- 掲示板
0歳
旧華族の血筋を受け継ぐ大財閥「幸(さいわい)家」に一人の男の子が生まれた。
その生まれながらに美しい顔立ちは、周囲の人々を太陽のように明るく照らしだし、一寸の陰りさえも見えない。
莫大な富と名誉を欲しいままにすることを 生まれながらにして約束され、”幸・鉄平(さいわい・てっぺい)”と名づけられたこの男の子は、これからどんな人生を歩んでいくのだろうか。
[スレ作成日時]2007-02-18 15:32:00
0歳
旧華族の血筋を受け継ぐ大財閥「幸(さいわい)家」に一人の男の子が生まれた。
その生まれながらに美しい顔立ちは、周囲の人々を太陽のように明るく照らしだし、一寸の陰りさえも見えない。
莫大な富と名誉を欲しいままにすることを 生まれながらにして約束され、”幸・鉄平(さいわい・てっぺい)”と名づけられたこの男の子は、これからどんな人生を歩んでいくのだろうか。
[スレ作成日時]2007-02-18 15:32:00
21歳
鉄平は、医学部で勉学に励んでいた。
彼が医学部を志望したのには、訳があった。
数年前に***に撃たれた弟銀平は、今でも半身不随の生活をおくっていた。
「幸家の子息を手術して万一のことがあれば自分は無事では済まない。」と考えた外科医たちは、皆、尻込みし、誰も執刀しようとしなかったのだ。
こうした状況で、鉄平は自らの手で弟を手術しようと心に決めたのだった。
四天王たちもまた、各々の人生を生きていた。
西郷は、建築学科に進み、建築家となるべく設計に没頭した。
彼がねぐらとした京大熊野寮の部屋には、世界中のあらゆる建築の資料が山積みされ、その重みで築50年の寮の床が抜け落ちたほどだった。
坂本は、理学部に進み、東山の麓の旅館を転々としながら、地球工学的観点から埋蔵資源の発掘活用方法の研究を重ねていた。
発展途上国の資源を有効活用し、世界的な経済発展を促すためである。
吉田は、法学部に進み、鴨川に程近い安アパートに篭り、司法試験の勉強に励んでいた。もちろん、将来は、弁護士として世界を舞台に活躍するつもりである。
勝は、教育学部に入り、優秀な若人を育てる指導者となる道を選んだ。
”人は城、人は石垣、人は国家なり”が、勝家代々の家訓なのである。
そんなある日のこと、下鴨神社に程近い雅家の邸宅では、曲水の宴が行われていた。
色とりどりの狩衣(かりぎぬ)や小袿(こうちき)に身を包んだ7名の歌人が、朱塗りの盃にお神酒を注ぎ、羽觴(うしょう)の背に載せて遣水(やりみず)に流すのだ。
琴の音が響く中、歌人はその日のお題にちなんで和歌を詠み、短冊にしたため、目の前に流れ来る羽觴を取り上げ、盃のお酒を飲むのだ。
これは、雅家の伝統、毎年行われる春の行事である。
今年の7人の歌人に選ばれた鉄平が、和歌を読んでいると、そこへ、西陣織りの着物に金糸銀糸を縫い込んだ帯を締め、珊瑚べっ甲細工のカンザシを髪に指したサチが、シャナリシャナリと現れた。
そして、鉄平のそばに寄り添うと、耳元に口を寄せてささやいた。
「あたし、こんど、京都大学の薬学部に合格しましたさかいに、よろしゅう おたのもうしますえ。鉄平はんといっしょに、これからも、弟はんをお助けしたいと思いますからぁ。」
22歳
19歳の時にどん底を味わった鉄平は警察の目を盗むかのうように京都で生きていた。ひっそりと過ごした3年間は辛く苦しいものであったに違いない。そんな鉄平もめでたく卒業の日をむかえることとなった。
卒業式を終え、気が緩んだのかこの日ばかりはと友人たちと強かに酒を飲んだ鉄平の前に意外な人物が現れる。それは、鉄平が世間から隠れるきっかけの宴会の場にいた千太郎であった。千太郎は近づいてきたかと思うと鉄平に声をにこやかにかけてきたのだ。「鉄平君心配したぞ。あんな話を聞いたからどうしているかと思ったんだ。」いぶかしげな表情を表に出してしまう鉄平。そんな彼のようすに気づかないのか千太郎は話を続ける。「どうだね。これからのみに行かんか?」
「いえ、それは・・・」苦い経験もあり、固辞する鉄平の言葉をさえぎるように千太郎はとどめの一言を言ったのだった。「家族のことをしりたいと思わんかね」その言葉に鉄平は引きづられるかのように千太郎の車へ乗り込んでしまうのであった。
車が止まると鉄平は驚いた。無理もない19歳の時にいったあの店であったのだ。しり込みをする鉄平の肩を千太郎は強引に押し二人は店へ入っていくのだった。千太郎の口元が不敵な笑みを浮かべていた。
鉄平は軽くめまいを覚えていた。なにもかもがあの日と同じなのだ。料理も芸者も・・・違うことは友人がいないことだけだ。酒を飲む手もこころなし震えている。
突如、千太郎が手を叩くと芸者たちはさっと部屋から出て行った。そして千太郎はゆっくりと語りだした。「あの日のことは後悔していないか?。」
