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0歳
旧華族の血筋を受け継ぐ大財閥「幸(さいわい)家」に一人の男の子が生まれた。
その生まれながらに美しい顔立ちは、周囲の人々を太陽のように明るく照らしだし、一寸の陰りさえも見えない。
莫大な富と名誉を欲しいままにすることを 生まれながらにして約束され、”幸・鉄平(さいわい・てっぺい)”と名づけられたこの男の子は、これからどんな人生を歩んでいくのだろうか。
[スレ作成日時]2007-02-18 15:32:00
0歳
旧華族の血筋を受け継ぐ大財閥「幸(さいわい)家」に一人の男の子が生まれた。
その生まれながらに美しい顔立ちは、周囲の人々を太陽のように明るく照らしだし、一寸の陰りさえも見えない。
莫大な富と名誉を欲しいままにすることを 生まれながらにして約束され、”幸・鉄平(さいわい・てっぺい)”と名づけられたこの男の子は、これからどんな人生を歩んでいくのだろうか。
[スレ作成日時]2007-02-18 15:32:00
1歳
家族に可愛がられて、すくすくと成長する鉄平。
鉄平の父は、銀行経営者として現実的かつ冷静な判断力を持つ幸大介(さいわい・だいすけ)であった。
“華麗なる一族”幸家の家長として君臨する大介は、さまざまな策略で幸家を繁栄させようとしていた。
その手段の一つがが“閨閥(けいばつ)結婚”。
我が子を、有力政治家や有力企業の子供と結婚させてパイプを作って行く、したたかな策略だ。
鉄平は大介にとって、まさにうってつけの子供として生まれたのであった。
一方、幸家の女執事として、幸家の全て取り仕切る素晴らしいプロポーションの女、ゆき。
彼女は、大介の愛人として、幸家を影で操っていたのだが、彼女もまた鉄平に 深い興味を抱いていた。
3歳
鉄平には2歳上の姉一子がいる。
有名一流私立幼稚園に通う姉は、自宅のお屋敷に幼稚園から帰ってくると鉄平とお庭で仲良くままごとをするのが日課だ。
そんな姿を遠くの物陰から密かに覗いているゆき。
そんな中、鉄平に 弟・銀平誕生。
4歳
鉄平は、英才教育として、外国語は勿論、国語、数学、ピアノ、スポーツから帝王学まで学んでいる。
唯一、姉一子とのおままごとが子供に戻れる時間であった。
その頃、関東の幸家、関西の雅家と並び称される雅家に女子誕生。
幸大介は、即効で祝いの品を送り、将来の鉄平の妻として考えていた。
5歳
東京港区白金の超高級住宅街の中に 幸家の邸宅は聳え立っている。
Livingの床は大理石にペルシャ絨毯、重厚感あるアンティーク調のソファー、テーブル、暖炉、シャンデリア…デザインだけでなく素材にまで及ぶこだわりのインテリアは、幸大介の好みで統一されていた。
大介が頭取を勤める幸銀行の取引先のお客様は、この館を訪問するたびにその豪華さに圧倒され、「幸一族とは、こんな家で暮らしているほど凄い一族なのか」と、それぞれの立場で感嘆するのである。
大介は、ヴィクトリア朝時代のアンティークソファに身を沈め、温湿度調節機能付きのシガーケースからキューバ産最高級シガーを取り出すとおもむろに火を点した。
白い煙が立ち昇り、独特の方向が部屋を満たす。
食後のひと時、英国ロンドンの銃メーカー ジェームス・パーディ製の「水平二連銃」をゆっくりと手入れするこの時間は大介の至福のひと時だ。
ジェームス・パーディ社では、銃を持つ人の身長に合わせて一梃一梃、手作りしており、銃口が∞のように水平設置された長銃身猟銃は、幻の逸品と呼ばれている。
この銃は、鉄平の祖父・幸敬介が愛用していたものを、祖父と背格好が似通った父・大介が譲り受けたものだ。
やがて、そこに雅家からの誕生祝いのお祝い返しの品々が厳かに届けられた。
それらの品々には、一通の香を炊き込めた巻き手紙が付けられている。
そして、、、、
