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噂の東京マガジンで放映されてましたが
1989年から1992年まで建設が続き計50棟以上のリゾートマンションが町に建ち並ぶことになりました。
あれから、20年。今、湯沢町は大きな転機に差し掛かっています。
町の目玉にもなっていた、温泉やプールなど設備の充実しているリゾートマンションが、100万円以下という安値で売り出される状況に。
[スレ作成日時]2011-11-06 16:42:59
噂の東京マガジンで放映されてましたが
1989年から1992年まで建設が続き計50棟以上のリゾートマンションが町に建ち並ぶことになりました。
あれから、20年。今、湯沢町は大きな転機に差し掛かっています。
町の目玉にもなっていた、温泉やプールなど設備の充実しているリゾートマンションが、100万円以下という安値で売り出される状況に。
[スレ作成日時]2011-11-06 16:42:59
少なくともこのあたりのマンションの売りは大浴場やプール、温泉だったりするわけで雪解け水の関係もあって水は豊富です。浴槽用の水と飲料用の水道水も分けている所も多く、飲めない水の話しは聞いたことはありません。ホームセンターに除湿剤が多く売られていて湿気の多い家が多いのかなとも思いましたが、スーパーに水のペットボトルが多く並んでる印象もありません。しばらく住んでなければ水を出しっぱなしにしてから使えば問題ないでしょ。長年使ってなかった物件を買いましたが水道管の材質のせいか赤錆など出ませんでした。
築35年以上のマンションは大抵この映画みたいな感じになっていますけどね:
映画『仄暗い水の底から』 2002 東宝
http://www.bilibili.com/video/av7183201/
日常に最もありふれている「水」を通じた怨念を、前作の「リング」よりも一層静かに描いている作品。音でびっくりさせたり幽霊がばーん!と登場するような派手な演出はなく、恐怖演出に使われるのは行方不明になった少女の幻影と、あとはひたすら「水」のみ!
コップの中に浮かぶ髪や、蛇口から出続ける濁って汚いらしい水の描写は、生理的にイヤな人にはゾクゾクものだと思う。
個人的には水の描写だけではなく、嫌な感じに黄ばんだ壁紙、屋上の古い貯水槽・・・という、独特な空気感を持つ「コンクリートマンション」が舞台にしていたのがツボ。
建物全体の空気が冷たく重く湿気っているような、普通のマンションとは少し違う、どこか異空間めいたあの雰囲気は、このホラー映画ならではの特別なものだと思う。
http://b9life.hatenablog.com/entry/2016/03/12/213931
私の場合、10年以上前に知り合いが水上にリゾマンを買って、
そこにおよばれしたのが最初です。
それまでリゾマンの存在すら知らなかったw
その時に水上のリゾマンにお呼ばれした仲間はお手ごろ価格と温泉に感動して
同じマンションを真似して買っていました。
リゾマンの存在を知り、湯沢のリゾマンのニュースが目に付くようになった私は、
湯沢のリゾマンは姥捨て山でスラムでババ抜きマンションなんだと思いました。
水上は300万位するのに(それでも安いけど)、新潟は10万とか50万なんだよ!?
10万でも売れないってどれだけヒドいんだwwと。
新潟のリゾマンにゴーストタウンイメージを持ちながらも、
水上よりも交通の便がいいし、家族がスノボ始めたし、温泉入りたいなーと、冷やかし半分で物件を探し始め、
内覧のために湯沢に来ると、インター下りると寂しいし、駅前は人がいないし、本当に温泉地かよ!?とテンションダウンしましたよw
寂れてると思った水上駅前が、湯沢と比べ物にならないくらいリゾートしてると思いましたもん!
で、実際にお部屋を見たら、50万のお部屋は普通だったけど、200万くらいのお部屋はキュンキュンした!
で、買っちゃった
HPに載ってる写真はきれいでも、実物はがっかりなんだろうなーと思ってたけど、HPの写真より全然よかった!
長くなっちゃったけど、
私も湯沢のマンションの事を馬鹿にしてたけど、見てみたらけっこうよかったよ!
が要点ですw
苗場のマンションや、新耐震以前の物件は見たことが無いのでわかりませんが、
マンション内は家族連れや小奇麗な人が多く、実物を見る前にイメージしていたものとかなり違いましたねー。
皆楽しそうに過ごしてるよ!
