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写真お上手ですね。
汚いところを隠せてます。
>>59257
港南から天王洲の付近は写真愛好家の撮影スポットなんだよ。綺麗な風景が取れるからね。
https://www.nightview.info/yakei/detail/tennoz/
カメラ持ってマンションの中や周りをうろついているんですよね。
住民から気味悪がられてますよ。
写真に撮って絵になる街って少ないぜ?ためしに自分の家の周囲撮影してみな?
汚い部分外そうとしても隠しようが無いから。
https://www.nightview.info/yakei/detail/tennoz_bridge/
今度マンションに向けてカメラ向けてたら通報しますね。
毎日毎日ご苦労さん
深夜まで画像の連投? 本当に病院に行った方がいいよ
古い写真ばかりですね
浜松町駅から品川駅は電車で五分。
コーナン4の爺さんが品川駅の新幹線をアピールしてるが、浜松町からの方が早く新幹線に乗れると言う事実www
唐突にどうしたの?
早く隔離スレ作って下さい
ここが隔離スレかと思ってた。
このwctの人、本当に街とマンションが好きで満足してるんだなって感じ、
そういうマンション買うのが一番幸せなんだろううな
御徒町駅からちょっと歩くが、鳥越の辺りは江戸風情が残っている。
特におかず横丁付近。典型的な下町だが、ホッとする雰囲気だ。
>>59276
リニアはなんで品川なんだろう、
地下鉄だけだと2027年以降は乗り換えなきゃリニアに
乗れなくなる
40分で名古屋に着くリニアあるのに1じかん40ふんかかる
東海道新幹線に乗るのも癪だし
御徒町は良いね。
決して高級地ではないが、バラエティーに富んだ街が散在している。
アメ横、宝石問屋街、多慶屋、菓子店・・
ユニークだよね、そう言えば。
>>59261
たしかに自分もカメラが趣味だけど、猫がいる下町の雰囲気とか
水と緑が都会的なビルと混ざっている風景とかは絵になるんだよ
六本木とか銀座とか有名だけど都心の風景は意外にツマラナイ
駅力関係ないなら御徒町、駒込、巣鴨なんかは生活感があって落ち着く感じ
御徒町は駅力は弱いが、観光者には人気があると見えて、週末には京浜東北の快速が停まるね。
品川駅から歩いていける北品川商店街も歴史があって
旧東海道や品川漁師町の雰囲気が残ってて良い感じ、
あとは都心に近いなら戸越銀座
砂町銀座も歩いてるとなかなか楽しい
巣鴨も、おばあちゃんの原宿と久しく呼ばれていたが、最近は若い人にも人気みたいね。
あれ?
スレタイらしい話題になってる。
そこそこ駅力がある割には何故か話題にならないのが、高田馬場駅。
東京タワーがあまりにも大きく見えた「三丁目の夕日」時代 路面電車が向かう先は…〈dot.〉
6/16(土) 7:00配信 AERA dot.
東京・三田付近の「札の辻」交差点から、都電3系統を写した。冬の空にそびえたつ東京タワーが美しい(撮影・諸河久:1964年1月15日)
2020年のオリンピックに向けて、東京は変化を続けている。同じく、前回の1964年の東京五輪でも街は大きく変貌し、世界が視線を注ぐTOKYOへと移り変わった。その1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、東京のランドマークを代表する「東京タワー」のお膝元で、映画「ALWAYS三丁目の夕日」のロケーションモデルといわれる、東京都港区「札の辻」付近だ。
【写真】「三丁目の夕日」から50年でこれだけ変わった! 現在の写真はこちら
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冬の澄み切った青空に「東京タワー」がくっきりそびえたつ。三田通りを赤羽橋からやってきた3系統品川駅前行きに夕陽が当たった瞬間を狙った。辺りに高層建造物がないからか「東京タワー」がひときわ大きく、そして近くに見える。当時、高度経済成長の象徴だった「東京タワー」は、いまも東京のシンボルとして愛され続けているのは言うまでもない。
この3系統は品川駅前を発して、札の辻~虎ノ門~赤坂見附~市ヶ谷見附~飯田橋に至る10145メートルの路線だ。この札の辻から飯田橋方面に向かって二つ目の停留所は「慶応義塾前」。慶応義塾大学三田キャンパスの前で乗降できるので、学生さんの足としても頻繁に利用された。
東京~横浜を結ぶ大幹線道路、京浜第一国道(国道15号線)の歩道からの撮影。当時の三田通りや第一国道は、今よりずっと道幅が狭く、カメラから都電までの距離がとても短く感じられる。
江戸時代、この付近に高札場が設置されたのが「札の辻」の由来になった。高札は幕府が法令や行政を市井に知らしめるための告知札で、「定」という書式で墨書きされており、江戸の人々の識字率の高さに驚かされる。
この界隈の旧町名は筆頭に「芝」を冠した芝三田や芝通新町などの町名が多く使われていた。「芝で生れて神田で育ち、末は火消しの纏(まとい)持ち」といわれた江戸っ子のお手本みたいな威勢のよい土地柄だ。