「幸家の長男・鉄平と雅家に生まれたばかりの娘・サチとの婚約を承知する。」との内容が流麗な文字で書かれていた。
大介は、満足の笑みを漏らし、そして大声で笑うのであった。
6歳
幸財閥は幸銀行を筆頭に、幸特殊製鋼、幸不動産、幸倉庫などをかかえる財閥である。
幸家はもともと大地主であったが、鉄平の祖父・敬介が横浜に幸船舶と幸倉庫を創立したのち、幸銀行を創立し、幸財閥の基礎を作ったのだ。
今では、幸財閥の中枢は、幸大介に集中しているように思われているが、実際には、女執事ゆきが握っていた。
すなわち、妻の姻戚関係で結ばれた勢力集団である幸家は、より盤石な体制を築くため、家を取り仕切るゆきが、その閨閥作りの役目を担い、大介は、彼女の言いなりに操られていたのだ。
この雅家との政略結婚もゆきの画策であった。
その年の正月、三重県志摩半島の賢島の由緒あるホテル、志摩慣行ホテルでは、幸家一族の毎年恒例の新年祝賀会が行われていた。
ホテルの名物料理「鮑のステーキ」を、このホテルのメインダイニングで食するのだ。
元旦の朝に伊勢志摩の海で 海女が海に潜って取ってきたばかりのアワビを 料理長自らが、ソテー・フランベーし、最後に醤油を隠し味としたマデラ酒のソースで仕上げる。
さっくりとした歯ごたえとホクホクした口当たりは正に絶品である。
この会食により、幸一族の団結はより強固なものとなるのだ。
しかし、、、、
そこへ、突然ニュースが飛び込んできた。
極秘情報に属する財務省作成の「幸銀行業務内容資料」が「講評」という形で、他行に漏れたというのだ。
そこには、銀行の経営内容だけではなく、「頭取の融資態度甘し」とか、「頭取の私生活に疑問あり」という点まで記入されており、頭取のポストを左右し得る内容だという。
大介は、拳を握り締めて呟いた。
「財務省官僚は、何かというと銀行を保護していると云うが、わしから云わせれば、保護どころか、銀行に対してものすごい横暴だ。もう我慢は限界だ。」
8歳
鉄平は、姉と一緒に東京港区にある有名私立付属小学校に通っている。
そこは、もちろん、庶民が通う一般の小学校とは違い、優雅に“小学舎“と呼ばれている。
行き帰りは、当然、ロールスロイスのリムジンである。
明治時代に創立された某有名私立直系のその小学舎に通えるのは、皇族・財閥系の大金持ちの子女だけなので、朝夕の通学時間には、校舎の車寄せには、高級車がずらりと並んでいたが、鉄平の乗るリムジンは、一際大きく誰の目にもそれが幸家の物であることは明らかであった。
鉄平は、父・大介が付けた家庭教師から帝王学を始め、様々な学問やスポーツを 幼稚舎の頃から、一通り学んでいた。
此処では、鉄平は、人として生きてゆくために必要な貴重な経験を積むことになる。
すなわち、他人を自分の家族同様に愛し、弱者を慈しみ、仲間とともに力を合わせて、協調性持って生きてゆくということである。
それは、どんな下らない揶揄、中傷の類いにも決して乱れることのない強い精神力となり、後の鉄平の人生の大きな支えとなっていくのであった。
10歳
鉄平に、妹 ニ子(つぐこ)が誕生。
4人兄弟は仲良く成長していくのだった。
鉄兵の父・大介がオーナー頭取を勤める幸銀行は、本店を東京日本橋に置き、関東地区では絶大な勢力を誇る、預貯金高第5位の都市銀行だ。
大地主であった幸敬介が創設したこの地方銀行を、敬介の息子・大介が地方の小さな銀行を次々と吸収することで今日の規模にまで成長してきた。
そして、大介は、新たに、預貯金高第10位の都市銀行 雅銀行を吸収合併しようと企んでいた。
雅銀行は、雅グループの参加で、京都に基盤を置くが、元は地方の貯蓄銀行が戦後一つに合併した寄り合い型銀行である。
そのため、歴代頭取は日銀からの天下りが多く、雅家当主でもある雅千太郎専務をはじめとした現場の生え抜き派にとっては歯がゆい存在だった。
