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あれ?
スレタイらしい話題になってる。
そこそこ駅力がある割には何故か話題にならないのが、高田馬場駅。
東京タワーがあまりにも大きく見えた「三丁目の夕日」時代 路面電車が向かう先は…〈dot.〉
6/16(土) 7:00配信 AERA dot.
東京・三田付近の「札の辻」交差点から、都電3系統を写した。冬の空にそびえたつ東京タワーが美しい(撮影・諸河久:1964年1月15日)
2020年のオリンピックに向けて、東京は変化を続けている。同じく、前回の1964年の東京五輪でも街は大きく変貌し、世界が視線を注ぐTOKYOへと移り変わった。その1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、東京のランドマークを代表する「東京タワー」のお膝元で、映画「ALWAYS三丁目の夕日」のロケーションモデルといわれる、東京都港区「札の辻」付近だ。
【写真】「三丁目の夕日」から50年でこれだけ変わった! 現在の写真はこちら
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冬の澄み切った青空に「東京タワー」がくっきりそびえたつ。三田通りを赤羽橋からやってきた3系統品川駅前行きに夕陽が当たった瞬間を狙った。辺りに高層建造物がないからか「東京タワー」がひときわ大きく、そして近くに見える。当時、高度経済成長の象徴だった「東京タワー」は、いまも東京のシンボルとして愛され続けているのは言うまでもない。
この3系統は品川駅前を発して、札の辻~虎ノ門~赤坂見附~市ヶ谷見附~飯田橋に至る10145メートルの路線だ。この札の辻から飯田橋方面に向かって二つ目の停留所は「慶応義塾前」。慶応義塾大学三田キャンパスの前で乗降できるので、学生さんの足としても頻繁に利用された。
東京~横浜を結ぶ大幹線道路、京浜第一国道(国道15号線)の歩道からの撮影。当時の三田通りや第一国道は、今よりずっと道幅が狭く、カメラから都電までの距離がとても短く感じられる。
江戸時代、この付近に高札場が設置されたのが「札の辻」の由来になった。高札は幕府が法令や行政を市井に知らしめるための告知札で、「定」という書式で墨書きされており、江戸の人々の識字率の高さに驚かされる。
この界隈の旧町名は筆頭に「芝」を冠した芝三田や芝通新町などの町名が多く使われていた。「芝で生れて神田で育ち、末は火消しの纏(まとい)持ち」といわれた江戸っ子のお手本みたいな威勢のよい土地柄だ。
横浜−八王子の横浜線、八王子−高崎の八高線もその後整備された。第2シルクロード。
東京タワーから半径4km(笑)くらいまでが真の都心といえそうですね。
皇居を中心として鬼門に上野寛永寺、裏鬼門に芝増上寺を配して、邪気封じを行なっている。
へーなるほどね
どっちに賛成反対は言わないので、その中心論の違いを存分に語って下さい
高輪大木戸つまり新お化けトンネルのラインより北側を都心とするのが、一番理にかなってる。
大丸有、霞ヶ関、日本橋、新橋、銀座、赤坂、六本木があるあたりが都心で、そのど真ん中は虎ノ門あたり。虎ノ門が都心の中心です。
将来的には、浜松町、田町、品川や天王洲アイルも都心に含まれるので、芝公園が都心の中心になります。
普段使い万歳w
しごとが法人相手か個人相手かによって
微妙な捉え方の違いもありそうでおもろい。
せいぜい半径2kmやろ
4kmは何某さんのネタw
10年後には品川も加わり大丸有品になるよ
中心と重心は違うよね。地理的な中心は動かないけど重心は動く。中心は皇居だろうけど、重心は少し南の虎ノ門あたりかな。今後は品川開発で、さらに南下しそう。
商業施設が出来ない限り、リーマン相手のビルが出来てもさほど変わらんよ
その商業施設もちょっと出来た位じゃ大して変わらないし
東京の成り立ちを考えれば今の皇居(旧江戸城)中心になるのは当然。
ただ、東京は百万都市から1千万都市に成長したから、昔の四宿(新宿/品川/板橋/千住)エリアまで都心に入ったと考えるべきだろう。
南の門は、都心どころかゲートだろ
歴史を振り返ると徳川家康が日本の首都として江戸をいかに大きなスケールで考えていたかが分かる。後世の我々としては正に感謝だね。
新駅前の開発は期待しています。ただ品川は新幹線もリニアも西行きだけなので、その他多数の新幹線の拠点はやはり東京駅なのではないかと思います。
江戸四宿のうち新宿と品川はともかく、板橋と千住はどうなのと言う感じだが、板橋は池袋、千住は上野と考えればそんなものかと思う。
京都に比べればはるかに歴史がないように見える東京だが、意外としっかりした都市構想があったみたいだね。
鉄ヲタに言わせれば東京駅は歴史の浅い新参田舎駅。
周りの丸の内あたりは一面の荒野だった。
つっても俺が子供の頃にはもう東京の今の形がほぼ出来上がってたけど
>鉄ヲタに言わせれば東京駅は歴史の浅い新参田舎駅。
鉄オタちゃん、何目線やねん
鉄オタこそ東京駅ではないのか?
大正になってから出来た駅なんか、ヒヨッコだろ。鼻くそ同然。そんな駅が歴史を語るなかれ。
と言うか、神田周辺地域の鉄道に対する抵抗が余りにも強く有楽町ー神田間の開通が最後になったのが真相。
鉄オタさん
それなら、昔デザインの儘残ってる古い駅はどこになるのでしょうか。
殆ど木造だったから残ってない気がしますが。
東京駅の丸の内駅舎と言えば、赤レンガの外観。
2012年には駅の象徴ともいえるドーム天井が復原され、その内部が八角形に縁どられ、美しい装飾が施されていることで知られています。
八角形の各々の隅に、12干支のうち8干支のレリーフ(浮き彫り細工)があるのをご存知でしょうか?さらに12干支のうち、残りの4干支はどこに行ってしまったのでしょう?
東京駅に居ない「4干支」とは、干支のうち「ネズミ・ウサギ・ウマ・トリ」のことです。なんと、同じ建築家によって、武雄温泉の楼門の天井に施されていることが発見されました!このニュースは、2013年大きく報道され、多くの人の関心を呼びました。
東京駅は結構奥が深いと思うけど・・・
欧米の例を見ても、東京駅のように王宮の真ん前に駅が作られる例はほとんどないね。
日本で最初の駅の品川駅の隣に品川新駅という日本で最新の駅ができるというのは面白い。