>貴重な時期なのです。この時期の子供同士の十分な遊びこそが
>子どもの心と体を鍛え、その後の仲間づきあいの土台を築く、
>かけがえない体験となるのです。
上記が実現できる場所なんだよ!
子どもにとっては、密室育児よりよっぽどいい環境だよ!
210さんは194さん?
・・・確かに旅の途中だからさ、間違いたくないんだよ。
特に子どもにはね。
保育園では子どもは子ども同士で解決させることをしてくれているよ。
だから喧嘩していても保育士はすぐには出て行かず、静観している。
そんな中で子供同士力を合わせて強い子をやっつけたり、工夫してるよ。
専業主婦が親の力でそういう環境作るのは難しいでしょ。
子どものために!とべったりくっつかれても子どもにとっていいことないよ!
それこそ親の都合のように思うけど・・・