鉄平はさらに混乱した。あの出来事は家族を離散させてしまった忘れたい出来事である。それをなぜいまさら聞くのか?その答えはすぐにわかる。にやにやと下卑た笑いをする千太郎の口から真実がかたられるのだ。
「実はな、あの日はわしがしくんだんじゃ。生意気にもわしを利用しようとしたお前の親父をこらしめるためにな。しかし、あそこまでうまく行くとな、ハハハ」
鉄平は千太郎の言葉の意味を一瞬理解できなかった。しかし、徐々に怒りが高まってくる。そんな姿が面白かったのか千太郎は続ける。
「それ、家族が現在どうしているかしりたがっていたじゃろ」
ふぁさっと投げられた写真には生き別れた次女、妹がうつっていた。それも全裸で。鉄平の混乱はどんどん深まっていく。千太郎はさらに続ける。
「わしが買ってやったのよ。行き場にこまっていたからのー。なかなか良かったぞ」その言葉を聞いた瞬間、鉄平の中で何かがはじけた。
気がつくと鉄平は部屋の中に一人でたっていた。足元は真っ赤だ。その中心にあるのは千太郎であるはずの物体。人目には顔だと判断できないくらいにめったうちにされた千太郎はもはやぴくりとも動かなかった。鉄平の手には飾りで置いてあった日本刀が握られていた。鉄平はまた罪を重ねてしまったのだ。
動揺する鉄平が千太郎に近づくと不意に目の前の扉があいた。サチであった。鉄平は即座にサチの口を押えると押し倒した。そして首を絞める。どのくらい時間がたったのだろう・・・気がつくとサチもいき絶え冷たくなっていた。怖くなった鉄平は持っていたライターで二人に火をつけると部屋から逃げ出した。靴もはかずに・・・
家に帰ることも出来ずに河川敷にたたずむ鉄平だが、夜風にあたっていると急に冷静になった。まずは体についた血を洗い流さないと。鉄平はまだ寒さものこる河に飛び込んだ。
しかし、運の悪いことにそこを通りがかった人に見つかり警察に捕まってしまう。鉄平は逮捕された。そして、血のついた服、料亭に残った靴、指紋など数々の物証から殺人罪に問われる。自らのしたことに後悔した鉄平はいままでにあったことすべてをつげた。
裁判は鉄平の証言もあり思ったよりも早く進んだ。そして年内のうちに判決が下りた。死刑である。弁護人は反省していること、鉄平の証言がなければ早期解決はなかったことなどから情状酌量の余地があるとして控訴したが鉄平は拒否した。控訴が取り下げられ死刑が確定したのである。
23歳
ぴちぴちぴち・・・小鳥のさえずりで、鉄平は目覚めた。
「また同じ夢をみてしまった。しかもだんだん、話がエグくなる」
鉄平は19歳の時にみたあの夢を、幾度も幾度もくりかえし見てうなされていたのだ。
あの夢は何だったんだろう、デジャヴュにしてもリアルすぎる」
と鉄平はいつものように思った。
鉄平は、今、フランス・パリの中心街にいる。
京都大学で4年間、医学の勉強をした後、2年間の医学研修期間を パリ大学・通称(レネ・デカルト・ソルボンヌ大学)で留学生として過ごしているのだ。
パリ独特の西風が強く吹く中、冷たい灰色の冬空を見上げて 鉄平は呟く。
「待ってろよ、銀平。もう少しの辛抱だ。きっと、俺が元の体に戻してやるからな。」
同じ頃、西郷は、ロンドンにいた。
ハイテク建築の第一人者として活躍しているのだ。
最先端の技術を駆使し、大胆な挑戦に満ちた彼の建築は、世界の注目を集めている。
特に、歴史的な石造りの建物が並ぶ金融街シティーで設計したガラス張りの巨大な機械を思わせるハイテクビルは、ロンドンっ子を驚かせ、喝采を受けた。
坂本は、南米のコロンビアにいる。
外務省から発展途上国に送られるOECDの支援チームのリーダーとして抜擢され、鉄鋼石や石油といった埋蔵資源の調査を行っているのだ。
坂本は野生の勘とも言える独特の嗅覚で、地下深くに埋蔵された資源を察知した。
彼のチームは、次々と有望な鉱脈を発見し、他の南米各国からも引き合いが殺到していた。
吉田は、法学部在学中に司法試験に合格。
アメリカのニューヨーク五番街のオフィスで、国際司法弁護士として活躍している。
裁判社会アメリカで、彼の正義感は遺憾なく発揮され、弱者のために報酬なしで大企業に立ち向かう姿は、社会の底辺に押し込められた人々にとって、今や恩人ともいえる存在になっていた。
勝は、教育学部卒業後、京都のある工業高校に赴任した。
そこは、不良たちの集まることで知られた有名な高校であったが、彼はラクビー部を作って彼らを鍛え上げ、翌年には花園で日本一に導くのだ。
優勝して号泣する勝を生徒たちが、”泣き虫先生”と呼び、共に抱き合って泣く姿は、テレビ放映され、いつまでも語り草となった。
24歳
ふつう6年を要する京大医学部をわずか4年で卒業した鉄平は、研修医としてパリ大学に来て
2年目をむかえていた。
鉄平の特技は速読である。分厚い医学書を片っ端から読破した。
速読する鉄平の読書術は、一冊の本からは、せいぜい2〜3頁を学びとり記憶するものだという
物事の整理にたけていることである。 従って、ほとんど蔵書を持たない。
