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謝謝!台湾 僕たちはいつまでも友達だよ!
拜拜!韓国 じゃあね。バイバイ!
【タイトルと本文の一部を削除しました。2012.03.27 管理担当】
[スレ作成日時]2012-03-26 22:23:00
謝謝!台湾 僕たちはいつまでも友達だよ!
拜拜!韓国 じゃあね。バイバイ!
【タイトルと本文の一部を削除しました。2012.03.27 管理担当】
[スレ作成日時]2012-03-26 22:23:00
(台北 16日 中央社)日本統治時代の台湾に生まれた頼泰安さんが自身の経験をつづった「少年飛行兵よもやま物語」(1983年、光人社)の中国語版がこのほど台湾で出版された。
同書は頼さん(1929-2012年)が14歳で志願して少年飛行兵学校に入ってからの体験を書いたもので、当時の軍学校の生活などをうかがい知ることができる。
頼さんは1943(昭和18)年、第17期日本陸軍少年飛行兵として採用され、大津少年飛行兵学校などを経て、陸軍航空士官学校に進んだ後、日本で終戦を迎えた。
戦後は台湾に戻り中華民国軍に入隊。空軍士官学校を3位の好成績で卒業し、空軍第10大隊で軍務に就いた。頼さんは旧日本軍と中華民国軍の両方に籍を置いた唯一のパイロットだという。
今月22日には台北市内で同書の翻訳とイラストを担当した張詠翔氏による講演会が開催される。
ね*うよは旧日本軍による台湾人虐殺行為レイプを認めるということか。
この会見で、岡田克也は、馬総統から、観光客のバランスが悪いと苦言を言われた と他新聞は、伝えている。折角、本物の台湾代表が、就任したんだから、せめて自民党幹部を訪台すべきだったな。沼田幹夫代表には、大いに期待する。今迄、台湾事務所は、形骸化していたからな。
いずれにせよ、台湾は、大切な友好国だ。
馬英九は国内で批判者が続出するほど中国よりの人物。
最初からこの人物が総統になる事は中国寄りを明確にする事実だった。
現在の台湾政府は思うほど親日ではない。
ということは、ね*うよは旧日本軍による台湾人虐殺行為レイプを認めるということか。
↑
暑いので血迷ってる?メシは食えてるのか・・?
東北地震の犠牲者に韓国は「ザマーミロ」と横断幕。
台湾は未だに寄付を募ってくれている。
(花蓮 18日 中央社)日本統治時代の酒造工場跡地で、先月中旬完成した13軒の和風木造建築と昨年冬に開幕したレストランなどが提携した宿泊施設「アンダンテ」が、このほど台湾東部・花蓮市の文化パーク「a-zone花蓮文化創意産業園区」にオープンした。
同園区は1913(大正2)年に設立された花蓮酒廠の跡地。第二次世界大戦中、建物はほとんど破壊されたが、修復工事を経て2011年に一般公開され、文化部により古跡指定を受けた。
今回新しくオープンした木造建築エリアは、日本時代には酒造工場幹部職員寮があった場所。広さ1600坪(約5290平方メートル)で建物は当時の様子を再現。最も大きな1軒の「月棠」以外は、「松」「梅」「桜」「藤」「菖蒲」など日本の1年12か月を代表する植物で名づけられている。屋内は畳敷きにふすまと障子で部屋中ヒノキの香りがあふれ、建物の周囲を竹で作った垣根が1軒1軒隔てており、静かで優雅な雰囲気を醸し出している。
この和風建築とレストラン、花蓮文創産業園区が提携・企画した「文化クリエイティブ体験観光プラン」では、文化芸術、グルメ、DIY教室、サイクリングなどをを盛り込んだ1泊2日の小旅行プランを提供する。キャンペーンは9月30日まで続く。
台湾は日本同様に常識的
東南アジアの国々も同じ
韓国だけが、異常過ぎるだけ
台湾、東南アジア諸国は韓国の異常性を嫌と言うほど知っている
韓国の異常性は今後も変わらない
韓国と仲良くしたくないと思っているのは日本人だけでない
(金門 23日 中央社)中国大陸南東のアモイからおよそ10キロメートルしか離れていない金門島で23日、「八二三砲戦」(金門砲戦)の開戦56年を記念したイベントが行われた。
式典では、李沃士金門県長による献花、追悼文朗読の後、台湾各地から集まった元兵士らが戦没者に黙とうを捧げた。