会社の保養所扱いだと維持費は経費で落ちるから痛くないしね!
でも夏は糞暑いし、冬も雪が冷たいから、スキーやスノボやらない人にはつまんないと思うよ!
いろんな誤解はあるけど基本何も知らない系はうざいね。
売れなくてデベロッパーが焦ってるだとか、売れないから人が居なくてスラム化してるとか。
デベが売ったのは遅くても90年代頭だから所有権はオーナーに移ってるし住人の管理組合法人が
管理専門会社に委託して管理させてるから管理会社も組合に嫌われないように維持管理をしっかりしている。
普段は空の部屋は多いが季節にはオーナーが増え駐車スペースもいっぱいになる。
最初にうん千万で買って投機目的だった人は大損しただろうが、今は安く買った住人と
投機で買ったわけではない住人が主体。最初から維持管理費が高額なことなんて
納得ずくで買ってるから要らなくなった人は賃貸に出したりしている。
>>1465
こっちの方が専門家の判断だから:
1LDKが10万円!限界化の一途をたどるリゾートマンションは車より安い〈AERA〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170523-00000041-sasahi-bus_a...
AERA 2017年5月29日号
湯沢町の不動産会社のリゾマンのサイト。最安値は1K(24.65平方メートル)で10万円。最高値でも1LDK(59.5平方メートル)で930万円だった(撮影/写真部・大野洋介)
日本にマンションが誕生して60年以上。今も年に10万戸ずつ増えている。たが一方で、建物と居住者の「二つの老い」や運営管理への無関心などにより、荒廃するマンションが急増している。何が起きているのか。防ぐ方法はあるのか。AERA 5月29日号では「限界マンション」を大特集。
* * *
タダであげるからもらってくれないか──。
新潟県湯沢町。越後湯沢駅からほど近いリゾートマンション(リゾマン)の管理組合理事長を務める男性(67)は、真剣な表情で話す。あまり利用しないのに管理費などを支払うのがもったいないから、希望者がいれば無料であげてもいいという所有者がいるのだという。
建物は築30年で、全200戸近く。他にもマンションには、管理費未納となり組合が買い取って所有する部屋が5戸ある。広さは25平方メートルで、25万円で売り出したが、一向に売れないのだという。男性は言う。
「組合が所有する部屋の管理費や固定資産税は組合の自己負担。管理費などは5戸で年間120万円近く。組合財政は悪化する一方です」
街中のマンションだけでない。今、リゾマンも限界化への道をたどっている。入居者の少ない「お化けマンション」が増えているのだ。
長年管理会社を経営し、マンション問題に詳しい堀堯夫(たかお)さん(70)が言う。
「都心の分譲マンションと同じ。管理組合の機能不全が要因です」
リゾマンのこうした現象は、箱根など一部例外を除いて全国的に見られる。加えて、湯沢には雪国ならではの問題があると話す。
「湯沢の場合、スキーブームが冷めると所有者の利用もマンションへの関心も減りました。所有は自己責任。それなのに、管理は次第に他人任せとなっていきました」(堀さん)
●10万円でも売れない
リゾマンは、1980年代後半のバブル期、避暑地やスキーブームに乗り全国で建設が相次いだ。湯沢は、自然環境に恵まれ首都圏から2時間以内というアクセスのよさから、バブル期に次々と58棟のリゾマンが建てられた。温水プールや温泉を備えた2千万~3千万円もする物件が分譲すれば即完売。それが、資産価値はすっかり下がり、いまや、「湯沢のリゾマンは車より安い」(地元の不動産業者)。
湯沢の町を歩くと、リゾマンの「売買」の看板が立ち、放置されたままのリゾマンも目につく。町の不動産会社のサイトでは30平方メートル前後の物件が「10万円」で売られていた。空室が埋まらず、維持費も集まらず放置されれば、街はゴーストタウンになりかねない。リゾマンを再生するにはどうすればいいか。
先の堀さんは、管理組合が主体性を持ち、資産を生かす発想を持つことが大事だと説く。
「そのためにも、支出を見直し、外部への委託費や、プールなどの共用付帯施設の利用見直しも必要です」
冒頭の男性は、堀さんの力を借りて立て直しに尽力中だ。隣り合った25平方メートルの部屋の壁の一部を取り払い1戸にリノベーションして床面積を倍増し、3世代で湯沢に来てもらう環境をつくりたいという。男性は意欲を見せる。
「うちをリゾマン活性化のモデル事例にしたい」
(編集部・野村昌二)
あー。流動性が低いマンションの話かー。
とりま、
・駅から近い
・新耐震
・温泉がある(利用可能時間も重要)
・ちゃんとリゾート感のある建物
・スキー所へのアクセスのよさ
・ちゃんと管理されててキレイ
・管理費のバランスいい
↑のうちの5個は満たされてないと、売るの大変そうな気がするよ
特に、温泉と管理と建物のレベルはリゾート物件ではカナリ重要だと思う。
やっぱ、温泉入りたいじゃん。
温泉がイケてて、会社の保養施設にしやすい間取りの物件(ワンルームよりも1LDKや2LDKのお部屋のほうが法人ウケいいよね!)は、今でもそれなりに人気があるっぽいよ
静岡に買った知人も、近所に温泉があるからそこに行けばいいし~ と、温泉ナシ物件を買ったのに結局温泉が欲しくなって温泉あり物件に買い替てましたし・・・
せっかくリゾマン買うのだもの。温泉入りたいよね!!