肝心な事柄だけを脳にしまい、いつでも取り出せるようにしているのである。
さらに鉄平には天性ともいうべき、手先の器用さがあった。
外科研修医として、脳・循環器・呼吸器・消化器はもちろん、形成外科とくに神経系統の手術
には異様なまでの集中力をもって迅速・的確な処置を施し、指導教授も舌をまいた。
パリ大学医学部での鉄平の評価は高く、教授の手術の第一助手を務めるまでに成長した。
やがてパリにバカンスの季節がやってきた。
都会の喧騒をさけ、さんさんとふりそそぐ太陽を求めて人々は南国へ旅立つ。
パリに残っているのは低所得者層やオノボリさん、あるいは奇人・変人のたぐいである。
鉄平は大学の図書館にこもり、読書と研究の日々を送っていた。
西郷がロンドンから鉄平を訪ねてきたのは、そんな夏の午後である。
「フランス人っちゅうもんは、犬のクソも始末できもはん」
下駄の裏にひっついたお土産をながめながら、西郷は鉄平との再会を喜んだ。
「それと、どげんしてフランス人は[H]を発音せんのだ」と西郷。
「フランス人に言わせると、[H]を発音すれば「は〜」だの「ひ〜」だの
息が疲れるらしい。だから「あ〜」だの「い〜」と省略してるみたいだぜ」
鉄平はパリ大学の友人から聞いた薀蓄を披露した。
「ふん、どこまでも手を抜く国民でごわす」
西郷の豪放磊落な性格は、鉄平には心地よかった。西郷と過ごした一週間は、あっというまに
過ぎ去り、パリで大量に仕入れた建築関係の書物を風呂敷に背負い込み、下駄の音も高らかに
西郷はロンドンに帰っていった。
鉄平の研修も終わりに近づいた。パリ大学は鉄平に大学の医師としてパリにとどまるよう
慰留したが、鉄平は日本に帰るときが来たと思った。
「銀平が待っている。 そしてサチも・・・・」
24歳
パリ大学での研修は終ろうとしていた。
鉄平の師事する医学部教授”プロフェッサー・フロイト”は、最後の課題として、鉄平に自らを対象として”夢分析”をするように指示した。
”夢分析”とは、精神医学における基本的な分析手法で、夜みる夢を基に、その人の潜在意識(無意識)を解読しようと試みるものである。
夢に関する自由連想を行うことにより、次第に無意識を表面化させることができるのだが、それが、必ずしも当人に納得できるものとは限らないと言われている。
夕暮れ迫る、フロイト教授の研究室で、裸電球に照らされて、二人は向き合った。
鉄平は、数年前から良く見るようになった、あの夢についてフロイトに語り始めた。
まず、夢に家族が登場すること。
これは簡単です。
いつも、私は家族の写真を持ち歩いています。
その写真に誘発されて、昔のように家族そろって暮らしたいとの欲求が具現化したものです。
その上に、将来弟の手術を失敗することの恐怖がかさなり、家族離散のイメージになったと思われます。
次に、千太郎氏ですが、これは、サチの父親であり、将来自分の父となるかも知れないという意識がもたらしたファーザーコンプレックスの現れです。
かつて、自分が大切に思っていた志摩観光ホテルを私たち家族から奪った者への潜在的な憎悪が加味されてこのような姿になったと思います。
そして、注目したいのは、夢の中で何度か「暴力」が出てくることです。
「男性のテントを襲撃」
「殺害」
「全裸にされた妹」
「日本刀で殺害」
これらについては、男性を襲撃して殺害するということについて、同じ襲うならもっと金持ちを襲うのが普通です。
と、いうことは、この襲撃は金のためではなく、人の命を奪うこと自体が目的の襲撃です。
それは、快楽を求める心の現れではないでしょうか。
また、千太郎氏が、犯罪である未成年女性の買春を行い、しかも証拠となる写真をわざわざ残すのもおかしい。
そもそも男が女の写真を撮るとは、自らの存在を顕示しようとする心の現われそのものです。
千太郎氏の姿を借りて、僕は夢の中で自分の欲求を満たそうとしたのです。
さらに、殺害方法ですが、お座敷にある刀というのも変です。
料亭のお座敷や日本刀についての知識がある者なら、飾り刀は”目立て”していない、つまり刃が研ぎ出されていないことは知っています。
そんな刀では、大根だって切れません。
では、何故、日本刀なのか。
この場合の日本刀は、男のシンボルであり、僕自身のことです。
それを振りかざして、自己顕示特を満足させ、快楽を求めたのです。
しかし、これは、僕のような若い男性にはよくある普通の生理現象です。
恥ずかしいことではありません。
そして、よく登場するお座敷。
これは主に女性の象徴であると言われています。
自分を包む器としてのお座敷。
これは、マザーコンプレックスでいう母性を求める心を表しています。
結局、これらの自由連想から、考えると、次のように解釈出来ます。
「私は、早く医学を修め日本に帰り、弟の手術を済ませてその重圧から開放されたい。
そして、愛する女性と結ばれ、幸せになりたい。」
