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いろいろ言っているが全部違うな。品川が長い間ぱっとしなかった理由は3つある。長いが興味ある人は読んでくれ。
①品川駅は2003年まで単なる山手線駅で港南口前はテニスコート
1998年に京急羽田線開業して羽田空港と結ばれ、2003年に東海道新幹線が停車するようになるまでは、品川駅は東京都内の他のエリアと品川を結ぶ路線としては山手線しかなく、乗り換えもない要するに実質上、周辺住民のためだけの駅だった。当然、それまでは交通利便性が他のエリアに劣る品川にはビジネス需要もないので港南に投資がされるはずもなかった。品川の発展が始まったのは新幹線と京急羽田空港線が出来てから。それまでの港南口は本当に何にもない駅であり、駅前の今のインターシティ位置にはテニスコートが何十面もあるような有様だった。逆に見れば新路線、新駅がもたらすインパクトを品川住民は良く知っている。だから、山手線品川新駅、リニア品川新駅によるさらなる発展は間違い無いと期待する理由がここにある。昔から東京の西部の住宅地から私鉄を経由して都心を結びためのJRへの乗換駅として発展してきた新宿や渋谷、池袋とはぜんぜん成り立ちが違う。品川にも京急があったものの、神奈川方面から東京に通勤する人は当時は限定的で、しかもほかの私鉄と異なり京急だけは昭和43年から浅草線との相互直通運転をやっていたので、品川駅での乗り換えもなかった。
②品川駅高輪口は駅前から傾斜地、且つ古くからの由緒正しき邸宅街で開発余地なし
品川駅高輪口はほかの駅前と異なり、駅前道路を渡ると傾斜地であり、且つホテルエリアを含めて住宅街であった。プリンスホテルエリアももともと旧皇族が住む旧宮内省の所有地であり、戦後にそれが民間に払い下げられてホテルとして開発された(だからプリンスホテル)。その周囲はいまでも住居専用地域であり、法的にも商業開発は出来ない。要するに品川駅が長い間、単なる山手線駅であったことで商業的ポテンシャルが低かったし、仮に商業的ポテンシャルがあって商業的、ビジネス的に開発していろんな機能を持たせようとしたとしても、空いている土地がなかったうえに高輪は傾斜地で、すでに高級宅地として出来上がっており条件的にも厳しかった。しかし、この「開発しようにも土地がない」問題を一気に解決したのがJR東日本の車両基地跡地とあまり語られていないが品川駅南側の山手線留置線の利用、さらに国交省による国道15号上部の人工地盤化による上部の空間創出。そして、京急と西武の所有地の大改造計画。これで、品川には一気に未利用地が生まれ、開発ポテンシャルが高まった。
③品川駅の南北に走る多くのJR路線+京急による東西分断が品川エリアの足かせ
ほかの駅では駅を360度囲むように街が広がっているのに対して、品川駅は駅の南北はJR線路であり、その線路を跨ぐ道路もなかったため、高輪口と港南口は事実上別の街になってしまっており、東西自由通路が完成する2000年代まで、高輪口から港南口へ行こうとすると、JRの入場券を買って駅の構内を通り抜けなければならなかった。これでは、全体の街としての活力が上がるはずもなく、当然魅力に欠けるのでほかの要因とも相まっていろいろな投資されることはなかった。東西自由通路が出来たことで歩行者にとっては、この問題は一部解消するも、いまだ車は大回りしないと高輪⇔港南の行き来が出来ていない。しかし、環状4号線が整備されると港南口と高輪口は道路で結ばれるため、この問題は一気に解消する。また、先の話になるが外苑西通りまで延長されれば、広尾、西麻布までも道路でつながることになる。この道路敷設による経済効果も大きいだろう。