湯沢の温泉は循環、塩素入りだから価値が無いんだよ
水上温泉なら本物だから まだいいけどね
温泉が目当てで買うのなら北軽井沢あたりを拠点にして、自動車で草津、万座、尻焼温泉、平治温泉、沢渡温泉、霧積温泉、大塚温泉、四万温泉、千古温泉、志賀高原の温泉等の日帰り温泉を毎日廻った方が絶対にいいよ
苗場・湯沢の近くにも
新潟: 苗場温泉雪ささの湯、貝掛温泉、赤湯温泉、越後湯沢温泉 雪国の宿 高半・山の湯、大沢山温泉幽谷荘、上野鉱泉湯元奥の湯、清津峡湯元温泉清津館
群馬: 法師温泉、川古温泉、広河原温泉旅館峰、千葉高原村温泉、赤岩温泉誠法館、湯宿温泉松の湯共同浴場、漣温泉のぞみの湯
などのマニアに評価の高い温泉も一応あるけど、日帰り料金が高かったり、日帰り入浴不可だったり、日帰り入浴の受け入れ時間が極端に短かったり、遠かったりしてわざわざ苗場・湯沢に住むメリットが全く無いんだ。
苗場から狭くて急な山道を降りて目的地まで行くより沼田か渋川にアパートを借りて車でスキー場や温泉を廻った方が楽だしお金もかかりません。
価値がこれ以上下がらないようにって価格10万が1万に落ちるのを心配なんかしないだろ。
新潟: 苗場温泉雪ささの湯、貝掛温泉、赤湯温泉、越後湯沢温泉 雪国の宿 高半・山の湯、大沢山温泉幽谷荘、上野鉱泉湯元奥の湯、清津峡湯元温泉清津館
これは湯沢町内の温泉で東京から新幹線で来る客が多い。最短で1時間10分程度。
意味不な投稿そろそろ止めてくれないか毎度だけど、またアク禁かもなw
>>1472
>価値がこれ以上下がらないようにって価格10万が1万に落ちるのを心配なんかしないだろ。
それは甘いよ:
無料でもいらない湯沢町のリゾートマンション 2017/2/11
ネットオークションでマンションを購入した50代男性
番組内で50代独身男性の1人を取材しておりました。
湯沢町の中古マンションをネットオークションで落札し、1LDKの部屋を19万1000円で購入。2年ほど独りで住んでいたが、大阪のご両親の世話をするため実家へ戻ろうと検討。
不動産会社に部屋の買い取りを依頼したところ新たな買い手を見つけるには3年かかると判断され、買い取りには管理費、修繕積み立て、固定資産税などを含め200万円以上の支払いが必要と言われた…
この部屋が最終的に売れたのかは分かりませんが、安いのは理由があるんですよね。
築30年のマンションを10万で買えても、維持費が毎月3~4万、固定資産税が毎年10万程度掛かります。途中で売却したくても次のオーナーが見つかるまで何年も待たなければならない…
普通の物件ならば値段を下げればいつかは売れますが、10万程度で売られている物件はこれ以上値下げしようが有りません!