大介は、雅家と鉄平の政略結婚を進める裏で、この内部分裂を利用して、雅銀行に大きく揺さぶりをかけ、乗っ取りのための策謀を巡らせていた。
ちょうど、その頃、財務省作成の「幸銀行業務内容資料」がマスコミに流れ、その中で大介の乗っ取り工作が暴露されたため、幸家と雅家の間に亀裂が入った。
これが、両家の存亡をかけた戦いの幕開けとなった。
さて、廻りに翻弄される鉄平とサチ。二人の運命はどうなっていくのであろうか。
11歳
昼休みになっても、鉄平は食欲がなかった。
幸家の料理人が作ってくれた弁当の中を確認する。
3段重ねの重箱に入った京懐石。
京都東山の瓢亭で20年料理長を務めた板前を 父・大介が、幸家の料理長にしたのは、数年前のこと。
以来、鉄平が食べる料理は、ほとんどがこの料理長のものだ。
抜群にうまい料理。
しかし、今日の鉄平は、溜息が一つ出ただけだった。
風邪気味なのだ。
「はい、これ」
顔を上げると、同じクラスの友子が大きなメロンパンを差出して笑っていた。
「具合悪いんでしょ。はい、風邪にはメロンパン。ついでに買ってきました」
「ありがとう。いくら?」
「やだ。いいですよ。友達だから」
と、不意に「あれ」と、友子が声を上げた。
「鉄平さんも、『むくむく抱き枕』欲しいんですか」
友子の視線の先、鉄平の机の上に缶コーヒーの空き缶が並んでいる。
それらにはみな、小さなシールが貼ってあり、10枚集めると『むくむく抱き枕プレゼント』に応募できるのだ。
「まさか」
鉄平は慌てて言った。
「じゃあこれ、貰ってもいいですか?集めてるんです」
鉄平は少し躊躇した。
『むくむく抱き枕』を欲しがっているのは、実は弟の銀平だった。
しかし、幸家の男がそんなものを欲しがっているとは、言えなかったのだ。
「いいよ」
鉄平は答えてしまった。
午後、鉄平の机からごっそり移動した空き缶は、斜向いの友子の机の上にずらっと並んでいた。
潤んだ瞳で ちらちらそれを見ながら鉄平の胸は痛んだ。
何通ぐらい応募したら当たるかな、と昨夜、銀平は真剣な顔で訊いたのだ。
どうしても欲しいんだけど、お金じゃ買えないし。
じゃあ僕がシールを集めてあげるよ、当たるまで飲んでやるさ。と鉄平は笑いながら答えたのだ。
銀平は嬉しそうに、ありがとう、と微笑んだ。
料理長の手製弁当は食べることができなくても、メロンパンはすんなりと腹におさまり、その至福の余韻は長く舌の上に残った。
別に悪いことをしたわけじゃない、鉄平は自分に言いきかせる。
が、銀平にはやはり言えない気がした。
そんな枕じゃなく もっと良いのを買えばいいじゃないか、と心の中で呟いてみる。
が、
何言ってんのさ、という弟の軽蔑のこもった眼差しが瞼に浮かぶ。
そうだよな まさかそんなこと やっぱり言えないな、と鉄平は思った。
13歳
「この辺でいいだろ」
友子の返事も待たず、鉄平は人が溢れる砂浜にビニール・シートを敷いた。
周囲に知った顔がいないことを確かめてから、友子は彼に並んで腰を下ろす。
日中いっぱい太陽に暖められた砂はまだ、ほのかなぬくもりを残していた。
夏祭りのフィナーレをかざる花火が、もうすぐ打ち上がるだろう。
「ねえ、あのビル何かしら?」「ほんと、真っ暗じゃない」
観光客の囁きが嫌でも耳に入る。
反射的に立ち上がりかけた鉄平を、友子の手がそっと押さえた。
ビーチ沿いに建ち並ぶホテルの中で、彼らの真後ろにある建物だけが、一つの電灯も点すことなく、不気味に佇んでいる。
それは、父が所有していたホテル。
毎年この日、最上階の部屋に家族全員が集まり、花火を観た。
一年を通して最も混み合う日にも拘らず、その部屋だけは家族の為に残しておいたのだった。
その特等席は、鉄平の、何よりの自慢でもあった。
忙しい父も、その時は仕事を中断した。
でも父は、花火なんか観ていなかったのではないか、と今になって考えることがある。
花火に興奮し、はしゃぎながら振り返ると、必ず父の厳しい瞳が私を見つめていた。
