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謝謝!台湾 僕たちはいつまでも友達だよ!
拜拜!韓国 じゃあね。バイバイ!
【タイトルと本文の一部を削除しました。2012.03.27 管理担当】
[スレ作成日時]2012-03-26 22:23:00
謝謝!台湾 僕たちはいつまでも友達だよ!
拜拜!韓国 じゃあね。バイバイ!
【タイトルと本文の一部を削除しました。2012.03.27 管理担当】
[スレ作成日時]2012-03-26 22:23:00
(台北 16日 中央社)日本統治時代の台湾に生まれた頼泰安さんが自身の経験をつづった「少年飛行兵よもやま物語」(1983年、光人社)の中国語版がこのほど台湾で出版された。
同書は頼さん(1929-2012年)が14歳で志願して少年飛行兵学校に入ってからの体験を書いたもので、当時の軍学校の生活などをうかがい知ることができる。
頼さんは1943(昭和18)年、第17期日本陸軍少年飛行兵として採用され、大津少年飛行兵学校などを経て、陸軍航空士官学校に進んだ後、日本で終戦を迎えた。
戦後は台湾に戻り中華民国軍に入隊。空軍士官学校を3位の好成績で卒業し、空軍第10大隊で軍務に就いた。頼さんは旧日本軍と中華民国軍の両方に籍を置いた唯一のパイロットだという。
今月22日には台北市内で同書の翻訳とイラストを担当した張詠翔氏による講演会が開催される。
ね*うよは旧日本軍による台湾人虐殺行為レイプを認めるということか。
この会見で、岡田克也は、馬総統から、観光客のバランスが悪いと苦言を言われた と他新聞は、伝えている。折角、本物の台湾代表が、就任したんだから、せめて自民党幹部を訪台すべきだったな。沼田幹夫代表には、大いに期待する。今迄、台湾事務所は、形骸化していたからな。
いずれにせよ、台湾は、大切な友好国だ。
馬英九は国内で批判者が続出するほど中国よりの人物。
最初からこの人物が総統になる事は中国寄りを明確にする事実だった。
現在の台湾政府は思うほど親日ではない。
ということは、ね*うよは旧日本軍による台湾人虐殺行為レイプを認めるということか。
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暑いので血迷ってる?メシは食えてるのか・・?
東北地震の犠牲者に韓国は「ザマーミロ」と横断幕。
台湾は未だに寄付を募ってくれている。
(花蓮 18日 中央社)日本統治時代の酒造工場跡地で、先月中旬完成した13軒の和風木造建築と昨年冬に開幕したレストランなどが提携した宿泊施設「アンダンテ」が、このほど台湾東部・花蓮市の文化パーク「a-zone花蓮文化創意産業園区」にオープンした。
同園区は1913(大正2)年に設立された花蓮酒廠の跡地。第二次世界大戦中、建物はほとんど破壊されたが、修復工事を経て2011年に一般公開され、文化部により古跡指定を受けた。
今回新しくオープンした木造建築エリアは、日本時代には酒造工場幹部職員寮があった場所。広さ1600坪(約5290平方メートル)で建物は当時の様子を再現。最も大きな1軒の「月棠」以外は、「松」「梅」「桜」「藤」「菖蒲」など日本の1年12か月を代表する植物で名づけられている。屋内は畳敷きにふすまと障子で部屋中ヒノキの香りがあふれ、建物の周囲を竹で作った垣根が1軒1軒隔てており、静かで優雅な雰囲気を醸し出している。
この和風建築とレストラン、花蓮文創産業園区が提携・企画した「文化クリエイティブ体験観光プラン」では、文化芸術、グルメ、DIY教室、サイクリングなどをを盛り込んだ1泊2日の小旅行プランを提供する。キャンペーンは9月30日まで続く。
台湾は日本同様に常識的
東南アジアの国々も同じ
韓国だけが、異常過ぎるだけ
台湾、東南アジア諸国は韓国の異常性を嫌と言うほど知っている
韓国の異常性は今後も変わらない
韓国と仲良くしたくないと思っているのは日本人だけでない
(金門 23日 中央社)中国大陸南東のアモイからおよそ10キロメートルしか離れていない金門島で23日、「八二三砲戦」(金門砲戦)の開戦56年を記念したイベントが行われた。
式典では、李沃士金門県長による献花、追悼文朗読の後、台湾各地から集まった元兵士らが戦没者に黙とうを捧げた。
