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最近又良く話題になるいじめ。
昔からいじめはあるけど、教育委員会や学校、校長も悪いかもしんないけど。
いじめてんのは学校等に文句言ってる親達の子供だからね。
完全に大人をなめてる子供。こういうふうに育てた親の責任はどこへやら・・
ただ、あの女の子の「私が死んだら〜」の文を遺書じゃないって言っていた
ギョロ目のおっさんはゆるせんな
どうでしょか??
[スレ作成日時]2006-10-18 12:21:00
最近又良く話題になるいじめ。
昔からいじめはあるけど、教育委員会や学校、校長も悪いかもしんないけど。
いじめてんのは学校等に文句言ってる親達の子供だからね。
完全に大人をなめてる子供。こういうふうに育てた親の責任はどこへやら・・
ただ、あの女の子の「私が死んだら〜」の文を遺書じゃないって言っていた
ギョロ目のおっさんはゆるせんな
どうでしょか??
[スレ作成日時]2006-10-18 12:21:00
>中1の時、担任教師が、兄に身体障害者がいるということを理由に、別室での自習を強要し、
>その女生徒は3年間、別室での自習
そのネタに何時間かけて取材しどれだけの正しい情報を伝えているのか。
「朝ズバ」なんかの安っぽい報道に踊らされるなんて・・・
こんな薄っぺらな報道にまた片道憤慨する大人たちがいるのもどうしたものか。
だから〜〜たった一面からだけの報道だって!
静岡の件だけど、校長以下みんなで見て見ぬふりしてることが一番問題じゃないの?
もう学校の機能果たしてないじゃん。
だから・・そんなことありえないって!
公立学校でしょう?報道がいい加減なんだって。
378ですが、テレビを見た人はいなさそうですね。
問題の担任教師にもインタビューに行っていたけど、やっぱり、ひどかったよ。
お母さんは、お兄ちゃんの世話で忙しかったのかも。
でも、卒業の寄せ書きに、おまえは厄介者だ、みたいなこと書かないでしょう、
一般常識ある先生だったら。
もし、自分の子供がいじめにあっていたら、
私なら、子供にはりつきます。
学校へも、一緒に行き、教室の後ろで授業を見て、
まるでSPごときの行動にでます。
できる限りの訴え行動をおこします。
もっとも、一人っ子なんで、そう思えるのかもしれません。
私も親ばかかもしれんが747さんと同じ事します。
>もし、自分の子供がいじめにあっていたら、
>私なら、子供にはりつきます。
私もそうする。仕事続けらなかったらやめてもいい。
…あかん、仕事遅れる
…
それが親というものです。命がけで守らないと!
>>684
タイムリーにお返事できなくて、随分さかのぼって恐縮です。
>どちらも極端すぎるんだと思います。
>罰則でがんじがらめにすればいいという訳ではないけれど
>(実際、ここでは誰もそんな事は言っていない)
自分も オールorナッシング ではありませんが、
「静かにしないとおじさんに怒られるよ!」
ではないですよね。
何故そこで静かにしないといけないのかを学んでいくことで
善悪を身につけていくのだと思います。
周りに迎合するのでなく、自分の頭で考える人間を育てることをしなければ
社会全体がどんどん違った方向へ行ってしまうかもしれません。
また、目に見える罰則等を作ることでやるべきを果たしたみたく
なってしまわないかを危惧します。
少年法の改正(厳罰化)然り。
>自分が育ってきた経緯を振り返ってみても、親との「対話」だけで
>教育されてきたなんて意識は、少なくとも私には無いです。
私もないです。だからと言って「親父の拳骨、お袋の平手打ち」が
有効とは言えないと思います。
酒鬼薔薇聖斗は幼少時、よく弟を泣くまでいたぶりました。
そのたびに母親はお尻を叩いて、弱い者いじめはダメだと諭しました。
母親の真意は全く伝わっていませんでした。
弟いじめは止む事がありませんでした。
母親が本当にすべきだったのは酒鬼薔薇聖斗を叩くことではなく、
ひざにのせ、話を聞いてやることでした。
私が思うに、いじめっ子もいじめられっ子も
自尊心が低いのではないかと思います。
それは家庭内において親の指示、命令の中、