(無料でも良いんでしょうが、不動産屋の仲介料が全く取れないので仲介しない)
昔夢見ていたリゾートマンションがこんな姿になってしまって複雑な心境になった番組でした。
じゃあ今このリゾートマンションを買うか?と問われても
タダでもいらねー
移住するなら、北軽井沢か蓼科・八ヶ岳、最悪でも妙高か富士山の辺りの別荘地にしておいた方がいいですよ。
10万円で買えても、売ろうとしたら 200万円は出さないと引き取ってもらえない
メディカル&リゾート・ソリューション株式会社
http://www.mrs-japan.jp/
メディカル&リゾート・エステート株式会社にて、利用しなくなったリゾート物件があれば、利用できる物件への乗り換えや、単純に売却処分(買取)も承ります。
メディカル&リゾート・エステート株式会社は単にリゾート物件の仲介や売買をするのではなく、廃墟化・老朽化・衰退化した物件の再生や運用など資産の有効活用を基本とし、より美しく楽しく夢のあるリゾート物件であることをベースに業界再生を目指していきます。
メディカル&リゾート・ソリューション株式会社による買取りの条件について
http://mrs-japan-estate.jp/d-mansion
1、 買い取り対象のリゾートマンション
① 全国(北海道~沖縄まで)の物件を買取します。
②ハワイなど海外の一部物件も買取します。
③流通性が極めて乏しい物件でも買取します。
④昭和40年代竣工の老朽化した物件でも買取します。
⑤廃墟化した物件でも買取できる物件があります。
2、買取りに掛かる費用について
①取得費用
通常の不動産取引では、取得費用については買主が負担となるのが通例ですが、弊社による買取りでは、その費用(移転登記費用・不動産取得税など)の相応額全額を売り主様にご負担いただきます。
②維持費
通常の不動産取引では、取得後の維持費は当然に買主が負担していきますが、弊社による買取りでは、その費用(管理費・修繕積立金・固定資産税など)の1年~3年相応額を売り主様にご負担いただきます。
リゾートマンションの相場をインターネット等で調べると、容易にその物件価格が確認できますが、その価格のほとんどは、実態相場ではなく、売り主及び仲介業者の希望価格であり表面相場ともいいます。売却希望者は売買の交渉にあたり、まずは希望価格からスタートし、交渉に応じて減額していきます。
実際の売買価格は、概ね表面価格の半値八掛けです。仮に、500万円の希望価格であっても、実態価格が200万円以下になること珍しくありません。さらに仲介業者(不動産業者)は、流通性が乏しく、かつその売買価格が低額の場合は、手数料も少額となり、商いとしては採算が取れないために、仲介の依頼は受け付けても、1年どころか3年・5年~待っても売れないというのが現実です。
場合によっては、費用を負担してもよいから手放したいというニーズが近年は顕著に増加しています。このような現状を考えると上記の条件は、買主(弊社)の都合のよい条件ばかりとも言えません。売主様の立場に立って考えれば、使用しなくなったマンションであっても。
①維持費(概ね年間30万円~100万円)を支払いしなければならい。
②大規模修繕費用の支払いをしなければならない。
③将来の取り壊し費用分担金の支払いをしなければならない。
④誰が相続するのか、また相続にかかる費用の支払いをしなければならない。
そうなると、過去売れなかった事実を踏まえて、将来を予測した場合、利用しないにもかかわらず、その維持費の負担は高額になります。ならば、一時的に費用は必要だけれど、現時点で処分(弊社による買取)したほうが良いという結論も売主様にとってのメリットも大きく、検討に値すると考えております。
流通市場で動きのある物件であれば、高価買取、全国の物件買取強化中です。
直ちに処分の、ご希望があれば・・・買取査定でお申し込みいただけます。
http://mrs-japan-estate.jp/d-mansion
10万円で買えても、売ろうとしたら 200万円は出さないと引き取ってもらえない 2
ファミール・ヴィラ苗場の掲示板
http://6030.teacup.com/fvnaeba/bbs
Re: 名簿流出していませんか? 投稿者:406号室 投稿日:2017年 3月18日(土)01時39分49秒
taityoさんへのお返事です。
いつも情報ありがとうございます。