李県長は、砲撃戦で戦った軍関係者など先人の努力がなければ、「今日の金門の繁栄も台湾の経済成長もなかった」と感謝の言葉を述べた。
【 八二三砲戦 】 1958年8月23日、中国大陸の金門への砲撃で戦いの火ぶたが切られた。同年10月5日までの44日間で面積148平方キロメートルの金門諸島に47万発を超える砲弾が落ちたという。
そしたら、旧日本軍の台湾人逆殺や従軍慰安婦強制連行を認めるということですね。
この掲示板の韓国人の書き込みを見ても判るけれど
韓国人は支離滅裂、精神破壊
台湾人にはそういう所は一切ない(当たり前だけど)
台湾人はそういう当たり前な常識人なので、日本人は好き
中国人も韓国人よりマシ
中国の一党独裁政治が崩壊し表現自由が保証される国になった時、日本人と仲良くできる
韓国は未来永劫、無理
(台北 27日 中央社)国防部は、第二次世界大戦中にインド・ビルマの作戦で旧日本軍と戦い、10万人以上もの死傷者を出した中華民国「遠征軍」の功績をしのぶため、ミャンマーで招魂した将兵らのみ霊を台北市円山の国民革命忠烈祠に迎え入れ、27日入祀の儀が行われた。
これは現在の国軍兵士らに、国のために身を捧げた先人の無私・愛国の精神に思いを寄せ、国家の存続発展のため尽くしてもらおうというもの。遠征軍は1942年から1944年にかけて連合軍を支援するためビルマ方面に2度入り、ビルマ北部のミッチーナーや雲南省西部の騰衝、龍陵などで日本軍と激戦を交わしている。
国防部は対日抗戦(日中戦争)の8年間、日本の西進(援蒋ルート遮断)や枢軸国同士の連絡を抑え込み、連合軍の勝機をより確実なものとした中華民国遠征軍の功績は英・米など各国にも高く評価されていると強調している。
国防部では同軍を記念し、かつてビルマ(ミャンマー)方面に散った将兵らのみ霊を慰めようという立法院(国会)国防外交委員会の一部議員らによる提案で外交部や僑務委員会と共に専門チームを立ち上げ、今月24日、5万6000人が亡くなったミャンマー北部の激戦地跡で霊鷲山の心道法師をはじめとする高僧ら多数によって招魂・超渡の儀式や読経が行われ、異国に70年もの歳月取り残されたままだった忠魂を慰霊した。
専門チームは27日昼帰国し、台北市内の忠烈祠で厳明国防部長が主祭を務め、国防部や立法委員、当時参戦した将兵の関係者、戦史研究者などの参列の下、遠征軍兵士らの入祀の儀が営まれ、その総牌(位牌)が納められた。
(台北 30日 中央社)台北市文化局は29日、100年以上の歴史を持つ「青雲閣」(台北市万華区)などを歴史的建造物に認定したと発表した。
青雲閣は日本統治時代に遊郭街の中に建てられた、当時台湾で最大の“妓楼”で、同局によって暫定古跡となっていたが、今月2日、地主の陳立偉氏が許可なく建物を取り壊したため、批判の声が上がっていた。
こうした事態を受けて文化局は29日、文化資産に関する臨時の審議委員会を開き、青雲閣などを歴史的建造物に認定した。また、取り壊しを強行した陳氏に対し、認定地区や建築物の調査を行い、周辺の再開発を行う際にはこれらの建築物と一定の空間を設けるよう言い渡した。
陳氏は手続きを誤解していたとして、無許可での取り壊しについて謝罪し、今後は当局の指導を受け入れて青雲閣の復旧と保存に全力で協力するとしている。
台北市文化局などによれば、青雲閣は日本が台湾から撤退した後、娼館として利用され、1997年に公娼制度が廃止された後は廃墟となっていた。詳しい成立時期は分かっていないが、1907(明治40)年の文献に記載があるという。
(台南 5日 中央社)国立成功大学・光復キャンパス(台南市)の中には、ひときわ目を引く大きなガジュマルの老木がある。この木は1923(大正12)年に、当時皇太子だった昭和天皇が植えたとされており、現在では市民らの憩いの場になっている。
このガジュマルの老木は、1995年に生命保険大手の「国泰人寿」の商標に選ばれ、「下に向かってしっかり根を張り、上に向かって成長する」という“大樹の経営哲学”とともに、台湾全土のメディアに登場してすっかり有名になった。