プロフェッサー・フロイトは、席から立ち上がると、鉄平の両手を握り締めた。
「よくできました。ムッシュ・鉄平。
医学の恐ろしい所は、その人が、自分自身ですら知らないほうがいいことを暴けるということです。
医学は使い方を謝ると大変なことになります。
私が常々『安易な気持ちでこの世界に入ることは薦めない』と言っている理由はそこにあるのです。
あなたの夢分析による自己批評は完璧でした。
あなたならきっと、立派に医者として人々を救うことが出きます。
わたしが、教えることは、もうなにもありません。卒業です。日本に戻りなさい。」
こうして、鉄平は、医者となり、日本へ帰って来たのである。
26歳
一子と彼は、川縁の桟橋に腰掛け、桜を待つ青空を鏡のように鮮やかに映し出す水面に、釣り糸を垂れていた。
彼は言う。
「釣りをする人のことを太公望と言うが、それは司馬遷が記した中国史書の一節を間違って引用した表現だ。
一説によると、太公がその時、持って川に挑んでいった物は竿と糸だけで、針をつけていなかった。
魚を釣るからには、魚の痛みを知れと言う、有り難い教えなんだ。
釣りをスポーツとして楽しむ奴なんかエセ太公さ。」
隣に座る一子は、真っ白い服を着ていた。
真っ白いショートパンツにショートスリーブ。
彼女は、彼の好きな色に合わせて、白系の服をいつも着ていた。
彼は、清潔さにはさしてこだわらなかったが、生活習慣の割と整った男で、洗濯や物資の整理だけは毎日欠かさなかった。
その為、いつも着ている白い服は、少し黒ずんだり解れたりしている部分をひっくるめても、結構白く清潔に見えた。
彼は余裕ぶった笑顔をしている。
「何でそんなに笑っていられるの。あたしは必死なんだよ。」
彼は笑って答えた。
「魚釣りとは、そこに人間達の生と魚の死を賭けた、水辺の狩りなのだ。しかし、釣れないよねぇ。」
そんなことは言ってないよ、あたし。君には悩みなんて物は、多分無いんだろう。
一子は、彼に真剣になることを求めるのを諦めて、悲しそうに微笑むと、和歌を詠んだ。
釣り糸の浸けたる先は未だ冬引いて弥生の花よ煌めけ
(川面に漬けている釣り糸の先(餌の周り)は、未だに冬を引きずっている様なさびしい風景だ。弥生の桜よ、(三月の魚達よ、糸の先を引っ張って)水面で煌めきなさい。)
何か釣れるよう、願をかけるつもりで詠んだのだが、なぜか彼が笑った。
「何。」
彼女は、さらに歌を続けた。
桜待ち川面に映る君とわれ悴む吾子を君ぞ包める
(桜が咲くのを待ち、川面に映っている貴方と私。悴んでいる私の子ども(私の快活な心)を包み込んでくれているのは、他でもない、貴方自身なのだよ。)
一子は、ぴったり寄り添って彼の右肩にもたれ掛かった。
…どうしよう。
一子は、家が決めた別の男との結婚を目前にして、まだ彼に話を切り出せないでいたのだ。
ねぇ、と言って、一子は彼の耳元に最後の一句をささやいた。
ねがわくは はなのしたにて はるしなん そのきさらぎの もちづきのころ (一子)
27歳
銀平は小学舎の帰途に、偶然遭遇した事件で受けた銃弾の後遺症で半身不随のまま、港区の自宅で
療養していた。
「ブスバスガイドの、ボスガスボスバクハツ・・・」脳裏にうかぶ呪文のような言葉とともに、
あの日の出来事は十数年たった今でも鮮烈に覚えている。
そんなある日、自首し刑期を終えた極道組の***が銀平を見舞い、丁重に謝罪した。
***は紋付袴すがたで、大きな果物カゴを持参していた。
彼は、かつて極道組の親分のボディーガードだったが、今は若頭に出世していた。
「***なんて人間のクズですな〜」ため息まじりに、そうつぶやいた***の頭に
白髪が混じっているのをみて、銀平は時の過ぎ去るのは早いと思った。
「実は・・・」***は少しためらったあと、「京都の花菱組と、ちょいと揉めてましてね」
花菱組は全国に下部組織をおく広域ホニャララ団である。
最近は、東京進出をうわさされ、老舗の地元***の極道組に、ちょっかいをだしているらしい。
「うちの若いモンも血の気が多いやつらなんで、苦労してますわ。ドンパチが始まったら、
カタギの衆に迷惑かける事になると思うと、お前さんの姿が気になりましてな」
「実は、こんど兄の執刀で手術を受けることになったんです。」銀平はうちあけた。
「神経がやられていて、へたに手術すると全身マヒして植物状態になる危険があるみたいで、
いままで誰も手術を引き受けてくれませんでした。 でも、兄なら安心してまかせられます。」
「そうですかい、そりゃあ良かった。手術の成功をお祈りいたしやす。」***は少し、肩の
荷がおりたような素振りで銀平宅を辞去していった。
「極道組若頭殺害さる」の大きな見出しの新聞を銀平が見たのは、それから幾日もたたない
寒い朝であった。
28歳
京都特有の焼けるように暑い夏。