李県長は、砲撃戦で戦った軍関係者など先人の努力がなければ、「今日の金門の繁栄も台湾の経済成長もなかった」と感謝の言葉を述べた。
【 八二三砲戦 】 1958年8月23日、中国大陸の金門への砲撃で戦いの火ぶたが切られた。同年10月5日までの44日間で面積148平方キロメートルの金門諸島に47万発を超える砲弾が落ちたという。
そしたら、旧日本軍の台湾人逆殺や従軍慰安婦強制連行を認めるということですね。
この掲示板の韓国人の書き込みを見ても判るけれど
韓国人は支離滅裂、精神破壊
台湾人にはそういう所は一切ない(当たり前だけど)
台湾人はそういう当たり前な常識人なので、日本人は好き
中国人も韓国人よりマシ
中国の一党独裁政治が崩壊し表現自由が保証される国になった時、日本人と仲良くできる
韓国は未来永劫、無理
(台北 27日 中央社)国防部は、第二次世界大戦中にインド・ビルマの作戦で旧日本軍と戦い、10万人以上もの死傷者を出した中華民国「遠征軍」の功績をしのぶため、ミャンマーで招魂した将兵らのみ霊を台北市円山の国民革命忠烈祠に迎え入れ、27日入祀の儀が行われた。
これは現在の国軍兵士らに、国のために身を捧げた先人の無私・愛国の精神に思いを寄せ、国家の存続発展のため尽くしてもらおうというもの。遠征軍は1942年から1944年にかけて連合軍を支援するためビルマ方面に2度入り、ビルマ北部のミッチーナーや雲南省西部の騰衝、龍陵などで日本軍と激戦を交わしている。
国防部は対日抗戦(日中戦争)の8年間、日本の西進(援蒋ルート遮断)や枢軸国同士の連絡を抑え込み、連合軍の勝機をより確実なものとした中華民国遠征軍の功績は英・米など各国にも高く評価されていると強調している。
国防部では同軍を記念し、かつてビルマ(ミャンマー)方面に散った将兵らのみ霊を慰めようという立法院(国会)国防外交委員会の一部議員らによる提案で外交部や僑務委員会と共に専門チームを立ち上げ、今月24日、5万6000人が亡くなったミャンマー北部の激戦地跡で霊鷲山の心道法師をはじめとする高僧ら多数によって招魂・超渡の儀式や読経が行われ、異国に70年もの歳月取り残されたままだった忠魂を慰霊した。
専門チームは27日昼帰国し、台北市内の忠烈祠で厳明国防部長が主祭を務め、国防部や立法委員、当時参戦した将兵の関係者、戦史研究者などの参列の下、遠征軍兵士らの入祀の儀が営まれ、その総牌(位牌)が納められた。
(台北 30日 中央社)台北市文化局は29日、100年以上の歴史を持つ「青雲閣」(台北市万華区)などを歴史的建造物に認定したと発表した。
青雲閣は日本統治時代に遊郭街の中に建てられた、当時台湾で最大の“妓楼”で、同局によって暫定古跡となっていたが、今月2日、地主の陳立偉氏が許可なく建物を取り壊したため、批判の声が上がっていた。
こうした事態を受けて文化局は29日、文化資産に関する臨時の審議委員会を開き、青雲閣などを歴史的建造物に認定した。また、取り壊しを強行した陳氏に対し、認定地区や建築物の調査を行い、周辺の再開発を行う際にはこれらの建築物と一定の空間を設けるよう言い渡した。
陳氏は手続きを誤解していたとして、無許可での取り壊しについて謝罪し、今後は当局の指導を受け入れて青雲閣の復旧と保存に全力で協力するとしている。
台北市文化局などによれば、青雲閣は日本が台湾から撤退した後、娼館として利用され、1997年に公娼制度が廃止された後は廃墟となっていた。詳しい成立時期は分かっていないが、1907(明治40)年の文献に記載があるという。
(台南 5日 中央社)国立成功大学・光復キャンパス(台南市)の中には、ひときわ目を引く大きなガジュマルの老木がある。この木は1923(大正12)年に、当時皇太子だった昭和天皇が植えたとされており、現在では市民らの憩いの場になっている。
このガジュマルの老木は、1995年に生命保険大手の「国泰人寿」の商標に選ばれ、「下に向かってしっかり根を張り、上に向かって成長する」という“大樹の経営哲学”とともに、台湾全土のメディアに登場してすっかり有名になった。
それ以来、20年近く経った今でもこの木を訪れる人は絶えることがなく、木の周りの緑地は大学の屋外イベント会場として利用されているほか、散歩などを楽しむ人たちでいつもにぎわっている。また、結婚記念写真の背景としても人気が高く、一生の思い出を残そうと撮影をしている姿がよく見られる。
