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最近又良く話題になるいじめ。
昔からいじめはあるけど、教育委員会や学校、校長も悪いかもしんないけど。
いじめてんのは学校等に文句言ってる親達の子供だからね。
完全に大人をなめてる子供。こういうふうに育てた親の責任はどこへやら・・
ただ、あの女の子の「私が死んだら〜」の文を遺書じゃないって言っていた
ギョロ目のおっさんはゆるせんな
どうでしょか??
[スレ作成日時]2006-10-18 12:21:00
最近又良く話題になるいじめ。
昔からいじめはあるけど、教育委員会や学校、校長も悪いかもしんないけど。
いじめてんのは学校等に文句言ってる親達の子供だからね。
完全に大人をなめてる子供。こういうふうに育てた親の責任はどこへやら・・
ただ、あの女の子の「私が死んだら〜」の文を遺書じゃないって言っていた
ギョロ目のおっさんはゆるせんな
どうでしょか??
[スレ作成日時]2006-10-18 12:21:00
つづき
いじめる子は、いじめられるような体験をしてきている。
いじめられたのは友達にいじめられたということとは限りません。
家庭で父親や母親に殴られたとか、教師の体罰があったとか、いわば勝つか負けるか、
勝たなければ悲しんだというようなパターンを学習してきているわけです。
そういう子は他の子をいじめていますから、
周りから、さらに「いじめちゃ駄目だよ」と
怒鳴られるわけで、ますます愛されることが少なくなってしまうのです。
だからいつまでも
いじめっ子であり続けようと努力するわけです。
最近は先生達の中でも、「いじめてる子も
抱きしめてやらなきゃいけない」とよく言われますが、
本当にそうだと思います。
愛される体験が少ないわけですから。
人間と言うのは、生まれたときから愛させるように遺伝されています。
赤ちゃんはかわいいでしょう。
こちらがわらいかければニコニコとこたえる。
あれはニコニコと笑顔を振りまこうと意識しているわけではないのです。
子どもというのは大人がかわいがりたくなるようにかわいく生まれてくるわけです。
これは、人間の進化の一つだと思います。
また、大人と子どもを結ぶ数少ない先天的
コミュニケーションの貴重な方法だと思います。
それはそのほかの動物にも言えるかもしれません。
つまり大人から愛されることを予定して子ども達は生まれてくるのです。
大人から殴られるとか、寂しい思いを
させらることを予定していないと思うのです。
それで必死になって笑顔を振りまいて、
笑顔を振りまくから大人も一生懸命に愛して、
そうやって愛されるということの
快感を子ども達自身がちゃんと体得できるように、
かわいく生まれてくるわけです。
そして子どもは愛されて、人を愛せるようになる。
そういう関係だと思います。
それなのに最初の段階で大人を警戒しなければいけないとか、
大人を怖がらなければならないということを学習するとしたら、
それはずっと尾を引きます。
虐待された具体的場面などは忘れてしまうのですが、記憶の隅っこのほうに
恐怖のイメージは残り、ものの考え方あるいはとらえ方として、前頭葉の働きに
影響を与え続けるのです。
だから先生方が、一生懸命「お前を好きなんだよ」と言ってやっても、なかなか信用しない。
あるいは「友達同士、もっと信じあっていいんだよ」と言ってもなかなか信じない。
そういう寂しい心のまま小学校とか中学校へきている子もいると思います。
その子たちはそれまでに裏切られた体験みたいなものを多く持っているのだと思います。
だからそれを乗りこえるためには、その子自身が、いっぱい愛されて、自分もまた人を
愛して気持ちいいという体験をあふれるほどたくさん体験しなければならないのです。