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トルコ行進曲byモーツアルト
[スレ作成日時]2011-09-09 21:37:24
トルコ行進曲byモーツアルト
[スレ作成日時]2011-09-09 21:37:24
ラフマニノフ 交響曲第二番、 広大無辺、ロシアの大地の歌が聞こえるw
バッハ「前奏曲とフーガ」 ピアノ演奏、
バルトーク「オーケストラのための協奏曲」
「夜のガスパール」
ベートーヴェン
「ピアノ協奏曲4番」
「魔笛」の「夜の女王のアリア」
ショパン、バラードNO1
トリスタンとイゾルデ
パルジファル
ワグナーの楽劇をバイロイトで観た人いるかな?
マウリツィオポリーニでペトルーシュカからの三断章
ピアノ自慢を黙らせる(^^)
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そういう人がこのスレに参加するとは考え難い。
バッハの平均律は、奥深い
んだんだ。
グレン・グールドの弾く「平均律」がいいわ。
グレン・グールドは、やっぱり彼の最初の仕事だった「ゴールドベルク変奏曲」が
究極の傑作だ。
グールドでたらモーツァルトの11番(トルコ行進曲付)でしょう
未だにゲテモノ扱いの人が多いですがこれならベートーベンも気に入ったはずです。
グールドは今でも話題豊富だね。それだけのことはある演奏家だったということだろう。
しかし、個性的だねぇ。あんまり個性的なので、フツーの演奏家のを聴くと、なんだこれは? という印象を受ける。
グールドのほうが、なんだこれは?なんだけどね。
ゴールドベルグ変奏曲は何度か録音取り直してますね。
彼はいろいろ工夫し創造して、新しい音楽を生み出そうとした。
あの低い椅子に腰掛けて鍵盤近くで弾いているの、弾きにくくないのかしら?
なんか、作品そのものに肉薄しようとしている気迫は感じますね。あの姿は。
夏でも冬物のコート着て、録音の合間は貧乏ゆすりして体を温めていた、ということを聞いたことがある。
天才にはえてしてこうした奇人・変人タイプが多い。モーツァルトなんかも、そうした天才だったんだろうね。
グレン・グールドの持病って何だったの?
なんか白血病とかでしょ?
天才だからな~ どこかおかしかったんだろう。
グールドの変人ネタはそれだけでスレ立ちます(^^)
ピアノの椅子も専用のオリジナル品で足が一本ずつ調整可能だったそうで
協奏曲の録音の時は椅子の調整に時間かかってオーケストラからは
大ブーイングだったらしい。
アイディアは次から次ぎへと湧いて出たそうですね。
彼もそれを実現しようとした。
でも、よく周囲もついて行ったんですね。 やっぱり天才を感じたから?
天才と変人は紙一重、
バッハは天才、グールドは変人、
グールド以来、めっきり上がらなくなった。
バッハのコラール・プレリュード「おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け」
アルバート・シュヴァイツァーの演奏が最高!
グールドのベートーベン第5って聞いた事ありますか?
途中ピアノでは絶対に弾けないところがあるのですがグールドは
第一楽章から標準のペースを守って弾いていきます。
破滅に向かって。
で・・結果はどうなったんですか?
まだグールドか。
40年以上前のハナシだが、日本人のクラシック愛好家には、カラヤン派とべーム派がいた。
「他人よりワカルぞ」という自負のある人は、たいていベーム派だった。私は一貫してカラヤン派で、今も変わらない。ベームの演奏を聴いて感動したのは、ウィーン・フィルを連れて日本に来たときの生演奏でブラームスの「交響曲第1番」ぐらいしかない。ベームのレコードはどれもこれも×。感動がないんだナァー。
カラヤンは大阪万博の年にベルリン・フィルを連れてきたときに、ブラームスの「第2」「第3」を生で聴いたが、圧倒的だった。大学生の私には高い入場料だったが、行ってよかったと思う数少ない演奏会のひとつになっている。カラヤンはレコードやCDも未だにたくさん売っているね。世界での人気は圧倒的なんだろう。
さて、クラシック通のみなさんは、カラヤン派? ベーム派?
カラヤンのほうが沢山の作品を振っているから、
モーツアルトから現代曲まで、オペラも振るし、フランス物も得意だ。
娯楽性、多面性がある。
良く言えば曲を面白く聴かせるツボを心得ている。
カラヤンがレコーディングに熱心だったり、自分の指揮ぶりをTVで見せるための
工夫をしたり、ということも、いかに多くの聴衆をひきつける音楽を演奏するかを
絶えず考えていた人だからだろう。
ベームは、そういう点は伝統的な指揮者だったのではない? 守備範囲が狭い。
いわゆるドイツ系の「先生」(指導者?)タイプの指揮者だったんだね。
↑あ、ペームの方ね。
カラヤンって人気あり過ぎて、イヤやん
どして?
カラヤンは何でも振った。
R・シュトラウスはカラヤンで初めて面白く聴いた。
カラヤンぐらいR.シュトラウスを楽しませてくれる指揮者はいない。
カラヤンの「薔薇の騎士」最高!
カラヤンは同じ曲の録音いっぱいありすぎて愛好家の話についていけない。
カラヤンは「カルメン」もいい。
カラヤンのR・シュトラウスはどれもいいですね。
そういえば、シベリウスの交響曲や交響詩を、はじめて「いいな」と思ったのが、カラヤン/ベルリンフィルのレコード(ドイツ・グラモフォン)だった。
高校のころだったか…。
ブルックナーやマーラーはそれほどでもないかな?
ほかに、もっといい演奏があるような気がする。
とはいえ、最晩年のベルリン・ライブのマーラー第9番(CD)は絶品。
カラヤンのマーラーではじめて唸った演奏。
カラヤンは聴衆をたのしませるコツを心得ているのよ。
職人的演奏家。
私は伝統を重んずる芸術家です なんて気取っていない。
レコード録音を重視した点ではグレン・グールドとも相通ずるものがありますね。
20世紀的な演奏家ね。
今は21世紀、時代は変わったのかな…。
まだ、天才が出てきません。
20世紀に出すぎたのよね
そうかもね。
なんか新しい録音のCDを買う気がしない。
こちらが歳とっただけかな?
クラシックは20世紀の前半に頂点を迎えて終わった
「終わった」は極論にすぎるが、かといって、きちんと反論はできないフシもある。
天才的な作曲家とカリスマ的な演奏家はたしかにいなくなった。
さて、古い録音を老後の楽しみとするか…。
世界の主なコンサートで演奏される曲は、圧倒的に20世紀の前半まで。
その通り!
しかし、なぜだろう?