このガジュマルの老木は、傘のように張り出したその大きな枝と葉で、夏には照りつける日差しから、冬には吹きつける風から守ってくれる、いつでも大きな安心感を与えてくれる木として人々から親しまれている。
375そしたら、旧日本軍の台湾人逆殺や従軍慰安婦強制連行を認めるということですね
(台南 6日 中央社)台湾自来水公司(水道会社)が日本統治時代の旧「台南水道」の建物を台南市政府に無償で譲渡することになり、このほど寄贈式が行われた。大正時代に完成した「台南水道」は当時、飲み水の供給とともに台湾の人々の衛生状況を大幅に改善したとして現在でも高い評価を受けている。
4日地元で行われた寄贈式には頼清徳・台南市長、台湾水道会社の胡南沢総経理をはじめ、地方の関係者が多数列席した。
「台南水道」は日本の台湾総督府の委託で英国人衛生顧問、ウィリアム・バートンの下、浜野弥四郎により設計されたもの。1911(明治44)年から計画が始まり1922(大正11)年に竣工した。戦後は水道会社が引き継いだが1982年にその役目を終えた。
「水源地」と「浄水区」に分かれ、日本統治時代から残されている建築物には「水源地」の濾過室・水道事務室、加圧室、「浄水区」の浄水池、量水器室の各施設があり、これらは2002年に台南県(当時)の指定古跡、2005年には国の指定古跡となった。
頼市長は浜野弥四郎(千葉県佐倉市出身)の「台南水道」と八田與一(石川県金沢市出身)の「烏山頭ダム」は、当時台湾の衛生環境改善と農業の発展に貢献したばかりでなく、今日においても台湾と日本の絆を強める役割を果たしており、毎年台南を訪れる日本人観光客は18万人にも上るとし、今後は周辺の蘭花植物園や大内南瀛天文台などと結びつけて観光促進に力を入れたいと述べた。
台南市文化局では浄水池の修復工事終了後の12月初めにも一般開放し、文化観光と生態保護を同時に進めていきたいと話している。
(高雄 7日 中央社)日本統治時代の1914(大正3)年に供用を開始し、1992年まで使用された台湾鉄路の下淡水渓鉄橋(現・高屏旧鉄橋)が6日、遊歩道「天空歩道」としてリニューアルされた。橋の上からは約120ヘクタールの広大な高屏湿地の美しい風景を眺めることができる。
この日は陳菊高雄市長が参加した記念式典が行われ、鉄橋を設計した飯田豊二氏の子孫に記念レンガが贈呈された。陳市長は天空歩道を生態教育や観光の促進などに役立てたいと述べ、周辺にある竹寮取水場や九曲堂旧鉄道宿舎などと合わせて、行楽客に大樹地区の文化や歴史に親しんでもらえればと語った。
全長1526メートルのこの橋は、竣工当時台湾最長、アジア最長の橋とされ、「東洋一の橋」の異名を持つ。1987年の電化で新しい橋に切り換えられた後、取り壊される予定だったが、地元住民や有識者などが保存を訴え、1997年に国家2級古跡に指定されている。
(台北 12日 中央社)日本統治時代の1910~1930年に東京美術学校(現・東京芸術大学)に留学した台湾のアーティストの作品を紹介する展示会、「台湾の近代美術―留学生たちの青春群像(1895-1945)」(後援:台南市政府)が12日から東京芸術大学大学美術館の本館で開催される。
このイベントは同校で油彩画技術などを習得後、母国での西洋美術の普及に尽力し、東アジアの近代美術を開花させた当時の留学生らの実績や功績を顕彰するためのもので、計14人約50点が展示されている。
開会式で挨拶に立った台南市の頼清徳市長は、同市に建設予定の台南市美術館を、今年のプリツカー賞を受賞した日本人建築家の坂茂氏が手がけることなどに触れ、台湾と日本は経済や芸術の分野で密接な交流が行われていると述べるとともに、一層の関係発展に期待を寄せた。
頼市長は日本プレスセンター(東京都千代田区)で13日に行われる一青妙さんの講演会「『わたしの台南』~いちばん台湾らしい場所~」にも出席し、また森美術館(同港区)などの文化施設を訪れ、日本との芸術交流を深める予定。
台湾ありがとう
台湾人には感謝の感情しかない
韓国、いい加減にしろ!
関りたくない
台湾でごみ油を食用油に使っていたことが判明!