四条河原町では祇園祭りの鐘太鼓が、コンチキチンと打ちならされる中、京都大学病院では、幸銀平の手術が始まろうとしていた。
第一外科の面々がが緊張し忙しく立ち働いている。
その中には、薬学部を優秀な成績で卒業し、看護士となったサチもナース姿で働いている。
小泉医学部長、安倍第一外科教授もそろった。
だが、肝心の執刀医、幸鉄平助教授が現れない。
鉄平は、パリ留学から帰国後、請われて、京都大学医学部の助教授に就任していたのだ。
すでに、銀平は全身麻酔をかけられ手術台に横たわっている。
時間がかかりすぎると、神経障害が残るかもしれない。
全身麻酔による、手術は時間との戦いなのだ。
いよいよ、オペの時間となったその時、鉄平がようやく現れた。
あせる周囲を黙殺し、鉄平は時計を一瞥し、一気にメスを振るい始めた。
銃創による障害は頚椎の神経節にまで達している。
しかし、鉄平はひるまずメスを進める。
見事なメス捌きである。
驚異的な短さで手術は完了し、無事に成功した。
1時間後、鉄平の行った手術に対して記者会見が開かれた。
責任者である安倍教授が説明しようとするが、記者は鉄平のコメントを求めた。
安倍は不快感をあらわにし、興奮して、手が震えている。
テレビで流れるそのニュースを、サチの父・雅千太郎が喜んで見ていた。
数日後、週刊誌に掲載された手術会見の写真は、鉄平ばかりが注目されていた。
今や第一外科は“鉄平外科”と呼ばれ、彼を慕って多くの患者が集まってきていた。
鉄平の上役である安倍教授の不快は、日増しに募るばかりであった。
そんなある日、安倍教授の総回診が始まった。
鉄平ら医局員を従え、外科病棟を回診するのだ。
安倍が、執刀した患者を前に自慢話を始めた。
倫理意識が欠如し、患者への思いやりのかけらもないその言動に鉄平は心を痛めついに、安倍にやめるように諌めた。
安倍の怒りが爆発した。
鉄平は一年足らずで助手に降格である。
誰もが「あれは安倍教授の嫉妬だ。」と思ったが、その処遇には従うしかなかった。
安倍は、次期学長選の実権を握る大物の一人なのだ。
だれも彼に逆らうこうとは許されない。
五山の送り火が行われる夜、鉄平は千太郎に呼ばれて 祇園の”しらかわ”へ足を運んだ。
二人が始めて合間見えたあの料亭である。
午後八時、京都盆地の証明が一斉に消され、五山に送り火が灯された。
東山の大文字の灯りを見ながら、千太郎は、鉄平に語りかけた。
「京大医学部は、安倍の一人天下じゃ。あんなところは見限って、サチと結婚し、雅家の婿になってくれんか。」
千太郎の、高笑いが闇に包まれた祇園に響き、遠くから八坂神社の鐘の音が聞こえて来た。
29歳
鉄平はサチとの結婚を固辞した。千太郎の高笑いが気に食わなかったからだ。それに夢とはいえ一度殺している相手と結婚することは鉄平にとって苦痛でしかなかったのだ。鉄平は一人になりたいと思っていたのだ。
そのころ京大でも鉄平の居場所はなくなっていた。傲慢で不適切な人物であろうと安部が教授であることには変わりないのだ。その安部に逆らった人物として鉄平は周りからさけられていったのだった。毎日雑用ばかりの日々に鉄平はうんざりしてた。
そんな時に福岡の大学から鉄平を教授に迎えたいとの話しが舞い込んできた。鉄平は迷うことなく二つ返事でその誘いを受けた。しかし、これは安部の陰謀だったのだ。
そんなことなどつゆも知らず鉄平は福岡へ移住した。胸の中は新境地での期待に膨らんでいた。
30歳
福岡大学での生活は実に平凡なものだった。
教授の肩書きは名ばかりで、実質、事務職員となんら変わるものではなかった。
そんな鉄平の元へサチが一人でやってきた。
千太郎には無断でやって来たといい、どうあっても、鉄平に付いて行くと言う。
こうして、二人だけの生活が始まった。
そんなある日、二人の元にニュースが飛び込んできた。
京大医学部の安倍教授が、花菱会と極道組の抗争に巻き込まれ銃撃されたと言うのだ。
安倍は行きつけの河原町のクラブ”アラジン”で飲んでいたところ、たまたま同じ店にいた花菱組の構成員を狙って極道組が襲撃し、その流れ弾に当たったという。
安倍は重態で、緊急の手術が必要になっていた。
しかし、その手術は大変困難なものであり、鉄平しか出きるものはいなかった。
安倍の家族は、福岡の鉄平宅を訪れ、手術してくれるよう、懇願した。
うらみ重なる安倍を助けるのか。
鉄平は、恩讐を越えて手術を引き受けた。
しかし、、、、
手術を始めた鉄平は、開胸した瞬間、息を飲んだ。
銃創そのもは、鉄平の技術をもってすれば何とかなったが、末期癌が胸膜全体に広がっていたのだ。
それは、全身転移と同じであり、一部の発巣切除などは意味がない。
鉄平は、銃創のみを手術すると、直ちに閉胸した。
鉄平の説明を聞いた安倍の家族は動転したが、同時に安倍に対して本人告知をしないでくれと懇願した。
今の安倍は京都大学の学長選挙に勝つことだけが生きる希望なのだ。
それを奪うような告知は許してくれと言う。
