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いっつも不思議なんだけど、この人は一体何が気に入らないんだろうね。
なぜ突然田町の話になるの?
そりゃ天王洲の人がわざわざ田町に行くわけない。
まぁ浜松町も田町も新駅も品川も、乗り換を除き、域外から休日に人を呼べるような開発は簡単では無いでしょう。
個人的には、新駅開業、高輪口の人工地盤、竹芝と浜松町一体化には期待している。
リニアは乗り換えだけか、商業的には新駅の一部という感じだろうな。
>>52024 匿名さん
何言ってんだ?田町でも浜松町でもどこでもわざわざ行きたくなる魅力的なものがあれば行くだろ?
個人的にはサントリー美術館や国立新美術館で特別展があるとよく行く。有楽町の東京国際フォーラムにもときどき行くな。買い物なら日本橋か銀座。飯なら麻布十番。そういう話なんだが?頭悪くて理解できない?
>まぁ浜松町も田町も新駅も品川も、乗り換を除き、域外から休日に人を呼べるような開発は簡単では無いでしょう。
浜松町は厳しいだろ。再開発と言ってもビルの更新。人が増えるわけじゃない。田町は新築だから少し賑わいは増すだろう。新駅は今は更地。まるまる新しい街ができる。ただ単なるオフィスじゃダメ。劇場や大規模商業施設再開発次第。品川も同じだが、品川はリニアターミナル駅になれば自然に人が増える。それを上手く取り込めるか。
ビルのリニューアルと、まったくの新しい街や駅ができるのは全然意味合いが違う。六本木ヒルズや東京ミッドタウンは何もなかった場所に新しい商業施設ができたから話題になった。
確かに港南口はパチンコ以外は休日死んだ街になっている。新幹線利用する人もほとんどが乗換改札を利用します。高輪口と対照的です。
休日あっち側みると、人気はなく死んだ街に嫌悪施設の数々が駅遠くにそびえる様子はある意味見応えがある。とてもじゃないけど、友達とか呼べない場所だよな。
品川はプリンス系の巨大ホテルがあり地方の人や外国人は多く集まりますが、神社仏閣、商業施設も含め、めぼしい観光施設がないのが現状です。寝るだけの街になってしまっています。東京都民も仕事以外で品川を目的地とすることは少ないのではないでしょうか。この辺が今後の品川の課題です。高輪の再開発を期待しています。
まあやるのが京急と西武だからね笑 期待を下回るくらいの気持ちでいた方がいいと思う。出来るのも相当後だし、今話ししてもねって所もある。
>写真を見る限り港南からほとんど出ていないのではないかと思う。
↑マンションの近所の写真があるだけで港南から出ていないってバカ丸出し
>神社仏閣、商業施設も含め、めぼしい観光施設がないのが現状です。
↑知らないだけ。
(神社)
品川神社・・・東京十社のひとつ、東海七福神の一社。文治3年(1187年)、源頼朝が安房国の洲崎神社から、海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である天比理乃咩命を勧請して祀り、品川大明神と称したのに始まる。板垣退助の墓がある。
高輪神社・・・明応年間(1492年 - 1501年)に稲荷神社として創建された。弘化2年1月24日(1845年3月2日)の大火で類焼し石門、石大鳥居等を残し全て焼失した。昭和4年(1929年)社名を稲荷神社より高輪神社に改称した。
御田八幡神社・・・和銅2年(709年)8月、東国鎮護の神として牟佐志国牧岡の地に祀られたのに始まる。平成21年には鎮祀1300年記念として、8月1日に式年例祭が、2日には御神輿渡御が斎行された。
(寺)
東禅寺・・・慶長14年(1609年)現在の東京都港区赤坂に創建。寛永13年(1636年)、現在地に移転。眼前に東京湾が広がることから海上禅林とも呼ばれた。幕末、日本初のイギリス公使館が置かれた。
泉岳寺・・・慶長17年(1612年)に徳川家康が創建、寛永18年(1641年)徳川家光の命で、現在の高輪の地で再建された。赤穂事件で有名な浅野長矩と赤穂浪士が葬られていることで知られ、現在も多くの参拝客が訪れる。