(台北 25日 中央社)日本統治時代に現在の平等小学校(台北市)で教師をしていた柯雪月さん(90)(=写真前列中央)が24日、同小学校の尽力により、自身が初めて受け持った元児童らと70年ぶりの再会を果たした。
柯さんは今年7月初旬、日本統治時代に児童らと写した写真を手に平等小学校を訪れ、教え子を探してほしいと依頼。学校職員らは、柯さんとともに学区に住む老人宅を訪ね回ったが当初は収穫がなかった。しかしその2カ月後に、柯さんのことを覚えているという79歳の女性が見つかり、最終的に13人の元児童と連絡が取ることができた。
柯さんは当時、「秋元雪子」と名乗っており、児童からは「雪子先生」の愛称で親しまれていた。彼女は同学校を離れた後も、65歳で退職するまで台南や高雄などで教壇に立ち続けた。
9月28日の「教師の日」を前に行われた同窓会で「雪子先生」は、出席した元児童らと当時の思い出話を嬉しそうに語り、集合写真を写す際には、目に涙をためて再会を喜んだ。
(台北 26日 中央社)日本統治時代(1895~1945年)の台湾で生まれた日本人、いわゆる「湾生」を題材にした書籍が台湾で出版され、注目を集めている。
今月10日、「湾生」の鈴木れいこさんが、台湾での少女時代などを振り返った書籍「台湾 乳なる祖国:娘たちへの贈物」の中国語版「南風如歌」が台湾で出版された。
1935(昭和10)年に台北で生まれ、台湾で12年間過ごした鈴木さんは本の中で、台湾に半生を賭けた父親の思い出や、敗戦による引き揚げの体験、晩年に台湾を再訪した際の想いなどをつづっている。
また、10月1日には12年の歳月をかけて200人以上の「湾生」を訪ねた田中実加さんが、彼らへのインタビューなどを基に書いた「湾生回家」が出版される。来年3月には同名のドキュメンタリー番組も公開される予定。
台湾人は、大陸から来た蒋介石の国民党軍に酷い目に遭った
日本軍は、韓国人の虚言とは正反対だった
台湾は、戦勝と韓国の捏造で世界中が誤解している日本軍と中国国民党軍が真実を曝け出した舞台
台湾人は真実を見ていた証人
大陸に近い小島での戦いで、大陸から迫り来る共産党軍を阻止した蒋介石の国民党軍
日本は、数年前までは大陸でその国民党軍と日中戦争をしていた
国民党軍には、民間人巻き込み回避の思想は毛頭無かった事が証明できた戦いでもあった
台湾に来た元日本人将校が恩人蒋介石を手伝い、台湾の民間人回避の作戦に拘り共産党軍を追い払った
国民党軍が抹殺した歴史だったが、島民には言い伝えられた
台湾人には、韓国人のように日本を憎み恨む根拠がない
台湾では、真実を語っても逮捕されないし殴り殺されない
韓国が韓国人が異常なだけ
(嘉義 4日 中央社)嘉義市の親善大使で作家の李昂さんが3日、東京大学の藤井省三教授らと共に、日本統治時代に基礎が作られた「嘉義植物園」や来年1月24日の日本公開が決まっている台湾映画「KANO」の記念館などを訪れた。
嘉義植物園はもともと1908(明治41)年にゴムの木の苗の生産と試験を行う場所として設立され、のちに植物園として整備された。その歴史は100年を超え、現在では憩いの場として人々に親しまれている。
今回の訪問は教養講座などを開催している朝日カルチャーセンターが企画したもので、同行した藤井氏は、嘉義市には素晴らしい景色や料理だけでなく、日本との文化的、歴史的な繋がりもあり感動したと同地を訪れた感想を語った。
韓国人って
人が考えた文章を勝手に弄り、主語を入れ替える
歴史もそうやって操作する
韓国は加害者なのに被害者になる
韓国の狡猾性は嫌われるレベル
アジア大会も終わり、アジア全部に嫌われた
お友達の中国にまで嫌われた
特にタイ人は韓国に憎しみを抱いた
国王を貶したのだ
台湾人と日本人は、韓国の酷い嫌がらせに辛抱している
しかし、他国は違う
タイは韓国に怒った
普通のホスト国は、招待国に華を持たそうといろいろ工夫する。
それが韓国ときたら、手段を選ばず、メダル獲得を画策
そして見事に嫌われた。
チョンチョン馬鹿チョン♪エンガチョのチョン♪
アジア大会
韓国はタイム競技にメダル無し
審判のいる競技は金メダルラッシュ
韓国は審判を買収している
日韓ワールドカップで韓国に買収された審判が白状した
韓国は相手チームに毒を盛る
8年ほど前のフィギュアスケートグランプリシリーズのロシア大会
日本チームの食事に毒を持った韓国人外交官が逮捕された(日本は日韓外交重視で問題化せず)
ロシアは韓国と争った冬季オリンピック招致の時に、日本に言った
ソチに決まれば、食事は安全ですと
韓国の卑劣さは世界中に知られている
