理解して、納得して買えば良い。
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枝川・在日コリアンの歴史①~戦前から民族教育の再開~
2011-05-26 | 歴史
東京都江東区の枝川地区には在日コリアンの人々が多く生活しています。これは、戦前の日本の植民地政策と大きくかかわりがあります。当地区の歴史について紹介していきます。
(枝川**の成立)
1936年に次回のオリンピック候補地が東京に決定しました。また、1940年は「皇紀2600年」とされ、万国博覧会を同時に開催することになりました。そのため、競技場や関連施設の予定地になっていた塩崎・浜園地区(現江東区)は当時、朝鮮人のバラックが立ち並んでいたのですが、これを一斉に撤去し移転させる計画がなされました。1938年に日中戦争の影響で、オリンピックの開催は中止になりましたが、当時の東京市は1941年に移転事業を開始し、移転先とした枝川地区に「簡易住宅」を建て、バラックに住んでいた朝鮮人に当地区への移住を強制しました。
当時の枝川地区は埋め立てをしただけの土地で、ゴミ捨て場として利用され、焼却場や消毒施設以外に何もない荒地でした。川に囲まれ、排水施設も十分でなく、雨によって何度も浸水する土地でした。また、建設された「簡易住宅」には玄関やトイレもなく、とても住宅とはいえない状態でした。そのような劣悪な環境のもとに、枝川**は建設されていきました。
(東京大空襲と枝川)
1945年3月10日未明の東京大空襲で、東京の下町一帯が焼け野原になりました。死者は10万人に及びました。枝川地区にも、多数の焼夷弾が投下されましたが、住民の連携による消火活動で消失を免れました。そのため、翌日から多数の日本人を含めた被災者が枝川に押し寄せましたが、住民は食料や住宅を彼らに提供しました。避難した人の中にはそのまま枝川地区に居住する人も現れ、朝鮮人だけでなく、日本人も枝川地区に生活し始めました。
(戦後の枝川地区)
日本が終戦を迎え、在日コリアンによる帰国運動や生活の権利獲得に向けた運動が始まり、その中心として、朝連(在日本朝鮮人連盟)が結成されました。枝川にも、その分会が設置され、運動の拠点となりました。そのため、枝川地区は行政による弾圧が行われました。
一方で、住民による街の建設が進みました。老朽化した「簡易住宅」の建て替えや台風での被害に対して、行政が何の対応もしなかったため、住民の手による街の再建が行われました。戦後、流入してきた日本人や民間企業と連携して、道路や水道などのインフラを整備し、国籍を超えての再建がなされました。
(民族学校の開始)
戦後、植民地支配によって朝鮮語を話せない朝鮮人の子供が増加していました。そのため、全国で朝鮮の文化やことばを学ぶ民族学校が建てられました。枝川にも「国語集会所」が建てられ民族教育が開始しました。費用を抑えるために、保護者や住民が労力を提供し建設にあたりました。
ところが、1949年に朝鮮語での教育を認めないとする「学校閉鎖令」が出され朝鮮学校は閉鎖されました。戦前に引き続き、再び弾圧が加えられました。その後、55年に「各種学校」と認可され、「東京朝鮮第二初級学校」として再開します。また、学校用地は、「簡易住宅」の場所であったため、所有権は都にあり、学校側は使用料を払わなければなりませんでしたが、歴史的事実を考慮し、低価格での賃貸契約がなされました。71年には、当時の美濃部亮吉知事のもと、歴史的経緯や学校財政の困難を考慮し、90年までの20年間の無償貸与、それ以降の随時契約を決定しました。国が弾圧的な姿勢をとるのに対して、地方自治体では、在日コリアンの権利を認めていく動きがみられました。
しかし、2003年に急きょ、石原知事の下、都は学校側が土地を「不法占有」しているとして提訴しました。これが注目を集めた「土地明渡し裁判」です。
*裁判については「枝川・在日コリアンの歴史2」に続きます。
No.458、No.460、No.461>あまりに長すぎて読む気にもなれないけど。
どんな街にも、暗い過去の歴史の1つや2つはあるんじゃないの?
あまりにくだらなくて、まったく気にしない。
いろいろ、枝川の歴史を教えて頂けるのはうれしいのですが、
そもそも、その当時を知っている方からのお話では無いので、参考程度というところですね。
そもそも、1931年とか1941年とか、その当時の方々は、まだ生きてらっしゃるのでしょうか?
恐らく、ネットで探して、それをコピペしただけのようですし、調査も何もされていらっしゃらないのでしょう。
その方々から、直接お話を伺う方が真実味があるような気がします。
子供のイジメの構造は大人の世界にある差別からくるのです。地域や人を蔑視した書き込みは絶対にいけません。やめましょう。
実際にマンションが建つ近くの有名な焼き肉店を営業の方から紹介されたのですが、
つい先日行ってきました。
とても美味しかったです。ハラミとタン塩おススメです。
先日、運河で魚釣りされている方を見かけました。
これまで、内陸に住んでいたのですが、豊洲の辺りは、公園も多く、
緑も多いと聞きます。これだけ都心に近く、自然が多いというのは、魅力的ですね。
でも、周辺に住んでいる方は、ほとんど日本人ですよね。
隣が皇居だったとしてもイヤだよ。
津波怖いし、津波来なくても液状化でインフラパーになるから。
液状化は、枝川はありませんでしたよ。
No.462>の意見は、かなり偏った意見に思えます。
No.465>に賛成です。
そもそも、全員がそのような考えがあろうはずもありませんし、
そうであれば、長く住み続けていないはずです。
当初、私も湾岸物件という事で、津波や液状化などを心配しておりましたが、
江東区、特に湾岸のエリアは高潮対策がもともと取られており、それほど心配しなくても良い場所だそうです。
周りは、公園も多く、ゆったりと建物が建てられていますから、その点も安心出来ると思いました。
では、そういう話題をする必要もないでしょう。