これが出来ていい子、出来ないとダメな子という評価の中で
自分に自信が持てない。
だからはっきりと「いや!」と言えない。
力でねじ伏せられてきた経験から自分が力でねじ伏せないと
やられるという強迫観念からいじめる。
家庭で罰則有りのような育てられ方をしているからこそ
いじめがおこるのにそれをも罰則で縛るというのは
悪循環のように思うのです。
いじめっ子のいじめられっ子をとりあえず切り離す意味で
出校停止処分はいいかもしれませんが…
>傍観者の親も同罪だろう。 育て方間違えてるぞ。
>見て見ぬフリすんじゃねぞ と、育ててほしいものだ。
これには全く同意します。
今まで自分の子にはこう言い聞かせて育ててきたし、子供も十分分かってくれていたはずなのですが
先日この信念を自分で疑ってしまうことがありました。子供もどうしていいか分からない状況だったと思います。
誰とでも仲良くしたいのに、グループによっては人の悪口ばかり言う子達がいます。
その子たちの間で自分の親しい友人の悪口を聞いてしまったら・・・。
正論は、その場で友達をかばうことでしょう。でも私の子は出来なかった。
そしてそのことを家で私に話してくれました。
どうして友達をかばうことが出来なかったのか問うと泣き出してこう言いました。
「そんなことしたら、間違いなく次のターゲットにされるもん」と。そして私の子はその場は黙ってるのが精一杯だったと。今はそのグループには近づかないようにしています。
年齢が低ければ正義感を表に出して反論したり、先生に言いつけたり出来たのでしょうが、年齢が上がるにつれてその辺は難しいようです。
私はとりあえず、正直に話してくれたこと、そして自分のしたことを恥じたことは間違いでは無かったねと言いました。
でもそれ以上のことは言えませんでした。
下級生をかばって自殺に追い込まれた事件。どう思われますか?
正直やはり自分の子にはいじめには遭わないでいて欲しいと願っています。
けれど自衛が無言の攻撃となることもあると思います。なので難しいです。
>>751
私も同じ様に思います。
子供には怒られるからしないのではなく、
善悪を自分で考えられる子になって欲しいです。
いじめについては、いよいよ本気で取り組む姿勢を見せ、
よくそれにまつわる手紙を学校から持ち帰って来ます。
(…一過性のもので終わらないことを祈ります)
そうしたときにいじめについて子ども達に聞くのですが
うちの子どもは「やられたらやり返す」のだそうです。
嫌なことをされて、同じくそれをやり返すことは
やった人間と等しく自分も悪い行いをすることですから良くないことです。
右頬をぶたれれば左頬を差し出すくらいの行動ができれば理想です。
子どもに言わせると「絶対無理!」だそうです。
「やられたら、やり返す」
…いじめられっ子にならないための自己防衛であるかもしれません。
自分の子どもがいじめられるのが嫌なので
間違っていると認識しながらも子どもに諭すことができない自分がいます。
掲示板で自分も噛み付くことがあります。
大人の私でさえ、そうなのだから子どもに左頬を差し出すことを
期待する方が無理なのかもしれません。
…主体は子どもですから色んな体験を通して
無理強いでなく、一緒に考えていくしかないかなぁ…
752さんの対応は親として的確だったと思います。
>私はとりあえず、正直に話してくれたこと、
>そして自分のしたことを恥じたことは間違いでは無かったねと言いました。
確かに自衛が無言の攻撃になることもあるかもしれませんが
子どもさんはそのグループから離れるという、
行動をとっていらっしゃるのですから
お友達の悪口に対してのりっぱな批判行為で
私もきっとそれ以上のことは言わないと思います。
…子どもを見守りながら然るべき方向へ誘導する。
…でもその然るべき方向が微妙にぶれそうになる。
ほんと、難しいですね。
>>751
仰っている事は至極まともだと思いますし
否定の余地もない内容だとは思うんですが・・・・・
なんだか脱線してませんか?
どうも、いきなり別の話を振られているような印象が拭えません。
「罰則」というものを見直そう、という話じゃありませんでしたっけ?