台湾コーヒーの故郷として有名な雲林県古坑郷などで、日本統治時代からコーヒー栽培に携わり、その普及や関連産業の発展に貢献した黎維槍氏が9月末に90歳で亡くなり、8日に告別式が行われた。
黎氏は1945年の台湾光復(中華民国への復帰)後もコーヒーの栽培や加工などに従事。台湾のコーヒー産業の発展に深く関わり、亡くなる3年前まで栽培技術を後世に伝える取り組みを行っていたという。
古坑郷のコーヒーはその品質の高さから天皇に献上されたこともあったとされている。告別式では、交流のあった人々が霊前でコーヒーを作り、故人を偲んだ。
黎維槍氏
台湾でよかった
韓国だったら、親日罪で遡って、遺族は全財産没収されてます。
日本統治時代の高雄・岡山大空襲から70周年を迎えた12日、民間団体などが現地で記念イベントを開き、惨状を目の当たりにした男性2人が当時の体験を語った。台湾の複数メディアが伝えている。
太平洋戦争期、日本の南進基地とされた台湾。日本軍の飛行場があり、隣には海軍航空隊の修理工場があった岡山は、1944(昭和19)年10月12日から数日間、米軍のB29爆撃機による空襲が続いた。
当時修理作業をしていた王文清さんは爆音を聞き、一目散に逃げ出した。その後一時的に意識を失い、再び気がついた時には右耳が聞こえなくなっていたという。
専門家によると、米軍は少なくとも650トン以上の爆弾を投下。飛行場は近隣施設などともに壊滅し多数の死傷者が出たが、被害の詳細について公表されることはなく、全容はいまだに判明していない。
主催者側は、被害が大きかった台湾の空襲の歴史を知ってもらいたいと話している。
台北市政府が10日に開いた文化資産審議委員会で、市内にある建物など9カ所を新たに歴史的建造物などとして登録することが決まった。日本統治時代に建設された旧台湾総督府工業研究所の建物(=写真)も含まれている。台湾の複数メディアが伝えた。
台湾総督府が設置した4つの研究所のうち唯一現存している工業研究所の建物は、第2次世界大戦後に国防部空軍総司令部として使用された。歴史的、産業的な価値があるとされている。敷地内にある防空壕2カ所もリスト入りが決まった。
このほか、旧台北帝国大学工学部の校舎として1943(昭和18)年に建てられた台湾大学機械工程館や1955年に華南銀行によって建設され、台湾省政府や考試院の職員宿舎などとして使用された建物も、今回歴史的建造物として選定されることになった。
花蓮県によって2012年に県指定の古跡として登録された「呉全城開拓記念碑」(花蓮県寿豊郷)をめぐり、修復などを含めた周辺整備に関する説明会が11日、現地で行われた。県は地域と連携し新たな観光スポットにしたい考えで、参加した地元の住民からは歓迎の声が上がっている。
この碑は、日本統治時代の1940(昭和15)年に当時の塩水港製糖が建立。呉全城と呼ばれるこの地域の歴史が記されている。花蓮の歴史に詳しい張政勝さんによると、1825年に台湾北部・淡水の豪商、呉全などが漢民族約200人と同地の開拓を始めたという。
開拓民らは先住民の襲撃や伝染病などに苦しめられ、**の周囲には石垣を建設するなどしたが、呉は志半ばで病死し、生き残った人も多くが逃げ帰ったと伝えられている。
一方、日本統治時代には台湾への移民事業を手がけた山口県出身の実業家、賀田金三郎が「賀田移民村」を建設し、住民らはサトウキビ栽培に従事するなどして栄えたという。
記念碑がある場所は台湾製糖の所有地で、整備をめぐり裁判ともなったが、県文化局文化資産科の陳建村科長は、敷地全体を保存して多くの人が見学できるようになればと話している。
2012年の台風で大きな被害を受けた「虎尾鉄橋」(雲林県虎尾鎮)の修復作業が11日、開始された。来年4月の完了を目指している。同橋はレール幅の異なる鉄道が線路の一部を共有する「三線軌条」が敷設された台湾唯一の鉄橋。
虎尾鉄橋は日本統治時代の1906(明治39)年にサトウキビを運搬する糖業鉄道の鉄橋として建設された。1982年の鉄道廃止後、2011年に約3000万台湾元(約1億1000万円)あまりをかけて「観光鉄橋」として整備されたが、2012年の台風9号の影響で約50メートルにわたって崩壊し、封鎖されていた。
今回、この橋の歴史的価値を知った電炉メーカー、東和鋼鉄の侯王淑昭最高経営責任者(CEO)が、約1800万元の寄付を決定。文化部が200万元の補助金を出し、修復作業が行われることになった。
雲林県政府文化処は、同じく日本統治時代に建造され、現在修復中の「石亀渓鉄橋」(同県大ヒ郷)と合わせて、新たな観光スポットにしたいと期待を寄せている。