> 最近、リゾートマンション処理業者から手紙が来るようになりました。
> 管理組合、もしくは管理会社しか知り得ない個人情報が記されています。
> ちょっと心配しています。
それは、1月配布の総会議事録と共に、「リゾートマンション買い取り業者に関するご注意」を配布しているものの内容と関係した業者と思います。
会員権なども扱っているようですが、ダイヤモンドソサエティ
http://www.diamond-s.co.jp/company/about/index.html
では、相手名を挙げて、注意喚起の文書を出しています。
http://www.diamond-s.co.jp/pdf/1609_info.pdf
>その書面骨子は、会員の権利買取りと交換提案ですが、2つの提案いずれもが、会員各位が会員の権利を上記会社に売却するに当り60万円近い金額を上記会社に支払うという内容です。つまり、不動産の持分を移転するに、そのような多額処分費用がいるという非常に不条理な話であります。……
うちの管理会社の情報によると、買い取り後も、所有権移転や名義変更がなされず、結果的に旧オーナーが継続して管理費を支払うことになるなどの例もあるようです。
怪しい手紙などは、スキャンして、管理会社へのお問い合わせフォームから、画像添付等で情報提供していただくとありがたいと思います。
また、このような業者は、各地で似たようなことを行っていますから、特にうちの管理組合で、情報流出したということは、ないと思います。
その証拠として、たまたま私は自宅を転居しているのですが、苗場の方は、登記名義人住所変更登記をしていません。ですから、そうした類いのダイレクトメール等は、一切来ないのです。
大抵の場合、そういう業者は、登記簿を閲覧して所有者情報を得ていて、それは、防げないのです。
いずれにしろ、うちの場合は、地元の仲介業者さんが確実な仕事をしてくれるので、転売等でも心配ないと思いますが、処分に困っているようなところでは、こうした悪徳業者に引っかかってしまう例もあって、こうした事象が発生しているものと思います。
http://blog.goo.ne.jp/fv-naeba
777さん
以前も同じように、どこかの評論家が書いた記事を添付したりして、いろいろレス内で揉めてた人だよね。
たしか湯沢にマンションとか持ってないですよね。
縁もゆかりもない湯沢のことなど気にしていただかなくていいので、どこか他でやってください。
>>1478さん
なんだ。777さんはこっちにリゾマンもってない人だったんだ。
ならそういうイメージはしかたないですよー。
私もネットやテレビや雑誌でしか知らなかった時は「湯沢ってバブルで調子にのって今はスラムになってるところ!」と思ってたし。
(ちょっと前に水上でリゾマン体験をしたと書いたのが私ですw)
とりま、777さんは、数百万~のお値段のお部屋を持ってるお友達か、湯沢に保養所持ってる会社に勤める友達探して、一度ご一緒させてもらってよ。
日本人なんて、テレビで「純ココアがいい!」といったら無糖ココア買いあさって品切れさせるし、
人気なんか無くても「これが人気!」と洗脳すれば本当に人気になるし、
本当にテレビに騙されやすいから仕方ないです
私もそうだし、周り見ててもそうだしね 笑
騙されたと思って、涼しい時期にでも一回遊びにおいでーー!
自分の目で見ればイメージ変わると思うよ!
日本人はこの映画を見て、そして雪国のモデルが川端康成自身である事を知って、湯沢の事を買い被ってしまったんだよ:
映画「雪国」1957 動画
豊田四郎/監督
川端康成/原作
出演: 池部良, 岸恵子, 八千草薫, 森繁久彌
http://www.bilibili.com/video/av8295567/
……1957(昭和32)年の正月5日、評論家の和田芳恵は、写真家大竹新助とともに、新潟県南蒲原(かんばら)地方の三条市に、駒子のモデルとされる小高キクを訪ねた。雑誌『婦人朝日』に「名作のモデルをたずねて」を連載する、その第1回のためである。
途上の湯沢では、豊田四郎監督、池辺良、岸恵子主演で「雪国」がはじめて映画化されることになり、その撮影で大騒ぎの最中であった。
そのころ、かつて越後湯沢で芸者松栄として出ていたキクは、三条市の仕立物師・小高久雄の妻となって、小高キクとなっていたが、条理のわかった夫の協力もあって、この日の取材となったのである。
