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最近又良く話題になるいじめ。
昔からいじめはあるけど、教育委員会や学校、校長も悪いかもしんないけど。
いじめてんのは学校等に文句言ってる親達の子供だからね。
完全に大人をなめてる子供。こういうふうに育てた親の責任はどこへやら・・
ただ、あの女の子の「私が死んだら〜」の文を遺書じゃないって言っていた
ギョロ目のおっさんはゆるせんな
どうでしょか??
[スレ作成日時]2006-10-18 12:21:00
最近又良く話題になるいじめ。
昔からいじめはあるけど、教育委員会や学校、校長も悪いかもしんないけど。
いじめてんのは学校等に文句言ってる親達の子供だからね。
完全に大人をなめてる子供。こういうふうに育てた親の責任はどこへやら・・
ただ、あの女の子の「私が死んだら〜」の文を遺書じゃないって言っていた
ギョロ目のおっさんはゆるせんな
どうでしょか??
[スレ作成日時]2006-10-18 12:21:00
>>254
小1の息子はよく☆☆君と遊びます。
その☆☆君は以前学校でライターを所持し紙切れに火をつけて遊び
先生方にマークされているのだそうです。
息子と遊ぼうと約束したお母さんから聞きました。
「だから☆☆君とは一緒に遊ばせたくない」
☆☆君は小3で、上にお姉さんが二人。
親が離婚してからはケーキも買ってくれなくなって寂しいのだそう。
お母さんも最近乳がんの手術をして退院したばかりだという。
9時に家に来るのが11時半に来た。
昨日、帰りが遅くなったのを親に怒られ続け3時まで起きていて
朝起きられなかったという。
☆☆君と付き合わせたくない!というお母さんの気持ちも分かる。
息子もややもすると悪い遊びに手をだすかもしれない。
でもそれは自分も見守りながら
大きな間違いのないようにしていけばいいと思う。
先入観や決め付けで子どもを色眼鏡で見ることなく、
家に来たときには☆☆君の目を見て、
じっくり話しを聞いてやりたい。
☆☆君だけでなく、近所の子ども達にもできるだけ
話しかけていきたいと思います。
色んなこと教えてくれます。
…具体的にそんなことです。
>>265
そういうことなら良くわかります。
ごく身近な周りのことだけのことではありますけど。
でももっとひどいいじめっ子がいたら?
自分の子供がそういういじめの対象になったら??
これだけ問題になっていても、当事者じゃない人には結局遠い世界のことかもしれないなあと思います。
それで当事者でもないなら、自分の親子関係や子供をまともに育てることに専念でもいいかもしれませんね。
でもだからいじめられっ子にも問題があるだとか、いじめっ子をそのまま受け入れようだとか
そういうキレイゴトで話をすませないで欲しいとおもいます。
あくまでご自分の周りで予防的にがんばりますということにすぎません。
強い意思の持った子ばかりではないです、いじめられる子は弱い子と思いますがなぜ悪者扱いされるのでしょうか。
死んでいく子は、考えられないほどの苦しみがあったと思います。
そのかわいそうな子を悪いと批判する、冷酷な人がいるとは残念です。
いじめは、絶対してはならないこと、卑怯なこと、人間として一番醜いことを批判すべきと思います
いじめられる子を悪者扱いなどしてしていませんよ。
【悪い】という言葉にも色々な意味があるでしょう?
自殺した子はいじめられて私たちの想像では計り知れない苦しみがあったと思います。
でも絶対死んではいけないのです。
自殺した子に同情するのは分かります。
でも自殺を美談にしてはいけないと思います。
269、270です。
くどいようですが
私はいじめられる子が悪いとか問題があるとは一言もいっていませんよ!