韓国は、根っからの嘘つき民族
台湾は正常で、嘘を付けば心が痛む
韓国と台湾はただそれだけの違い
韓国と東南アジアも
嘘つきと正常、の違い
韓国の嘘付き体質は世界中が知っている
不正するな→韓国するな
アメリカ人が考えた
>同じ植民地だったのになぜ台湾は親日で。。。。。。。。。
かなり、大きな誤解をしている様だ。。。。。ww
>「日本人は犬、助けるな」発言の議員補佐が解任=台湾 2011/03/14(月) 11:32
台湾の黄昭順・立法院委員は14日までに同委員事務室の趙志勲主任を解任したと発表した。
趙元主任は、日本の東北・関東地方で11日に発生した大震災と尖閣諸島の問題を絡め、インターネットで
「助ける必要はない」、「日本人は犬だ」などと表明し、非難が集中していた。立法院委員は台湾の「
議会議員」に相当する。委員の事務所主任は「議員補佐」の役職。中国新聞社が報じた。
趙元主任は12日、インターネットで「なぜ、日本人を助ける必要があるのか。
釣魚島(尖閣諸島の中国側呼称)をまず考えるべきだ」との意見を表明した。
「軍を釣魚島に出動させるチャンス」とのコメントが寄せられると、さらに「東京を攻めて、
数千万人を殺してやりたい」、「訂正。殺すのは日本の犬どもだった」などと書き込んだ。
>台湾からも訴えられた!!
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/isaiban_ichiran.html
>台湾立法院の「慰安婦問題の迅速な解決を日本政府に要求する」決議文
立法院第7期第2会期第8回会議議案関係文書 立法院議案関係文書 中華民国97年11月5日
http://www.jca.apc.org/ianfu_ketsugi/ketugi.html
提案の由来:
本院委員 黄淑英、楊麗環、頼清徳、潘孟安等28名は、本院に次のような決議案を提出した:
「日本政府が、はっきりとした、曖昧ではない態度で、戦時中の日本軍性奴隷制度の歴史的責任を受けとめ、正式に認め、謝罪し、生存している被害者に対し、直接、謝罪と賠償をおこない、一日も早く『慰安婦』被害者の名誉と尊厳を回復し、国連人権委員会の提案を遵守し、かつ現在と未来の世代に、関連の史実を正確に教えることを要求する。」
説明:
一、第二次大戦中、日本はその植民地および占領区で、脅迫したり、騙したり、誘拐したりして無数の婦女、少女を集め、従軍性奴隷とし、軍隊に性のサービスを提供させた。日本政府はいまだに、この戦争責任を正式に認めようとせず、かつ事実を否認する不当な発言を繰り返し、無数の女性の名誉と尊厳を更に傷つけ、日本政府名義での謝罪と賠償を拒み、被害者の受けた傷は、いまだに癒えることはない。
二、今年は第二次大戦終結から63年になる。「慰安婦」問題等戦争が残した問題を徹底的に解決し、かつ「慰安婦」被害者の名誉を回復をするために、日本政府は必要な補償措置をとるべきである。
三、台湾で生存している「慰安婦」被害者は、すでに80歳、90歳になっている。その生あるうちに賠償問題を解決することは、人権を重視することでもあり、阿媽たちの名誉と尊厳を回復することにもなる。2007年8月2日のアメリカ議会での「はっきりと、曖昧ではない態度で、歴史の責任を受けとめ、正式に認め、謝罪するこを日本政府に要求する」決議案の通過に鑑み、本院も、この決議案通過を重視、「慰安婦」人権問題が再度重視された国際的潮流に沿うことを希望した。日本政府がいまだ解決していない「慰安婦」問題を正視し、立法化し、被害者に直接賠償することを要求する。
提案者:黄淑英 楊麗環、頼清徳、潘孟安
連署:林正二 呂學樟 翁金珠 洪秀柱 陳 蛍 侯彩鳳 劉盛良 孔文吉 陳亭妃 林建榮 林益世 陳福海 朱鳳芝 陳根徳 林鴻池 徐少萍 楊仁福 江義雄 呉清池 張嘉郡 紀国棟 趙麗雲 余天 陳杰
台湾にも一部、おかしな奴はいる
どこの国にもいる
でも韓国だけは、みんながおかしい
台湾のおかしな奴は、日本から賠償金を分捕った
尖閣諸島の日本領海に侵入して、ワザと日本の巡視船にぶつかって沈没した台湾オンボロ漁船
日本に全員救助されたが、日本に沈没したオンボロ漁船の賠償金を請求して来た
2匹目の泥鰌を狙ってる台湾人はたくさんいる
台湾にも日本から金を分捕ろうとする奴らはいるが、極一部の人達
韓国は全員が反日洗脳されて、全員が捏造歴史を信じている
洗脳から解けた韓国のまともな人は韓国を脱出している
韓国に帰ったら、逮捕されたり殺されちゃうもの
>何故、そんなに必死に投稿するんですかね。
「必死」・・・?
