- 検討スレ
- 住民スレ
- 物件概要
- 地図
- 価格スレ
- 価格表販売
- 見学記
ネガさんも追い詰められてるんだから
あんまりイヂメないであげてね。
港南さん、客観的なデータは地価しかないんだな。三田や高輪より港南は安い、これが客観的な評価。
駅の東と西では違うって言いたいんじゃないの?
武家屋敷のあとに立つ大学や大使館が地位を証明してるんだな。駅力にもプラス要素。
ネガ、アホ過ぎ。ヤマト運輸とか大使館とか、読んでる側から見ても無理矢理ネタ探してる感ありあり。自分がミジメになるだけだから、もう諦めろよ。
ネガの出し物が大使館に代わりましタァ
>>29949 匿名さん
三田の高台より港南がいいとシンプルに説明したら??わかりやすく優れてるのは眺望くらいかな?眺望なんて主観的な要素だし、三田綱町のマンションも眺望良さそうだけど。
芝に住んでるけど、駅まで5分以上とか信じられない。品川なら駅が大きいから、10分までは仕方がないのかな?
>例えば三田芝浦で新駅に期待してるのなんてTBT 住民くらい。
妄想がどんどん広がる。
>芝に住んでるけど、
ぷっ
駅からの時間て言っても
間に何があるかだよな
港南までって何があるの
山手線の大きな駅、渋谷、新宿、東京、品川は駅から5分以内は商業エリア。駅から5分以内に選択肢がほとんどないのはやむを得ない。
ただ品川駅は高輪も港南も商業エリアの外側が住居地域である点は他の駅と異なる点。
クソrichは貧乏臭いから雑居ビルの一室に住んでるんだろ。
小便臭い雑居ビルだから写真なんてアップできるわけがない(笑)
港南さんはアンチ他駅アンチ東京なのが理解できない。
港南さんって、愛宕や東新橋より港南の方が物件価格が高いっていうガセ情報を鵜呑みにして本気で喜んでしまうレベルのアホだから何言っても無駄だと思う。
渋谷は他の街なんかより凋落から脱出する方法を真剣に考えるべき
盗撮魔がいる街には安心して住めないです。
渋谷凋落3つの要因
東急東横線渋谷駅の地下化を始点に渋谷の凋落を語る人は少なくないが、実際はもっと前から始まっていた。要因は3つある。ひとつはかつて渋谷を渋谷たらしめていた文化の消滅である。
渋谷が洗練されたおしゃれなまちと広く認識されるようになった契機は1973年の渋谷パルコの誕生である。駅から500mも離れた、坂の途中という立地、専門店共同ビルというそれまでにないスタイルに最初は「成功するワケがない」という冷ややかな声が大半だったというが、これが大成功をおさめる。
以降、西武流通グループ(のちのセゾングループ)はいわゆる文化戦略を推進、若者文化とアートの街として1980年代から1990年代初頭にかけてのセゾングループの拡大と軌を一にして渋谷は大きく成長する。
渋谷パルコ以降、1990年までに渋谷に登場した施設をざっと挙げると、1975年にパルコパート2、1978年に東急ハンズ、1979年に渋谷109、1981年にパルコパート3、1987年にロフト、1988年にクアトロ、1988年にワンオーナイン、1989年にBunkamura――と、今の渋谷中心部はセゾングループ全盛期に形作られてきたことがわかる。
その後、バブルの崩壊と同時にセゾングループは解体に向かうが、渋谷の文化自体は生き続けてきた。1990年代には、フリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴなど、「渋谷系」といわれる音楽が流行ったこともある。
ところが、こうした施設は2000年以降、少しずつ姿を消していく。2000年には、1969年に公園通りに誕生し、演劇やライブなどで親しまれた小劇場渋谷ジァン・ジァンが閉館。2005年には1912(明治45)年に渋谷で創業した大盛堂書店本店がビル建て替えで閉店、跡地にはファストファッションのZARAが入った。2010年前後からはシネセゾン、シネマライズなどミニシアターの閉館も相次いでいる。
現在の公園通り。手前が閉店したギャップ公園通り店。中央が工事中のパルコ(筆者撮影)
さらに、2016年8月にはパルコが閉館。人通りが減った公園通りを嫌って2017年5月にはギャップ渋谷店も閉店し、公園通りは寂しくなった。
2019年には20階建ての大型複合ビルとして再スタートする予定だが、駅から遠い公園通りに人は戻ってくるだろうか。頼りは公園通りと駅をつなぐ地点にある西武百貨店だが、春日部、旭川、柏、筑波、八尾、船橋と西武・そごうの他店舗の相次ぐリストラニュースを聞くと過度の期待は持てない。
ちなみにおれこないだ東新橋と港南それぞれ2LDK物件のこの一年の成約価格を計算したものですが、港南は平均で300万ちょうどと書いたけど正確には299.7だったよ。
300万年を下回ったら港南さんが怒ると思いまして。
渋谷発のファッションが生まれなくなった
2つ目の理由はファッション業界の変化だ。1980年代以降、渋谷は若者ファッションを生み出してきた。1980年代中盤から1990年代前半にかけて若者を渋谷に引き寄せたのが「渋カジ」といわれたスタイル。その後、1991年から2001年にかけてはチーマーを皮切りに、コギャル、ロコガール、ガングロ、ヤマンバ、ギャル男などと称されるギャル文化が一世を風靡した。渋谷で流行ったルーズソックスや厚底ブーツなどが全国に広まったことも今では懐かしい話だ。
だが、それ以降渋谷発で全国に広がるファッションは生まれていない。かつてカリスマ店員と呼ばれる人たちを生み、ギャルファッションの聖地だった渋谷109も2009年度の286.5億円をピークに売り上げは減少の一途をたどっている。
2008年に日本に上陸した「H&M」、2009年の「FOREVER21」などのファストファッションに押される一方なのだ。加えて、ネット通販、フリマ市場など衣類購入の選択肢の豊富な現在、ギャルがわざわざ渋谷109に買い物に行く必要はなくなったのである。
そしてトドメを刺したのが・・・
だが、1996年に埼京線が延伸、2003年に東急田園都市線が東京メトロ半蔵門線を介して東武伊勢崎線・日光線と相互直通運転を始め、渋谷は徐々にどこからでも行きやすい場所になっていく。最後にとどめを刺したのが2013年の東急東横線渋谷駅地下化と東京メトロ副都心線直通運転だ。
簡単にいつでも行ける場所にかつてほどの輝きがなくなるのは仕方ない話。実際、ここ30年でいえば「頑張っておしゃれをしています」という人は年々少なくなっている。ファッションの傾向自体がカジュアルになっているというせいもあるが、渋谷に行くのに気張る必要はなくなったというのが事実だろう。
3つ目は鉄道の延伸、相互乗入れだ。便利になればなるほど、渋谷の特別感はそがれてきたのである。ストリートから流行が生まれた渋カジ時代には口コミと雑誌が情報源だったから、渋谷に行くことに意味があった。日常的に渋谷に行けるということはステータスでもあった。チーマー、コギャルの時代にもわざわざ渋谷に行き、センター街をうろつくことが楽しかったのだろう。