以下は、この和田芳恵の記述「名作のモデルをたずねて(一)」(『婦人朝日』1957〈昭和32〉・3・1)によったものである。
キクの本名は丸山きく。三条市島田に、1915(大正4)年11月23日、鍛冶屋(かじや)の長女として生まれた。兄がひとりあったが、十人兄弟の大所帯であった。
川端康成と出会った1934(昭和9)年には、ちょうど数え20歳であったことになる。
数えで10歳の7月15日に小学校をやめて、長岡市の立花家という芸者屋の下地っ子に出された。当時、南蒲原地方では、生活のために娘を芸者にすることを、さほど不思議と思わない風習があったという。
長岡には、下地っ子のための特殊な学校があって、きくはそこに通ったそうだ。
1928(昭和3)年、17歳になったきくは、湯沢の若松屋という芸者屋から松栄という芸名で出ることになった。年期は3年であった。
しかし和田芳恵のここの記述はおかしい。1928年なら、キクは14歳だったはずである。これは年号の方が不確かで、「17歳」の方が正しいと考えたい。
清水トンネルが開通した年(といえば1931〈昭和6〉年のはずだが、和田は1930年と書いている)、湯沢駅前の土産物店兼自動車屋に、峠(とうげ)豊作という運転手が雇われた。
豊作は、1912(大正元)年の生まれ。きくと3つ違いだ。新潟県東南部の織物で名高い塩沢の、うどん屋の息子であったが、蕎麦(そば)づくりの技術を覚えるため、1928(昭和3)年に上京、日本橋室町の更科(さらしな)に弟子入りしたのだが、その仕事がいやになり、自動車の運転手になった。当時、運転手は、はなやかな職業であった。
22歳の美貌の豊作と19歳のきくは、やがて深い恋仲となった。小説「雪国」は、この年から書き始められている。
この土地では、芸者の住んでいる部屋を「きりやど」という。たいてい置屋の母屋から廊下でつづいているが、母屋からは離れている。そこに客が泊まることもあった。
豊作は仕事がすむと、夜が更けたころ「きりやど」から、きくを呼び出し、ひっそりした湯舟につかって、あまい恋をささやいたという。「ふたりはしあわせに夢のような日をおくっていました」と和田は書いている。
きくは豊作と一緒になりたいと考えていたが、3年の年期を終えて家に帰ると、すぐ富山県の高岡に、また芸者として出なければならなかった。このときの身代金で、親は住む家を建てた。芸名は、いろは、だった。
しかし高岡では我慢のならないことがあった。それは、抱え主が芸者に客をとることを強要したことである。
1932(昭和7)年、18歳の松栄
きくは、「21歳になった昭和7年の8月に、湯沢へ住みかえました」と和田は書いている。(年齢か年代か、どちらかが間違っている。平山三男の調査によれば、数え18歳の1932(昭和7)年が正しい。
そのときの置屋が豊田屋で、抱えは三人いた。松栄(まつえ)という名が通っていたので、今回も松栄で出た。
豊作との仲は、この土地では誰知らぬ者はないほどであった。きくは、豊作の兄貴分であった人を通して、年期があけたら一緒になってほしいと申し入れた。豊作は喜んで、かたい約束をした。ふたりは夫婦きどりでつき合っていたが、1937(昭和12)年の秋、豊作に召集令状が来て、高田に入隊することになった。そこで双方の親を説得して仮祝言をあげた。
ところがじつは、きくには、東京に旦那がいた。60に近く、めったに来ることはなかった。その旦那が話を耳にして、どうしても手放さないと言い、きくは豊田屋をやめて上京し、旦那に囲われることになった。26歳のときだった。
豊作の部隊は中支の漢口に行き、豊作はここで3年の軍隊生活を送り、現地で2年、軍属をしてから陸軍病院の酒保に店を出した。生活が安定したので、きくを呼び寄せる手続きをして、このとき初めて、きくに長いあいだ裏切られていたことを知った。
和田芳恵は、峠豊作にも会って、取材している。この『週刊朝日』には、峠の近影も掲載されている。
峠は、和田芳恵に、きくと、結婚の仮祝言をすませた仲であることを認めた。また康成を定宿の「高半」へ幾度も送り迎えをしたことなども話したという。
1958(昭和33)年の取材の当時、峠は東京の八重洲口に近いところで料亭を営んでいた。
松栄のその後
一方、きくは、旦那も死に、戦争も激しくなったので、郷里三条市に帰り、帯や袴(はかま)の仕立てをしている小高(こだか)久雄の弟子になった。
やがてきくは、これまでの閲歴をすべて小高に打ち明け、二人は結婚して、現在に至ったという。