いやいや、普通に「そうではないですよ!」という意味で反論しているだけ。
ここでは、互いに意見交換を行うスレでしょ?
まあ、的を突かれて、
グウの音も言えなくなった時には、こうしたコメントが出てくる傾向があるのは確かだがw
>台湾にも一部、おかしな奴はいる
とは言っても、
>>400は
国民の代表機関たる議会で、満場一致で可決採択された日本への賠償・謝罪請求。
つまり、構成員は全員、国民の総意で選ばれた方々。
数的には「一部」でも、国民の総意だ。
屏東県の竹田小学校で24日、「体は日本にあるが、心は竹田(小学校)にある」と長年、同校の児童に愛情を注いできた日本人女性、水谷雪さんを偲ぶ追悼式が行われた。
第二次世界大戦中、竹田村の野戦病院(現・竹田小学校)で夫をなくした彼女は30数年前からその愛情を同校の子どもらに惜しみなく注ぐようになった。2年に1度のペースで竹田小学校を訪れて、図書や設備、寄付金などの援助をし続けていた。
2009年に90近くの高齢で訪台し、人生最後の台湾訪問となるだろうと語っていた水谷氏は、今月22日に94歳で他界した。告別式は日本時間24日午前12時に営まれ、台湾の子どもたちは感謝の意を伝えようと同時刻に“雪おばあちゃん”を偲んだ。
地元から名誉市民ならぬ名誉村民1号の称号を与えられ、また同校児童の誰もが気軽に口ずさめる歌も作られるほど、竹田村の人々に愛されていた水谷さん。夫の魂と会えるように、夫が贈ってくれた指輪を同地に埋めたいとの生前の願いを叶えるべく、学校側が現在、積極的に作業を進めている。
29日に投開票を迎える統一地方選挙に向けて、与党・国民党が25日に公開した選挙CMが、台湾だけでなく海外でも批判・議論の的となり賛否両論を呼んでいる。
CMの中で国民党は、韓国の民族衣装を着た女性をモデルとして、11月に締結交渉が実質的に妥結した韓国と中国大陸の自由貿易協定(FTA)により、台湾はアジアで経済的に孤立するなどとして、台湾と大陸の経済関係強化に反対の立場を示してきた最大野党・民進党を批判している。
だが、CMは公開後、韓国メディアなどにも取り上げられ「韓国の名誉を傷付けるもの」などと批判の対象になっており、国民党の広報担当者は28日、CMは韓国を貶すものではなく、「反韓」「仇韓」といったものは広告の意図するところではないと釈明を行った。
CMを公開している会員制交流サイトのページには、民進党は鎖国することしかできないなどといった広告を支持する書き込みがある一方、このような広告は脅迫だとする批判のコメントもみられた。また、FTAを締結しても利益を得るのは大企業だけだとしてFTA自体に反対を唱える意見もあった。
2012年に2期目に入る馬英九政権は以前から韓国と中国大陸のFTA締結に強い懸念を示しており、経済部は10日、FTA発効の影響として、台湾から大陸への輸出額が最大で年間5.4%(84億2000万米ドル=約9900億円)減少するとの試算を出している。
苗栗県南庄郷の南埔小学校に日本統治時代から残されていた元校長宿舎の修復工事が終わり、12日に記念式典が行われた。今後は郷土学習館や資料陳列室などとして活用される。
今回修復されたのは1935(昭和10)年に建てられた和風家屋。壁や天井など随所に日本建築の特徴が垣間見られる。2009年には県の歴史建物に登録され、1078万台湾元(約4013万円)の費用を投じて今春から工事が行われていた。
この日の式典には南庄郷の頼盛為郷長や同校の卒業生などが参加。劉敏珍校長は不定期で一般への開放を計画しているとして、多くの人に歴史を感じてもらえればと話している。
韓国人は大嫌い
反日捏造、根っからの嘘つき民族だから
日本貶しの悪口三昧、性根が腐ってるから
