すっかり潮見が忘れられてますが(笑)
潮見は辰巳東か西夢の島だろうな
結局、1期はどれくらい売れたんですか?
太陽電池だけで、そんなに管理費がウクかなあ。
最初は安く見せておかないと売れないからね。
ここ程度の検討者層は管理費等も大変気になる点。
売れてしまえば後は知った事ではない。
数年後から急上昇に転じるだけさ。
気になりますよね。管理費がすごく安い点。
どうしてここまで安くできるのかわかりますか。
共用設備があまりないからなのかな?
あとで上がっちゃうとイヤだな~
野村東雲では長期修繕計画と管理費の説明セミナーを開いてくれて、費用項目と収支の状況等、かなり詳しい説明がありました。
野村は最初から結構高くてかなり大変だなという印象でしたが、将来の値上がり状況がなだらかで長期的なイメージを持つ事ができましたよ。
デベロッパさんに直接聞いて見られたら良いと思います。
毎日続いてた朝鮮バッシングコメントが1期抽選日を過ぎて一切無くなったと思ったら、ここ数日のまとまった管理費批判コメント。購入しない個人がこんな暇な事するかね
管理費批判とかじゃなくて、心配だから聞いてるのに。
契約するとたぶん、ギリギリローンだから当然車は手放すけど、将来の教育費とか考えると管理費急上昇すると家計をかなり圧迫するんじゃないかと。
諦める事も重要かと。
いざという時、値下がりして大損失でローンだけ残ると悲惨ですから。
管理費にはちゃんと相場がある様です。国土交通省の調査によると、専有面積
1平方m当たりの平均は162円。マンションの規模、建物が何階建てか、管理内容などに
よっても管理費は違ってきます。規模が小さいと1戸当たりの負担が重くなる
傾向にありますが、かなり大きな規模になるとそれだけ共用施設なども充実してくるので
高くなる様ですね。
管理費のことですが、戸数が多いから他より安いということですか?
後から値上げというのは嫌です。
暮らし始めたら払えないとは言えないですからね。
そういう面は事前にはっきりしてもらいたいです。
ふいの破損とか故障というのもあるでしょうけど、そういうことも把握されての金額でしょうから。
値引きしているみたいですが人気ないのでしょうか?
第1期の販売済みのお部屋を数部屋紹介されましたが
販売済みと契約済みは違うのでしょうか?
価格は予算内で合格ですが枝川アドレスが悩ましい!
販売済み、は1期で売りに出した(つまり販売した)が売れ残った部屋。
契約済み、は売れた部屋。
なんでしょう。
少しだけどしてくれますよ
うちは何回も行ってますので真剣だと思われてるけど、、
100戸くらい売りには出したけどあまり入らなかったのでしょう
年末に、別な枝川マンションも販売される予定ですね。
380さん、何回も行ってて値下げの事実をここで公表すると、営業に380さんの事を特定されちゃうかもね。
それにしてももう値引きって早いね。枝川情報が回りきる前に売り切りたいんだろう。
388さん
本当に値引きを受けたいときは、売主に本気を見せる必要があります。
こんなところで聞くのではなく、交渉のテーブルに飛び込んでみてください。
現在、朝鮮学校で大音量で大宴会が催されてる?
豊洲の者ですが、太鼓やカラオケが聞こえて来ます。
母国の歌なんでしょうか。
年に何回かやってませんか?
購入検討される方は、こういう日に見学に行くといいと思います。
昨日は夜の9時過ぎまでやってましたね。
枝川住民ですが、非常識な音量では無く許容範囲でしたよ。
購入後、何年毎などで管理費や修繕積立金が上がるって話は聞いたことがあります。
ていうか、それって当たり前のことだと思ってました。
デベによって上がり幅は違うと思いますが、上がるといってもそれほど上がるわけでもないでしょうし。
でも将来的に必要になるお金のことなので、管理費や修繕積立金についてはよく説明を受けた方が良いでしょうね。
もう値引ですか?
やっぱり枝川地区のマンションは厳しいね
地元以外から来たうっかりさんで埋めないとね
ここの掲示板って不自然に削除されてるのが多いですが
枝川に何があるのですか?
枝川の真相は営業さんに聞けば教えてくれますか?
営業が自分に都合の悪いことを言うわけないだろ。
とくに不動産営業なんて都合の悪い事実は全部隠すよ。
ネットで調べたら?
枝川町の歴史的経緯
戦前、深川区(現在の江東区の一部)塩崎・浜園にはバラックの朝鮮人**が形成されており、東京市(現在の東京都)は撤去しようと画策していました。1936年のIOC総会で東京オリンピックを1940年に開催することが決定され、その会場の一部として塩崎等が指定されました。これを契機に東京市は埋め立てを終えたばかりの陸の孤島ともいうべき枝川地区に朝鮮人を移そうと計画しました。東京オリンピックは日中戦争の激化により中止になりましたが、移住計画は継続され、1941年7月、ゴミ焼却場と消毒場しかない荒れ地に230戸の簡易住宅を建て、1,000人以上の朝鮮人を強制移住させたのです。
それは、玄関も台所もトイレもお風呂もない、工事現場用バラックのような粗末な建物でした。枝川は埋め立て地であるのに堤防・排水などの十分な設備がなく、雨が降るたびに土地がぬかるみ、浸水に見舞われ、共同トイレの汚水が道路一面にあふれる始末でした。さらに、ゴミ焼却場や消毒場と隣接しているため、ハエや悪臭に常に悩まされる劣悪な住環境でした。
管理者である都は、戦後は家賃を集めることもやめ、住宅の修理、下水道、都市ガスの引き込み、衛生環境の向上など、本来なすべき管理業務の一切を放棄しました。そこで、朝鮮人はやむなく自費・自力でこれらのすべての管理をおこない、住環境を改善してきたのです。
本来、戦後補償の観点から、枝川1丁目地区は都の責任で整備されなければならず、またかつて民族の言葉と教育を奪ったのですから、戦後は政府と都が協力して民族教育の場を保障しなければならなかったはずです。それなのに、今回の裁判は、戦前戦後の枝川地区の歴史を無視し、朝鮮人が身を削って自力で作り守ってきた民族学校をつぶそうとするもので、とうてい許すことはできません。
なお、戦前・戦後の枝川の歴史については、『増補新版 東京のコリアンタウン 枝川物語』(江東・在日朝鮮人の歴史を記録する会編 樹花舎刊 2004年10月発行)に詳しい住民の聞き書きや資料が載せられています。
http://kinohana.la.coocan.jp/edagawarekisi.html