昨今、これほどまでに「いじめ」が顕在化している世の中において
明らかに加害者と呼ぶべき者たち(子供だけではありませんよ)は
事件の後、一体どのような形で罪に向き合っているんだろうか?という
素朴な疑問が出発点だったと思うのですが。
厳しいペナルティ「だけ」に抑止効果を期待しよう、なんて話は誰もしていないし
子供は罰が無ければ罪を学習しないなんて事も言っていない。
私も684では、そういう主旨で発言したつもりです。
いじめとは何故「罪」なのか? という事については
子供に正しく説明する必要があり、理解させるには難しさもあるでしょうが
ここで言われている「出校停止処分」とは、その罪に対する
純然たるペナルティとして提案されているものですよね。
なぜそのような罰が与えられたのか、と考える事とは当然切り離せないし
罰を与える事が、そうした「考える機会」を一方的に奪う訳でもない。
むしろ、罰こそが「考える機会」を与えるための有効な手段であるという
発想に基づいて提案されているのだと思います。
反論されるのならその点に絞って頂きたい。
私はやはり、「罰則」を意識した上での緊張感は絶対に必要だと思います。
社会における他のルールも同様ですが、人間とはペナルティの存在は勿論
相手や自分の気持ち・立場・利害・力の差などを全て総合した上で
「やってはいけない事」を判断しているのだと思う。(少なくとも私はそういう意識)
罰を単に「暴力的なもの」と否定する人は、そのバランスを欠いていると思います
※ちょっと気になったので
私は、酒鬼薔薇某の事を直接知っている訳ではないので
彼の家庭でどのような事が起こっていたかには言及できません。
母親がどのような接し方をしていたのか、そしてそれが「事件」に対して
どのように影響していたかなど知る由もない。
(著書を読めばよいというものでもないと思う)
もしかしたら、時には「ひざにのせ、話を聞いて」やっていたかも知れない。
その機会がもっともっと増えれば、彼が罪を犯さなかっただろう・・・
なんて事は、誰にも言えないと思いますよ。
少し前の報道で、自殺で亡くなった子供の棺を覗き込んで嘲笑い
死をも侮辱する暴言を吐いたという子供たちがいたと聞きます。
もしもそれが本当なら、それでも彼らに与えられるべきものは「罰」ではなく
ひざにのせ、話を聞いてやる事だったとでも言うのでしょうか。
タイムマシンでも有れば、彼らが幼かった頃に戻ってそれも叶うかも知れない。
でも、現実にそんなこと出来ないじゃないですか。
「罰則」に関する議論って、そういう話ですよ。
>なんだか脱線してませんか?
おっしゃることはよく分るのですが、
日々子どもと接する自分には
いじめ問題=いじめない、いじめられない子どもにどう育てるか
であり、それが全ての抜本的対策であると思います。
いじめる側もいじめられる側もいじめ自体が卑しい行為であることを
学ばなければなりません。
本気でいじめを考えるという点において
罰則は一歩進んでいるのかもしれません。
でもその罰則がゆえに何故いじめがいけないのかという
本来の意味を学べない危険があると思うのです。
>むしろ、罰こそが「考える機会」を与えるための有効な手段であるという
>発想に基づいて提案されているのだと思います。
…そうでしょうか、目に見えたいじめ対策…実績として
罰則を設けようとしているように思います。
いじめが卑しいことだと丁寧におしえることが出来れば
罰則なんていらないはずです。
私は教育にアメも鞭も要らないと考えています。
自分のためになるか、ならないか。
自分にとって気持ちいいか悪いか。
その自分とは?
罰則やらの中ではそうしたアイディンティティーの確立が
難しくなるように思います。
転んでは起き上がる、そしてまた転ぶ。
子どもでいるときは何度でも転べる特権があっていいと思うんです。
また取り返しの付かない転び方をしないよう見守ることが
大人の役目かなぁと思います。
>どのように影響していたかなど知る由もない。
まぁ、そうなのですが、事件は被害者だけでなく
社会全体に大きな傷跡を残しました。
親として第二の酒鬼薔薇聖斗を育てたくはありません。
どうしたらそんな風になったのか、私たちは学ばなければならないと思います。
…まだずれてます?