「自殺する子」と言ったので誤解を招いているなら訂正します。
【自殺する行為】に対し悪い、問題があると言っているです。
以前も書きましたが私は小・中学時代にいじめられっ子でした。
長くなりますが当時の私が考えていたことを書きます。
小学校時代はいじめられても自殺は考えませんでした。
自殺そのものが思考の中に無かったような気がします。
中学時代は毎日のように自殺を考えてました。
高校に入って環境が変わりいじめられなくなりました。
で気づいたこと。 (あくまで私の場合です。)
「死ぬまで(生きてる間ずっと)いじめられ続けるわけではないんだ」
「今までがいじめっ子の居る環境だっただけなんだ」。
さらには「いじめられてオドオドしてるといじめっ子を刺激する」。
(これは中学時代にかばってくれた学級委員の女の子の台詞でもあります。
当時はそれどころじゃなかったし そう言われてもどうしたらいいのか
自分のどこがオドオドしてると見えるのかわかりませんでした。)
そして「いじめられてるのも辛い思いしてるのも自分だけじゃ無い」と
考えるようになりました。
自殺を考えていた頃 自分の周囲より広い範囲での
他の人について考えをめぐらせる余裕なんてまったくありませんでした。
「何故いじめられるの?」「何故(いじめられるのが)私なの?」
「私が何をしたって言うの?」「私にどうしろって言うの?」
「みんなは楽しそうなのに何故私だけがこんな目に遭うの?」
自分自身の性格や考え方についても考えてましたが
「悲劇のヒロイン」っぽい部分があったのも事実です。
いじめられてる時などは深く考えるほど思考は暗い方向へ進むんです。
で 自分と周囲についてはどんどん突き詰めて考えるけど
広い範囲の他人について考えることは出来なくなっていくんです。
だから「自分だけが」って考えにおちいりやすいんですね。
そして「救いをさがす」という前向きな思考ができるうちは
自殺なんてしなくてすむんです。 考えの中の世界が
どんどん狭くなって同時に自分をさらに追いつめるので
どんどん前向きな思考もできなくなるんです。
で逃げ道として死ぬことを考える、死なない限り
この状態から解放されないと思いこむ・・・。
「死んで(自殺していじめられっ子を)喜ばせるのはシャク」
「いつか見返してやる」と考える強さがあれば自殺しません。
逆に復讐にとらわれて将来犯罪を犯さないようにしなくては
なりませんけど・・・。
いじめられて孤独感にさいなまれ続けた中学時代
朝一の学校の教室で放課(休憩時間)に色々な本を読みました。
時間つぶしと同時にある種の現実逃避です。
家で学校について聞かれていじめられてるのがバレるのが嫌で
上履きを隠されたり机にいたずらされるのが嫌で
朝一で学校に行くんです。 で授業中以外は
いじめのきっかけを作らないように本を読むんです。
そして授業が終わったらすぐに帰宅して
また本を読みます、親が声を掛けにくいように・・・。
読んでいたのは主に歴史物、父が持っていたもので
大河ドラマの原作になった物がほとんどでした。
おかげで母には「頭でっかちの文学少女」と言われ
「大人に対して生意気なことを言わないように気をつけなさい」と
よく注意されました。 でも本から学んだこともあります。
直接ではなくても「自殺は罪、自分も周りも誰も救われない」
「自殺して「弱い奴」と言われても死んだ後では反論もできない」
ということも・・・。
いじめられて自分について考えて本を読んで・・・結果として
相手の考えや行動パターンを読み取ろうとするようになりました。
高校時代 「今こう考えたでしょ?!」と友達に言うと
たいてい当たりました。 嬉しい(得意)ような寂しいような
これがきっかけで嫌われないか不安なような複雑な心境でしたね。
さらには嫌み・皮肉が得意になり 裏を読んだり
深読みするのが上手くなり 表現が多少キツくなりました。
もちろん相手と場合に応じて調整してます、昔も今も・・・。
でもキツくなりがちなのはどうしようもなくて
後で落ち込んだり反省したり言葉を補ったり訂正したりしてます。
だから今回も「あくまでも私の場合」で読んでください。
表現のキツさと極端さはスルーしてくださると嬉しいです。
とりとめもない書き方になりましたが
いじめられっ子と自殺を考える子の心境を少しでも伝えられたらと
思ったので・・・。
>【自殺する行為】に対し悪い、問題があると言っているです。
ですな、もっと言うなら【自殺する行為でしか親に示せない】ようにしてしまった親に対し悪い、問題があると言っているです。
いじめ自殺について
自殺するくらいなら何でもできるやろ!と思うのは
心が健康なときに思うこと。
長い間いじめが続くと
・恐怖、不安
・無力感
・選択肢がない
という心理状態になり自殺に追い込まれる。
そうなる前に、日ごろからコミュニケーションをとること。
話の聞き方について、
「いじめられてる」と子どもが言ったとき、
それは「いじめ」と認める。
「気のせいじゃない?」などとは絶対に言わない。
もう話さなくなる。
「話してくれてありがとう」という気持ちを言葉で伝える。