和裁ばかりでは生活が苦しいので、きくはミシンを置いて、婦人子供の既製服の製造をはじめ、のちには内弟子や通いの弟子が七、八人もできるほど、手広く経営するようになっているそうだ。
――以上が和田芳恵の伝える丸山キクの半生である。年代にところどころ錯誤があるので、正確な事実として確認できないところが残念だが、中見出しに「哀れ、7年の恋は終りぬ」とあるところからも、このとき、きくは和田芳恵に率直に、峠豊作のことを含め、これまでの人生を詳細に語ったと思われる。
問題は、康成が湯沢に滞在して「雪国」を執筆した時期と、峠豊作ときくが恋仲であった時期が重なるのではないかと思われることである。
高半旅館の次男・高橋有恒も、「『雪国』のモデル考――越後湯沢における川端康成」(『人間復興』第2号、1972(昭和47)・11・期日不明)のなかで、「峠豊作と芸者松栄との間に当時、すこし噂があった」と書いている。
また、あるとき、峠の運転する車に有恒が乗せてもらっていると、峠は芸者置屋豊田屋の前で車をとめ、二階の芸者松栄に声をかけた。すると松栄が降りてきて、車に同乗した。このとき松栄は、「オツさま、この本、川端さんがくれたの」と1冊の本――「水晶幻想」を差し出した、とも述べている。
これらの事実を、どう解釈したらいいのだろうか。
1932(昭和7)年、18歳のきくが、若松屋から松栄という名で芸者にでた事実は確かであろう。康成がはじめて湯沢に来たのは、2年後の1934(昭和9)年である。
このときすでに松栄は、峠豊作と恋仲になっていたと思われる。
というのも、松栄と峠豊作が恋仲になったのは、松栄が高岡に行く前のことと、和田芳恵は書いているからである。湯沢に帰ってきて、ふたたび松栄という名で芸者に出たきくと峠豊作は、感無量のうちに再会したはずである。
もっとも、作品で見てきたように、潔癖で正直な松栄が、ふたりの男に二股(ふたまた)をかけるような女でないことは確かである。
わたくしが注目したいのは、3度目の旅で、縮の産地から帰った島村の乗った車に、駒子が飛び乗る場面である。
車が駒子の前に来た。駒子はふつと目をつぶつたかと思ふと、ぱつと車に飛びついた。車は止まらないでそのまま静かに坂を登つた。駒子は扉の外の足場に身をかがめて、扉の把手(とって)につかまつてゐた。(中略)
駒子は窓ガラスに額を押しつけながら、
「どこへ行つた? ねえ、どこへ行つた?」と甲高く呼んだ。
(中略)
駒子が扉をあけて横倒れにはいつて来た。しかしその時車はもう止まつてゐるのだつた。
これは、実際の体験を描いた場面ではなかろうか。そうだとすれば、駒子が大胆にも走っている車に飛び乗ることができたのは、峠豊作の運転する車で、豊作が危険な操作をするはずがないと安心して、駒子は無茶をしたのではないだろうか。
つまり、豊作もまた、駒子が島村とつき合っていることを知っていて、島村の前で車の速度を落し、また危険のないよう配慮したのである。
わたくしは、すでに駒子こと、きくと豊作は恋仲であったと確信する。
そこへ、いきなり東京から得体の知れぬ、これまで会ったこともないような男が現れ、きくは電撃に打たれたように、その男に惚れてしまったのだ。駒子は夢中になって、その新しい男に心血をそそいで恋をする。
豊作は黙ってそれを傍観しているしかなかった。
およそ2年間、駒子は命がけの恋をした。それは次元の異なる恋だった。豊作は黙って見ているより術(すべ)がなかった。
島村が雪国を去ってしばらくたって、駒子こと、きくは豊作のもとに戻ってきた。駒子は豊作との結婚を本気で考えた。……
康成は、駒子にそのような想い人があったことを知っていただろうか。
小高久雄は和田芳恵の取材のとき、「この人には、そのころ、7年も思いつめた男の人がいたのですよ」と語ったそうだ。また、「雪国」の作者のことは、きくから聞いてはいたが、「雪国」を読んだのは結婚してからだったという。
最後にきくは、康成のことを、「あの方は、これまで知った多くの人たちから感じられない独特な雰囲気を持っていました」と和田に語ったという。
峠豊作というひとがありながら、駒子のきくは、魅入られたように康成との恋に命を傾けたのではなかろうか。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/7d45b23134e8d90da385ae91582324...