>>755
>でもその罰則がゆえに何故いじめがいけないのかという
>本来の意味を学べない危険があると思うのです。
まず、ここが解りません。
「罰則の中ではアイデンティティが確立出来ない」という点も同様。
罪を犯したら罰が下される、という事が
子供を萎縮させてしまうとか、そういう意味でしょうか。
「アメとムチ」とは本来、賞罰を使い分けて人民をコントロールしようとする
為政者の言葉だったと記憶しています。
学校や社会において、ルールや人権を無視した者に与えられる「罰」とは
その喩えにおける「ムチ」とは全く異質のものである筈ですよ。
「自分のためになるか、ならないか」という考え方で子供を導こうとする
手法においても、罰則が必要となる場面は必ずある筈です。
その中に、いじめによって他者を傷付けた者にあたえられるべき罰が
なにゆえ含まれないのでしょうか?
>子どもでいるときは何度でも転べる特権があっていいと思うんです。
>また取り返しの付かない転び方をしないよう見守ることが
>大人の役目かなぁと思います。
ここで議論しているのはそういう事ではありません。
「弱いから」とか「気に入らないから」といった理由で、ある者から
居場所を奪ってしまうような行為が、現実になされてしまった場合に
どのように対処すべきなのか? という事だった筈。
加害者(敢えてそう表現しますが)に罰を与える事は、そんなに
おかしな事なんでしょうか。
>…まだずれてます?
私はどちらかと言えば「加害者への接し方」について意見していますが
一方、あなたはあくまでも「自分の子供には」という観点で発言されている。
ずれていると言えばそこでしょうね。
誰だって、自分の子供にはトコトン愛情を注いで、間違いの無いように
育てたいと思っているものだと思います。
しかし、そこを間違ってしまったり、うまく結果を出せない親がいるのが現実。
何度も聞くようですが、亡くなった子供の死を悼むことすらしない者には
あなたならどう接するべきだと思うのでしょうか。
私は「罰を与えれば万事解決」とまで言っているのではない。
罰を与えずして、その先の指導も何もないだろうと言っているのです。
自分の子供は「心が丈夫な」子に育てたいなぁ
自分もイジメられっ子だったから わかるが、親には言えないのだよ。。
そんで 自分の親は気付かないままだったしね〜(それでいいんだけど)
う〜 ごめんなさい 議論中の所に場違いレスが入っちゃいました。
ついでに横入り
>何度も聞くようですが、亡くなった子供の死を悼むことすらしない者には
>あなたならどう接するべきだと思うのでしょうか
これは 私も聞きたい。 というか これに相応する罰とはどんなもの?
その先の指導といっても、「二度と帰らない」「取り返しがつかない」ことが腑に落ちないらしい
子供達にどう教える? 逆にこれが理解できたら 苛めた側の子供は一生重い罪の意識を持って生きる
ことになるんだろうし、罰というなら これ以上の罰はないでしょう。
現実的な罰というなら 苛めた子を別の学校に転校させるとか?
>>逆にこれが理解できたら 苛めた側の子供は一生重い罪の意識を持って生きる
>>ことになるんだろうし、罰というなら これ以上の罰はないでしょう。
「だから理解させることが重要なんだ」、と言う人が出てきそう。
私も横レスですみません。
私が感じるのは最近の凶悪犯罪では同じ人間と思えない病的な犯人が多いですよね。
『人が殺したくて殺す』それが目的なんて、普通の人間では考えられません。
特殊な人間だと思われてなりません。
その人達も普通の育てられ方をされたらそうはならなかったのでしょうか?
逆に酷い育てられ方をしてもそこまで凶悪な犯罪を犯さない人間だっていっぱいいるはずです。
いじめる子にだって罪が理解出来る子と理解出来ない特殊な子がいるような気がします。
(後者はいじめた子の棺の前で嘲笑するような子)
だから、いじめた子にはとりあえずどんな子でも同じ罰を与えるのは怠慢なやり方だと思います。
1.罰を与えられなくても分かる子。
2.罰を与えられたら分かる子。
3.罰を与えても分からない子。
こういう子たちを見分けるのは難しいことでしょうか?
1と2のタイプのいじめっ子予備軍に罰を定めることは脅威になり抑制になるでしょうね。
ひょっとしたら1のタイプの子にはままん侍のやり方でいいのかも知れません。
でも3のタイプの子にはどうしようもないですね。
ままん侍さん。ごめんなさい。呼び捨てに・・・