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彼はいますが、1人暮らしが長かったせいか?
一つ屋根の下で、ずーっと一緒に暮らすことが想像できません。
外でのデートはあまり気にならないけど、家で1,2日過ごすと
そろそろ1人になりたいと思ってしまいます。
なので、一生1人でも良いかなと終の棲家は持っています。
結婚って良いですか?(子供は欲しいと思っていますが)
今、幸せですか? 不満があるとしたら、どんな所にですか?
[スレ作成日時]2008-09-02 01:53:00
彼はいますが、1人暮らしが長かったせいか?
一つ屋根の下で、ずーっと一緒に暮らすことが想像できません。
外でのデートはあまり気にならないけど、家で1,2日過ごすと
そろそろ1人になりたいと思ってしまいます。
なので、一生1人でも良いかなと終の棲家は持っています。
結婚って良いですか?(子供は欲しいと思っていますが)
今、幸せですか? 不満があるとしたら、どんな所にですか?
[スレ作成日時]2008-09-02 01:53:00
う〜んとね。何でもないことだけど。何でもないことが、幸せなことだと思う。ナンカ、歌と同じになったけど、ぐうぜんだよ。イヤ、ほんとに。でも、それがね、一番のことなんだけどね。とりあえず、僕には、隣に居る人が最高だけどね。・・・・もちろん、幸せです。
生活はしていけるけど、なにか、やっぱり、この人とは合わないかも…、と思いつつ結婚生活を続けている方おられますか?子どもはかわいいのですが、…ちょっと、違うかもしれないんですよね。
結婚前は結構楽しくやっていた
今はそこそこ幸せにやってる
結婚と恋愛の差はそんな感じじゃないのかな
もともと他人どうしだし、どこか合わないと感じることもあるけど
それでも別れずにいるんだから結婚は幸せを呼び寄せるんじゃないか
まあ小さな幸せだけどさ
知らない人同士がずっと一緒にいるから、合わないと思うこともたくさんあるよ。
特に最初
お互いに尊重しあえれば、そんなに大した問題じゃなくなってくるよ。
自分の時間を大切に。
相手との時間も大切に。
家族と一緒にいる時間も大切に。
381さんに同感。
>382さん
まさにその状態です。
合わないかも、というよりは、合いません。
きっかけになる出来事があって、本気で離婚を考えた時期もありましたが、結局現状維持です。
いろいろもめましたが、夫に離婚の意思がないし、私も別れたところで、再婚したいという気もないので。
今はパートや、子供関係で忙しいので、あえて夫に目を向けずに暮らしてる感じ。
でも、時々、どうしょうもなく辛くなるときはあります。
性格的に少し不安定なとこがある人だってわかってて結婚しました。
安定した生活をすれば変わると思ってた。幸せにしてあげたいと思った。
若かったんですね。
傲慢でした。
子供を授かったことは奇跡的な事でとても幸せです。
が、主人と結婚して今の私は。。。そこそこです。
結婚当初はこんな幸せでいいのだろうか?
毎日が楽しい。ずっとこんな生活が続くのだろう。と
考えていたけど、人生そんなに甘くないです。
結婚生活って山あり谷ありって本当にこのことだな。。と
思うことばかり。
どこまで相手を信じられるか?裏切られた後また信じることができるか?
結婚生活が長くなればなるほど、どこまで自分のことと同じように考えてあげられるか?
一緒に生活してて色々なことをどこまで我慢できるか?
課題は果てしなくつづく。。。ほんと修行のようです。
一概に結婚といっても、夫婦によって担う役割がそれぞれ違うようなので、スレ主さんの立場何となくわかる。
結婚はしてみないと分からない、でも、しようと踏み切るきっかけをつかめない状態。
大きなきっかけが、待っているかも。彼に結婚の意思があるかどうかを見極めることも大事かな。
もともと他人なので合わなくても性格違っても価値観ちがってもしかたないとは思う
一緒に暮らすならできれば自分となるべく近いタイプの人とのほうが楽だとも思う。
だけど結婚して18年たった今
一番大切なことがわかった
合ってる合ってないではなく、合わない部分をちゃんと話合えるかどうかなんです。
大切なことは向き合うこと。
どちらかが一生懸命向き合おうとしても、相手が逃げてちゃダメ。
これから結婚しようという若いみなさん
お互い言いたいことをちゃんと言えてますか?
どちらかがガマンして黙ってることで平和でうまくいっていても
長~~~~い結婚生活で、いつかどこかでどちらかが爆発してしまいます
言いたいことがちゃんと言えて、なおかつ相手もそれを聞く姿勢があるかどうか・・・
これが結婚生活が良かったと言えるポイントだと思います。
性格の不一致なんてホントはそれ自体どうってことないことなんだと、最近思います。
390さんのおっしゃること、わかります。
話し合い、とても大切だと思います!