鉄平は安倍ほどの専門家にどうやって隠せるか?と疑念を述べるが、家族の希望通り、安倍には病状を隠すことになった。
数ヶ月たっても安倍は入院したままだった。
そんなある日、ナースが抗がん剤の点滴に病室へ入って来た。
薬剤の名を見た安倍は、ナースを問い詰める。
重度のがんに処方する抗がん剤だ、安倍にはすぐにその意味が分かった。
安倍は自分の身の変調に気が付き始めていたのだ。
鉄平が安倍の診察を行いに来た。
安倍は抗がん剤のことを尋ねる。
言葉に詰まる鉄平を見て、安倍は自分の病状の重さを確信した。
その晩、安倍は医局に向かい、自分のカルテを探しだし、廻りの人々が自分に嘘を付いていることを見破ってしまった。
数週間後、安倍は容態が悪化し、安倍は死を悟った。
鉄平が病室に来た頃、安倍の意識レベルは低かった。
だが、鉄平の呼びかけに安倍の瞼が上がる。
混沌とした意識の中、メスを探す安倍の手を鉄平が握った。
目を開けた安倍は、鉄平に「京大医学部学長を引き受けてくれ」と笑みを浮かべ…。
31歳
安倍の死後、鉄平は第一外科教授として再び京大医学部に戻った。
もちろん、サチも一緒である。
雅千太郎の喜びようは、盆と正月がいっぺんに来たような歓迎ぶりであった。
やがて小泉医学部長の定年退官にともない、鉄平は医学部長選挙に巻き込まれるのであった。
対抗馬は鳩山第一内科教授である。
話は前後する。
安倍の手術後を担当していたのは鳩山第一内科であり、鳩山教授みずからが担当医であった。
「鳩山君、手術の痕も良くなったし、そろそろ退院じゃないのかね」
「安倍先生、先生には小泉医学部長のあとを継いでいただく、大切なお体です。充分に
養生してもらいたいと思いますので、自重してください。」
数日後、鳩山はナースに点滴を指示した。
医者であれば研修医でもわかる抗がん剤であった。
事実を知ることが却って、安倍の死をはやめた。
それが鳩山教授の意図したことかどうかは問わないでおこう。
いま、鉄平は鳩山教授と医学部長の椅子をめぐり、忙殺されていた。
千太郎は、あらゆる裏工作をして鉄平をサポートした。
京大はえぬきの鉄平と東大系の鳩山教授では、鉄平の方に分があった。
しかし医学部の教授達の考える事は、まさに魑魅魍魎の世界である。
医学部長選挙の結果は、僅差で鳩山教授の勝ちであった。
うわさでは、小沢京大総長の天の声が、医学部の教授達に何らかの変心をもたらしたというが、
確かなことはわからない。
32歳
新医学部長就任にともない、新たな医学部人事が発表された。
第一外科の教授席には、鳩山新医学部長の弟子筆頭の菅が座った。
鉄平は、第二外科部長に降格である。
第一外科はあっという間に菅体制に切り替わっていった。
翌月、鉄平に、医学部から、ポーランドで開かれる国際外科医学会に出席し、公開手術をするようにとの指示が出た。
それこそは、鳩山と菅の謀略であったが、そうとは知らない鉄平は喜んで出席することにした。
サチは、新婚旅行にも行っていなかったので、鉄平との旅行に大喜びである。
豪華な見送りを受け、二人は関西空港から北の空に向かって飛び立って行った。
ポーランドのワルシャワ空港に着くと、鉄平は、公開手術を行う大学へ向かった。
鉄平は、学会会長のエマーソンに会い、手術スタッフと交流を持つ。
鉄平はすでに日本を代表する名医として知れ渡っていた。
翌日の手術は慣れない環境の中、鉄平らしい完璧な執刀であった。
後日行われた講演も見事なもので、偏屈で鳴るエマーソン博士をして、学会の名誉会員に推薦したいとまで言わしめた。
二人は、意気揚々と帰国。
だが、空港で財前を待っていたのは。。。。
安倍教授の死を不審とする遺族から医療過誤裁判の提訴の知らせだった。
2週間後、総回診中の財前のもとへ事務課の職員が血相を変えてやって来た。
裁判所から証拠保全の連絡がきた。
ざわつく医局員たち。
鉄平は、そんな馬鹿なと叫んだが、後の祭りであった。
小沢からの指示により、鳩山と菅が安倍の家族を抱きこんで 鉄平を罠にかけたのだ。
鉄平たちが、ワルシャワにいる間に全ての手はずは完了していた。
もはや、鉄平には裁判で無罪を勝ち取る意外に道は無くなっていた。
33歳
医学部は完全に小沢一派に掌握され、もはや鉄平の名前を口にすることも出来ない状態となっていた。
大学の職員たちは、密かに鉄平のことを”財前”という隠語で呼び、鉄平の再起を心待ちにしていたが、一審、二審と続けて鉄平が敗訴するのを見て、ついに彼らは鉄平を見限った。
「”財前”は、もう終わりだな。」
「ああ、小沢学長に睨まれてはこれまでさ。」
そんなささやきが、医局を満たしていた。
そんな中、上告の手続きを済ませた鉄平は、マスコミの執拗な取材を避けるため、木屋町 先斗町(ぽんとちょう)の置屋”寺田屋”に身を潜めていた。
そこは、京大医学部からは、三条大橋を越えた目と鼻の先。