後になって、姉も弟も同じことを言っていた。
それは、あっという間の出来事だった。
雅家の策謀により、幸家の大事なホテル、志摩観光ホテルが人手に渡ってしまったのだ。
地鳴りのような音と共に空気が揺れた。
頭上に巨大な火の華が咲く。
瞬く間に、夜空が光の雨に包まれた。
間近で観る花火の迫力は、防音の厚い窓から観ていた時とは比べものにならない。
切なさも悲しみも吹き飛ばさんばかりに、休みなく花火は上がる。
そして艶やかな大輪の花を描いた後、一瞬にして輝きを失い、空の一部になる。
そう、束の間だからこそ美しい。
幸せだって同じことだ。
鉄平の家庭事情は、お節介な第三者の口から、彼女にも伝わっていることだろう。
鉄平は彼女の肩に顔を寄せ、白いTシャツにそっと涙を滲ませた。
「毎年、この花火を見に来よう」
打ち上がる花火の音の合間に、鉄平は友子の言葉を聞いた。
「これからもずっと、この砂浜で」
鉄平は何度も頷き、再びシャツを濡らす。
「お祭りの日に泣くなんて、迷子だけだよ」
火薬の匂いを含んだ潮風が、頬を撫でていった。
14歳
鉄平の弟・銀平は12歳になっていた。
ある日、小学舎の授業が終わり家に帰るところであった。
しかし、いつものリムジンは、その日に限って迎えに来ていなかった。
「まあ、いいかっ」
銀平は、たまにはバスで帰ろう思い、バス通りに出た。
ちょうど、天然ガス仕様の環境に優しいことをうたい文句にした港区自慢の路線バスがこちらに向かって来るところであった。
銀平は路線バスに向かい手を振ると、バス停に向かって走り出した。
と、その瞬間である。
ド!ド!ド!ドッガァァ!ガガガガァァァ〜〜〜ン!
突然、バスが銀平の目の前で爆発炎上したのだ。
中から転び出てきた瀕死の男が、そこに居合わせた銀平を見つけて大声で呼びとめた。
銀平は思わず駆け寄った。
「救急車が来るまで、安静にしていた方がいいですよ」
しかし、相手は興奮している。
「お前に頼みたいことがある」
「僕にできることですか……」
「極道組の若頭に、ボスが死んだことを伝えてくれ。残された組員は血の気の多い奴等ばかりだ、跡目相続の段取りを手早く済ませなければ大変なことになる」
「申し訳ありませんが、僕はそういう所には……」
「何! 俺の頼みが聞けないというのか」
男は喚き、懐から拳銃を引き抜いた。
銀平はその迫力にたじたじとなった。
大怪我をしているとはいえ、相手は***。
狂気を含んだ目は、人の命を塵のとしか見ていない。
「わ、わかりました、でも伝言とおっしゃられても……」
「要点だけでいいんだ。ボスの乗った天然ガスバスが爆発した、と。救急車がもうすぐ来るから、急いで頼む」
「ボスのガスバス……ですね」
「そうだ、しかもガス爆発だ。犯人はバスガイドに化けていた。なかなか手の込んだ殺しだ」
「ボスのガスバス、ガス爆発。犯人はバスガイド……」
「そしてバスガイドはとてもブスだ」
「そんな事まで伝えるんですか」
「なんだか、いらいらする奴だな。これは外せないだろう、犯人を特定するための重大な情報だからな。ブスなバスガイドなんて、お前、今までで見たことがあるか?」
「そういわれれば、バスガイドはたいてい美人ですね。男が制服に弱い、というのも一因かもしれません」
「そんな薀蓄どうでもいい。時間がない。とにかく簡潔に伝えてくれよ。それに俺はとても気が短いんだ」
「ええと……」
「ブスバスガイドの、ボス、ガスバスガスバクハツ、だ。脳みそかっぽじって良く聞け」
「……いや、かっぽじるのは、耳の穴では……?」
「ええい、も一度。ブスバスガイドのボスガスバスガスバクハツ……テキパキ言ってみろ」
「反復します。ブス、バスガイドのボス、ガスバスバスハツ……すみません、失敗しました」
「もう一度言え」
「ブスバスガイドの、ボスガスボスバクハツ……ひえ〜」
「ちゃんと言え!」
「ブスブスガイドの……焦らせないで〜」