台湾人は好き、というより日本統治時代の遺産の保護等々に感謝
台湾人の温厚さを見習いたい
台湾のネット上で、茶碗を持ち上げて食べる台湾人を「乞食のようだ」と称した韓国人に対して、台湾人の「神反撃」が話題となっている。台湾メディア・東森新聞雲が27日伝えた。
先日、台湾のネット掲示板・PTT上で、あるネットユーザーが「ルームメートの彼氏が韓国企業に勤めている。韓国の同僚と食事を一緒に取ったとき、韓国人の同僚から『韓国では食器を持ち上げるのは乞食だけだ』と言われた。幸い、そのとき台湾人の同僚が即座に反応して「台湾でも、頭を低くして茶碗の飯を食べるのは犬しかいない」と言い返した」と書き込んだところ、この「神反撃」が台湾のネットユーザーあいだで熱い議論を呼んだ。
ご飯を食べるとき、韓国人は頭を低く下げてスプーンで食べるのに対し、台湾人は普通茶碗を手に持って食べる。文化上のちょっとした違いだが、ネット上では熱い議論を呼び、「神反撃」が賞賛を浴びたのだ。
韓国に1年ほど留学していた女性に実際に話を聞いてみると、韓国ではスープを飲むときも頭を下げて飲むのだとか。ただ、これには理由がある。韓国の食器は鉄製で保温効果が高い反面、触ればやけどしやすいのだ。また、スープの入った器は重く、手で持っていたら疲れてしまうということもあり、長い歴史のうちに頭を下げて食べるの習慣になったという。「最初は自分のやり方で食べていたが、その後彼らと同じような食べ方をするようになった」とこの女性は語る。
このほか、韓国のスプーンは細長い形状をしており、直接ご飯やスープをすくって食べる。しかし、頭を下げて食べても、食器を持って食べてもいいではないか。各国の文化にはそもそも違いがあるなのだから。くれぐれも小さな習慣で同僚どうしの感情に亀裂を入れたりしないように。
昨年から動画投稿サイトのユーチューブで配信されている、台湾の歴史をテーマにしたアニメ「台湾バー(Taiwan Bar)」が、その軽妙なトークや分かりやすい解説などによって人気を集めている。
このアニメはここ100年の台湾の歴史を、ジョークなどを交えながら紹介するもの。日本の統治による台湾の近代化などをテーマにした第1回の動画(昨年11月配信)は1月3日現在、再生回数が60万回に届く勢いとなっている。
第1回の動画では日本が台湾に近代的な制度や習慣を持ち込み、衛生環境の改善や医療水準の向上などに貢献したとする一方、仕事や教育などにおいて台湾の人々に対する差別待遇が存在していたことなどを指摘している。
動画のコメント欄では「先生がこんな風に歴史を教えてくれたら覚えられたのに」、「日本語版はありますか?日本人に見せたい」などの書き込みが見られた。
動画は毎月1日に更新されており、昨年12月は日本の台湾統治政策の変遷などをテーマにした第2回が、今月1日には台湾議会設置運動などの1920年代の社会運動を扱った第3回が配信されている。
公式サイトではTシャツや動画に登場する熊のぬいぐるみなどの関連グッズも販売されており、収益は動画制作に使われるという。
日本統治時代に建てられ、解体の危機に直面していた旧「台北放送局板橋放送所」(新北市板橋区)の建物が7日、同市政府文化局の暫定古跡に指定され、当面の保存が決まった。
1930(昭和5)年に建てられた同放送所は、日本の敗戦後、ラジオ局の中国広播公司に接収され、機械室として使用されていた。だが、昨年8月に土地をめぐる裁判で所有権が国にあるとされたため、取り壊される予定だった。文化局は貴重な歴史的資産だとして、専門家の意見をもとに今後の方針を決めたいとしている。
板橋放送所の設計を担当した栗山俊一は、台北郵便局(現・台北郵局)や台北放送局(現・二二八紀念館)なども手がけている。