しかし、灯台もと暗しとなって、ちょうどよい隠れ家となっていた。
そこへ、旧友の吉田松竹梅が鉄平を訪ねてきた。
「やあやあ、久しぶりすなあ。お元気でしたかあ。苦戦しちょう、ようじゃが」
鴨川の川原の見える2階の座敷にあがると、山口訛りの抜けない言葉で吉田は切り出した。
「敵はなかなかやりもうすようじゃ。ここは一つわしに任せんかね」
「ニューヨークの弁護士事務所はどうするんだね」
「そんなもん、どうでもよかけん。友人を助けるのが一番じゃけ」
吉田はそういうと、女将がだした鮎の塩焼きを頭から齧り、ジュンサイのスマシ汁を一息に飲み干した。
「うまかね。やっぱり、日本が一番じゃね。」
34歳
鉄平は、医師生命と自らの真実を賭して法廷に立った。
東京都千代田区、皇居のお堀端に聳える最高裁判所の大法廷である。
10mを越える高さの天井から差し込む天空光に照らされて、原告と被告、そして最後に裁判官が席についた。
傍聴席は、マスコミ関係者で満席である。
安倍に対する憎しみと確執による殺人である、という原告側の訴えに対し、弁護士・吉田は完全否定で臨んだ。
反対尋問で吉田が証人に呼び出したのは、安倍の主治医だった菅教授、その人である。
吉田は、尋ねた。
「あなたは、医者が患者が向き合う時に、最も不可欠なものはなんだとお考えですか」
そして、菅の目をじっと見ながら続けた。
「選択の可能性を話すと言う事ではないのですか」
吉田はさらに、たたみ掛けた。
「鉄平さんが、安倍の胸部を手術で開く前に、すでに安倍は重度の癌に侵されていました。
当然兆候はすでに現れており、MRIによる健診でも発見されていたはずです。
残念ながら、すべてのカルテは書き換えられていて、その証拠はありませんが。。。」
吉田は続けた。
「私は、あなた方の医師としての心に問いたいのです。
何故、あなたは、安倍に説明を怠ったのですか。
説明を受けていれば、安倍はもっと早く手術を選んだかも知れません。
きっと、別の安らかな気持ちで手術を迎えることが出来たでしょうに」
鳩山が、原告席でいきり立って叫んだ。
「安倍ほどの医者に、治療法の選択について事前説明することは、無意味だ。
君は何を言っているんだ」
ものすごい剣幕である。
吉田は言った。
「患者自身が生き方の選択する。
その権利をあなたたちが奪うことは許されない。
遺族は、安倍の生きる力が医学部長になることだということを知っていた。
あなたは、その安倍を思う心を利用して逆に安倍を死においやったのです。」
吉田の心の叫びのような質問に鳩山は言葉に詰まった。
その時、傍聴席で声が上がった。安倍の遺族である。
「その弁護士の言うことは本当なのか!鳩山さん!菅さん!」。
叫び声に法廷は色めきたった。
遺族は廷吏によって退廷させられたが、菅の顔は蒼白である。
裁判長は、法廷秩序を守るために、菅へのそれ以上の質問は認めなかった。
最後に、裁判長は菅に、今も安倍に告知しなかったことについて考えは変わらないか?と、質問した。
菅は下をむいたまま答えなかった。
2カ月後、上告審の判決が下された。
裁判所は、鉄平の手術は適切であり、菅は治療行為のリスクを患者に説明することを怠ったとして一審、二審の判決を変更、鉄平の逆転勝訴を言い渡した。
鉄平の勝利が確定した。
35歳
という淡い夢を見ていたのだが現実は全く逆のものであった。上告審の判決は一審、二審の判決を支持するものとして鉄平の有罪が確定した。求刑8年に対し、判決は5年とわずかに主張が認められたが、医師としての資格を問うとの厳しい内容も含まれていた。すべてが鉄平に対して背を向けた。医師会も医局員もそしてサチさえも。サチは鳩山の娘と結婚した。鉄平はすべてを失った。なにより明日からは懲役に服する身だ。たとえ出所したとしても医師としての人生は終わったのだ。医療過誤の裁判に負けた=医師失格である。どこもやとってくれるはずがない。
最後に鉄平は思った。おれはいつ財前と改名したのだろうか?もう何がなんだかわからなかった。これが一部の人間の横暴が生んだ物語の末路であった。
36歳
刑務所の中の生活は最悪だった。
まずい飯、技術訓練という名の無意味な労働。
どれをとっても鉄平には耐え難いものだった。
噂で聞いたところによるとサチは子供を産んだそうだ。
人とはこれほどまでに早く気持ちが変わるものなのだろうか?
この話を聞いたときにまずそれを疑問に思ったが、時間がたつにつれ
それは憎悪へと変わっていった。
今の鉄平を支えるのは鳩山、小沢、サチへの復讐心だけであった。
書き込みはしましたが、もうお腹いっぱいというのが正直な気持ちです。
スレ主さんと一部の人の意にそわなければ強引に話をもどす。
そして時たま起こる無理な話の転換。
こういったスレは沢山の人の書き込みがあってこそ成り立つものではな
いでしょうか?
今の状況はスレ主さんの強引さが招いたものではないでしょうか?