それ以来、20年近く経った今でもこの木を訪れる人は絶えることがなく、木の周りの緑地は大学の屋外イベント会場として利用されているほか、散歩などを楽しむ人たちでいつもにぎわっている。また、結婚記念写真の背景としても人気が高く、一生の思い出を残そうと撮影をしている姿がよく見られる。
このガジュマルの老木は、傘のように張り出したその大きな枝と葉で、夏には照りつける日差しから、冬には吹きつける風から守ってくれる、いつでも大きな安心感を与えてくれる木として人々から親しまれている。
375そしたら、旧日本軍の台湾人逆殺や従軍慰安婦強制連行を認めるということですね
(台南 6日 中央社)台湾自来水公司(水道会社)が日本統治時代の旧「台南水道」の建物を台南市政府に無償で譲渡することになり、このほど寄贈式が行われた。大正時代に完成した「台南水道」は当時、飲み水の供給とともに台湾の人々の衛生状況を大幅に改善したとして現在でも高い評価を受けている。
4日地元で行われた寄贈式には頼清徳・台南市長、台湾水道会社の胡南沢総経理をはじめ、地方の関係者が多数列席した。
「台南水道」は日本の台湾総督府の委託で英国人衛生顧問、ウィリアム・バートンの下、浜野弥四郎により設計されたもの。1911(明治44)年から計画が始まり1922(大正11)年に竣工した。戦後は水道会社が引き継いだが1982年にその役目を終えた。
「水源地」と「浄水区」に分かれ、日本統治時代から残されている建築物には「水源地」の濾過室・水道事務室、加圧室、「浄水区」の浄水池、量水器室の各施設があり、これらは2002年に台南県(当時)の指定古跡、2005年には国の指定古跡となった。
頼市長は浜野弥四郎(千葉県佐倉市出身)の「台南水道」と八田與一(石川県金沢市出身)の「烏山頭ダム」は、当時台湾の衛生環境改善と農業の発展に貢献したばかりでなく、今日においても台湾と日本の絆を強める役割を果たしており、毎年台南を訪れる日本人観光客は18万人にも上るとし、今後は周辺の蘭花植物園や大内南瀛天文台などと結びつけて観光促進に力を入れたいと述べた。
台南市文化局では浄水池の修復工事終了後の12月初めにも一般開放し、文化観光と生態保護を同時に進めていきたいと話している。
(高雄 7日 中央社)日本統治時代の1914(大正3)年に供用を開始し、1992年まで使用された台湾鉄路の下淡水渓鉄橋(現・高屏旧鉄橋)が6日、遊歩道「天空歩道」としてリニューアルされた。橋の上からは約120ヘクタールの広大な高屏湿地の美しい風景を眺めることができる。
この日は陳菊高雄市長が参加した記念式典が行われ、鉄橋を設計した飯田豊二氏の子孫に記念レンガが贈呈された。陳市長は天空歩道を生態教育や観光の促進などに役立てたいと述べ、周辺にある竹寮取水場や九曲堂旧鉄道宿舎などと合わせて、行楽客に大樹地区の文化や歴史に親しんでもらえればと語った。
全長1526メートルのこの橋は、竣工当時台湾最長、アジア最長の橋とされ、「東洋一の橋」の異名を持つ。1987年の電化で新しい橋に切り換えられた後、取り壊される予定だったが、地元住民や有識者などが保存を訴え、1997年に国家2級古跡に指定されている。
(台北 12日 中央社)日本統治時代の1910~1930年に東京美術学校(現・東京芸術大学)に留学した台湾のアーティストの作品を紹介する展示会、「台湾の近代美術―留学生たちの青春群像(1895-1945)」(後援:台南市政府)が12日から東京芸術大学大学美術館の本館で開催される。
このイベントは同校で油彩画技術などを習得後、母国での西洋美術の普及に尽力し、東アジアの近代美術を開花させた当時の留学生らの実績や功績を顕彰するためのもので、計14人約50点が展示されている。
開会式で挨拶に立った台南市の頼清徳市長は、同市に建設予定の台南市美術館を、今年のプリツカー賞を受賞した日本人建築家の坂茂氏が手がけることなどに触れ、台湾と日本は経済や芸術の分野で密接な交流が行われていると述べるとともに、一層の関係発展に期待を寄せた。
頼市長は日本プレスセンター(東京都千代田区)で13日に行われる一青妙さんの講演会「『わたしの台南』~いちばん台湾らしい場所~」にも出席し、また森美術館(同港区)などの文化施設を訪れ、日本との芸術交流を深める予定。
台湾ありがとう
台湾人には感謝の感情しかない
韓国、いい加減にしろ!
関りたくない