かつては
「どちらが正しいかをはっきりさせること」が目的になってしまうことが多かったので
逃げちゃうことも多々ありでした。
お互いのプライドをペシャンコにしてしまったら取り返しがつかなくなるような気がして。
私としては
「どうしたらお互い不満を最小限にできるか」を話し合うようにしたかったのですが、
それも本当に難しい。
ただ、好き嫌いを伝えることだけはするようにしています。
言わないとわからないことってたくさんあるから。
聞く姿勢は絶対捨てない。だけど答えを要求しあわない。合わせろとも言いっこなし。
最近では、言わなくてもだいたいわかるになってきました。
きっとお互い様なんでしょうけれどね。
徹底的に話し合いたがる(結論を出したがる)タイプとは私は合わないだろうろ思うけど。
小爆発はしょっちゅうです。
でもそれを楽しむゆとりもできてきましたわ。
結婚生活は、逆境になると色々とわかってきます。
それを乗り越えると、自然に信頼関係が築けますね。
390、391サンに同意。
結婚して10数年、付き合ってた頃からは15年くらい。
何度か別れの予感を感じたことあり、わたしは別の人を見てた時期もあり^^
でも、結局、毎回、小噴火で話し合ってうまくやってます^^
今では、子供たちも「まただよ」という感じで笑ってるようになっちゃいました。
性格の不一致の一言で片付けたらもったない。
話し合えば、パートナーの別の側面が見えて結構楽しめます!!
互いに話しができなければ一緒にいても仕方ない(愛だ恋だは他所でやればいい?という感じに近い)。
うちはこういうカップルなので楽しめてるのかもしれませんが・・・^^
結婚して4年目ですが、本妻さんのお気持ちは私は強くわかる立場です。うちは夫が病気して改心しました。今では立場も逆になり大事にしてくれますが、いざ幸せを取り戻すと今度は我慢した恨みを夫にぶつけてしまいました。甘えてるんでしょうね私も。今は疑心暗鬼な自分の気持ちと壊れた信頼関係を修復する毎日に疲れています。端からみたらもう離婚すべきなのかもしれませんが、自分の人生だし生命の危機に関わらない限り、その時期は他人が介入して決めるものじゃないです。私自身は夫との結婚を後悔してますが、してしまったものはしょうがないと割り切ってます、これもいつか笑い話になると思って。
暴力と浮気とギャンブルは治らないて言いますけど、ほんと人によると思いますよ。
本妻さんは悪くないです。ご自分の気持ちを大事になさってください。
万が一、夫からの暴力によって命の危険を感じた場合は「配偶者暴力」で110番へ通報してください。
警察は生活のことまでは考えてはくれませんが、命の危険を感じるような暴力にはすぐ動いてくれると思いますよ。
相手の事をあーだこーだ言う方がいますが、見抜け無かった自分が悪いと思わないんですかね?
そういう方と結婚したんだから、結局どっちもどっち。
ずっと不幸ということも、ずっと幸せということもないと思います。
それぞれの家庭でいろいろな事があり、今に至っているわけだから、本当に嫌で我慢できないなら、別れなければね。
変わる部分と変わらない部分を人間は持っていて、
それはなかなか本人にも他人にもわからないものです。
自分の気持ちさえ意外なところで変わることもある。
相手の本質を正確に見抜ければ、それはそれでものすごいことだけど、
見抜けなかったら、新しい発見だと思って、そこからまた考えればいいのです。
相手のことをあーだこーだ言うひとは、自分の変化に気づいていないのかも。
「見抜けなかった自分が悪い」これは自分で発見してこそ重みを実感できる言葉。
他人にはあまり言われたく言葉だと思いますよ。
人間関係は「良い悪い」より「違い」を知ることで解決することもあります。
396さんは、きっと、あーだこーだをたくさん聞かされてうんざりしちゃったのね。
あーだこーだ言いながら前に進める人と、あーだこーだ一生言っているだけの人がいますよ。
行動を伴うかどうかの違いだと思いますけど?
あーだこーだ言われるのは嫌がるけど、あーだこーだ言われないと何もできない人もいますから。
それによってモチベーションが高まるのであれば、あーだこーだ言うことも、言われることも、
否定できないと思いますけど?
「相手のことをあーだこーだ言うひとは、自分の変化に気づいていないのかも。」
これは、理解するのにかなり無理のある言葉だと思いますが。
>399さん
べつに、なにも否定はしていません。
度がすぎると、聞かされるほうがうんざりすることはあると思うので
396さんはそうだったのかな?と思っただけです。
昔は受け入れていたものが、あるいは知らなかった部分、変化があった部分を
あーだこーだ言う時は、
自分にも変化があったのではないかな?
自分にもいえる部分があるのではないかな?と想像したのですが、
必ずしも誰にでもあてはまるとも思っていません。
だから、「かも」をつけたのです。
私だって、自分をかえりみることはさておき、あーだこーだ言いたいときもあるもの。