もう一度考え直してもらいたいです。
36歳
ぴちぴちぴち・・・小鳥のさえずりで、鉄平は目覚めた。
「また変な夢をみてしまった。しかも、だんだん、話が長くなる」
鉄平は最近また変な夢を、幾度も幾度もくりかえして見るようになっていた。
「裁判で有罪になって服役するなんて。しかも、サチが鳩山の娘と結婚して、女同士で子供まで創っているなんて、遺伝子操作技術によるクローン受胎だろうか。」
不思議な夢の意味を理解しかねて、鉄平は大きく頭を振った。
鉄平は、今、米国のマサチューセッツ州ケンブリッジ市にいる。
窓越しに、五月の晴れた空を見上げて鉄平は、3年前を思い出していた。
裁判で逆転勝訴した後、ニュヨークへ帰る吉田松竹梅を成田空港まで見送りに行った時のことである。
吉田は鉄平に一冊の本を手渡して、機内の人となった。
帰りのリムジンの中で、鉄平は吉田から貰ったその本を開いた。
山崎豊子原作の「白い巨塔」であった。
大学病院での権力争いを描いたこの物語は結局、悲劇的な結末で終わるのだが、鉄平は自分が京大病院で”財前”と呼ばれている理由を この本を読んで初めて知った。
権力欲に身を任せ、あらゆる裏工作を使って医学部長の座に登ろうとする傲慢な天才外科医”財前”。
その主人公の外科医”財前”が自分にそっくりなのだ。
「なるほど、自分は確かに”財前”だ。吉田松竹梅、君には、裁判意外でも一本取られたな」
そういって、鉄平は笑った。
もはや、京都大学にも医者にも未練は無かった。
小沢や鳩山の顔など二度と見たくなかった。
おりしも、父・大介が経営する幸特殊製鋼では、あらたな技術開発のための優秀な指導者が必要となっていた。
大介は、鉄平を東京へ呼びつけると言い渡した。
「マサチューセッツ工科大学の大学院に留学し、冶金工学を学んで来い。そして帰国後、幸特殊製鋼の社長に就任するのじゃ。」
渡りに舟であった。
こうして、鉄平は、サチとともに、3年前、アメリカへやってきたのだった。
そして、はやくも卒業、帰国の時は、目の前にせまっていた。
幸特殊製鋼社長として、鉄平の新たな人生が始まろうとしていた。
38歳
塀の中にいるうちに鉄平には妄想癖が出ていた。無理もないのかもしれない。鉄平は囚人の間でおもちゃにされていた。繰り返し行われる暴行。見ぬふりをする刑務官。何もかもが現実とは思いたくなかったのだろう。昔の栄光にすがることしかできない、現実逃避しかできない、そんななさけない男に成り下がってしまったのだ。もういい加減に終わってくれないか繰り返される暴力と意味不明の言葉をうけながら鉄平は思った。すべてを終わらせたかった。出所まであと1年。鉄平の心は既に折れていた。
39歳
ぴちぴちぴち・・・小鳥のさえずりで、鉄平は目覚めた。
「また変な夢をみてしまった。しかも、だんだん、話が長くなる」
鉄平は最近また変な夢を、幾度も幾度もくりかえして見るようになっていた。
不思議な夢の意味を理解しかねて、鉄平は大きく頭を振った。
鉄平は、今、木更津の幸特殊製鋼で社長として働いている。
地方都市の埋立地にある製鉄会社とはいえ、社員はみな、鉄鋼マンとしての誇りに満ちており、すばらしい製鉄技術を有する有望会社だ。
サチは田舎暮らしがすっかり気に入り、毎日、遠浅の海岸に遊びに行っては、アサリやハマグリを採って帰って来て、鉄平に美味しい味噌汁を作ってくれていた。
そんなある日、鉄平が家に帰ってくると、サチが嬉しそうに耳元で囁いた。
「赤ちゃんができたの・・・」
40歳
「わあ、今日は波が高いのね」
サチは強い海風に遊ばれる長い髪を押さえながら笑っていた。
水平線の向こうには遥か遠くに富士山がある。
強い波涛によって深く抉られたこの崖の上で、鉄平とサチは何度もその富士山をこの目で捉えようとこの場所まで足を運んだ。
しかしこの付近の天候は彼らに意地悪で、きまって上空を鉛色のヴェールで覆ってしまっていた。
「きっと今日も、駄目みたいね」
サチは崖の端から手前にある鉄柱と鎖だけの防護柵の前で、鉄平に向かって叫んだ。
鉄平はサチがぼやけて見えるほど離れた場所に車を停めて、ボディーに寄り掛かりながら煙草を吸っていた。
潮風はそれほど水分を含んでいなかったため、肌に心地良かった。
サチから少し遠くの方で、数人の人々が崖の手前を歩いていた。
二人は子供で、サチと同じようにはしゃぎ回っていた。
それを両親と思われる二人の大人が眺めながら追うといった様子だった。
「私たち、この海に嫌われているのかしら」
何時の間にか駆け戻ってきたサチは、鉄平の手を握って呟いた。
「私たちはこの場所が大好きなのにね」
鉄平は視線を彼女から水平線の方へ向けた。
相変わらず遠くは深いガスがかかっていて、全く消える気配はなかった。
そして、ここは常に波が荒かった。
ここは船が頻繁に往来していた。
今も漁船が何隻か見える。
一度双眼鏡でこの漁船の概観を確認した事があるが、鉄平の知らない文字で何か書かれていた。
その時は別の、さらに見た事のない文字で書かれた灰色の船に追いかけられている様子だった。
どちらもボートレースのように素早かったのを覚えている。
「あ、海女さんだ」
サチは崖を歩く家族の更に奥手を指した。
ラバーの真っ黒なスーツに一つ目のゴーグルを着けた海女が数人、こちらの方に走って来るのが見え
た。
「この下で何か採れるのかしら。雲丹とか鮑とか」
「サチ、そろそろ帰ろうか」
鉄平は、半ばまで楽しんだ煙草を足元に落とすと、軽く踏んだ。
サチはうなずくと、助手席の方に回った。
エンジンをかけてから数秒、鉄平が軽くステアリングを左に切った時、辺りには誰も居なくなっていた。
「ああ、みんな帰るところだったんだ」
サチは鉄平と同じ方向を見ると、事も無げにつぶやいた。
車が加速を始めた頃、一隻の船が水平線に向かって走っているのが見えた。