積水ハウスの営業マンが顧客を名誉毀損で訴訟。
普通は円満に顧客から謝罪させれば済む話、新聞での謝罪広告を要求し訴訟。
積水ハウスも社員を支援するとのことだが、なぜそうなるのかよくわからないね。http://www3.nhk.or.jp/news/2006/07/31/d20060731000015.html
[スレ作成日時]2006-07-31 10:32:00
積水ハウスの営業マンが顧客を名誉毀損で訴訟。
普通は円満に顧客から謝罪させれば済む話、新聞での謝罪広告を要求し訴訟。
積水ハウスも社員を支援するとのことだが、なぜそうなるのかよくわからないね。http://www3.nhk.or.jp/news/2006/07/31/d20060731000015.html
[スレ作成日時]2006-07-31 10:32:00
当件の新聞報道に、原因解明のヒントがある。
積水ハウスは、こんなに異常に名前に拘るセールスに、わざわざハングルの名刺を持たした理由を説明すべき。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060807/mng_____tokuho__000.shtml
徐さんは、なぜ名前にこだわったのか。生い立ちを抜きにしては語れない。
徐さんは一九六一年、山口県で五人兄弟の末っ子として生まれた。戦前、日本に渡った両親は小規模の養豚、農林業を営んでいた。
自然の中で無邪気に遊びまわっていた徐さんが、在日であることを意識させられたのは小学一年の時。子育てと生活で精いっぱいだった両親は日本語の読み書きができなかった。「学校のプリントは親に渡さなかった。家の裏は豚小屋。よく、けんかでくさいと言われた。でも反論できん。親は日本語になまりがあった。日本の家庭と違うな、嫌やな、みじめやな、なんで在日に生まれたんや、という気持ちがありました」
小学二年の時、一家は大阪万博(七〇年)前の建設特需にわく大阪府内に仕事を求めて引っ越した。徐さんの胸は「都会にいく期待」で膨らんだ。だが、待っていたのは「韓国人」とののしられ、銭湯の湯船に沈められるなど、いじめの毎日だった。
自分のルーツに対する嫌悪感は増すばかりだった。
「当時はテレビでも韓国のニュースといったら悪い話ばかり。日本人になりたい、でもなれない。キムチの赤い色が汚く見えるんですよ。着物はすごい上品に見えるのにチマ・チョゴリはみじめだと」