短気な***は、ついに拳銃の引き金を引いたのであった。
15歳
港区の有名私立付属である小学舎・中学舎を終えた鉄平は、高校進学の季節を迎え悩んでいた。
このまま親の決めたレールに乗って、系列の高校・大学へ行くべきか・・・
鉄平は恵まれすぎた環境から離れ、自分とは何かを見つめ直したい衝動にかられた。
父・大介に相談するとあっけなく了解された。「お前の好きにするがいい」
「高校は、神戸の灘萬高を受験したいと思う」と友子にうちあけたのはまもなくだった。
灘萬中・高は全国の天才・秀才達の集まる日本最難関とうたわれ、特に中途での高校受験は
募集人員も少なく入学は至難のわざであった。
しかし鉄平は苦も無く合格したのである。
神戸には幸不動産所有の俗称「迎賓館」とよばれる研修施設があったので、鉄平はそこで
生活することにした。港を一望できる広大な屋敷である。
神戸に発つ朝、友子は手作りの弁当と一冊の本を手渡した。話す言葉はなかった。
神戸へ向かうリムジンの中で、鉄平は友子から貰った本を開いた。
山崎豊子原作の「華麗なる一族」であった。
少し読んだだけで、眠気をもよおし、ひとつ欠伸をしてリムジンのシートに身をまかせた。
16歳
灘萬高では成績の良し悪しは人間の価値とは別物とされ、何か特技を持った者が皆の尊敬を
集めていた。そういう校風の中で、鉄平の同期生に四天王と呼ばれる傑物が居た。
西郷猛盛(鹿児島出身)、坂本奔馬(高知出身)、吉田松竹梅(山口出身)、そして
勝海虫(東京出身)の面々で、鉄平は彼らから「人間の器」とは何か、「人間の品格」とは
何かという疑問に対し、少なからぬ影響を受けたのである。
坂本は三味線を、吉田は笛を、勝は都都逸をうたい、西郷は自在に屁で合いの手をいれた。
日曜日、鉄平は西郷を誘い京都に遊びに行き、偶然、瞳の大きな女生徒に出会った。
少女が雅家の娘、サチであることは、今の鉄平には知る由もなかった。
16歳
鉄平の姉、一子は、18歳になっていた。
親の決めたレールに乗り 系列の高校から系列の大学へと進学 そして親の決めた相手と結婚する。
それを子供の頃から何も疑わすに生きてきた。しかし・・・
白金のお屋敷から程近い 海辺の野鳥公園へ出かけるのが 一子の日課になっていた。
途中、観察舎の陰で屈み込んでキスしている若者たちを見かけて、一子は慌てて視線を逸らした。
夕暮れ時には相応しいような気がして笑みを漏らす。
首の角度や膝の曲げ具合に行為に対する熱心さが表れていて、それが切なく可憐しい。
妙に気恥ずかしい気分のままに、岸にいる彼の背中を見つめながら近寄る。
彼は双眼鏡の中の世界に夢中で、一子の接近にも気づかない。
並んで静かに問いかける。
「何が見えるの」
「うん 鴨のね 親子がいる かわいいよ」
2歳上の彼は、双眼鏡から目を離すと一子に微笑みかけ、覗くように目で合図する。
レンズの中に鴨の行列がいた。
葦の茂みに寄り添いゆっくり進んでいる。
それぞれの尻から緩やかな波がうねる。
思わず口元が綻びる。
な、と彼が耳元で囁く。
かわいい、と呟いてふっと寂しくなった。
無心に水面を滑っている鴨たちを見つめる両目が、じんわりと熱を帯びる。
喉が少し傷い。
彼にこの顔を見せたくない。
腰を屈ませて、鳥の姿に夢中の振りをする。
ジッポの火が点り、油の匂いがする。
パチンと金属がぶつかる軽やかな音が響く。
鳥たちの鳴声だけの静けさの中で 自分と彼との微妙な距離を感じる。
「だめよ、けむいわ」
一子は目を手の甲でこすり 彼に笑って訴える。
「ごめん、これだけはやめられない。残念ながら」
彼は煙を深く吸う。
一子は彼の顔を見る。
彼は双眼鏡を覗く。
一子は夕闇に溶け込む鴨の親子に視線を送る。
「キス見ちゃった」
秘密を打ち明けるように囁く。
「いつ」
彼は姿勢を変えずに訊く。
「さっき、来る途中」
「観察舎のところかい」