高野山東京別院・・・江戸時代における高野山学侶方の江戸在番所として慶長年間(1596年~1615年)に浅草日輪寺に寄留して開創された。明暦元年(1655年)に幕府より芝二本榎に土地が下賜され、延宝元年(1673年)高野山江戸在番所高野寺として完成した。
品川神社の天王祭は盛大なお祭り。品川には南北ふたつの天王社があり北を品川神社、南を荏原神社という。かつては、目黒川を挟んで南北に対峙していましたが現在では川が付け替えられて両方とも目黒川の北側にある。
この両社の祭をあわせて天王祭といいそれぞれ北の天王さま、南の天王さまと呼ばれている。天王とは素盞雄命をさしていうところから察せられるとおりなかなか勇壮な祭として知られる。神輿についている天王の面は海から漁師が引き上げたもので、その面が発見された場所が天王洲。
なかでも南の天王祭は本社神輿を担いで天王洲の海を渡御するもので通称をかっぱ祭ともいう。現在では天王洲が埋めたてられて 神輿を担ぐには適さなくなったため荏原神社の前から神輿を船に乗せ目黒川からお台場まで運んでいって担ぐ。
もうすぐ品川神社例大祭ですね。別名「北の天王祭」と言われており、同じごろに行われる荏原神社例大祭(南の天王祭)と合わせて「品川天王祭」と呼ばれており、2018年は6月8日(金)~2018年6月10日(日)です。
このお祭りの目玉は何といっても、本社大神輿(千貫神輿)です。1884年に建造されたもので、徳川家光が寄付した神輿をもとに制作されたもので、1924年までは毎年登場していましたが、現在では皇室の慶事の時のみ登場します。毎年みられるのが、本社中神輿です。お祭り最後の日に行われる「神幸祭」で登場し、赤いお面が神輿にくっつているのが特徴です。このお面は、凶作が続いて疫病に苦しんでいた際に神のお告げで取り付けられたもので、家々の幸福を祈願しているんだそうです。
北の天王祭での神輿の担ぎ方はとっても独特で、城南担ぎと呼ばれています。横に三重に並ぶ担ぎ手が左右で向かい合って並び、一歩進んでは押し返して戻ってまた進むという蟹の横歩きのような、牛が暴れるような動きで蛇行して進みます。この動きは、もともと漁師町だったために、波にもまれる船を表していると言われます。さらに、掛け声がなく太鼓と笛の音が鳴り響く「品川拍子」のテンポも特徴的です。神輿にくくりつてある馬の革で作られた太鼓と神輿のサイドに並ぶ笛の演奏者とで奏でられます。
御輿は第一京浜上り4車線あたりで、激しくゆすったり、180度回転したりと、激しい動きになります。担ぎ手たちからも観客からも掛け声が上がり、お囃子が聞こえなくなることもあります。そんな激しい動きは最大の見どころだと思います。お祭り期間中、最も注目してほしいのは神輿渡御と宮入です。宮入では、品川神社までの53段の急な階段があり、この階段を神輿が上る姿が一番の見どころとなっています。
>緑水公園で写真とったり運河で釣りしたり野鳥の観察する
プラス運河沿いビアレストランで散歩がてら生ビール。そんなことがマンションの周りで
出来る環境なのにターミナル品川駅徒歩13分、バス5分。
品川高輪側の再開発も
田町再開発も
浜松町再開発も
ご不快なんでしょうか?
品川港南側のみが素晴らしいと
浜松町の再開発は期待したいが、オフィス中心の再開発でビルの低層の数フロアに
サラリーマン向け飲食店が入るだけのような再開発では意味がない。
浜松町~品川の再開発で出来て欲しいもの。水族館とシネコンはすでにあるから、あとは
○コンサートホール
○フードテーマパーク的なもの
○東京交通会館のなかにあるような地方アンテナショップの集合体
○ハイセンスなファッションモールや高級食品店
○高級品免税店
○日本初出店/東京初出店的なレストラン
○企業のPRを兼ねたショールームや博物館
○美術館
品川駅北周辺地区まちづくりガイドライン
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/seisaku/guideline2014/pdf/shinaga...
コンサートホールは浜松町駅前にできますね。
あとラグジュアリーホテルが海側に。
高輪口より港南口の汚い駅前広場をまず何とかして欲しいです。いまだに労働者の街のイメージが濃く残っています。