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じゃないが、俺も以前された。
まぁ、自分もしてからあまり気にもならんのだけど・・・。
そもそも不倫経験ありってどの程度の割合であんだろ?
男も女も半々くらい?
[スレ作成日時]2007-01-20 02:42:00
じゃないが、俺も以前された。
まぁ、自分もしてからあまり気にもならんのだけど・・・。
そもそも不倫経験ありってどの程度の割合であんだろ?
男も女も半々くらい?
[スレ作成日時]2007-01-20 02:42:00
「アダルトチルドレン 愛されたい 愛せない」 〜秋月奈央著
人は誰でも愛を求める。
それは、人が生きるの当たって必要なものだからだ。
生まれたばかりの乳児は、親の愛がなくては生きられない。
愛を求める気持ちは本能に組み込まれた欲求だ。
愛を十分に与えられたものは、やがてそこから離れていく。
ひとり立ちできる強さが身につき、
親の愛を必要としなくても生きてゆける自己が確立されるからだ。
愛を十分に受け取った人は、自分の中にも豊かな愛のストックを蓄えることができる。
それは、安定した心や精神を支える支柱のようなものだ。
多少のトラブルがあってももちこたえられるし、問題がおきてもそれに対処できるようなる。
愛情を必要としている人がいれば、ストックのなかから愛を差し出すこともできる。
恋愛をしたときには、おしみなく愛を与えられるだろう。
しかし、愛が十分に与えられなかった人は、どうなるのだろう。
喉が渇いてるとき、水がほんの少ししか得られなかったら渇きは癒えない。
渇きを抱いたまま、水を求め続けることになる。
愛にも、これと同じことがおきる。
仏教用語で、“渇愛”という言葉ある。
相手に無条件に惜しみなく与える“慈愛”とは遠い、愛をひたすら貪ることだ。
愛に渇いた人が、それを満たそうと貪るのである。
これは煩悩のひとつであり、大いなる苦しみを生むーと仏教では説く。
なぜなら、渇愛は決して満たされることがないからだ。
自分の内側に無限の砂漠があり、愛はすべてその奥に吸い込まれしまう。
人から愛を受け取っても、底なしの渇きの中に、それは消えてしまうのだ。
内なる砂漠を癒さないかぎり、渇愛という地獄から開放されることはない。