「そう。なぜ?」
「その前に俺が通ったときもしてたよ」
一子は俯いて笑い声をたてる。
「いいもんだ」
レンズから目を離し 柔らかな笑顔で言う。
「してみようか」
「私なんかでいいの?」
彼の顔が僅かに歪む。
「馬鹿」
一子の手を温かな大きな手が握る。
強く握り返す。
夕闇が濃くなる。
鳥たちが鳴きながら どこか寝床へ向かって飛び立っていった。
18歳
高校の卒業記念のためと言って、西郷、坂本、吉田、勝たち悪友は鉄平をそそのかし、ついに料亭で芸子を上げて大宴会をしようということになった。
5人が乗り込んだのは、京都の祇園、白川の水の音が近くに聞こえる大料亭”しらかわ”である。
しかし、、、、
玄関口で 接客に出てきた女将に5人は鼻であしらわれてしまった。
「うちは、平安は室町の時代から代々続く料亭でおます。一見(いちげん)さんは、お断りしておますねん。今度また、どなたはんかのご紹介で来ておくれやす」
「いや、おまちください。ここにいるのは、幸財閥の御曹司、鉄平様です。われわれは、決しておかしな者ではありません」
西郷たちは、必死に食い下がるが女将は相手にしない。
「どなたはんであろうと同じどす。それに本日は貸切どす。どうぞ、お引取りやす」
と、その時である。
「幸家の鉄平君じゃとな」
突然、一人の初老の男が、座敷の奥から顔を覗かせた。
「ご当主はん。いけまへん、こんなとこへ出てきはっては。奥へお戻りやす」
「いやいや、お待ちなさい、女将。これは奇遇じゃ。お前さんが鉄平君か」
そう言うと、男は鉄平の顔をまじまじと覗きこんだ。
鉄平は、その初対面の男に向かって臆することなく応えた。
「私が幸鉄平です。あなたは、わたしをご存知なのですか」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。よろしい、5人ともついて来なさい。わしの座敷にご招待しよう」
男は、ゆっくりと奥へと入っていった。
通されたのは、一番奥まった離れの座敷である。
50帖はあろうかという大広間に芸子、舞妓を20人ははべらせて、数々の豪華な料理を前に、床の間を背負って さっきの男が座っていた。
「よく来られた。わしが、雅家当主 雅千太郎である。今日あったのも何かの縁。今夜はひとつ、君たちとお座敷芸比べで遊ぼうではないか」
あっと、5人は心の中で叫んだ。
幸家と雅家のことは、悪友たちも良く知っている。
千太郎の娘サチと 鉄平が、かつて婚約者だったことも・・・
しかし、もはや、後には引けない。
宴会芸で、勝つあっと言わせる意外に、この料亭から無事に帰る方法はない。
さっそく、悪友たちは例の芸を披露した。
坂本は三味線、吉田は笛、勝は都都逸を詠い、西郷は自在に屁で合いの手をいれたのだ。
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。すばらしいっ!」
千太郎は大笑いである。
「さて、それでは、婿殿・・・ではなかった、鉄平君は何を見せてくれるのかな」
「僕は何もできません」
「そうか。それでは、平安時代より、祇園に伝わる”投扇興”で勝負しよう。依存はないな」
そう言うと、千太郎は、ぽんぽんと手を叩き、一人の舞妓を座敷に呼び入れた。
「お初にお目にかかります。千太郎の娘 サチでございます。わたくしが、あなたのお相手をいたします」
驚く鉄平に千太郎は言った。
「わが雅家の娘は、行儀見習いとして舞妓の修行をするのじゃ。男を見る目も肥えるしのお、ふぉっ、ふぉっ。もし、君が負けたら、これから一生、雅銀行でヒラのサラリーマンとして働いてもらうというのはどうじゃ。受ける勇気があるかのう」
「よろしいでしょう。でも、もし、わたしが勝ったら、私の父、大介を許し、幸家と和睦していただけますか」
「面白いことを言う。よかろう、雅千太郎、男に二言はない。承知した」