子どもの脈略を無視した話に信憑性が感じられなくとも
「あなたの言ったことを信じる」という姿勢を表す。
「あなたが悪いんじゃない」と何度も言ってやる。
しかし、子どもはなかなか親には話さないということ。
何故ならいじめられるのは自分自身とても情けないこと。
いじめらる自分に非があるのでは?とも思ってしまう。
そんな情けない自分を親に言えない。
いじめ自殺で亡くなった大河内君は親に心配かけまいと
いじめで壊された自転車を問われたとき
笑って「大丈夫!」と言った。
そして自らの命を絶った。
なので
・食べること ・寝ること が出来ないように
なればそれは余程深刻であること。
それは何をさておいても、親は感知しなければならない。
しおんさんのお話はやはり体験談としてググッときますね。
本を沢山読まれただけのことはあって文才がありますよね。
見習いたいです。
>>274
私も小学生の頃、一部のグループに目をつけられていた時期がある。
幸い、クラス全員が敵にまわるような事態にはならなかったけど
人目に触れない陰湿な攻撃に毎日晒されて、学校に行くのが苦痛だった。
自分がそういう境遇に立たされている事を認めたくない気持ちもあったし
なんとか我慢することはできていたたから、親にはなかなか言えなかった。
でも、苦痛が蓄積されていくうちに、それこそ寝食にすら影響するようになった。
ある朝、「もう学校には行きたくない」と堰を切ったように泣き出した
私を見て驚いた母親が、担任に手紙を書き、直接会って話をしてくれた。
母の性格から言って、相手に大声で詰問するような事はなかった筈だけど
数日後にはそのグループ全員の母親が学校に呼び出され
担任との話し合いに臨んでいた事から察するに、それなりに強い言葉での
申し入れがされたんだと思う。
その「話し合い」の日を境に、私への攻撃はパッタリと止んだ。
お互いに理解しあえたとかそんな事ではなく、明らかな「抑止」だと思っている。
最終的に私が救われたのは、貴方が言うように親が事態に気づき
問題を共有してくれたからであって、少なくとも私と相手との関係が
自然に改善されたからではない。
だからこそ言いたい。きれいごとでは何も解決されないんだ、とね。
貴方は『いじめっ子に必要なのは、ありのままを受け入れてやること』と
仰っているけれど、私には意味がまったく解らなかった。
思いつきによる発言でないのであれば、是非とも掘り下げていただきたい
意見だと思う。
いじめっ子がいじめっ子になってしまった背景というものは、別の問題として
あるとは思うけれど、いまこの瞬間「現実」に晒されている子供にとって
そんな事を考える意味など何一つ無いと断言できる。
そこは当事者になってみないと解らない事だと思う。
>『いじめっ子に必要なのは、ありのままを受け入れてやること』
私はままん侍さんのおっしゃることは間違ってないと思いますよ。
276さんはいじめに遭った側の意見として理解できます。
しかし、ままん侍さんは両者の立場で考えを述べてられるのでしょ?
もし私の子供がいじめっ子になったら子供を叱責するでしょうが、
それ以上に自分の育て方が悪かったと反省し、
どうしていじめをしてしまったのか子供と一緒にもがき苦しみながら考えます。
いじめをする子は心が病気なんですよ。
それは大人が治してらないといけないんです。
それが大人の責任なんです。
いじめっ子であろうが非行少年であろうが子供は大人に守られ、
更生させて社会に出さなければいけないのです。
>最終的に私が救われたのは、貴方が言うように親が事態に気づき
>問題を共有してくれたから
いじめられたあなたがこうして救われたように
いじめた側の子もこうして救われたのかも知れませんよ。
となりのクラスの女の子がいじめに遭い、学校に行けなくなりました。
先生に相談したら親同士で話合われてはどうですか?といわれ
相手の子の家に電話したそうです。
そしたら
相手の親はそんなことあるわけが無い!と怒鳴り、
先生に事情を聞いてくださいというと
今度は『自分の子は中心人物ではなくいじめをやらされていただけ』
と言い張る。
あげくの『果てにお宅の娘さんには3M以内に近づくなと言っておきましたから
もう問題ないでしょ!!!』
と言われたそうです。
『いじめっ子をありのまま受け入れてやれない』親です。
【訂正】
あげくの果てに『お宅の娘さんには3M以内に近づくなと言っておきましたから
もう問題ないでしょ!!!』
と言われたそうです。
これこそ『いじめっ子をありのまま受け入れてやれない』親です。
>あなたは当事者なのですか?
>当事者じゃないなら、あなたこそこのいじめ問題に具体的にどう行動を起こしているのですか?
当事者じゃないからこそ、あなたのように自殺する子が悪いだのいじめっ子をそのまま受けとめようなどと軽々しく言いません。
当事者じゃなくても、そういう言いようの無神経さには腹が建ちます。
あなたこそわからないのなら、そういった発言を軽々しくすることに対して、うかつだったと思わないのでしょうかね?不思議です。