座敷に緋毛氈がしかれ中央に小さな花台が置かれ、蝶の人形が載せられた。
”投扇興”とは、「扇」を投げて蝶の形の的に当て、その落ち方によって点数を競う遊びだ。
鉄平もさすがにあらゆる学芸を子供の頃から教えられただけあって、一つ通りの心得はあった。
まず、サチが扇を投げた。見事な腕である。
”須磨”、”藤袴”、”横笛”、”松風”、”夕霧”高得点が並ぶ。
規定の10投を終えて、253点である。
鉄平もよく頑張ったが、最後の一投を残して200点。
「どうしたね鉄平君、顔色が悪いぞ。最後の一投で、最高点54点の”夢浮橋”を出さない限り君の負けじゃ。しかし、わしは未だかつて、”夢浮橋”を見たことがない。まさに夢の大技じゃ。君にできるかのう、ふぉっふぉっ」
鉄平は、静かに目を閉じると心を静めた。
瞼には、家族ではなく 友子の顔が浮かんだ。
「みんな、ごめんね。許してくれ」
鉄平は、小さく呟くと、最後の一投を的に目掛けて投げた。。。。
数日後、全新聞の第一面には『幸家と雅家が世紀の和解』という文字が、踊っていた。
19歳
華麗なる一族を写したかのような生活をしていた鉄平に転機が訪れた。
幸財閥の解体である。まわりからは順風満帆にうつっていた財閥だが、財政状態は火の車だったのである。それが小さなことをきっかけに破綻をきたした。
小さなきっかけ?そう18歳の時に鉄平が友人と行った大宴会である。それが写真週刊誌に取り上げられてしまったのだ。これを機に会社の経営はさらに悪化していく。家族は離散し、父が自殺、鉄平もいままでの明るい人生から暗く冷たい人生へ転落することとなる。天涯孤独の身となり無一文となった鉄平に明日はあるのだろうか・・・
一月がすぎたころ鉄平はスラム街を一人歩いていた。みなりはすでに周囲にどうかしていて昔の面影はかけらも見えない。今の鉄平の仕事は空き缶をあつめることだ。毎日の食事すらままならず公園をはいかいする日々、鉄平は今の生活にあきあきしていた。そんな鉄平にさらなる転機が訪れる。
空腹に耐えかねた鉄平は同じ境遇の50代の男性のテントを襲撃し殺害してしまったのだ。鉄平の逃亡者としての人生がはじまる。
20歳
鉄平は逃げる、執拗な警察の追跡をかわしながら、昨日を、今日を、そして明日を
生きるために。
ぴちぴちぴち・・・小鳥のさえずりと、かすかな陽のさすベッドで、鉄平は目覚めた。
「また同じ夢をみてしまった」
このところの鉄平は19歳の時にみた夢を、幾度も幾度もくりかえし見てうなされていたのだ。
汗ばんだ身体に冷たいシャワーが心地よかった。
「あの夢は何だったんだろう、デジャヴュにしてもリアルすぎる」と鉄平は思った。
灘萬高の秀才達のほとんどは東大へ進んだが、鉄平と四天王は京大を選んだ。
西郷は学生寮に、坂本は旅館に下宿し、吉田はアパート住まいをしていた。
幸家と和解した千太郎にとって鉄平は我が子同然の宝であったので、雅家の離れを
鉄平の部屋に提供した。そして、そこは悪友達がたむろする格好の場所となった。
ある雨の夜、例のごとく5人の若者が酒を飲みつつ、女性談義に花を咲かせていた。
宝塚歌劇団のスタア、京都の舞妓たち、由緒ある家の令嬢達・・
そして、「男子たるもの、妻をめとらば云々」と話はもりあがっていた。
そこに、雅家のサチが酒の追加と肴を持って挨拶にきた。
「こんなもんしか、おへんけど、召し上がっておくれやす」
西郷はがらにもなく緊張していた。酒をすすめられた西郷の手がかすかにふるえ、
「ごっつあんでごわす」と蚊の鳴くような声をだし、消え入るような屁をした。
三味線をもてあそんでいた坂本は手をやすめ、すすめられるままに盃を干した。「うまいぜよ〜」
吉田と勝の二人は、サチの物腰と振る舞いをじっと見つめていたが、突然、勝が鉄平に
「おまいさん達、メオトになんなよ」と言った。
鉄平は狼狽し、サチの顔は赤らんだ。
「勝、冗談は顔だけにしろよ」と鉄平はなかば本気で怒った。